[目次]

▼ 世界を巡る海流の拍動

▼ 転換点は来ている

▼ 推測が間違っていたとしても、より迅速な行動が必要


オランダ・ユトレヒト大学の研究*1によると、「大西洋の海水が表層で北上し、深層で南下する大西洋子午面循環(AMOC)*2が既に崩壊に向かっている可能性がある」という新たな報告が、2月9日に科学ジャーナル『サイエンス・アドバンシズ(Science Advances)』でなされました。

そこには、地球規模の海水循環に大きな役割を果たしているAMOCの崩壊は、早ければ2100年にも起こる可能性があることが示されていたのです。

2004年公開のSFアクション映画『デイ・アフター・トゥモロー(The Day After Tomorrow)』のように、世界が一瞬で凍りつき、人々が死に至るようなものではないかもしれません。ですが、もしAMOCの崩壊が起これば、恐らく北半球の平均気温は華氏40度(摂氏約22度)以上低下し、地球上の生物にとって非常に深刻な事態をもたらすでしょう。

また、その転換点(tipping point、一定の条件を超えるとそれまで緩やかだった変化が劇的に変化する点)に関して、デンマークの地球物理学者ピーター・D・ディトレブセン博士*3と統計学者スサンネ・ディトレブセン博士*4の兄妹は独自の予測を立てています。

彼らのモデルによると、AMOCは2100年どころではなく、早ければ2025年にも停止する可能性がある(ただし、今世紀半ばに起こる可能性が高い)」というのです。この研究結果*5は2023年6月に、『ネイチャー・コミュニケーションズ(NatureCommunications)』誌に発表されると瞬く間に議論を呼び、メディアを騒然とさせました。

この二つの研究で示された予想時期のいずれであっても、実際に起きれば地球の気候に壊滅的な影響を及ぼします。ですが、AMOC崩壊の予想時期が二つの研究でこれほど大きくずれているのはなぜでしょう。また、信頼性が高いのはどちらの予想なのでしょうか。

世界を巡る海流の拍動

AMOCは、「海洋ベルトコンベアー(Ocean Conveyor=南半球から暖かい海水を北半球に移動させ、冷たい海水を北半球から南半球に戻す全球規模の海水循環システム)」の支流になります。この海水循環は海面温度に影響を与えており、その結果、現在知られている世界のさまざまな気候パターンが形成されているとされています。

この海流は毎秒、世界中のさまざまな河川の水量の合計の10倍もの水量が移動しているわけです、1滴の水が全ルートを移動するのには1000年もかかることもあると推測されています。大西洋において海洋コンベヤーの一部であるAMOCは、このシステムの心臓部とも言える(いわゆる)「グリーンランド・ポンプ*6」が存在するため、AMOCはとても重要な存在なのです。

AMOCは暖かい水が表層を通じて北上し、冷えて密度が増すと深層へ沈み、再び南へと流れる循環を形成しています。特に「グリーンランド・ポンプ」とは、北大西洋で水が冷えて沈む現象を強く引き起こすエリアを指し、このプロセスがAMOCの駆動力の一つとなっていると考えられています。

この循環は、地球の気候システムにおいて重要な役割を果たし、特にヨーロッパの温暖な気候を維持する助けにもなっているのです。

map of amoc
Wikimedia Commons
AMOCの一部である北欧海域と亜極域の表層流(実線部分)と、深層流(破線部分)の循環図。線の色は大体の温度を示しています。

海水はアメリカの南半球部分から大西洋を横切り、メキシコ湾流を経由してグリーンランドまで北上します。こうした動きをつくる要因となっているのは、AMOCなどの海流や風、地球の自転などです。

メキシコ湾流は北上時に一部が蒸発し、暖かい空気が大気中に放出されるため海水の温度は下がります。水分が蒸発するので温度が下がるだけでなく、海水の塩分も濃くなります。以前は、この海流がグリーンランドの寒気にさらされるとその一部が凍り、氷以外の海水部分は塩分濃度が濃くなるため、沈み込み、再び赤道に向かって南下していました。これが「ポンプ」の仕組みです。心臓の拍動によって血液が循環器系を巡るように、AMOCの中で海水が移動するのです。

転換点は来ている

ですが、この循環がいま減速し始めているのです。気候変動によってグリーンランドが温暖化するにつれて凍結する海水が減り、既存の海氷が想定よりも早く溶けることになります。そして塩分濃度が低く冷たい北極の融氷水が、塩分を含んだ海水へと流れ込んでいるという具合です。

つまり、塩分を含んだ重い海水が大量に海底に流れ込み、南へと流れなければ、「ポンプ」機能は弱まってしまうということ。そしてもし、塩分濃度の低い水の量が「転換点」に達すれば、ポンプは完全に停止してしまうかもしれないのです…。

過去1万2千年の間、AMOCは停止していません。が、過去にAMOCが停止したときは、それが劇的な気候変動の前兆となったとされています。もし再び停止すれば、北半球では気温が大幅に低下し、南半球では海面が上昇。河川からの海への雨水の放出が妨げられるほか、干ばつや飢饉などの災害を引き起こす可能性があります。

前出のコペンハーゲン大学の教授スサンネ・ディトレフセン博士と、彼女のきょうだいであるコペンハーゲン大学ニールスボーア研究所のピーター・ディトレフセン博士は、まさにその「転換点」に注目しています。

2年前、ピーター・ディトレフセン氏の転換点に関する研究について、同氏とスサンネ・ディトレフセン氏は話し合っていました。二人は、「11万5000年前から1万2000年前の氷河時代には、AMOCが崩壊と再開を繰り返されていた」をいう学説を知っています。

1950年代以降、科学者たちはグリーンランドの氷を深部まで掘削し、長さ3~24フィート(0.9~7.3メートル)、直径5インチ(約60センチメートル)の氷の塊を取り出す作業を行っており、それによってそれぞれの氷の層が形成された当時の気候がわかるからです。彼らは約1500フィート(約460メートル)の深さの氷床を掘削し、年輪で樹木の年齢を推測するように、これらの氷床コアの年層からグリーンランドの気候の歴史を読み取ります。

また何千年も前に凍った氷の中の気泡からは、当時の大気中の温室効果ガスに関する情報を読み取ることができ、氷の中に閉じ込められた有機物の化学組成からも測定することができます。これらの氷床コアから情報を読み解くことで、古気候学者は過去にAMOCが崩壊した時期や、その後にどのように劇的な気候変動が起こったか? を明確に知ることができるのです。

cylindrical sea ice core sample
Getty Images
南極・ロス島の西に位置するマクマード入り江で採取された氷床コアのサンプル。

スサンネ・ディトレフセン博士が『ポピュラー・メカニクス』誌に語ったところによると、ユトレヒト大学のチームが2024年2月に発表した報告書に使われているような気候研究に用いられるモデルは、「変数の数が膨大で解像度が非常に高い、とても複雑なもの」とのこと。

ただこのモデリングには長い時間がかかり、研究者たちは約100種類のモデルからの予測を平均化する必要があるそうです。そして、ほんのわずかな変化で無秩序な変化が生じる気象モデルのように、与えられたデータによってさまざまな方向に進む可能性もあります。

そこでディトレフセン両博士は、転換点の到達を示す数学的構造を理解することのみに基づいた、よりシンプルなモデルをつくりたいと考えたのです。

「転換点というのは、気候に限らず多くのシステムに存在し、特定の数学的構造を持つものです。もちろん、この数学的構造だけでなく、多数のノイズを含む高次元システムも見られます。そこで私たちは統計解析によってこのノイズを省き、この転換点が持つ特定の構造を利用する方法を見つけ出してはどうか? と考えたのです。
私たちは測定可能なデータに集中し、できるだけ仮定を少なくしようと考えました。そうすると細部の多くを捨てることになりますが、そして最も重要な部分を取り出し、データに当てはめるのです」

ピーター・ディトレフセン博士の地球物理学の専門知識と、スサンネ・ディトレフセン博士の気候変動に関わる力学系、確率過程、統計学の研究(人間の活動が海洋哺乳類に与える影響を研究するための生物学者との協力なども含む)により、彼らは転換点(分岐点)そのものを中心としたモデルの構築を始めました。 スサンネ・ディトレフセン博士は次のように述べています。

「これは骨格のようなものです。私たちはこの骨格を取り上げ、『これは非常に特殊な構造をしており、普遍的なものだ』と考えました。分岐点に向かう道筋はさまざまですが、分岐自体は常にこの構造に従っています」

彼らの数学モデルでは、転換点は2100年よりもはるかに早く、2025年にも起こる可能性があるが、2050年頃の可能性が高いことを示す傾向が明らかになりました。彼女はこれを、「氷が水に溶ける正確な瞬間を、数学で推測するようなものだ」と指摘します。

「相転移に少し似ています。氷が溶けて水になることを想像してみてください。それが、固体から流体への相転移です」

推測が間違っていたとしても、より迅速な行動が必要

ユトレヒト大学チームのモデルの頑健性(ロバストネス)に比べると、ディトレフセン両博士のモデルはかなり単純に見えます。その一方で、多くの要因に注目する必要がない分、より重要な要素に焦点を当てることができるとも言えます。ただいずれにせよ、間違った推測に基づいて行動を先延ばしにするのは、間違った推測に基づいて迅速な行動に移ることよりもリスクが高いと考えられるでしょう。

スサンネ・ディトレフセン博士は「モデルをつくっている人(気候変動に関する政府間パネルでさえ)も、こうしたモデルのうちのどれも正しいモデルだとは思っていません。もし、どれか一つのモデルが正しいとわかるなら、100のモデルなど必要なく、一つで済むはずです」と指摘します。

気候モデルの問題点は、遠い先のことしか予測できないことです。気象を予測する場合、1週間前にさかのぼってモデルが正確だったかどうか? を調べ、それを改善することができます。しかし、気候モデルが正しいかどうかを確認するのに、10年も待っている時間はありません。手遅れになる前に、今持っている情報に基づいて行動を起こすことが必要です。

スゼンネ・ディトレフセン博士は次のように語っています。

「AMOCの崩壊は非常に大きな意味を持つものであり、『どうだろう、私たちの推測は間違っているかもしれない』と言って、手をこまねいているわけにはいかない問題です。
私たちの推測が間違いであれば、それは望ましいことです。ですが、間違っているようには思えません。データを集めれば集めるほど、モデルを改良すればするほど、私たちの研究結果への確信は強まります。何より、AMOCの崩壊を止めたいのであれば、化石燃料の使用と温室効果ガスの排出を止める必要があります」

[脚注]

*1:科学ジャーナル『サイエンス・アドバンシズ(Science Advances)』に掲載された「Physics-based early warning signal shows that AMOC is on tipping course」を参照

*2:Atlantic Meridional Overturning Circulation=AMOC 海水が北上し深層へ沈んで南下する広大な海水の循環システム。この循環は大西洋の水温と塩分濃度を調節し、地球の気候に大きく影響している。特に、北半球の気候を温暖化させ、ヨーロッパの温暖な気候を支える重要な役割を担い、さらに熱帯からの太陽エネルギーを分配し、地球全体の気温バランスに貢献。豊かな海洋生態系を維持する役割ももつ。この循環の変動は気候変動に影響を及ぼすため、監視と理解が重要とされている。日本流体力学会の学会誌「ながれ」第39巻に掲載された『大西洋深層循環のモデリング』を参照

*3:コペンハーゲン大学のWebサイトに掲載されているピーター・ディトレフセン(Peter Ditlevsen)教授のページ

*4:スサンネ・ディトレフセン(Susanne Ditlevsen)教授のWebサイト

*5:『ネイチャー・コミュニケーションズ(Nature Communications)』誌に掲載された「Warning of a forthcoming collapse of the Atlantic meridional overturning circulation」を参照

*6:Greenland Pump この「グリーンランド・ポンプ」という表現は、「North Atlantic Deep Water formation(北大西洋深層水の形成)」の現象を比喩的に表現したもの。北大西洋で冷たい水が沈んでいくプロセスに注目し、特にグリーンランド周辺の海域で起こる水の循環を強調するため使用したと思われる。

Translation / Keiko Tanaka
Edit / Satomi Tanioka
※この翻訳は抄訳です

From: Popular Mechanics