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すべての結婚は神話から始まる

結婚とは結局のところ、妄想の中で、愛という麻薬の中で、嘘の中で始まるものです。リチャード・イェーツ(1926年–1992年)の小説『レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで』(※)の中である妻が、パーティーの帰りに歩いて家まで送り、そこでキスをするのが好きだった男の子が、どうして夫になったのかを振り返っています。

「唯一の過ちは――ただひとつの誤りと偽りは、それ以上の存在として、その男をみなしてしまったことだ。ほんの一、二カ月の間なら、そういう相手とのつきあいを戯れに楽しむのもいいだろう。だが、そのつきあいをここまで長引かせてはいけなかった。遥か昔、孤独に苛まれていたころに、この男の言うことならなんでもたやすく信じることができそうだと、勘違いしてしまったことがいけなかった…。その心安さを維持するためなら、自分を偽ることなどたやすいものだ。そう気づいてしまったのがいけなかったのだ。そうしてついには、相手が何より待ち望んでいた言葉を、それぞれが口にしてしまったのだ。男が『愛している』と告げるまでは、その男が望む言葉を発していたのに。そのとき女は、『本当、嘘なんかじゃないわ。あなたはわたしがこれまでに出会った中で最高に興味深い人間なの』と囁いてしまった…。そんな軽い気持ちでとった行動によって、よもや底の見えない沼にはまりこむことになろうとは」。

  • ※リチャード・イェーツ、1926-1992。アメリカの小説家。Revolutionary Road(邦題『家族の終わりに』または『レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで』)は1961年刊行の長編第1作。2008年にサム・メンデスが本作をベースに映画『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』を監督。引用は、青木千鶴訳『レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで』(早川書房、2008)より。
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すべての結婚は神話から始まります。神話は、実際の結婚がその下で形づくられるための殻なのです。そして、その殻が割れるときには春になって、増水した川で氷が割れるときのように耳を聾(ろう)せんばかりの事態となります。私たちの場合、はじめの神話はその創造が引き起こした破壊ゆえに、その分強力なものでした。私たちはひとつの結婚を強奪して、別の結婚をつくったのです。だからこそ私たちの神話は、「2人の魂がお互いのためにつくられ、誰もその邪魔をすることなどできない」というロマンスになりました。唯一このロマンスで不本意ながらも譲歩したのは、日々の生活の現実に対してだけでした。その相手と皿洗いをめぐる口論をするからといって、それだけを理由に結婚を解消することなどしません、そうですよね?

私たちは喧嘩し、転んでは膝をすりむき、そして互いの身中に潜む毒を味わいました。

結婚生活とはすべて、繕(つくろ)いが施された衣服なのです。結婚では、何もかもうまくやろうとするのではなく、乗り越えようとするべきものなのです。ロバート・ルイス・スティーブンソン(※)はこう警告しています。結婚することによってあなたは、自ら進んで自分の人生に証人を引き入れたのである。…醜いところに、もう心の眼をつぶってはいられない。そうではなくて真っ直ぐに立ち、あなたの行為に名前をつけなければならない。なぜなら、もしあなたがそうしなければ彼女がやるからです。

  • ※ ロバート・ルイス・スティーブンソン(1850-1894年)。イギリス、スコットランドの小説家。冒険小説『宝島』『ジキル博士とハイド氏』の作者。

「大きな喧嘩にはいつも代価がある。『そういうことだ。これで終わりだ』と言ってしまいそうなとき、そこが分かれ道になる可能性がある」と話してくれるのは、結婚17年の友人です。そして続けて、こういうのです。

「そしたらきっとこう思う。自分の生活を全部シャットダウンする訳にはいかないし、相手もそうはしないはずだって。でも、その代わり不幸が織り込まれるのを受け入れなきゃならない。そして、その不幸に対処していかなきゃならない。ある人は酒を飲み、ある人はふさぎ込み、ある人は宗教に目覚め、ある人は不倫をする。けど、もし別れたら、大切なものをたくさん失うことになるかもしれない。2回目の結婚でも同じように不幸になったらどうする? 結婚は交換可能な商品じゃなくて、自分を形づく大事な一要素で、その中で自分は生きていくんだ」。

私たちが結婚初期の頃にした喧嘩のうちのひとつ…夫と私で内見の予約をしていたアパートを見るため、午後の光あふれる部屋に入っていったときのことを覚えています。その場所を借りている女性は、訝(いぶか)しげに私を見つめました。彼女は私が誰だか思い出そうとし、やがて実際に思い出しました。彼女は私の元彼の元妻だったのです。私と彼女はその偶然に困ったような笑みを交わしたのですが、夫のほうは人間同士の取り決めの息も止まるほどの脆(あやう)さに、目に見えて動揺していました。

私たちは2人とも、窓がガタガタと音を立てるのを感じていました。私には分かりました。夫はこのとき初めて、「私たちはずっと一緒ではないかもしれない」という考えを意識したのだと思います。それからしばらくの間、私たちは足の下の微かな震えに以前よりもっと意識を向け、お互いを大切に扱っていたようにも思えます。


結婚は鎖。つながれた2人が鎖を鞭にして傷つけ合う

「妻が私に興味を失いつつある」と、ある友人が昼食の席で漏らしました。それはまるでガチョウの習性を説明するかのように、彼は冷静に語ります。「妻は、私がこれほど自分の父に似てくるとは思っていなかったようで…」と。それで彼のほうは? 彼は彼女にあまり興味がないのでしょうか?

「いまだに自分でも驚くこは、まるで知らない人のように…他人としてあり続けることができるようになったことです。昔は何についてでも、互いのすべてを話せるという感覚があったのにちょっと残念でもあります」と、彼は言います。――しかしながらそれは、「相手を傷つけずに、正直にいられる時代に戻ったのかもしれない…」とも言います。つまり、さまざまな自分への干渉に対し、パワープレー…黙らせようとする攻撃的な態度でそれを批判し、その批判的行為をそのまま手榴弾にしていた時代以前…ということになるようです。

結婚では、何もかもうまくやろうとするのではなく、乗り越えるのです

私たちはお互いを鎖につなぎ、それを鞭のように使っています。鎖は夫婦によってさまざまで、私の友人のひとりは夫から「短いスカートを避けるように」と言われているそうです。一方で彼女は、毎年10日間パリに自分一人で旅行に行ってしまうそうですが、そのことに対して彼は、何も驚かないのだそうです。

私に関しては、服は着たいものを着ています。ですが、もし私が彼女のように一人パリ旅行を企画したとしたら、夫も私も“離婚宣告”に等しいと思うでしょう。私たちはそれぞれ相手に対して説明責任を持っており、この説明責任こそ結婚の最良の部分なのです。ですが、その逆もまた真なり。それは…最悪の部分でもあるのです。相手に対しての思慮分別をもたらし、さらに夢中にさせるのもこの説明責任からと言えるでしょう。

結婚して5年目頃、私たちはニューヨークで暮らしていました。状況は変わりました。私たちはもう、ワシントンD.C.という小さな町のゴシップ誌に載るようなスキャンダラスな夫婦ではありません。私はもう純情な少女を演じる女優でもありません。夫はもう私の願いのすべてを担う管理人ではありません。ニューヨークは私を魅了します。果てしなく続くワシントンDCの上品なディナーパーティーから解放された私は、何か新しいことを求めてじっとしていられませんでした。

そして喧嘩は、どんどん激しいものになりました。私は子どもが欲しかった、けれど彼はそうではありませんでした。私たちの神話にはひびが入りつつありました。内心では2人とも秤(はかり)を取り出してきて、“失ったもの”が“得たもの”に見合うかどうか? を考え始めていたのだと思います。

レストランでディナーの席についているときも、お互いに何も話さない夜もありました。そして私は、他のカップルの間にもあるこの沈黙を、「あの人たちは、どうしてあんなふうになったんだろう?」と思いながら、軽蔑の混じった、したり顔で眺めてきました自分を思い出します。そんなレストランでの夜を、全部覚えています。

結婚した「自分」は別人格

夫が6週間、アフリカに旅行することになりました。私は久しぶりに完全に一人になります。そして、そう長く経たないうちに私は、「不倫」にのめり込みました。夜、雨の中を長い間散歩して、家に不満げに夕食を欲しがって待っている人がいないことを喜びました。午後は夫の嫌いな歌手、リンダ・ロンシュタット(※)を聴きながら、恐ろしく頭を使わない活動だと夫がみなしているところの編み物をして過ごしました。朝には、冷蔵庫を開けてオレンジジュースを紙パックから直に飲みます。これは、夫がこの行為に及んだ私を現行犯で捕まえたとき、本気で引いているのを見て以来、ずっと封印してきた習慣です。

社交の場ではカップルの一員になることもなく、昔のカモフラージュスキルを引っ張り出し、独身時代に採用していた人格を演じました。そのカモフラージュウェアはあちこちそのボロボロでしたが、まだまだ使えました。

  • ※ リンダ・ロンシュタット、1946-。アメリカ西海岸を代表する女性歌手。
エスクァイア
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婚約しました。けど、いつまで?

私は、“自分自身と不倫しているのだ”と気づきました。罪のない不倫ですが、こういうことを続けていると、それでもやはり裏切っているような感覚を覚えます。夫と一緒にいるときの私、夫婦の半分を占める私に対する裏切りです。

夫が戻ってきたとき、私は彼に会えて嬉しかったし、自分が嬉しく思えたことにも、彼がいることで私の人生が端的により良いものになるということにも安心しました。私たちはまた互いにとって、興味深い存在ということです。ですが、今や私の後ろのポケットには、再び小さく折り畳まれてはいるものの、この存在がドッペルゲンガーがいるのです。私がそうであったかもしれない人格は、「結婚していない私」を有しています。その彼女が私を悩ませるのです。

この家庭生活なるものには周期があります。恋をしているとき、仲の良いルームメイトとして共存しているとき、忙しくしていて家にある家電類が問題なく動いている限りお互いをあまり気にかけないとき、空気が薄くて呼吸ができなくなるときもあるし、2人の間の壁が本当はしっかりした分厚いコンクリートがいいのに、薄膜のように透けてしまっているとき、などです。

そんなときに、言い争いが始まるのだと思います。何気ないひと言に鋭いツッコミを入れたり、頑なに負けを認めようとしなかったりするのは、空気が十分に入ってくるように蓋に穴を開けているのです。

最近離婚した友人が夕食後、わが家の居間に座っていました。2人は天安門事件について話していたのですが、二大新聞の元外信部長の夫と違って、私はこのテーマについて知っていることはありません。私たちは、現在の対中外交の正しさについて議論しているのではありませんでした。ある事実について、全く無意味な論点をめぐって揉めているのでした。なぜこの議論に勝つことがそんなに大事なのか? まだまともな私の人格の残骸が一方では考えていましたが、果てしないかに思われる数分の間、私たちはずっと同じ狭い岩だらけの難所にとどまっていました。

私は友人のほうに目を向けます。彼女は残酷な結婚と、それよりもっと残酷な離婚のサバイバーです。彼女は微笑んでいます。私は彼女に理由を尋ねました。

「ちょうど自分がなぜ、うれしいと感じているかを思い出していたの。私はもう結婚していないんからなんだ!」と彼女は言います。

しかし今や、私の後ろのポケットには、再び小さく折り畳まれてはいるものの、この存在が…ドッペルゲンガーがいるのです。私がそうであったかもしれない人格は「結婚していない私」を有しています。彼女が私を悩ませるのです

癌病棟で、夫はうたた寝をしています。隣のベッドには、羊皮紙のように乾いた老人が横たわっていました。隣には彼の妻が座っています。2人の声が重なり合う様は、絶え間ない蚊のバレエのようです。

「彼女に電話するように言ったのに」

「そんなことは言っていなかったよ」

「ただ、そのほうがあなたにとっていいんじゃないかと思っただけ」

「私の? 私のためを思って? いつから私のことを考えるようになった?」

私を愛して。私をほっといて。愛して。昔、私を愛していたことを思い出して。愛して。でも、あなたには決して私のことは分からない、それを忘れないで。彼らの声、あの厳かな白い部屋の中での虫の踊りには、どこか妙にこちらを安心させるものがありました。それは点滴チューブの間にある日常性であり、どちらかの声が止む日に対するお守りのようなものでした。


ひとつの大きな出来事で夫婦の関係は一変する

私の友人の一人が言うには、「どんな結婚にも物語があり、話の展開に起伏がある」とのこと。「ひどい嵐のあとの木のように、決定的な瞬間があって物事がすっかり変わってしまうこともある。2人の人生全体に影響が及ぶような出来事だ」と友人のビルは言います――ビルの場合は、戦争*に行かねばなりませんでした。私たちの場合は、市場の暴落でお金を失いました。このように、あなたがたどり着くのはスタートしたときの場所ではありません。これが結婚における天国でもあり、かつ地獄でもあるところです。あなたは以前のあなたではなく、彼女も以前の彼女でない…。そして、それが果たして良いことなのか悪いことなのか? そのバランスは、どの日も定まることなく変化しています。

  • ※ おそらく湾岸戦争のこと

私の結婚は緑に包まれた4月のある日、夫がワシントンの教会の聖書台へと歩み出て、彼の12歳の一人息子のために弔辞を述べたときに最終的な形をとりました。

彼は息子の短い生涯について語り、最後に一堂に向けて、もう一度だけ少年の名前を一緒に声に出して言ってほしいと頼みました。そして愛と、勇気と、永遠の悲しみについて私が知っていることのすべては…彼の言うとおりに名前を呼んでいる声に対し、彼が耳を傾けているときの彼の表情を確認したとき…そんな彼から学んだことであることを確認できたのです。

私は教会のベンチで、少年の母親と一緒に座っていました。その強さと寛大さに、いまだ驚嘆の念を禁じえません。夫の2人いる姉妹、思春期に入ったばかりの私の義理の娘たちも一緒に座っていました。私たちの周りには、この家族を励まし、大変な1週間を無事に過ごさせ、これから先の何年間もそうし続けてくれるであろう人々の力がありました。これが私たち夫婦が、これまで一緒に身を置いてきたコミュニティなのです。

私の結婚は、緑に包まれた4月のある日(…)
最終的な形をとりました

私は、彼らの話をたくさん知っていました。偉そうな人、鈍い人、愛情の出し惜しみをする人、野心の塊のような人、善良なのに認められずにいる人など、いろいろな人がいました。ですがその日、光が当たったのは彼らの欠点ではなく、彼らの持つ絡み合った巨大な網であり、その網の強さであり、その網が支えることのできる重さでした。他者というものの、すさまじいまでの必要性がようやく私の胸に迫ってきたのです。

夫と私は、彼の息子に起こったことの後では、決してひとつになることはないでしょう。その事実の恐ろしさと美しさ、私たちがどのように変わったか? 互いについて知っていることがどんなに底知れぬほどに深まったか? 私たちがどれほど分かちがたく互いの一部となっているか? それらのことを理解した瞬間こそが、私がやっと結婚するということの意味が分かったように思えた瞬間だったのです。

Translation: Miyuki Hosoya