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――ミサイル発射や核実験など、物騒な話題で世界の注目を浴びる北朝鮮。世界中が北朝鮮のミサイル発射を見守るなか、パラノイアの最高指導者・金正恩(キム・ジョンウン)は自分の座を脅かすかもしれない一族を排斥するのに忙しい。今年2月マレーシアで、異母兄・金正男(キム・ジョンナム)が神経ガスで暗殺され、その息子で22 歳の金漢率(キム・ハンソル)は暗殺リストの次なる標的になることを恐れ、身を隠している。
 

北朝鮮の最高指導者の家族構成

 ビデオは何の前触れもなくはじまっていた。白い背景の前に座る、黒い服を着た若い男。彼がどこに、誰といるのかを明かすものはなかった。

 彼はカメラに向かって「私は北朝鮮の出身です」と英語で言い、それを証明するように、カバーに白頭山を描いた紋章のあるパスポートを見せ、「私の父は数日前に殺されました」と続けた。画面の上には、英語とハングルで「チョルリマ民間防衛」と書かれたマーク。チョルリマとは、翼をもち、一日に千里を駆ける伝説上の馬。「この状況がよくなることを望む」と彼は言い、41秒のビデオは終わった。彼の名は金漢率(キム・ハンソル)。父・金正男(キム・ジョンナム)の暗殺指令を出したと考えられているのは、正男の腹違いの弟で、朝鮮労働党委員長、朝鮮民主主義人民共和国の最高指導者、金正恩(キム・ジョンウン)。

 33歳の金正恩は、世界でもっとも若い独裁者だ。核兵器と弾道ミサイルを開発し、最も危険な人物と目されている。北朝鮮が「火星14」ミサイルに搭載する小型の弾頭を開発すれば、想像を超える破壊をもたらす兵器を手に入れることになるのだ。

 北朝鮮にとってゴールは攻撃の実行ではない。北東アジアに駐留する米軍は8万人。背後には原子力空母が控えており、攻撃は自殺行為と言えることであろう。狙いは、自国の人民に自分の力を証明し、国際社会に対して、北朝鮮が核保有国であることを認識させるのに充分な不安を掻き立てること。そしてアメリカを交渉のテーブルにつかせ、朝鮮戦争を公式に終結させる平和条約とまでいかなくとも、援助と利権を得ること。

 すべての独裁者がそうであるように、体制と人民の忠誠を保つために、彼は絶えず精神的なプレッシャーを感じている。若く世間知らずであるだけに、権力の座にいるために絶対的な支配を求め、敵を排除する…。したがって、誰一人、彼自身の家族でさえも、安全な場所にいるとはいえない。

キム一族は自分たちとその子孫は、神の存在に他ならないと主張する

 金一族は、祖先が朝鮮民族の聖地である白頭山の出身であり、すなわち自分たちとその子孫は神の存在に他ならないと主張する。「白頭山の血統」である金一族の永遠の世襲を強調しているのであった。

 しかし、神話だけでは秩序を維持することはできない。長い間、金親子は不正行為の証拠があろうがなかろうが、敵を粛清、国外追放、処刑してきた。幹部ですら、ある日忽然と姿を消す…、密かにしかし白昼堂々と暗殺がおこなわれる…。北朝鮮人にとって、そして外国人にとっても、誰が権力の座につき、誰が粛清されたかを知る方法は、公式行事を報じる国営メディアに目を凝らすことしかない。幹部の名前は年齢順、序列順にリストされるので、誰が更迭されたか、あるいは処刑されたかが、これを見ることではっきりする。

 1974年に当時朝鮮労働党中央委員会書記だった金正日が後継者と認められたが、彼が実際に実権を握ったのは、その20年後、父である金日成が心筋梗塞で死亡した1994年のこと。共産主義国で親子による最高権力の継承がおこなわれたのは世界で初めてのことであった。 さて、金正男は1971年、正日と愛人であったソン・ヘリムの間に平壌で生まれた。彼の誕生はその死同様、国営メディアで公表されることはなかったが、父親は彼を溺愛していた。正日は、長男を後継者にすることを考えはじめ、父親の日成が自分にしたように、彼を執務室に連れていったり、朝鮮人民軍の元帥の軍服を着せたりしていたのである。

 しかしまもなく、正男はパパと呼ぶ男をめぐる愛情争いに巻き込まれてしまう。その後の20年間、金正日には少なくとも4人の子供を授かっていた。正妻キム・ヨンスクとの間に娘、別の愛人コ・ヨンヒとの間に2人の息子と娘。正恩はその次男のほうで、正男がジュネーブの寄宿学校にいるときに生まれた。父親は正男と同様、正恩にも軍服を着せた。金正日の料理人だった藤本健二は著書に「初めて会ったのは正恩が7歳のときで、小さな将軍のように装っていた」と書いている。すでに冷酷さを醸し出し、「握手するとき、私を睨んだ目が忘れられない。“こいつは憎き日本人だ”と言っているようだった」と記していた。 

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熱い風呂に浸かることは、北朝鮮人にとって贅沢なことであった

 北朝鮮の適者生存の文化は、金正男の近親者の未来をも危険にさらした。正男とともに育ったいとこのリ・イルナム(母ソン・ヘリムの姉、ソン・ヘランの息子)は暴露本『大同江ロイヤルファミリー・ソウル潜行14年』を偽名で出版し、次のように告白している。

 1982年スイスの学校に通っていた彼はアメリカンドリームを生きたいと決意し、スイスの韓国大使館に行き、どうすればアメリカに亡命できるかと尋ねてきた。そこでソウルへの亡命を説得され、家族にも黙って脱北を果たしたのだ。イルナムは名前を変え、顔の整形をして、ソウルで静かに暮らしていた。1996年、金に困った彼は、5000ドルの謝礼で韓国メディアからの依頼を引き受けることに。叔母でモスクワにいる正男の母親ソン・ヘリムに電話をし、その模様を放送したいというのであった。電話をすると、出たのはイルナム自身の母ヘランで、脱北以来14年ぶりに、母は息子が生きていたことを知った。二人はその後の2カ月間、定期的に電話で話し、母親もまた脱北を決意したのである。 

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若い頃の北朝鮮の最高指導者の家族写真。子供の頃の金正日。父親の金日成、母親のキム・ジョンスクと。

 ソン・ヘランは回想記にこう書いている。「私は選ばなければならなかった。指導者にすべてを話して平壌に戻るか、西側に行くこのチャンスに賭けるか。自分が告白すれば、金正日はおそらく自分を罰することはないだろうが、平壌を離れることは許さないだろう。たくさんの本に囲まれて読書ができて、日に12回も風呂に入れて、おいしいものをたくさん食べられても、そんな暮らしは私には牢獄だった」

 当時、ほとんどの北朝鮮人には月に一度の熱い風呂が贅沢であった。ソ連からの援助がなくなり、北朝鮮の一般市民はかつてないほどの飢餓に苦しんでいた。北朝鮮は長い間、食糧の配給制をとっていたが、1990年代後半には人々に配給するものが尽き、「苦難の行軍」と呼ばれる経済難で、控えめに見積もっても50万人以上が餓死したのであった。しかし官邸では贅沢が横行していた。1992年、93年、金正日はヘネシー・ブランデーの世界一の消費者で、年に80万ドル分をため込んでいたと伝えられている。 

 イルナムは回想記に、彼が「豪華な牢獄」と呼ぶ家での出来事を書いている。そこで金正日はストリッパーとパーティを開き、それは乱痴気騒ぎであったこと。ある女性が金日成にその騒ぎのことを報告すると脅すと、その夫が金正日の目前で彼女を撃ち殺したこと。 

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1981年に撮影された、父親の金正日と一緒に座る少年時代の金正男。後ろに立っているのは、母親の姉のソン・ヘランと、その子供で正男のいとこのリ・ナムオクとリ・イルナム。のちに二人はそれぞれ脱北する。

金正男と金正恩は一度も会ったことがないと伝えられている

 しかし、本の出版から半年後の1997年2月、彼はソウルの建物のエレベーターを出たところで、何者かに頭を撃たれた。イルナムの死に動揺したのは、1992年に脱北していた姉のリ・ナムオクであった。韓国の中央日報の1999年のインタビューで、彼女は金一族であることの恐怖を強調し、「公の場に出ることは私たち一族にとって死を意味します」と語っていた。以来、彼女が公の場で語ることはなかった。

 母親が違い、ひと回りも歳の離れた正男と正恩は、平壌の離れた場所で育ち、一度も会ったことがないと伝えられている。兄と同じく、正恩も偽名でスイスの学校に入学。学校関係者は「性格円満で、勤勉、意欲的、バスケットが好きだった」と言う。毎日、大使館の運転手が学校まで送り迎えしていたので、同級生たちは運転手の息子だと思っていたようだ。2010年、北朝鮮の後継者として国際的にデビューしたとき、当時の学校関係者は初めて正恩の来歴を知ったのだ。 

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©KCNA/新華社/アフロ
空軍の飛行訓練とパラシュート訓練を見ている金正恩。2013年2月に撮影されたもの。

 当時、多くの人が長男の正男が後継者として教育されていると思っていた。しかし、彼は政治よりパーティが好き。社交的で、思春期になるとすぐに、こっそりと抜け出して酒を飲みはじめたと、叔母は回想記に書いていた。正男は平壌の生活に向いていなかったのであった。「平壌で王子のように扱われていた。だが彼には退屈で、外の世界を見たがっていた」と語るのは、彼の友人で東亜大学校のリ・シンウク政治学教授。

 きっかけは2001年。

 正男はディズニーランドに行こうとして、ドミニカ人の偽造パスポートで来日。太って金縁のメガネをかけた正男は、日本の入国管理局によって拘束され送還された。この一件は国際的に報じられ、正男は北京に移住した。平壌から飛行機で2時間の距離とはいえ、政権にさらなる恥をかかせるには充分遠いという判断から。その地で結婚生活が破綻した正男は、家族とマカオに移住することに。

 マカオでの正男の生活は質素なものであった。今でも平壌のキム一族は運転手付きのメルセデスであるが、正男はタクシーを利用。地元の韓国レストランで食事をし、たまに友人たちに奢ることもあったとか。しかし正男を見逃すことがないのは、彼の金のネックレスや指輪、精巧な刺青のせいではなく、彼が地元警察を従えて行動しているからである。正男は日本人ジャーナリストの五味洋治氏に、「保護か監視かわからないが、護衛されている」と語ったとのこと。

 正男は息子の漢率に普通の子供時代を送らせた。漢率はたくさんの友人をつくり、最新のファッションを楽しみ、キリスト教を研究したりもした。ツイッターをはじめ、Facebookに写真を投稿し、ブログも開設。好きな映画はアメリカの『ブルース・オールマイティ』、好きな歌手はケイティ・ペリーと、今どきの若者である。
 

金正恩にとって金正男は脅威であった

 正男が自分と家族のために築いた落ち着いた生活は、父親が脳卒中で倒れた2008年8月に変化を見せはじめます。若いころ、モスクワに留学したエリートで、金正日の妹と結婚し、その後世間から忘れられていたチャン・ソンテクが事実上の摂政として復活したのです。問題の政権の将来について、彼は甥の正恩を後継者にするよう働きかけます。 

 正男が政治にまったく関心がなかったとはいえ、異母弟である正恩は彼をライバルと見なしました。2009年、正恩は正男の北朝鮮の本拠地でもある別荘(そこで知人たちとパーティなどを楽しんでいた)に秘密警察を急襲させ、彼の友人たちを連行しました。それ以降、北朝鮮には戻らなくなったと、正男は五味氏に語っています。東亜大学校のリ教授によれば、「家父長社会では、最初の後継者が追放され、二番目か三番目の息子が後継者になると、最初の息子の存在が脅威になる」。白頭の血統を考えると、正恩にとって正男はまさに脅威だったのです。

 2011年12月、金正日が父親と同じ心筋梗塞で死去。27歳の金正恩が権力を継承した当時、北朝鮮はそれまで以上に深刻な経済危機にありました。一人当たりのGDPは韓国のたった5%。世界のなかで孤立し、人権侵害問題も注視されていました。

 正恩は人々の忠誠心を得るために、外見も態度も祖父を手本にしています。同じマオスーツやストローハットを身につけ、同じ経済政策の改訂版を導入します。そして彼は、父や祖父よりもはるかに激しい恐怖政治に乗り出しました。敵対する人々、脅威となる人々の粛清、そして銃殺処刑。正恩体制になってから、党や軍の幹部、140人以上が火炎放射器で焼かれ、マシンガンで吹き飛ばされて処刑されました。「同志たちはその残酷な殺戮現場を目撃させられた」と、大韓民国国家情報院の支部、国家安全保障戦略研究所は主張しています。アメリカの北朝鮮人権委員会によれば、2014年に商業用サテライトで撮られた衛星写真には、北朝鮮の高射砲による公開処刑と思われるものが写っていたといいます。

 2012年1月、正恩が最高指導者になる2日前、正男は五味氏へのメールにこう書いていました。「常識的に考えて、世襲を三代続けることに同意することはできないでしょう。2年ほど後継者教育を受けただけの若者がどうやって受け継いでいけるのか疑問だ」。そして彼の誤算か、あるいは意図的な否定か、「金正恩は単なる象徴となり、これまでのパワーエリートが実験を握るだろう」と。 

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©YouTube/YONHAP NEWS/アフロ 
クアラルンプール空港で、二人の女性に、2種類の化学物質を顔にかけられ、他界した金正男。享年45歳。

 正男には叔父のチャン・ソンテクという後見人がいた。正恩を権力の座につかせ、北朝鮮でナンバー2の地位にあると考えられた人物。彼とその妻が平壌における正男の中心的コネクションであった。しかし2013年12月、突然、ソンテクはすべての役職から解任され、党を除名された。叔父が権力を握りすぎたと判断した正恩は、一連の反国家的、反人民的犯罪行為によりソンテクの逮捕を命じた。機関銃による処刑は公開され、指導者の怒りを買えば、誰一人、いかに近親者であろうと無事ではないことを、またしても人々に思い知らせることになった。

 元アメリカの外交官で、韓国のシンクタンク、世宗研究所の特別研究員、デイヴィッド・ストラウブは、ソンテクを葬った北朝鮮の軽率で復讐心に満ちたやり方に唖然としたという。「パラノイアと恐怖、あふれるアドレナリンとテストステロンのなかでそれは起こった。金正恩とその取り巻きは自信満々を装っているが、心理的に大変なプレッシャーを感じている証拠。それが極端な行動を取らせるのだ」。 正男はすぐに、自分が暗殺リストに載っていることに気づいた。正男暗殺の二日後、大韓民国国家情報院は、正男が正恩へ送った手紙に「私と家族を罰する命令を取り下げてほしい。私には行くところも隠れるところもない。逃げ場所は自殺しかない」と書かれていたと発表した。マレーシアで起こったこの暗殺事件は、当の北朝鮮国内では「一般人」が心臓麻痺で死亡したと報じられたという。 

次の標的は若き金漢率!?

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
“正男氏の息子”動画公開 家族へ支援4カ国に感謝(17/03/08)
“正男氏の息子”動画公開 家族へ支援4カ国に感謝(17/03/08) thumnail
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 北朝鮮では強制的な法律で、最高指導者に対するいかなる批判も反国家的行為とされている。強制労働が課せられ、反逆罪で銃殺刑になることもある。北朝鮮の新聞には、どのページにも最高指導者の写真や記事があるのだが、それをくしゃくしゃにすることは指導者のイメージを傷つけることになり、反逆行為ともとられかねる。新聞を捨てるときはゴミ箱の上に慎重に置かねばならない。

 権力を掌握して6年、金正恩はどんな犠牲を払っても自己を防衛したいという動機に根ざした際限のない野心と無慈悲を行動で示してきた。経済制裁を受け、国民が困窮するにもかかわらず、核兵器と長距離ミサイルを開発し続ける…。北朝鮮はすでにソウルと東京を滅ぼすテクノロジーをもち、専門家はすぐにも30分でロサンゼルスに到達するミサイルに核弾頭を搭載できるだろうと予測している。核備蓄が存在する限り、北朝鮮に対する先制攻撃は不可能。こうして金正恩の支配は続いていくことになるであろう。

 しかし、彼は自分の権勢が盤石だと感じているわけではなかった。今年5月、北朝鮮は米中央情報局(CIA)が金正恩を暗殺するため、韓国と共謀していると非難する声明を発表。米工作員が現金で数万ドルを払い、実行を依頼した証拠があると主張した(具体的な証拠は公表していない)。6月には韓国の諜報機関が、正恩のパラノイアはひどくなっていて、深夜のドライブが習慣になっていると報告している。 

 はたして、次の標的はファミリーメンバーの誰なのか。クローズアップされるのが、ビデオが公開された金漢率である。彼は祖父にも叔父にも会ったことはないが、金日成の直系であり、白頭の血統に連なる後継者の一人である。

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父・金正男の死の3週間後、息子の金漢率はYouTubeに、保護されていることをほのめかすビデオを公表。現在の所在は不明。

 漢率は他の金一族とは明らかに異なっている。知的で好奇心にあふれ、偏見がない。名門パリ政治学院をはじめ、海外で教育を受け、流暢な英語を話す。デモクラシー、平和、外交関係を支持すると語り、2012年フィンランドのテレビ局とのインタビューでは、アラブの春を称賛し、リビアのリーダー、カダフィを失脚させた暴動を“革命”と呼んでいた。

 なかでも驚くべき瞬間は、叔父を“独裁者”と言及しているところである。「自分の夢は、いつの日か国に戻り、事態を改善し、人々の生活をよくしたい。統一も夢見ている」と。世宗研究所のストラウブは「彼はコスモポリタンで聡明な若者だ。長い目で見れば、おそらく現政権にとって彼が本当の脅威だろう」と語っている。

By Jean H. Lee on September Edition, 2017 
Illustration by Ryan Melgar
From Esquire US
Translation / Tomoko Kawaguchi
※この翻訳は抄訳です。