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ランボルギーニが駆け抜けた60年。主要モデルをプレイバック(前編)

1963年に初号機となる「350GTV」を発表し、自動車業界にあいさつ代わりの一撃をお見舞いしたランボルギーニ。今年は誕生60周年となる節目の年を迎えています。そんな“レイジングブル”の輝かしい歴史に敬意を表し、「Esquire日本版」ではこれまでの主要モデルに関して前後編に分けて一気に紹介します。

By Seiichi Norishige
lamborghini 350gt
AUTOMOBILI LAMBORGHINI

ランボルギーニが誕生したのは1963年のこと。その誕生のストーリーに関して知る人は、思った以上に少なくないはずです。無類の自動車好きで、フェラーリの顧客でもあった創業者のフェルッチオ・ランボルギーニ氏が、同社の修理対応に納得がいかず、「ならば…」と自らの手でフェラーリを超えるスポーツカーをつくるために会社を興(おこ)してしまうというエピソードです。

その思いは結実し、フェラーリに比肩するばかりか、現在も美しさとハイパフォーマンスを兼ね備えたスポーツカーで自動車業界に革新をもたらし続けています。今年で生誕60周年を迎えたランボルギーニを振り返る本企画。前編となる今回は、市販化こそされなかったものの、1963年のトリノモーターショーで発表された初号機「350GTV」から、1986年発表の「LM002」までの主要モデルを振り返ってみましょう。


※レイジングブル:ランボルギーニは、そのロゴに描かれている象徴的な猛牛「レイジングブル」をあしらっていることから、“レイジングブル”と称されることがあります。英語で「Raging Bull」と記述し、「激しい怒り」「猛威」「暴れる」などの意味を持つ「Rage(レイジ)」に「-ing」を加え、「荒々しい雄牛」「体格の良い人」などの意味を持つ「Bull(ブル)」と合わせて「Raging Bull(レイジング・ブル)」にしています。「怒り狂う雄牛」といった意味になるでしょう。

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【1964-1968|350GT/400GT/400GT 2+2】

350gt
AUTOMOBILI LAMBORGHINI

1964年5月、記念すべきランボルギーニ初の生産車となる「350GT」が誕生します。今でこそスーパースポーツカーを生産する同社ですが、創業者のフェルッツィオ・ランボルギーニ氏が目指したクルマづくりは、速く快適で疲れないGTカーでした。

デザイナーは、カロッツェリア・ベルトーネから独立した奇才フランコ・スカリオーネ氏。搭載する3.5LのV12エンジンの開発に携わったのは、伝説のフェラーリ「250GT」を設計したジオット・ビッツァリーニ氏、そしてフェラーリでエンジニアとしてキャリアを積んだ後にランボルギーニ入りしたジャン・パオロ・ダラーラ氏が中心メンバーとして従事。素性の良いエンジンは、出力を押さえなくてはならないほどのポテンシャルを備えていました。

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[350GTV(1963年発表)]

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1963年のトリノモーターショーでお披露目されたランボルギーニの記念すべき最初のモデルがこの「350GTV」ですが、このまま市販化されることはありませんでした。諸説あるものの、「フェルッチオ氏がデザインの一部が気に入らなかったため」とも言われています。

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[350GTV(1963年発表)]

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[350GTV(1963年発表)]

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[350GT]

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[350GT]

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[400GT]

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[400GT 2+2]

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【1966-1972|Miura P400 / P400S / P400SV】

miura p400 sv
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エンジンを乗員とリアアクスル(後方の車軸)の間に搭載するミッドシップカーは、究極の運動性能を追求するレーシングカーだけに採用される特別なレイアウトでした。

そんな中、当時新興メーカーであるランボルギーニは、1965年のトリノモーターショーでプロトタイプとなるベアシャシー(未装備の自動車の骨格)を発表します。翌1966年、そのシャシーに自社のV12エンジンを横置きで搭載し、イタリアのインダストリアルデザイナーであるマルチェロ・ガンディーニ氏によるエレガントなボディを載せ、「ミウラ」という名でデビューさせます。

エンジンはシリンダーブロックからクランクケースまで軽量なアルミ製でホイールはマグネシウム製と、その全てがレーシングカーが用いる手法を踏襲しました。レース好きのダラーラ氏とパオロ・スタンツァーニ氏という稀代のエンジニアを含め、この3人は当時まだ20代でした。まさに、「情熱の塊である衝撃の1台」と言えるでしょう。

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[Miura P400]

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[Miura P400]

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[Miura P400 SV]

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[Miura P400 SV]

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[Miura P400 SV]

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[Miura P400 SV]

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【1968-1970|Islero 400GT / Islero GTS】

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「350GT」がエンジン排気量を4Lへと拡大し、「400GT」へと発展した後に登場したのが、いわば正常進化版モデルの「イスレロ(Islero)」です。ヘッドライトは固定式から、リトラクタブル式へと変更されています。その流麗なデザインは「350GT」と変わらないものの、デザインはイタリアのインダストリアルデザイナーのマルチェロ・ガンディーニ氏が手掛けています。

エンジン出力はデビュー時の270hpから340hpへ引き上げられ、1969年に「イスレロGTS」へと進化した頃には350hpを発生。フェルッツィオ氏自ら陣頭指揮に当たったとというエピソードが残るように、「イスレロ」は広く開放的なグラスエリア(ウィンドウ、フロントガラス、サンルーフ、バックガラスなど、さまざまな形状と大きさのガラスが使用されている部分)を持つキャビン(車内空間)、ディメンション(車両の長さ・幅・高さ・ホイールベース<前後車軸間の距離>など、外形の寸法)の拡大と相まって、派手さはありませんがGTカーとしての完成度は高く、現在はその価値が見直されています。パッケージは400GT2+2を踏襲しています。

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[Islero]

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[Islero]

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【1968-1978|Espada GT / Espada GTE】

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ランボルギーニのGTカーの系譜は、後に登場する2+2の「ハラマ(Jarama)」と、大人4名乗車を可能とする完全4シーターの「エスパーダ(Espada)」に分かれます。

後方まで伸びる大きなグラスエリアを持つハッチバックデザインは、ベルトーネ在籍時のマルチェロ・ガンディーニ氏が担当。フロントにエンジンを搭載し後輪を駆動するFRパッケージは、「350GT」と変わりありません。シャシーは従来の鋼管を組み合わせたチューブラーフレーム構造から、現在の主流である金属パネルを接合したモノコック構造へと変更。それで生産効率を高めました。

生産期間はおよそ10年に及び、同社のベストセラーGTカーに輝いています。

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[Espada]

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