エストニア国会で2023年6月に、同性婚を法制化する家族法修正案が採択された。そして2024年1月にその法律が施行され、旧ソ連圏では初の同性婚承認国*¹となった。この法改正への大きな後押しとなったのが、ロシアで俳優として活躍したセルゲイ・フェティソフの回顧録を元にした映画『Firebirdファイアバード』である。
1970年代後半、ソ連占領下のエストニアの空軍基地で出会った若き二等兵セルゲイと、戦闘機パイロットであるロマンの愛の行方を描く本作。日本公開に合わせて、エストニア出身のペーテル・レバネ監督、セルゲイ役で主演しただけでなく共同で脚本を執筆したイギリス人俳優トム・プライヤー、ロマン役のウクライナ出身の俳優オレグ・ザゴロドニーがそろって来日を果たした。
――ペーテル、本作は、2011年にセルゲイ・フェティソフの回顧録読み感動したことから、映画化のプロジェクトが始動したと聞いております。プロデューサーやMVのディレクターとして活躍してきたあなたにとって、監督デビュー作ですね。美しい映画に仕上がっただけでなく、この作品が、エストニアにおける同性婚承認の法改正の後押しになったことについては改めてどう感じていますか?
ペーテル・レバネ(以下、レバネ):毎日、「太陽は昇る(明けない夜はない)」といった思いです。多くの人にとっては変わらない日々でも、少数の人にとっては、平等に扱われるような世界になりました。「少数者が幸せ」ということは、「国全体の幸福」につながるのです。ただ、この法改正が(旧ソビエト連邦支配圏で)実現したことはまるで現実ではないかのように思える出来事でもあります。私は個人的に、2010年からずっとキャンペーンに身を投じてきました。やっとみんなが愛する人と家族になれる権利を手にしたのです。
――オレグ、母国が戦時中にもかかわらず、来日していただいてありがとうございます。
オレグ・ザゴロドニー(以下、オレグ):映画は単なる娯楽のためだけではなく、意識変革をもたらすことができるのが美しい点です。一度、意識が変われば、人生そのものが変わります。心を込めてきちんと目標を持って映画をつくれば、映画は創造物になり得ると思います。エストニアで起きた変化は、一言で言えばクールなこと。違う視点から物事を捉える機会において、映画がそのきっかけとなったことを心からうれしく思います。
こういうエピソードがあります。今ウクライナでは、前線で戦っている兵士がたくさんいますが、ある二人の男性カップルが同時に入隊しました。もちろん、その二人は自分たちの関係について黙っていた*²わけですが、軍のサウナで他の兵士たちのいる中、上官が「君たちは特別な関係にあることは知っているよ、うらやましい。君たちだけが唯一、この軍の中で定期的にセックスする機会があるのだから」と言ったということです。
これは攻撃的なジョークではなくて、この上官なりに敬意を持って二人のことを認めていることを表した例なのです。もちろん、ウクライナは100年以上ロシアの一部として組み込まれていたので、押された烙印に対して、「かなり非文明的な部分も同時にあったウクライナも、より近代的な思想というものを受け入れつつあるのではないか」と考えています。
――トムは、2014年に一緒に脚本を描き始めたわけですが、どこの部分に可能性を感じ、主演だけでなく、脚本まで関わろうと思ったのでしょうか?
トム・プライヤー(以下、トム):まず、要素の組み合わせに魅力を感じました。軍隊が舞台の物語は、私がずっと子ども時代から観てきた「007」シリーズや「ジェイソン・ボーン」シリーズといった作品に近い要素がある気がしたし、なんといっても、セルゲイとロマンの、リスクある環境下における緊迫感のある関係に感銘を受けました。
ふたりの関係には単なる性的な欲望を越えた、深い愛情があることが胸に響きました。ピーター(ペーテル)とは、意見交換しながらお互いのスキルを補完する形で共同執筆を進めたのですが、ウマが合ったのでしょう。長い時間かかりましたが、共同作業がスムーズにできました。
ペーテル:トムが加わってくれたことで、異なる視点が持ち込まれたことは大きかったです。特に、セリフやシーンのつなぎは大いに参考になりました。私は結構、論理的に構造を決めて(脚本を)書きがちなのですけれど、彼は俳優視点で、セリフからの自然なつながりを大事にする。私にとっての学びでしたね。コンピュータに向かってひとりで描き続けるより、ふたりだと議論もできるのも、楽しかったです。
作曲家のクリストフのところに行って、ワルシャワで音楽を入れるために9日間作業したのですが、これはとても仕事がしやすかったですね。例えば3人いれば、2対1で一人を説得することもできますが、みんな自分のエゴが無いというか、やっぱり何か同じ方向に向いているということで、そういうこともなく…。気持ちがぴったり一緒に動いたという部分とともに、ある意味、自己主張をするということがみんな無かったのですね。
いろんな人が脚本の段階から、フィードバックをくれます。メモ書きをくれたりするのですが、「みんなで同じ映画をつくっているかどうか」が大切な鍵だと思っています。人によっては、そのアイデアを取り入れたら違う映画になってしまう…というようなアイデアもありました。だから、妥協しないでブレずにやっていくことが大事だと思っています。
「火の鳥」=再生の物語
――『ファイアバード』つまり、火の鳥というタイトルをどのように解釈していますか? 不滅の愛の象徴でしょうか?
オレグ:映画にも登場するバレエのタイトルでもありますし、「魂の飛翔」を表現しているとも思っています。
トム:僕がこのプロジェクトに加わったときの仮のタイトルは、回想録と同じ「ロマンについての物語」でした。ただ、“ロマン”というとロマンスや都市のローマと誤解される可能性があるので、変更することになったのです。で、僕的な“火の鳥”の解釈と言えば、「再生」です。セルゲイもロマンも、ある意味一度、死んでまた再生するからです。セルゲイはもちろん、実際には命を落としていませんが、彼は「諦めて、また追いかける」ということですね。一度、愛を失っても、そこから再び立ち直り、自分の人生を歩みだすということです。
ロマンがバレエの『火の鳥』のリハーサルを観に、劇場へセルゲイを連れて行ったことで、セルゲイの“俳優”という夢に向かう情熱に火がつくわけですが、ロマンはセルゲイに情熱の火を灯すきっかけとなり、最終的にまた彼を立ち直らせるのです…。
――オレグ、ロマンはアフガン戦争に出征し命を落とします。彼は、この世ではかなえられない愛に絶望して、自ら戦地へ赴いたのでしょうか?
オレグ:ロマンからすると、これは「理想的な去り方」かもしれません。彼はセルゲイも(妻となった)ルイーザも、ある意味、破滅させてしまった。そして、それによって自分も傷を負ったのです。ただ、これは実話に基づいた物語です。とは言え、ロマンはすでに他界していますので、その真理は永遠に謎のままでもあります。
セルゲイはこの謎のため、本当に悩みました。でも、考えても答えは出ませんから…。なので、私個人としては、理想的な最期とは言えません。セルゲイとルイーザは、二人とも彼を愛していた。彼らは、もし自分と彼と一緒に生きられなくても、どこかで彼が生きているという希望が欲しかったのではないでしょうか。
単なる「同性愛者の不幸落ち」映画にしないために
――この作品を最初に拝観したとき、『ブロークバック・マウンテン』(2005年)からの影響を感じました。ただし、あの作品にあった重苦しさはなく、むしろ明るさと自由ささえ感じます。この約20年間でLGBTQ映画を取り巻く環境――製作側、観客側ともに変化があったと思いますか?
レバネ:『ブロークバック・マウンテン』がエストニアでプレミア上映されたときのことを、今でも覚えています。圧倒されました。まず、ハリウッドの映画会社がメジャーな俳優を使って、同性愛をテーマにした商業的な作品をつくり、それがアートハウスの劇場ではなく、シネコンで上映されたということに驚きました。
映画史において、“奇跡”とも言える大事件と言えるでしょう。これに関しては、アン・リー監督に感謝したいですね。本作における明るさについては、セルゲイ自身のキャラクターによるところも大きいと思います。
『ブロークバック・マウンテン』のヒース・レジャーが演じたイニスは、非常に重いものを抱えたキャラクターでしたが、セルゲイはもっと人懐っこくてオープンなタイプ。トムとともにモスクワに会いに行ったときも、レストランでウェイターにちょっかいを出したりと遊び心もある。そうした面を、映画中のキャラクターにも反映しました。またこの映画は、リアリズムを追求したり、社会問題を提起する目的でつくったわけではありませんでした。
19歳の田舎の少年が軍に入って、素敵なパイロットと出会うというときめきの気持ちをまず第一に描きたかったのです。もちろん、1970年代というソ連時代を舞台にした映画は、暗い陰鬱(いんうつ)な雰囲気の作品も多いのですが、私の友人の父親がナショナル・ジオグラフィックの写真家で彼が撮った当時のエストニアの写真を観ると、実は、今日よりもずっと色調がカラフルで、ファッショナブルですらあったのです。
観客ということで言えば、モスクワ国際映画祭で上映されたとき、ロシア人の方が「自分の子ども時代を思い出した」と言ってくれました。これは私にとって、一番の賛辞でした。
トム:『ブロークバック・マウンテン』を初めて観たとき、かなり重苦しいものを感じました。もちろん全てが上手くいかなかったという設定ですから、「辛さや苦しみが伴うのは自然」とは思いますが。本作はハッピーエンドではありませんが、「セルゲイがロマンとの出会いによってもたらされた、喜びに焦点を当てたい」と思いました。カラースキームも音楽にも、そのコンセプトが投影されています。ふたりで一緒にいる時間が楽しく美しいものであればあるほど、ふたりの関係が崩壊したときの衝撃も大きいですしね…。
個人的には、TVシリーズの『HEARTSTOPPER ハートストッパー』*³(2022年-)や映画『君の名前で僕を呼んで』(2017年)からの影響もあります。内なる葛藤を抱えながらも軽さや明るさは、とても今の若い世代には受け入れられやすいとも思います。
オレグ:この役を演じることが決まって、準備のために監督にオススメの本や映画をうかがって、『ブロークバック・マウンテン』と『君の名前で僕を呼んで』を観ました。
『ブロークバック・マウンテン』は、観て本当に気が滅入りましたね。「ゲイとして生きることは、全世界で否定されること」と思ってしまうほどでした。本作では、もっと軽やかでロマンチックに表現されていますが、それでも考えてみれば、本作の二人の関係は、『ブロークバック・マウンテン』の彼らより、もっと危険なのです。ソ連のシステムは、恐怖心を植えつけて服従させるというものです。
彼らの関係は、実際に危険そのものなのです。「そういったシステムの中でこそ、人と人との温かみが必要である」という真実が対比されるのです。これは、今日のウクライナにも言えることです。
*¹ Reuter
*² 軍内部で同性愛者であること、同性パートナーの存在が認められることは珍しい。現在でも、多くの国の軍は同性愛者を軍務から排除している。米国は同性愛者が入隊できるよう合衆国法典第10章第654条、通称「Don't Ask, Don't Tell規定」を定め、軍がセクシュアリティについて訊(たず)ねない代わりに、同性愛者であることを公言しないこと、パートナーがいてもいないことにする限り門戸を開くことに成功した。しかし、この規定もまた実質的に同性愛者だと判明した時点で除隊を迫るものであり、「差別的」と認知され撤廃されるのを2011年まで待たなければならなかった。[国立国会図書館調査及び立法考査局(2011.02)参考]
*³ Netflixシリーズ。男子高生2人の出会いを描く。LGBTQへの差別や偏見、いじめなど現実の問題を盛り込みながら幸福なBL(ボーイズラブ)ドラマとして成立させたことで人気を博している。
『Firebirdファイアバード』(劇場公開中)
監督・脚色:ペーテル・レバネ
共同脚色:トム・プライヤー、セルゲイ・フェティソフ
原作:セルゲイ・フェティソフ
出演:トム・プライヤー、オレグ・ザゴロドニー、ダイアナ・ポザルスカヤ
配給:リアリーライクフィルムズ
新宿ピカデリー他にて全国公開中
Edit: Keiichi Koyama