※本記事は、「Esquire」オランダ版に掲載された記事の転載になります。

 ジャパニーズウイスキーが投資価値のある人気商品となった理由を知るには、少しだけ時間をさかのぼる必要があります。「第二次世界大戦直後、ウイスキーの需要は急増しました」と話すのは、ユトレヒトのカクテルバー「Behind Bars」を所有し、ベネルクスで最大のジャパニーズウイスキーコレクションを持つ、マンセル・ファンデルベンさんです。

 その当時、ウイスキーの需要は世界中で高まっていました。そうしてビジネスチャンスのにおいを嗅ぎつけたビジネスマンたちにより、世界中の蒸留所でその生産が賑わいをみせていたのです。「アメリカやヨーロッパの軍基地でも、ウイスキーが振舞われていました」と、ファンデルベンさんは話します。

 ウイスキーが初めて日本に上陸したのは、「1853年頃のペリー来航時だ」と言われています。しかし、ウイスキーが一般的に飲まれるようになったのは、戦後日本の生活様式が変化し始めた頃になります。洋食文化への移行に伴い、数多くのウイスキー業者が参入し、日本のウイスキーは着実に成長を遂げます。

 日本でウイスキーが販売用として生産が開始されたのは、1924年になります。この製造に大きく貢献した人物が竹鶴政孝氏です。2014年度後期に放送されたNHK連続テレビ小説『マッサン』で、この竹鶴政孝氏をモデルにした主人公・亀山政春を俳優・玉山鉄二が熱演し、注目を浴びました。竹鶴氏は日本初のモルトウイスキー蒸溜所(山崎蒸溜所)を建設した、サントリー創業者・鳥井信治郎とともに、現在も、「ジャパニーズウイスキーの父」として崇められています。

 ちなみにかつては、「ウヰスキー」とも表記されていましたが、これは竹鶴政孝氏のこだわりでもありました。詳しく知りたい方は、オンデマンドで『マッサン』を観るといいでしょう。簡単に言えば、竹鶴氏は新たな会社の名を「ウイスキーは水が命」ということで、井戸の「井」の字を使って「ニッカウ井スキー」で登記申請したことに始まります…。ところが当時は、漢字とカナを混ぜて登録できなかったので、やむを得ずカタカナの「ヰ」を使ったそうです。

 時は流れ80年代になると、アメリカではウォッカとジンが登場し、ウイスキーは「昔ながらの飲み物」と見なされるようになります。さらに、世界的な経済危機は日本にも襲いかかり、輸出にはコストがかさみ過ぎるため難しくなり、「売上高は90%まで落ち込んだ」と言われています。世紀の変わり目までに、伝統的な軽井沢蒸留所を含むいくつかの蒸留所が閉鎖を余儀なくされました。

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 すると、下火となっていた日本のウイスキー業界に転機が訪れます。その1つが、日本で2004年に公開されたソフィア・コッポラ監督の映画『ロスト・イン・トランスレーション』です。

 主人公のビル・マーレイ(ボブ・ハリス)は映画の中で、「響 17年」のイメージキャラクターを務めており、CM撮影のために来日します。滞在先のホテルで、夫の仕事に同行するカタチで日本に来たスカーレット・ヨハンソン(シャーロット)と出会います。言葉の通じない外国で孤独感を感じる2人が、東京を散策しながら愛情とも友情とも呼べない不思議な関係を築いていく物語です。

 この作品は、2004年のアカデミー賞で作品賞、監督賞、主演男優賞、オリジナル脚本賞の4部門にノミネートされ、脚本賞を受賞しています。さらに同年、日本のウイスキー業界に偶然か必然か、注目が集まる出来事が起こります。

 「イギリスで毎年行われている国際的なスピリッツ(蒸溜酒)の品評会『インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ(ISC=INTERNATIONAL SPIRITS CHALLENGE)』で、2004年にサントリーウイスキー『響 30年』が全酒類部門の最高賞である『トロフィー』を受賞したんです。突然、日本のウイスキーに大きな注目が寄せられることとなりました。しかし問題は、日本の蒸留所が過去20年間生産量を減らしていたことでした。需要は急激に増加したものの、供給される量は変わらないため、値段が高騰したんです」と、ファンデルベンさんは説明します。

 実は同時に、「響21年」もウイスキー部門の金賞を受賞していました。その前年である2003年に開催された同会(ISC)では、シングルモルトウイスキー『山崎12年』がウイスキー部門で日本のウイスキーとして史上初となる金賞を受賞していたのです…。さらに「響 30年」はその後も、2006年、2007年、2008年と受賞を重ねます。

 そして、2009年10月に行われた第14回となる同会(ISC)のウイスキー部門でのカテゴリー最高賞となる「トロフィー」を、ニッカウヰスキーの「竹鶴21年ピュアモルト」が受賞し、さらにジャパニーズウイスキーに対する世界的な注目が高まります…。

 さらに2015年には、有名なウイスキー作家のジム・マレーが毎年発行する『Jim Murray's Whisky Bible(ジム・マレー ウイスキー・バイブル)』で世界最高得点を獲得したウイスキーとして「山崎シェリーカスク 2013」を挙げ、ジャパニーズウイスキーの人気は一時的なものではないことを証明したのでした。

Source / ESQUIRE NL