actor harrison ford in a scene from the movie 'blade runner', 1982 photo by stanley bielecki movie collectiongetty images
Stanley Bielecki Movie Collection//Getty Images

ゆっくりと浮上するスタッフクレジットおよび前説のテロップのあと、2019年のロサンゼルスの全景が上空から写し出されます。そして、(2022年5月17日に79歳で亡くなられた)ヴァンゲリスの『Prologue And Main Titles』の調べも手伝って、実に神秘的かつ未来的な街の灯がきらめく上空が写し出されるのです。さらに、そこにシド・ミードがデザインした空飛ぶ車が行きかいます。

ときおり上空へと噴き出す炎は、これから訪れる波乱を想起させているよう。続いてピラミッドのようなタイレル社の姿へと迫りながら、なにやらオフィスにいるものの瞳がクローズアップでインサートされます。そして再び、街の灯が上空から映し出されるのでした。この段階では、この瞳が人間のものであるかどうかはまだわかりません。

それが何を象徴しているのか? そんなことはいいのです。結局のところ、リドリー・スコット監督によるこのSF映画史上に残る不朽の名作自体にとって、見る者の目など気にする必要などありません。この1982年公開の『ブレードランナー』に描かれている世界とは、未来における逃げ場のない過酷な地獄絵図なのですから…。

物語はルトガー・ハウアー扮する戦闘用レプリカント*(製造番号:N6MMA10816)のロイ・バッティ率いる反逆レプリカントたちが、予めプログラムされた寿命に抗うため反逆を試みるといった展開になっていますが、これも実に心から共感できる筋書きとして描かれています。

※レプリカント(replicant:映画『ブレードランナー』に登場する人造人間の総称であり、この映画で初めてつくられた造語と言われています。ちなみにフィリップ K. ディックの原作には、この「replicant」という語は出てきません。タイトルにあるとおり、「android(アンドロイド)」と呼ばれています。

『ブレードランナー』は「SF映画は何か?」を定義した名作

フィリップ・K・ディックによる1968年の小説『Do Androids Dream of Electric Sheep?(アンドロイドは電気羊の夢を見るか?)』を原作としたスコット監督の本作は、非常に豊かでありながらもアートフルな汚れに満ち、さらに酸性雨に濡れながら退廃した街並みのシーケンスによって、視覚的に見事なアティチュードをつくり出すことに成功しています。その中でも印象的なのが、新宿の歌舞伎町をモデルにした街並みであり、そこにそびえ立つビルの壁面に映る、「強力わかもと」を呑む芸者さんの広告映像ではないでしょうか。さらに、なぞの縦書き「゜コ゛ルフ月品」のネオンサインも忘れられません。

そんなシュールな近未来感はその後、多くの作品の背景として模倣されることになります。でも、それは致し方ないこと。これ以上のデザインされた映像を観た人は、どこにもいないでしょうから…。『ターミネーター』ほど体育会系でなく、テリー・ギリアムの『未来世紀ブラジル』ほど奇抜でもなく、『マッドマックス』ほど終末的でもありません。そんな『ブレードランナー』のインパクトは、1980年代といった限定的な範囲で収まるはずもなく、初公開から今日までの40年間にわたって「SF映画とは何か?」を定義するための最適解となってきたのです。

そう、『ブレードランナー』は タイレル社のカタチのようにSF映画界のまさに金字塔。『ゴースト・イン・ザ・シェル』から『トータル・リコール』、『マイノリティ・リポート』さらには『ブラックパンサー』まで、多くのSF映画がその映像美でわれわれを魅了するのも『ブレードランナー』が数々にヒントを与えてくれたからに違いありません。

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Blade Runner (1982) Official Trailer - Ridley Scott, Harrison Ford Movie
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スコット監督におけるこの映画の構成方法は、1979年の『エイリアン』で完成させた方程式に基づいていると言っていいでしょう。薄汚れた工業地帯と街並み、そしてネオンに照らされた街並みとその影、さらには人間と危険なアンドロイド(レプリカント)との心理的ギャップを(今となっては過去になっている)2019年のカリフォルニアに持ち込み、『エイリアン』における身体が極度に変容するボディ・ホラーの要素をディテクティブ・ドラマ(警察もの)に置き換えて解を求めていったというわけです。

ハリソン・フォード扮するデッカードに関しては、シガニー・ウィーバー扮するエレン・リプリーとは異なる性格を持つ主人公でした。ボロボロに傷ついた刑事がルールと闘う姿を描いたこの『ブレードランナー』の主役の在り方は、ロマン・ポランスキー監督の1974年作品『チャイナタウン』の未来版とも言えるかもしれません。

またここで、改めて注目すべきこともあります。それはこの映画『ブレードランナー』が、スコット監督にとって映画製作デビューから3作目であったということ…。これはかなり衝撃的です。余談ですが、ハリソン・フォードにとっては絶頂期でした。1980年公開の『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』、1981年の『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』、そして1982年の『ブレードランナー』へと、3作連続で主演クラスに出演しています。

斬新なカテゴリーを開拓し、
その後に続く作品に
多大なる影響を与える

有名な話ですが、この映画は当初批評家たちからも悪評を集め、興行的にも失敗しています(同年に、『E.T.』があったらからでしょうか…)。しかしその後、VHSビデオの販売と度重なる再編集によって、最終的にはカルト的な地位を獲得することとなりました(2004年には世界的な科学者たちによって、史上最高のSF映画に選ばれています)。

現在、本作品のオマージュを感じさせないSF映画を想像するのは、困難とも言えます。それはビジュアルの面だけでなく、「ロボットたちの自由意志」を追求するシンギュラリティ(AIが人類の知能を超える技術的特異点、およびAIがもたらす世界の変化を示す言葉未来学上の概念)的考察という点においても、この『ブレードランナー』がその道を切り開いてくれました。そうでなければ、(アメリカ最大級の有料テレビ会社)HBOは1973年の映画『ウエストワールド』を、あれほどドラマティックかつスタイリッシュにアレンジすることができたとは思えません。

そしてそれは、イーロン・マスクにとっても…。彼が世界を征服しようとしている何十年も前から、『ブレードランナー』おけるタイレル社のストーリーは存在していたのですから。つまり、(あくまでの想像の範囲ですが)少年時代の彼に影響を与えた可能性は否めません。これにきっと、『エイリアン』におけるウェイランド・ユタニ社のストーリーも加わっていることでしょう。

このようにスコット監督が描いた悪の中心に企業が存在する構図は、その後のSF映画でも多大な影響を与えています。それは「ターミネーター」シリーズ(1984年~)におけるサイバーダイン・システムズ・コーポレーション(サイバーダイン社)であり、『ロボコップ』(1987年)の巨大コングロマリット企業であるオムニ・コンシューマ・プロダクツ(オムニ社)であり、「バイオハザード」シリーズ(2002年~)の製薬会社のアンブレラ社です。

blade runner rick deckard harrison ford enters sebastians apartment, where he is soon to be attacked by the replicant pris daryl hannah, immediately behind deckards gun, in a scene from ridley scotts futuristic thriller blade runner, 1982 photo by warner brosarchive photosgetty images
Warner Bros.//Getty Images

監督自身もその世界観に没入していった

リドリー・スコット監督自身の作品においても、この『ブレードランナー』から影響を受けていると言える作品があります。それは「エイリアン」シリーズの前日譚(ぜんじつたん)である『プリメテウス』(2012年)と『エイリアン:コヴェナント』(2017年)の2作品です。その描き方は、『ブレードランナー』と『エイリアン』のDNAをうまくブレンドしているとしか思えません。そのことは、多くのファンが今でも「共通するユニバースがあるに違いない」と考察し続けていることからも理解できるはずです。

さらに日本人俳優の高倉 健や松田優作、若山富三郎をメインキャストに据えて製作した『ブラック・レイン』(1989年)も、そのDNAを継承した映画と言っていいでしょう。中でもネオンがきらめく雨に濡れた夜の繁華街でのアクションは、『ブレードランナー』のリメイクとも言えます。余談ですが、『ブレードランナー』の世界観の一部は京都からもヒントを得ているそうです。

この辺で音楽の話もしましょう。このサウンドトラックで第40回ゴールデングローブ賞の最優秀作曲賞にノミネートされたヴァンゲリスのシンセサイザー音楽も、よく真似されています。ですが、完全に再現されたことは未だありません。ヤマハのCS-80シンセサイザーによって収録されたこのアンビエント・テクスチャ(環境に溶け込んだ音楽)は、エドワード・ホッパーの絵画やフリッツ・ラング監督による映画『メトロポリス』(1927年)からインスピレーションを得ているそうです。そして衣装、照明、そして本作のために考案された作家ジョージ・オーウェル風の世界観を表現した架空の多民族文化圏の複合言語「シティースピーク」も同様に、映画の世界をつくり出すために不可欠なものとなりました。

絶妙なキャスティングも功を奏した

演技に関しては、「ハリソン・フォードは何を演じてもハリソン・フォードだ」という議論があるものの、この作品ではハン・ソロの威厳やインディの自己主張は控えめに、本当は家で美しい未来的なタンブラーでウィスキーを飲んでいたい、これまでの世界に敗れた男(レプリカント?)に扮しています。思いを寄せるレプリカントのレイチェル役を演じたショーン・ヤングは出番こそ少ないものの、見事にこの役に命を吹き込んでいました。

しかし『ブレードランナー』ファンなら誰でも知っているように、ルトガー・ハウアー演じるレプリカントのアンチヒーローでありロイ・バッティこそがこの映画の真の主役です。バティは脱色した髪、グレーのTシャツ、レザーのトレンチコートをクールに見せるだけでなく、人造人間としての二面性を見せています。自らの手に釘を突き刺したかと思えば、次の瞬間には鳩を抱いて存在の儚(はかな)さについて独白をします。

人間には信じられないようなものを見てきたレプリカントとして、バッティは通称 「Tears in rain monologue(雨の中の涙のモノローグ)」(または、独白の中に登場するキーワードから『Cビームスピーチ』とも言われる)という映画史に残る名演説を披露しました。ハウアーは自ら、脚本家デヴィッド・ピープルが書いた言葉を修正したり削ったりして、このスピーチを完成させたそうです。最初のテイクの後、何人かのスタッフは感動して涙を流したということです。

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Blade Runner - Final scene, "Tears in Rain" Monologue (HD)
Blade Runner - Final scene, "Tears in Rain" Monologue (HD) thumnail
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視覚的にも音響的にも完成度が高く、知的でムーディーな『ブレードランナー』には賞賛すべき点しか見つかりません。この作品が伝説となり、なぜこれほどまでに支持されているのでしょうか? おそらくその理由は、環境破壊、社会的分裂、抑圧的な権力といった陰鬱な描写の中に、私たちは現実の世界を認めているのではないでしょうか。それは時代が進めば進むほど、われわれの心の奥へとなおも進んでいるかのようです。

またあるいは、その不吉な予感とは裏腹に、『ブレードランナー』が未来への希望を与えてくれるからかもしれません。愛し合うべきでない2人の間に存在する愛、そしてその先の希望。どんなに不可能に思えても、抱き続けるべき自由への願い…。それは、折り紙の鶴のように脆(もろ)く崩れ去る希望かもしれません。暗闇で輝くCビーム(オーロラ)のように美しく、雨の中の涙のように儚い希望でもあるのです。

『ブレードランナー』は、安易に答えが見えるような映画ではありません。だからこそ40年経った今でも、私たちはこの映画をリメイクし、探求し、そして分解し、さらにスポットライトを当てたくなるのかもしれません。 それは、これからも続くことでしょう。

Source / ESQUIRE UK
Translation / Yuka Ogasawara
Edit / Mirei Uchihori & Kazushige Ogawa
※この翻訳は抄訳です。