エスター・デ・ラ・フエンテ(Esther de la Fuente)さんは、その747の運行当初から、客室乗務員のひとりとして搭乗していました。そして飛行中、彼女はある小柄で髭をたくわえ、ベレー帽をかぶった男性に呼び止められます。「キューバに行きたいのだが…」と、その男性は言うのですが、エスターはそれを冗談として受け止め、こう応じたそうです。

 「キューバよりも、リオのほうが良いのではないですか? いまはちょうど、とても賑やかなシーズンですし…」と。

 するとその男性は、おもむろに拳銃を取り出したそうです…。これが、ボーイング747のフライト史上初めてハイジャックされた瞬間の状況となります。

 “クリッパー・ビクター”を操縦するアウグストス・ワトキンス機長(Augustus Watkins)は非常事態を宣言し、目的地をハバナへと変更しました。午前5時31分になると299便は、(キューバの政治家で革命家の)フィデル・カストロの見守る中、ホセ・マルティ空港に着陸します。

 混乱する乗客に対してワトキンス機長は、ハイジャックにあった旨をアナウンスしました。その直後、カストロ議長と対面の瞬間が訪れたのです。キューバの指導者であるカストロは、同国に着陸した史上最大の飛行機について次から次へと質問を投げかけたそうです。

 カストロにとって、初めて実際に目にする747だったようです。

“ビッグ”ディール(“大”事件)

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Bettmann / Getty Images
1968年9月30日に撮影された「ボーイング747」。

 ワトキンス機長がハバナへの強制着陸を行うのに、さかのぼること5年…。パンアメリカン航空の経営者として君臨したファン・トリップ氏は、ボーイング社CEOのビル・アレン氏に対して、「ボーイング707」の2倍のサイズの長距離旅客機の製造を打診しています。

 過密する空港のゲート問題の解決を、旅客機の大型化に求めたのです。ボーイング社のデザイナーであるジョー・サッター氏は、ロッキード社の巨大な旅客機「C-5 ギャラクシー」を生み出した最新のデザイン技術も参考にしつつ、作業に取り掛かりました。

 747の製造に際しては、3種類の異なるデザインが検討されていました。第一案として挙げられたのは、「707の胴体を上下二段に重ねたデザインだった」とボーイング社の歴史を研究するマイケル・ロンバルディ氏は言っています。

 「この第一案は、言ってみればいまのエアバスA380にかなり似た姿の飛行機でした。しかし、緊急時の乗客避難が困難であるという理由から、この案は却下されています。その後、第二案として挙がったのが、ふたつの胴体を横並びに付け合せたような、ワイドボディーの飛行機になります」と、ロンバルディ氏は米『Popular Mechanics』誌のインタビューに応えています。

 このアイデアは、その後のワイドボディー機の原点となるものでした。

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
1969 Pan Am "History" Boeing 747 Commercial
1969 Pan Am "History" Boeing 747 Commercial thumnail
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 現在の「エアバスA380」に限らず、各種ワイドボディー機全盛となった現在、人々は747の巨大さとその優雅さを忘れ去ってしまったかのようです…。

 “ジャンボジェット”と呼ばれ親しまれたた「ボーイング747-100」は、「ボーイング707」の実に1.5倍という大きさでした。707の乗客数が189人であったのに対し、747はなんと440人という乗客数を誇ったのです。この新型飛行機はあまりにも巨大であったため、ボーイング社はワシントン州エベレットに組み立て工程のための専用工場を新たにつくらなければならなかったほどです。その工場は、未だに世界最大級の建造物として君臨しています。

 747の特徴である「こぶ」のような形状ですが、同時代にボーイングが設計していたSST(超音速輸送機)と同じく、超音速飛行を実現することで将来の国際便ルートを支配するという期待の現れたデザインと言えるでしょう。747の「こぶ」に位置するコックピットの下には、ノーズハッチとその後方に大きなサイドドアが備えられています。

 超音速飛行の夢については、2019年の現在に至るまでまだ実現されていません…が、747は、その代わりに工業デザインの金字塔としての地位を確立しています。

 エアロダイナミクスを追求する中で、取り入れられた数々の新技術のほか、「C-5 ギャラクシー」においても開発のなされたハイバイパス・ターボファン・エンジンを搭載した、初めての商業用旅客機です。またこの“ジャンボ”は、着陸のための自動操縦機能を備えた初めての旅客機でもありました。

パーティーの主役

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AFP / Getty Images
1969年2月9日、「ボーイング747」の姿。

 かつて類を見ない大きさの飛行機を開発したボーイング社は当初、新型の巨大旅客機の操縦性について、懸念を抱いていました。しかし、デザイナーたちやパイロットたちの努力の成果が、地上および上空における優れた操縦性能を実現したのです。プロトタイプの試作にあたっては、地上約10メートルという高さに位置するコックピットのシミュレーションのために、トラックの上に設置した模擬コックピットが用いられ、テストが繰り返されました。


 そしてボーイング社の努力は、ついに結実となります。747を操縦したパイロットたちは、「まるでパイパーJ-3カブ(=パイパー・エアクラフト社のプロペラ軽飛行機)の大型版のような操縦性だ」と、大きさわずか10分の1の小型機の扱いやすさを例にとって喜んだほどです。

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Airliners.net

 28カ月間という、長いとはいえない開発期間の後、747の史上初となる飛行が行われたのは1969年2月9日のことでした。いまから50年前にであり、ちなみに乗客をのせての初飛行は1970年1月22日、パンナム航空のニューヨーク・ロンドン便です。

 747がいかにパイロットたちに愛されてきたかは、これまでに1540機が作られ、何百万人にも及ぶ乗客を運んできたその実績からもお分かり頂けることでしょう。「類を見ない新型機に興奮したのか、もしくはそれに恐怖を覚えたためかは分かりませんが、機内における乗客たちの酒量には、なかなかすごいものがありました」と、パンナム航空の役員であるジェイ・コーレン氏は当時を懐かしそうに振り返って笑います。

 快適なエコノミー席から上階のラウンジ・バーに至るまで、747は空のシンボルとして称賛を得てきました。ライバルはヨーロッパ製のコンコルドでしたが、こちらは飛行速度を追求するあまり、快適性が蔑(ないがろ)しろにされています。

"「類を見ない新型機で飛ぶことに興奮したのか、もしくはそれに恐怖を覚えたためかは分かりません。が、機内における乗客たちの酒量にはなかなかすごいものがありました」"

 「生産が開始されるや否や、どの航空会社にとっても、なくてはならない飛行機となりました」と言うのは、ボーイング社の歴史を研究するロンバルディ氏です。「747を維持するための設備が不十分な航空会社でさえ、フラッグシップとして、この飛行機を所有するようになったのです」。

 747は多くの意味において、「空の旅」の歴史をアップデートした飛行機です。「航空チケットの価格の低下にも、747の座席数が貢献したのだのです」と、ロンバルディ氏は言います。

 開発コストの大きさと70年代初頭の金融恐慌とオイルショックの影響で、倒産の危機にさえ直面したボーイング社。ですが同社を支え続けたのは、ロングセラーとなった747だったのです。

◆巨大な活用性

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Space Frontiers / Getty Images
1977年撮影。

 アメリカの航空会社による747の旅客機としての運用は、2018年1月3日のフライトを最後に終了しています。しかし世界を見渡せば、まだ400機以上の747が、旅客機として活躍しています。現在においても、輸送機として生産の続いている747-8-Fに至るまで、これまで8種類の異なったモデルが開発されています。

 しかし今日では、利用客の需要の変化などにより、「ボーイング777」のような、比較的小型の旅客機の需要が増しているのです。…と言いつつも、「輸送・運送の用途においては、747の巨体の活躍の場が失われることはこの先しばらくないだろう」とロンバルディ氏は見ています。

 “ジャンボ”ですが、その「VC-25(=ボーイング747-200Bをもとに改造されたアメリカ合衆国大統領の専用機)」としての役割は、これからも継続することになっています。大統領専用機として「エアフォースワン」の通称でおなじみであり、また、アメリカ合衆国の国家空中作戦センター(NAOC National Airborne Operations Center)「E-4B」として運用されてもいます。

 また、中国・インド・日本・韓国、そしてサウジアラビアが政府専用機として747を採用しています。

 これまで747が空を運んできたものは、実験段階の「エアボーン・レーザー(YAL-1=アメリカ合衆国のレーザーによるミサイル迎撃試験用の軍用機)」からスペースシャトルまで幅広く、また消防飛行機「スーパータンカー」として、さらにはヘビーメタル・バンド「アイアンメイデン(Iron Maiden)」の専用機「Ed Force One」としても活躍しているのです。

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Pool / Getty Images
大統領専用機「エアフォースワン」。

 「747ほど多く、大西洋を越えた飛行機はないだろう」と、ロンバルディ氏は称えます。「このようなフラッグシップ機の機長というのは、航空業界においても最高の仕事と言えるでしょうね」と、ロンバルディ氏は目を細めます。

 その意見には、カストロも間違いなく同意することでしょう。ワトキンス機長は「独裁者カストロを連れて機内を案内しながら、どこか行きたい国はないかとたずねた」と当時を振り返り言います。

 その申し出に対してカストロ議長は、「私が乗ると、他の乗客が怖がるだろうから」と遠慮し、断ったそうです。しばらくのキューバ滞在の後、「クリッパー・ビクター」の離陸準備を整えたワトキンス機長は、FBIの待ち受けるマイアミへと向け、再び飛び立ちました。

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Delta Airlines
2018年1月3日に撮影。

 299便が本来の目的地である、サンフアン空港に着陸したのは午前10時45分。予定より7時間遅れての目的地到着となったわけです。

From Popular Mechanics
Translation / Kazuki Kimura
※この翻訳は抄訳です。