イタリアサッカー界の英雄パオロ・ロッシ氏が死去したことを、イタリアメディアが伝えています。64歳でした。死因は現時点(2020年12月15日現在)では明らかにされていません。
ロッシ氏はイタリアサッカー史上最高のストライカーの一人で、ワールドカップには2回出場(1986年大会も代表に選出されたものの、試合への出場はありませんでした)。1982年のスペイン大会では得点王を獲得するとともに、同国3回目の世界一に導きます。
その大会でのハイライトは、何と言っても2次リーグのブラジル戦でしょう。
なんとロッシは、ジーコ、ファルカン、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾのいわゆる「黄金のカルテット」を擁する優勝候補大本命のブラジルを相手に、ハットトリックを決めてみせたのです。その瞬間、ロッシはジュゼッペ・メアッツァやルイジ・リーヴァから続く、イタリア代表の伝説的ストライカーの系譜を継ぐプレイヤーとなったのです。
ところがロッシにとって、実はこの試合での活躍、それどころか1982年のワールドカップ出場すらも、ほぼ奇跡に近いものだったのです。
将来を嘱望されていたロッシは、22歳の若さで1978年のワールドカップアルゼンチン大会に出場を果たします。見事3得点を挙げ、その活躍でベスト4進出に貢献しました。そこで将来のアズーリ(イタリア代表の愛称)を背負って立つ逸材として、世界的な名声を得るのですが、好事魔多し…。国内リーグ戦での賭博スキャンダルに巻き込まれ、 八百長試合に関与した疑義を掛けられてしまいます。自身は容疑を強く否定したものの、下されたのは3年間の出場停止処分。これは、次回のワールドカップであるスペイン大会のわずか2年前のことだったのです。つまり、その大会の出場は無理ということだったわけです。
しかしその後、出場停止処分は2年に短縮。 開幕前ギリギリのタイミングで、代表に復帰して臨んだワールドカップがあのスペイン大会だったというわけです。しかしながら、最初は精彩を欠いていました。なんとか代表に滑り込んだはいいものの、1次リーグの3試合でロッシは無得点に。チームも辛うじて2次リーグに進出するという超低空飛行でした(ワールドカップでのイタリア代表のスタートダッシュの悪さは、お家芸とも言えますが…)。
そのような中で臨んだのが、準決勝進出を掛けたブラジル戦だったのです。もしもこの試合でロッシが覚醒することなく、下馬評通りブラジルが勝利していたら、ジーコは念願のワールドカップトロフィであるジュールリメ杯を決勝の舞台となったマドリードの空に掲げていたかもしれません。その後の来日・サッカー日本代表監督就任も、どうなっていたのでしょうか…?
つい先日、ディエゴ・マラドーナ氏が死去したばかりですが、わずか2週間の間にサッカーの歴史に名を残す2人の偉大な選手が、この世を去ることとなりました。ロッシ氏の輝かしいワールドカップでの思い出を写真で振り返ってみましょう。
1982年ワールドカップ スペイン大会
2次リーグ vs. ブラジル戦
1982年ワールドカップ スペイン大会
準決勝 vs. ポーランド戦
1982年ワールドカップ スペイン大会
決勝 vs. 西ドイツ(当時)戦
1982年ワールドカップ スペイン大会
優勝 & 得点王を獲得
1982年ワールドカップ スペイン大会
2次リーグ vs. アルゼンチン戦
1982年ワールドカップ スペイン大会
1次リーグ vs. ペルー戦
1978年ワールドカップ アルゼンチン大会
大会前キャンプの様子
1978年ワールドカップ アルゼンチン大会
3位決定戦 vs. ブラジル戦
From Esquire IT
Translation / Esquire JP
※この翻訳は抄訳です。