すでに新型コロナ感染に対する規制がほとんどなくなったニューヨークでは、レストランに入るのにも、ワクチン証明もいらないし、またマスク着用も義務づけられない。
規制がゆるんだとたんに爆発的に増えたのが、オミクロン変異株による感染で、ニューヨーク州の感染率は10%(5月15日付)に達している。ただし新規入院者数は50~60人とそれほど多くなく、多くの感染者は軽症で済んでいる。
アメリカ全体でみると、一日の新規感染者は9万人を超え、2週間にわたる変化では、なんと60%も増えていることになる。
周囲でもコロナ陽性になったという話をよく耳にする。だが、だいたい数日間、喉の痛みと体調の悪さに苦しみ、しかしながら重症化せずに一週間ほどで治る人が多い。重い風邪といったところだろうか。
このオミクロン変異株の感染力はすさまじいので、アメリカではさらに感染数がうなぎのぼりになるのは間違いない。
NY州でもコロナ感染率の警戒レベルが「高」になっているが、それでもクラブやコンサート、あるいはスポーツ観戦やパーティではまったくマスクなしで、人々が集っている。はたしてコロナがこのまま風邪程度のものにあつかわれるのか、また入院者が増えるのかはわからない。
2022年5月から、ニューヨークのメトロポリタン美術館では、服飾研究所による「イン・アメリカ:アン・アンソロジー・オブ・ファッション」(In America: An Anthology of Fashion)展が始まった。
ファッション会の一大イベントであるメットガラと共に、この展覧会について解説しよう。今展覧会は「アンソロジー」(選集)というだけあって、アメリカのファッション史を取りあげた内容となっている。
ハイライトは歴史的に重要なアイテムだ。まずジョージ・ワシントンが大統領就任式で着用したというコートが展示されていて、非常によい保存状態で置かれている。
そして見逃せないのが、エイブラハム・リンカーン大統領が暗殺にあった時に着ていたというジャケットだ。こちらはブルックス・ブラザース社製であり、同社は1818年創業、日本では徳川家斉将軍の時代となる。
展示されている歴史的な服類は、マーチン・スコセッシやトム・フォード、ソフィア・コッポラ、クロエ・ザオなど、さまざまな監督が監修していて、あたかも「映画の一場面」のような設定で見られるのが見どころだ。
いささかマダム・タッソーの蝋人形館のような不気味さがなくもないのだが、シェーカー教徒たちの暮らしやゴシックの時代、あるいは華やかな社交の時代などが垣間見えて興味深い。
今回の展覧会プレビューには、ジル・バイデン大統領夫人が訪れて、スピーチを行った。そのなかでウクライナ侵攻問題にもふれ、3月1日にバイデン大統領が一般教書演説をしたときに、ジル夫人はブルーのドレスに黄色いヒマワリの刺しゅうをほどこした服を着用して、決して声高に語ることはなく、けれどもウクライナ支援を表したという。
「それこそ言葉にしなくても雄弁に語れるのが、ファッションの力です」とジル博士が語ったのが印象的だった。
この服飾研究所に対する寄付のために行われる晩餐会がメットガラなのだが、セレブにとっては呼ばれることがステータスシンボルになっている。
今回のファッションテーマは、アメリカのギルデッドエイジ(Gilded Age)だ。ギルデッドエイジとは「金ぴか時代」とも訳されるが、具体的には、1865年の南北戦争終結から1893年恐慌までの28年間をさす。ことに1870年代と1880年代は、アメリカにおいて資本主義が急速に発展をとげた時代だ。
大陸横断鉄道が完成して、アメリカにはヨーロッパから多くの移民たちがやってきて、鉄鋼王のアンドリュー・カーネギーや石油王ジョン・ロックフェラー、さらにモルガンやグッゲンハイム、ヴァンダービルドなど、現在にも名前が残る富豪たちが輩出した時代といえば、想像がつきやすいだろう。
つまり、アメリカがヨーロッパに取って代わって経済を牽引するようになり、新しい産業で億万長者たちが出現した時代だ。成金趣味が流行り、その拝金主義を皮肉って「金ぴか時代」と命名したのは、かの小説家マーク・トウェインだというのも興味深い。
さて、そんな「金ぴか時代」をテーマにしたメットガラだが、セレブの姿をハイライトでいくつかご紹介しよう。
まず今回評判がよかったのが、ブレイク・ライブリーだ。「ニューヨークのアールデコな建築にインスパイアされた」というヴェルサーチェのドレスで登場。
ブロンズ色のボリュームあるトレーンを引いたドレスで登場したが、このトレーン部分は結んである部分を開くと、グリーンに色変わりするというドラマチックな演出で、観客の目を楽しませた。文句なくベストルックだろう。
一方、メットガラの常連で、毎回奇抜な恰好を見せてくれるサラ・ジェシカ・パーカーは今回も大げさといえるスタイルで登場。
じつはこのスタイル、ビヨンセやリッゾらのデザイナーとして名高いクリストファー・ジョン・ロジャース(Christopher John Rogers)によるデザインで、19世紀に存在した黒人デザイナーにオマージュを捧げているものだという。
そのデザイナーとは、元奴隷だったエリザベス・ホッブス・ケックリー(Elizabeth Hobbs Keckley)で、彼女はお針子から身を起こして、ホワイトハウスではメアリー・トッド・リンカーン大統領夫人の服を手がけたという人物だ。
彼女がリンカーン大統領夫人のために仕立てた白黒のギンガムチェックのドレスに着想を得て、大きくギンガムをあしらったドレスにしたという。アメリカファッション史をたどる今展覧会で、奴隷からホワイトハウスまでファッションの力で成功した女性デザイナーがいたことを掘り起こして、こうして見せてくれるのは意義あるファッションだ。
トミー・ヒルフィガーのキャンペーンを務める歌手のショーン・メンデスは、同ブランドのクラシックなスタイルで登場して、「まるでドラマ、ブリジャートン家の登場人物みたいだ」と評された。ルックスもあいまって、まさに19世紀の貴公子のようだ。
アリシア・キーズはニューヨークの摩天楼をモチーフにしたケープを羽織って登場。ニューヨークという街じたいにオマージュを捧げたスタイルとなった。
ヘイリー・ビーバーはサンローランのドレスで登場。これはジーン・ハーロウなど、ハリウッド黄金期のスターを彷彿とさせるもので、今回のテーマにもふさわしいルックだろう。
さてメットガラ名物といえば、他のレッドカーペットではお目にかかれないような斬新なスタイルだ。
オスカー・アイザックはトム・ブラウンのジャケットにスカートを着用。これは彼ひとりで見るより、夫婦単位で見てみると、妻であり、脚本家映画監督であるエルヴァイラ・リンドがパンツを履いていて、夫のオスカー・アイザックがスカートを履いているという、ジェンダーの常識をひっくり返していることがわかって、おもしろい。
個人的に気にいったのが、まるで双子のようなジャレッド・レトと、アレッサンドロ・ミケーレのコンビだ。全身グッチだが、メットガラにふさわしいウィットに富んだ演出だろう。
そしてメディアで話題を呼んだのが、編集者のフレデリック・ロバートソンだ。ジャレット・レトとうりふたつなので、メディアでも「ジャレット」と誤記されたところがあるほど。
イリス・ヴァン・ヘルペンのデザインによる衣装は、ほとんど異星人のようないでたちだ。いったいどこが「アメリカ」なのかはわからないが、芸術品のような服で、人目を奪うというゴールは達成している。
また今回はエコを反映してか、古着を着用してのセレブも目立った。
まず筆頭はキム・カーダシアン。マリリン・モンローが1962年にケネディ大統領の誕生日を祝ったときに着用したドレスを着て、話題をさらった。恋人であるピート・デヴィッドソンと並んでの堂々のレッドカーペットで、スレンダーになった姿を披露したキム。
しかしながらバッシングを受ける結果になったのも事実だ。
ひとつには「ミュージアムに展示されるような歴史的なピースは、取り替えが利かないのだから着用すべきではない」という声が博物館関係者からあがったこと。またもうひとつは「ダイエットしすぎ」という意見だ。
マリリン・モンローのドレスを着用するために、キムは7キロのダイエットに励んだという。それについても「短期間にそれほど痩せるとは不健康だ」とバッシングが起きた。ボディポジティブ(あらゆる体型を良いとすること)の風潮もあり、ふだん大きなヒップを売りにしているキムがドレスのためにムリに痩せたというのは、今どき好まれないことだといえる。
本家のマリリン・モンローが痩せぎすな印象がなく、むしろ豊満にドレスを着こなしていたイメージがあるのが皮肉なところだ。キムの体型を生かすのは、他のスタイルのドレスではなかっただろうか。
エミリー・ラタコウスキーは、1992年のヴェルサーチェのドレスをまとって登場してみせた。
しかしパッと見たところ、メットガラというよりもリオのカーニバルに出るような恰好に見えてしまい、テーマに合っているとはいいがたく、なぜこのスタイルを選んだのか首をひねるところだ。
ビリー・アイリッシュは「できる限り環境に配慮したかった」と古着をアップサイクルしたドレスで登場。
グッチのアレッサンドロ・ミケーレが、過去のコレクションで使用した生地をアップサイクルして作ったカスタムドレスで、コルセットとボリュームあるスカートで、19世紀後半を彷彿とさせるスタイルだ。
多くの人が指摘していたのが、ジョン・シンガー・サージェント作の「ポール・ポアーソン夫人」の肖像画(Madame Paul Poirson, 1885)にそっくりだということで、ヘアスタイルもアクセサリーもまねている。時代的には、まさに今回のテーマにぴったりだ。
ちなみにジョン・シンガー・サージェントはメトロポリタン美術館所蔵の「マダムX」の肖像を描いた画家だといえば、ピンと来るのではないだろうか。美しいドレスだが、第一印象としては「かなり苦しそう」「舞台衣装のよう」に見えるのも事実で、当時の女性たちがいかに窮屈なコルセットに身を包んでいたのかもよくわかる。
一方、アンバー・バレッタは1980年代のアザロ(Azarro)によるビンテージドレスを着用。これは売れっ子スタイリストのカーラ・ウェルチがロスのビンテージショップで見つけたものだというが、文句なく彼女に似合い、テーマにも合っていて、エコにもなっている好例だろう。
この日のために、いかに目立つかセレブたちは策を練るわけだが、いったいなぜそうなった、と思うようなセレブもいる。
ウィニー・ハーロウは、イリス・ヴァン・ヘルペンを着用。オランダのデザイナー、イリス・ヴァン・ヘルペンは3Dプリントの革新的なテクニックを駆使した芸術的な作品で知られ、メットガラでもセレブに人気のクリエイターだ。しかしながらこのドレスに関しては良いとか悪い以前に、なにがなんだかわからない、というのが一般の感想ではなかろうか。
カーラ・デルヴィーニュは、サンローランのスーツで登場しながら、なぜかジャケットを取ってゴールドにペイントされたボディを披露。いったいなんのために? と誰もがあぜんとする演出だが、本人が「これをしたい」といいだしたら、誰も止められず暴走するのがメットガラの醍醐味とはいえる。
今回は若くして亡くなったヴァージル・アブローへの追悼で、ルイ・ヴィトンを着用するセレブが多かったのだが、それを着こなせるかとなると、別問題だ。
こちらはジェンマ・チャン。大きく張りだしたスカート部分が独創的なデザインなのだが、家具のようにしか見えないと、アメリカのメディアでは大不評だった。
ジョー・ジョナスとソフィ・ターナー夫妻もルイ・ヴィトンを着用。しかしながら、ジョーのジャケットが途中から分かれてレース素材になっているところが奇抜で、ナゾすぎる。一方、ソフィのほうはヘアメイクの効果で、イメージをがらりと変えて、あたかもラファエル前派の絵画のように見えるところが高得点だろう。
つい近頃、ブルックリン・ベッカムと結婚したニコラ・ペルツ。大富豪の令嬢でもあり、美しく、どんなドレスでも手に入れられる立場でありながら、なぜこうなったのか。ヴァレンティノのすばらしいカッティングのドレスではありながら、どう見てもメットガラというよりはマイアミのプールパーティの雰囲気だ。
カイリー・ジェナ−は、白いボールガウン(舞踏会用ドレス)で登場。ドレスじたいは美しいとしても、これではどう見てもウエディングドレスであって、野球帽に白いチュールベールをつけたアクセサリーも含めて、場違い感がハンパない。
セバスチャン・スタンは全身ショッキング・ピンクで登場。これをラッパーが着たり、あるいはライブやパーティに行ったりするにはクールなスタイルだろうが、メットガラにはそぐわず、しかも彼のキリッとした顔つきと服の方向性がまるっきりあっていない結果になった。
常連のセレブであっても、やはり当たり外れがあるもので、ジジ・ハディドは今回ハズしたひとりだといえる。
ワイン色のボディスーツに、ダウンコートを羽織った大胆で冒険的なスタイルだが、これではほとんど「デューン砂の惑星」とかSF映画の登場人物であって、どこらへんがアメリカの黄金期であるのかわからない。
妹のベラ・ハディッドも今回はメディアで賞賛されなかった。
ブラックで固めたスタイルは、ラテックスのような素材がSMの女王か、こちらも「マトリックス」の登場人物のようで、テーマと合っているのか疑問だ。
さらにこれがアフターパーティでは、ベラ・ハディッドもケンダル・ジェナーもヘイリー・ビーバーもほとんど裸のような恰好で出かけているのがすごい。もはやランジェリーと外出着の差がなくなっている。
参考までに、当日は摂氏10度ほどで寒かったのだが、そのなかをこの恰好で闊歩できるセレブたちは、やはりおしゃれに賭けるガッツがレベル違いだと驚くしかない。
メットガラだけ見れば、まさに自由奔放なアメリカなのだが、一方で想像もつかないような保守的な考えもあるのも、アメリカだ。
5月に、全米を愕然とさせたのが、最高裁の判事たちによる、人工妊娠中絶を選ぶ権利を認めた過去の連邦最高裁判例をくつがえす内容の判決草案がリークされたことだ。
つまり、人工中絶が違法になるかもしれないという内容だ。
日本で考えると、なぜに今ごろ中絶が問題になるのかふしぎなところだが、背後にはキリスト教で、命は神から授かったものなのだから、人間の手で奪うのは大罪とされてきた歴史があるためだ。
とはいえカトリックのお膝元、イタリアでも1978年に妊娠初期の90日以内であれば妊婦の自由意志で「中絶法」が施行されている。
アメリカでは1973年「ロー対ウェイド」事件に対する最高裁判決が、女性の人工中絶権を認める歴史的な判例となったのだが、これがくつがえされれば、大きな影響が出る。
中絶が合法かどうかは各州の判断となるので、たとえばニューヨーク州では引き続き合法となるはずだ。だが、アメリカの約半数の州で中絶が禁止される可能性があるとされる。
テキサス州では2021年に、妊娠約6週目以降の中絶を禁じる州法が発効。これは「レイプや近親相姦による妊娠でも中絶できない」という、驚くべき法律だ。
女性の体を女性自身が決定できず、州の政策が決める。
こうなると、あたかもマーガレット・アトウッドが1985年に出した小説、そしてそれを元にしたHULUによるストリーミングドラマ「侍女の物語」を彷彿とさせる。
この物語では、キリスト教原理主義派がクーデターでアメリカ国政を乗っ取るという設定で、妊娠能力がある女性たちは「ハンドメイズ」(侍女)として、政府高官の家に配置され、妊娠能力のない妻たちに代わって、その高官たちのセックススレイブとなり、子どもを産むという役目にさせられる。
このフィクションが2022年、半世紀前よりもはるかに現実味を帯びているところが恐ろしい。
保守派VS.リベラルの二分化は激しく、フロリダ州では、共和党によってミッキーマウスが攻撃される事態にいたっている。
フロリダ州で3月に通ったのが、通称「Don’t Say Gay」(ゲイといってはいけない)法案だ。なにかといえば、小学校3年生まではゲイやトランスジェンダーなど性的アイデンティティについての教育をクラスでするのを禁止する法律を指す。
つまり10歳になるまで、ゲイやトランスジェンダーがあることについては語らないでおこうという政策だ。伝統的な社会では、それがふつうだったので、わざわざ幼い子に同性愛について子どもに教えなくてもいいだろうという考え方がある。
だが、実際には子どもたちは幼いうちから王子さまとお姫さまが結ばれる昔話や童話を読んでいる。アニメでもマンガでも異性愛が描かれていることが圧倒的だ。つまり多くの子どもたちは特に選ぶということなく、男女愛がふつうだという刷り込みをされて育つわけだ。
それで支障のない子どもたちが多数だとしても、幼い頃からそこにそぐわないものを感じる子どもたちもいるだろうし、また同性婚の親を持つ子どもたちも存在するわけで、自分が社会からずれている存在だと感じかねない。
だとしたら、LGBTQに関する本があってもよいのではないだろうか。
大半の童話やマンガは異性愛をあつかっているのだから、なかには同性の親やカップルが出てくる物語があってもいいのではないか、というのがダイバーシティの考え方だ。
たとえばロングセラーの絵本で、2羽の父親ペンギンの話『Tango Makes Three』(タンゴが3人家族を作るよ)がある。
これは実話をもとにしていて、ニューヨークのセントラルパーク動物園にいる2匹のオスのペンギン、ロイとサイロがつがいになっていて、動物園によって与えられたヒナ、タンゴを育てたという逸話をもとにしている。この本がとても害があるものとは思えない。
初等教育で、性同一性に関する学校での指導を禁止する法案は、フロリダ州のほかアラバマ州でも通り、オハイオ州、ルイジアナ州、テキサス州でも法案化が検討されている。
これに猛反発しているのが、当然ながらLGBTQコミュニティだが、ついに政治的な対立にまで発展してしまったのがディズニー社だ。
フロリダ州にテーマパークを持つディズニー社は80,000人の労働者をようする大企業であり、38人のロビイストを雇ってフロリダ州議会にも影響力を持つ存在だ。
当初は「ゲイとは言ってはいけない」法案に反対する動きは見せなかったが、自社労働者からの抗議を受け、CEOのボブ・チャペック(Bob Chapek)最高責任者は、「われわれはインクルーシブ(包括的な)物語を作っていく」という声明を発表。
この法律が廃止されることを目標として、「私たちは、ディズニーファミリーのLGBTQ +メンバー、およびフロリダと全国のLGBTQ+コミュニティの権利と安全のために立ち上がることに専念します」と表明した。
ディズニーのように世界に影響をおよぼすエンタメ企業であれば、インクルーシブは内容に欠かせない。
近年はディズニー映画でも、「ズートピア」には2匹のオス鹿のカップル、実写版「美女と野獣」ではル・フウがLGBTQとして出てくる。また「スターウォーズ」の背後に映る同性カップルや、マーベル作品の「エターナルズ」にも同性カップルの親が出てくるし、ストリーミング番組「ロキ」でも、ロキがバイセクシャルであるというセリフが出てきて、演じるトム・ヒドルトン自身が「小さな変化であっても喜ばしい」とコメントしている。
前面には出てこないが、よく見ると、ブレンドインされているのだ。
プリンセスが出る映画でも「アナと雪の女王」から、「ヒロインは必ず理想の王子さまと結ばれる」という定石パターンを外すようになり、それまで「白馬の王子さまに出会えなければ幸せになれない」と、無意識に刷りこまれていた多くの女の子にとって、王子さまがいなくても自分が運命を切りひらくストーリーへと代わってきている。
ディズニーのアニメ作品は、そうした時代に合わせた意識改革と、それを元にしたストーリーテリングが、じつにうまいのだ。
たとえば「ラーヤと龍の王国」では、ヒロインも敵もセイビアー(物語における助け手)も女性、そして最後には戦いではない方法で解決を求めるというストーリー展開になっている。
「ソウルフルワールド」の主人公は、成功していない中年男性であり、そこから生きることの意義を問いかける。
あるいは「ミラベルと魔法の家」では中南米を舞台に、なんら特別な能力のない、容姿も平均的な子を主人公に据えるなど、なるほど、こう来るかという設定を作りながら、必ず感動できる物語に仕上げている。
つまりディズニー映画を見れば「今」がわかるわけだが、それは徹底したマーケティングと意識調査の賜だろう。
そうしたダイバーシティを打ち出すディズニー社にとって「ゲイとはいってはいけない」法案はあきらかに社の方針に逆行するものだろう。
これに対してフロリダ州ロン・デサンティス知事(Governor Ron DeSantis)が反撃。これまでフロリダ州議会がディズニーに与えて来た特別優遇措置を解除すると言いだした。
共和党のジョシュ・ホーリー上院議員は、特別待遇で守られてきたミッキーマウスの著作権を2024年で排除する法案を提出。
こどういうことかといえば、ミッキーマウスの著作権が切れて、勝手に使えるようになるということだ。
ミッキーマウスが初めて「蒸気船ウィリー」で世に出たのが、1928年。そして1984年に著作権が失効する直前に、ディズニーは連邦政府に働きかけ、75年間保護を延長し、さらに1998年ディズニーはふたたび著作権の延長を働きかけ、95年間著作権の所有権を認めることになった。
そのせいで、この著作権を延命した法案は「ミッキーマウス法案」と皮肉られて呼ばれている。
1928年「蒸気船ウィリー」で初めて世に出たミッキーマウス。現在とは、かなりデザインが違っているが、今見ても、映像のリズム感がすばらしい。
現在の著作権は2024年に終了する予定であり、共和党幹部は「ディズニーは特別保護の恩恵を延長して受けるべきでない」と主張している。
ちなみに著作権が切れるのは、初期マンガのミッキーマウスであって、現在おなじみの目がくりくりとしたミッキーマウスではない。
とはいえ、ミッキーマウスは世界でのキャラクター収入が5000億円ともいわれ、なんとディズニー社の売上全体の9%に相当するというビッグビジネスだ。世界のキャラクターライセンス業界にも大きな影響が出るだろう。
さらにフロリダ州デサンティス知事は、ウォルト・ディズニー・ワールドの自治権を剥奪する法案にも署名した。
これは50年以上にわたって、ウォルト・ディズニー・ワールドが持つ39平方マイル以内で事実上の地方自治体として活動することを許可してきた特別税のステータスを取り消すよう求めた法案だ。
こう書くと、まるでディズニー社と共和党が敵対しているようだが、決してそうではなく、今まではディズニー社は多大な寄付をフロリダ議会にしてきており、そのうちの80%は共和党議員への寄付とされる。フロリダ州にとっても莫大なツーリズムをもたらす存在だ。
いわば持ちつ持たれつの関係だったのが、いきなり州知事が法案をめぐって「今まで特権を与えてやってきたのは、誰のおかげだと思っているのだ」「タテをつくなら、特権を取りあげるぞ」と脅しているようなものだ。
これでは政治権力がエンタメ会社に対して言論統制を行っているのではないかという批判の声もあがっている。
はたしてミッキーマウス対フロリダ州の戦いがどうなるか、世界にいるディズニーファンとしても気がかりなところだ。
黒部エリ
Ellie Kurobe-Rozie
東京都出身。早稲田大学第一文学部卒業後、ライターとして活動開始。『Hot-Dog-Express』で「アッシー」などの流行語ブームをつくり、講談社X文庫では青山えりか名義でジュニア小説を30冊上梓。94年にNYに移住、日本の女性誌やサイトでNY情報を発信し続けている。著書に『生にゅー! 生で伝えるニューヨーク通信』など。