本記事は、米国・テキサス大学オースティン校のアジア系アメリカ人研究センターのディレクターであり、アフリカ・アフリカン・ディアスポラ研究部の准教授でもある、エリック・タン氏による寄稿です。彼の著書には、『Unsettled: ニューヨークシティ危険地域のカンボジア移民たち』があります。


 2021年3月16日(火)、米ジョージア州アトランタ校外のスパ施設などで21歳の白人男性(ロバート・アーロン・ロング容疑者)による単独犯が8人を殺害するという銃殺事件が起き、アジア系アメリカ人に対する人種差別的な攻撃が最悪の事態を迎えました。この犠牲者のうち6人は、アジア系女性でした。

 今回のような事件は、米国国内の各都市で相次いで発生しており、そのうちのいくつかは動画で公開されています。その映像は、「何が起きているのかわからなかった」とは誰も言い訳できないほど露骨なものです。

 アトランタの事件のわずか5日前の3月11日、ジョー・バイデン大統領は全国的に放送されたスピーチで、アジア系アメリカ人がこの新型コロナウイルスの影響によるパンデミックの最中に「攻撃され、嫌がらせを受け、非難され、スケープゴート(代わりにその攻撃の対象として転嫁されること)の対象とされている」と、述べました。

 バイデン大統領はこの人種的なスケープゴートを、『非アメリカ的』であると述べました。しかし、どうでしょうか…。私(筆者タン氏)はそれどころか、コロナ禍に起こるこのような出来事は、最も『アメリカらしい』ものの1つであるのではないかと感じています。

 スケープゴートとは、本来どういう意味であるのか。そして米国の社会は、本当にスケープゴートなしでやっていけるのでしょうか。 

◇アジア系アメリカ人が経験する差別の歴史

 アジア系アメリカ人たちは、スケープゴート化されることは既に経験済みであることを確信しているはずです。19世紀の後半、中国からの移民は人種差別キャンペーンの対象となり、その結果、米国初の移民排除法が制定されました。

 この法律が制定されるまでの間、数千とは言わないまでも、数百人の中国人が移民排斥(はいせき)者により襲われ、殺害されているのです。

 第二次世界大戦中のアメリカ政府は、罪のないアメリカ在住の日系人を投獄しました。「白人ではない日系人は、日本に忠誠を誓う“エイリアン(alien)”」としか考えなかったため、市民として与えられていた憲法上のすべての権利を剥奪(はくだつ)されます。

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 やがて80年代には、工業化が進み産業空洞化が米国の都市を席巻します。すると、移民やアジア太平洋地域の経済成長が「アメリカ人の仕事」を奪っていると、保守層は非難していました。そのときのデトロイトでは、中国系アメリカ人2世のヴィンセント・チン氏が解雇された自動車産業で働いていた白人2人に殺害されるなど、反アジア的な暴力が急増しました。

 この同時期、東南アジアからの難民がアメリカ中の都市や郊外に移住してきました。そこで、多くの国民が経済的に苦しい最中であるのに対して、自国にやって来たことに憤慨した人々(ほとんどが、つじつまを合わせるための作り話でしたが)に襲われたケースも少なくありませんでした。

 そして9.11(アメリカ同時多発テロ事件)以降は、個人や組織化された人種差別グループによる南アジアや中央アジア系の人々に対する連続的な嫌がらせや殴打、および殺害などが全米で発生しました。このことに加え、連邦政府自体もイスラム教国出身の無実の住民数千人を正当な手続きを踏まずに検挙、そして拘留までしています。

 これは長きにわたるアメリカの歴史そのもの、とも言えます。このような重要な分岐点に遭遇した際に「必ずと言っていいほど、アジア系アメリカ人を排除する」というアメリカという国の行動特性は、もはや単に“欠陥的問題点”というよりも神話的な行動とも言えるでしょう。

「確かにドナルド・トランプのコロナウイルスの呼び方は、多くの人種差別のように愚かで卑怯なものでした。 しかしながら、これは決して無意識で言ったことではありません」

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染が拡大したときに、アジア系アメリカ人の誰もが、このような事態になることを避けたいと思っていたことでしょう。

 しかしながらドナルド・トランプ前大統領が、COVID-19を「中国ウイルス」と呼んだことで、(私たちアジア系アメリカ人が抱いていた)その希望は即座に打ち砕かれました。またもやアジア系アメリカ人は、憎まれ役としての必要な役割を果たすため再び召集されたのです。

またもやアジア系アメリカ人は、憎まれ役としての必要な役割を果たすために、再び召集された

 確かにトランプ氏のこのウイルスの呼び方は、多くの人種差別のように愚かで卑怯なものでした。そしてこの発言は、決して無意識に言ったわけではないでしょう。人種差別主義者という者たちは、「その虐待は、人種とは関係のないものだ」と無実を主張するときでさえ、「自分たちが何をしたいのか?」、「自分たちが何をしているのか?」もわかっているはずです。

 トランプ氏にとってこれは、単なる「言論の自由」でした。

 一方、この記事の執筆時点でアトランタ事件の容疑者は、「事件は人種差別ではなく、自身のセックス依存症に関係がある」と主張しています。

 保守派や一部のリベラル派の者たちは、アジア系アメリカ人のことを「手当てや特別な保護を必要とせず、差別をされていても教育やビジネスで成功を収め、法律や規則に従う手本になる少数派=モデル・マイノリティとして賞賛する」という形をとってきました。

 しかしながら当のアジア系アメリカ人は、それが正義と政府の説明責任を求めて闘い、すべての人にとって、この国をより民主的なものにしようと行動しているアフリカ系アメリカ人を弱体化させるための、広範なキャンペーンに利用されるているにすぎないと、すぐに理解したことでしょう。

 ここで重要なことは、どんなに些細なことでも人種差別というものは、「無意識による行動」ではないということです。卑怯とも言える行為の裏側にも、そこには彼らなりの目標・目的があると考えていいでしょう。これに関しては、「スケープゴート」の意味をより明確に理解することで、その解明へ近づくことができるかもしれません。

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◇米国の「スケープゴート(scapegoat)」とは?

 ここでの「スケープゴート」とは、人種差別主義者が望んだ目的の達成へと近づくために呼び起こされた「犠牲」と言っていいでしょう。そこにある目的とは、富であり、ナショナリズムであり、(フェミニズムの動きと共に議論される)有害な男らしさであり、危機的状況下における安心感や帰属意識(たとえ偽物であっても)などと言えますす。

 現在、アジア系アメリカ人が「犠牲」となっている先にある明確な目的について、詳しく説明することは時期早々と言えるでしょう。現時点でその目的が何であれ、「われわれ(アジア系アメリカ人)はそのことで非常に高いリスクを負っている」というだけは確かなことです。その目的の達成に向けて、アジア系アメリカ人たちは肉体的に傷つけられているのです。ですがそれだけでなく、精神的・感情的にも傷つけることも欲しているのです。

 凶悪な映像を次々と目にすると、多くのわれわれアジア系アメリカ人は、これまでに成し遂げてきたと思っていたどんな進歩も、幻想に過ぎなかったということを思い知らされるのです。そうしてわれわれが抱いた悲観が、人種差別主義者たちの想いへと、いいように還元させるのではないでしょうか。

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 研究者たちは、われわれアジア系アメリカ人は「最も幸せなアメリカ人の一人である」と言い、「ハリウッドにおける映画界の中で、アジア系に対する人種差別は少ない」とアピールしているかもしれません。ですが、このように連日SNSやテレビで流れる暴行映像は、まぎれもない事実をわれわれの目の前に提示するのです。

 おそらく、このように心理的虐待を受けるということは、他と全く異なるアジア系アメリカ人の特性とも言えるのかもしれません。人種差別者たちは常に、その差別によって「自分が何者であるか?」「他者との関係においてどのような立場にあるか?」、さらには「自分自身をどのようにつくり上げるのか?」といった差別される側の人生における脚本を改編させようとしているのです。そうしてさらなる不安定さを、実感させようとしているのです。

 このように私たちが実際に考え、感じ、望んでいるものとは全く異なることやものが提示され、そんな状況下に追いやられることが、人種差別のまさにポイントなのです。

 キャシー・パーク・ホンさん(Cathy Park Hong)は、彼女の新刊『マイナーフィーリング(アジア系アメリカ人の罰)』で、このことを巧みに表現しています。「ゴースト(幽霊)のようにされているようなもので、社会的な手がかりを奪われ、自分の行動を評価する関係性がなくなってしまうのです」と。

「重要なことは、どんなに些細なことでも人種差別というものは「無意識による行動」ではないということです」

 ホンさんはこう指摘します。「現在われわれアジア系は、暴力によって差別を受けています。それはひどいものです。ですが彼らは、それだけで満足などしていないはずです」と。また、「われわれが事実被っている差別行為を、世に部分的に伝えることですら拒否される風潮です」とも言っています。

 アジア系に対する人種差別は、われわれが自分自身から切り離されること、いわば自己喪失を望んでいるのかもしれません。ここで思い出すのは、パンデミックの真只中、間違いなく震源地と言える場所クイーンズ区の緊急治療室で医師として働いていた私(筆者タン氏)の兄のことです。

 最前線で働く多くの人々と同様に、兄もまた最小限の資源で可能な限り多くの命を救ったことで、当然のことながら称賛されました。ですが私が兄に現場のヒーローのエピソードについてたずねたところ、彼は言葉を濁(にご)しました。何か変でした…。

 兄の説明によると、このような状況の中、彼は自分の家族の安全について考えずにはいられなかったそうです。休憩時間に携帯をチェックすると、アジア人に対する暴力事件が次々とニュースフィードに流れてきて、頭の中には彼の妻や子どもたち、そして母親、さらにアジア系アメリカ人全体が巻き込まれるかもしれない人種差別の地獄絵図が浮かんだそうです。

 “すべてのアメリカ人”の未来を担う「病院」という場所で、アジア系アメリカ人の兄にとっては、かなり孤独な場所だったに違いないと、思わずにはいられないのです。

Source / Men's Health US
Translation / Kazuhiro Uchida
※この翻訳は抄訳です。

アジア系の躍進と、アジア系に対するヘイトの増加
ellie kurobe rozie,ニューヨーク