1981年8月にアメリカ軍は、リビアのすぐ北にあたる地中海で大規模な演習を行い、カダフィ大佐が法的根拠なしに自国の領海と宣言した海域へ、「フォレスタル(USS Forrestal)」、「ニミッツ(USS Nimitz)」という、クラスの名称にもなっている2隻の大型空母を侵入していました。

 アメリカの空母が参加していたのは、カダフィ大佐の領海宣言に対抗するためであり、外交的緊張が高まる中で、両国の戦闘機は数日にわたって空中でにらみ合いを重ねていたのです。ですがやがて、アメリカ軍の2機が壮絶な空中戦へと突入していきます。

 「先頭にいたリビア機がミサイルモーターに点火して、機体の左側がパッと火を吹いたんだ」と当時を振り返るのは、「F-14」パイロットのひとりであるラリー“ミュージック”マクジンスキー中尉です。

 そのミサイルは、大きくそれて米軍機には当たりませんでした…が、これを合図に海軍の新しい制空戦闘機がその能力を存分に発揮することになったのです。

 「彼がAIM-9L(短距離空対空ミサイル『サイドワインダー』)を発射したんだ」と、ミュージックは同僚が放った1発目を説明してくれました。

 「発射されたミサイルが方向を90度変えてリビア機の後部に命中すると、先方の機体が左右に転がりはじめたんだ。すると、すぐに機体からドラッグシュートが放たれ、パイロットはすぐに脱出したよ」とのこと。

 このように勝負はあっけなくついて、海軍の空母に搭載された爆撃機ハンター「F-14トムキャット」は、最初の空中戦に勝利したのです。この飛行機は、大規模な軍事衝突が起きた際に、アメリカの空母を爆撃機から守るためにつくられたわけですが、そのような大規模だと言える軍事衝突が起きることはその後もありませんでした。

◆ 対爆撃機用に作られた戦闘機

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 アメリカの空母艦隊は長年、国の防衛計画における最高の手段として機能してきました。ですが、その大きさから空母を守るのはとても大変なことでした。

 第二次世界大戦では、海上においては敵の戦艦よりも攻撃機のほうが大きな脅威になることを証明した戦争でした。またベトナム戦争では、空中戦における「F-4ファントム」の欠点が露呈しました。そしてアメリカ海軍は、「万が一冷戦が白熱すれば、猛烈な消耗戦が空中で繰り広げられるだろう」ということも理解していたのです。

 アメリカ海軍としては、空母打撃群の防衛最前線となる飛行機が必要だったわけです。向かってくる攻撃機とハイスピードで交戦し、母艦である空母に危険が及ばないよう、敵の攻撃から十分な距離で防衛線の張ることのできる…そんな飛行機が。

 当初はTFX(次期戦術戦闘機)プログラムが、海軍と空軍が必要としている飛行機を両方とも供給するという期待がありました。ですが、海軍のトーマス“トムキャット”コノリー大将がアメリカ連邦議会で証言したおかげで、海軍は空母搭載用戦闘機の開発を独自に行うことが認められたのです。

 アメリカ海軍戦闘機兵器学校(通称・トップガン)はすでに、ソ連空軍に対抗できるノウハウと能力を持ったパイロットの育成に励んでいました。が、同校が必要としていたのは、空母搭載用戦闘機に必須の短い距離で離着陸する能力と、要撃戦闘機のトップスピードと最大積載量と操縦性を兼ね備えた飛行機でした。

 米国の航空機メーカー「グラマン・エアロスペース・コーポレーション」社から提案のあった“重量級の”戦闘機案が、それらの条件を満たしているように思われました。この新しいデザインも、現行のTFX機と同じように離陸時の揚力を最大化し、高速で飛行中の抵抗を最小化する、可変翼(かへんよく)が採用されていました。

コンセプト自体は決して新しくなく、ナチス・ドイツ時代にも…

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GREEN4LIFE80 / WIKIMEDIA COMMONS
第二次世界大戦中にドイツのメッサーシュミットにて、開発中だった戦闘機「メッサーシュミット P.1101」

 このコンセプト自体は決して新しいものではありません。

 このような翼の移動が見られる戦闘機というと、ナチス・ドイツ時代の「メッサーシュミット P1101」にまでさかのぼりますが、この戦闘機が実際に飛ぶことはありませんでした。

 1945年、ババリアン・アルプスにあったナチの研究所を接収したアメリカの部隊が、その試作機を発見したのです。この試作機は情報収集チームの指揮をとっていたロバート・J・ウッズに大きな印象を残し、ウッズは後にベル・エアクラフトの共同設立者となってチーフデザイナーを務めています。

"「F-14だと、まるでキャデラックに乗っているような気分だよ」"

 「グラマン」社の新しいF-14は、離陸から低速飛行の間は翼を前方へ移動させ、表面積を広げてより多くの揚力が得られるようになっていました。一方、超音速を出すときは翼をうしろに引っ込めて表面積を最小し、より効率的にハイスピードを追求する戦闘機として、固定翼の戦闘機以上のトップスピードと燃料効率を実現できるようになっていたのです。

 注意してほしいのは、海軍が“ハイスピード”と言うときは伊達や酔狂で言っているのではないということです。新たにデザインされた「F-14トムキャット(最大の支援者にちなんで名づけられた)」は、「F-35」統合打撃戦闘機や「F-22ラプター」といった現代のヘビー級戦闘機も顔負けの代物だったのです。

 「海軍の仕様書は、マッハ2.34を要求していた」と言うのは、「F-14」のデザインチームの一員で、グラマンのテストパイロットでもあるチャーリー・ブラウンです。

 「我々が実際にテストしたのはマッハ2.5で、私も2回ほどマッハ2.5で飛行した。『ファントム』はマッハ2.0が出せるようにつくられているのですが、実際にそれくらいのスピードで飛べば、そのスピードを忘れることもないくらい実感できるのです。それはまるで、ビーチボールに座っているような感じです。どっちの方向へ飛んでいくわからないもの…。だけど『F-14』だと、まるでキャデラックに乗っているような気分だったよ」とのこと。

 海軍はこの新しい戦闘機がいたく気に入ったので、試作機の段階を省略し、1969年にすぐさま製造に取りかかることにしました。最初の「F-14」が届けられたのは、1972年のことになります。

◆ 制空権に妥協なし

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U.S. Navy / Getty Images

 全長63フィート(約19.2メートル)弱の機体に対して、翼長が64フィート(19.5メートル)ある「F-14トムキャット」が海抜0メートルでもマッハ1以上、高度ではマッハ2.34を超えるスピードが出せるのは、2基のゼネラル・エレクトリック製F110-GE-400アフターバーナー付きターボファンエンジンのおかげです。

 アフターバーナーがあると、このエンジン1基につき約2万8000ポンド(約12700キログラム)もの推進力を生み出すことができるのです。つまり「F-14」は、燃料補給なしで1600マイル(約2575キロメートル)をカバーできたわけです。当時、戦闘空域というのは通常、1000マイル(約1600キロメートル)が想定されていました。

 「F-14」は速い…これ点に疑問の余地はありませんでした。

 いかなる高度やスピードにおいても、最適なパフォーマンスが得られるものへ自動的に調整できる圧倒的なウィング・システムは、大型で重量級の戦闘機を驚くほど身軽にしてくれて、カッコいい翼以上のものをF-14に与えてくれました。そして、敵に回したら恐ろしい「F-14」が持つ本当のすごさは、戦闘機の華やかな外観の奥に秘められた新しいテクノロジーにあったのです。

 パイロットのすぐ後ろの位置にあるレーダー迎撃士官の席からは、Xバンドのパルス・ドップラー・レーダーAWG-9を用いて、194マイル(約310キロメートル)も離れた場所から24もの敵機を追跡することができました。ちなみにこのレーダーには、マイクロプロセッサーが採用されており、これが戦闘機に搭載された最初のマイクロプロセッサーのひとつとなりました。このパワフルなシステムは、ほかの追跡を続けたまま、長射程ミサイルを6つの別々のターゲットへ同時に発射することもできたのです。

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Hulton Deutsch / Getty Images
フェニックス・ミサイルが搭載された「F-14」

トムキャットは、西側の武器の中でも最も恐ろしい空対空ミサイルを発射するために作られた…

 「トムキャット、AWG-9レーダー、フェニックス・ミサイルという組み合わせは、空母を破壊することを唯一の目的としたソ連の超音速爆撃機から艦隊を守るために考案されたものだった」と米『ポピュラー・メカニクス』誌に語っているのは、「F-14」の元パイロットで『空のライオン』の著者であるパコ・チエリッチです。

 AWG-9は非常によくできたシステムだったので、「F-14」は飛行中の巡航ミサイルまでターゲットにすることが可能でした。

 このシステムには最初、当時の西側世界で唯一の赤外線捜索追尾センサーだったALR-23が使われていましたが、最終的にはAWG-9に直接データを送る光学センサーに取り替えられました。

 この戦闘機は武器装備も充実していて、ターゲットのタイプやトムキャットからの距離に応じて、バラエティに富んだ選択肢を選ぶことができました。トータルで10のハードポイントがあり、武器の最大積載量が1万4500ポンド(約6577キログラム)のトムキャットは、痛烈な一撃を与えることができました。が、正真正銘の重量級パンチと言えば、やはりフェニックス・ミサイルです。

 「トムキャットは充実したレーダーの陰に隠れて、西側が当時最も恐れていた武器である長射程空対空ミサイルの『AIM-54フェニックス』を発射するためにつくられた、強力な戦闘機だったんだ」とチエリッチは言っています。

◆ 冷戦が終わって

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U.S. Navy / Getty Images

 1991年にソ連が崩壊すると、アメリカ海軍はひとつの岐路にさしかかりました。敵となるロシア爆撃機の脅威が消えてしまったことで、「F-14」は戦う場を失った戦士になってしまったのです。

 65機の「F-14」は、戦術航空偵察ポッドシステム(TARPS)が使えるようにアップグレードされて、空中戦を行うための戦闘機から極めて有能な偵察機へと生まれ変わります。その他の「F-14」は再装備を経て、より地上攻撃に適した戦闘機になりました

 しかし「F-14」は、「F/A-18ホーネット」やその後継機である「スーパーホーネット(艦載戦闘攻撃機)」など、より新しくなった第4世代戦闘機に比べると、メインテナンスにコストがかかって操縦も難しいという、やっかいなものだったのです。

 そして湾岸戦争が勃発すると、いまや時代遅れになっていた「F-14」のシステムでは、遠く離れたところからだと友軍機と敵機を区別することができないという問題点が浮上しました。ですが、空中戦の王者という評判のおかげで、イラク軍の戦闘機は同機との交戦を避けてくれたのです。

 結局、「トムキャット」はやり甲斐のないパトロールを余儀なくされ、さらに追い打ちをかけるようにイラク軍の地対空ミサイルSA-2によって、1機が撃墜されてしまったのです。

 エレクトロニクス面のアップグレードがあったため、イラクやアフガニスタンなどで行われた近代戦の初期には、地上のターゲットに対する空爆にも参加した「トムキャット」ですが、栄光の日々はすでに過去のものとなっていました。

 それほど高額ではない「スーパーホーネット」は、空対地の攻撃を念頭に置いてつくられたもので、新しい世紀に入るとアメリカ海軍も「制空戦闘機部隊を搭載した空母を維持するのは金がかかりすぎるし、重要度も下がっている」と考えるようになりました。

 かくして「トムキャット」は2006年、スピードでは落ちるけど金のかからない「スーパーホーネット」にその道を譲り、引退を迎えたのでした…。

◆処分されたエリート

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
F-14 Tomcat Shredder
F-14 Tomcat Shredder thumnail
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 1986年、トムキャットの引退までまだ20年あるこの年に、映画『トップガン』は興行成績のトップに立ちました。が、この映画の成功はアメリカの映画館を満員にしただけではありませんでした。

 海軍の新兵募集に希望者がつめかけて、採用担当者は審査会場の外にテーブルを持ち出し、未来のパイロットを目指す人々から繰り出される質問に答える事態となりました。確かに映画『トップガン』に主演したトム・クルーズは、スターかもしれません…ですが、ジェット戦闘機の操縦を夢見る若きアメリカ人にとっては、「トムキャット」こそが真のスターだったのです。

トム・クルーズより、「トムキャット」こそが真のスターだった…

 アメリカ海軍はすでに、残っていた「F-14」のほとんどを工業用の巨大シュレッダーで処分していました。「F-14」のような象徴的な戦闘機にしてみれば、悲劇的な末路と言えるでしょう。

 イラン革命前の1970年代後半に、アメリカはイランに79機の「トムキャット」を売却しています。現在でも稼働中なのは、12機に満たないだろうという見解ですが、残っている部品が何らかのカタチでイランの手に渡ることが危惧されていたのです。

 とは言え、この戦闘機のレガシーはいまも生き続けています(2020年夏公開予定の新作映画『トップガン マーヴェリック』だけではなく…)。

 「トムキャット」で初めて使われたシステムは、その後も進化を続けて、数多くの戦闘機に見ることができます。また、脅威を増している中国を念頭に、「トムキャット」に見られた要素が、来たるべきアメリカの制空戦闘機の中に復活する可能性が高そうで、それらはいまのところPenetrating Counter Air(侵入対空)の頭文字を取ってPCAと呼ばれています。

 「F-14」とは、結局は起こらなかった戦争のためにつくられた戦闘機だったのです。

 しかし、いちばん肝心なポイントが抑止力だとすれば、「トムキャット」は見事にその役目をはたしたことになるのです。なんだかんだ言っても、フル装備の「F-14」を打ち負かすのは至難の業でしょう。

 なにしろ、6000キログラムを超える量のミサイルを積んで、音速の2倍のスピードで飛んでくる戦闘機なのですから…。



From Popular Mechanics
Translation / Satoru Imada
※この翻訳は抄訳です。