[目次]

▼ 全米初のポップ・フェスティバル

▼ ジャニス・ジョプリンの衝撃

▼ ジミヘンという発見

▼ 偉大な音楽フェスの残響

▼ 映画『モンタレー・ポップ』が復刻上映


1967年に開催。
全米初のポップ・フェスティバル

モンタレー国際ポップフェスティバルが開催された1967年6月は、カリフォルニアで「サマー・オブ・ラブ」と呼ばれるヒッピー・ムーブメントが最高に盛り上がった時代。その中心は、サンフランシスコのヘイト・アシュベリー地区でした。モンタレーはサンフランシスコから海岸線を車で2時間ほど南下した場所に位置する、太平洋に望む街です。モンタレーに音楽フェスティバルの開催を提案したのは、LAの音楽プロデューサーであるルー・アドラーと、当時大ヒットを連発していたママス&ザ・パパスのジョン・フィリップス*⁴です。

現在も残る「モンタレー・フェアグラウンド」の看板
Hidehiko Kuwata
現在も残る「モンタレー・フェアグラウンド」の看板。

モンタレーは以前から大規模なジャズ・フェスティバル(世界最古のジャズフェス)やフォーク・フェスティバルを開催しており、こういったイベントを開催する下地が整っていました。2人の提案は了承され、サマー・オブ・ラブの嵐が吹き荒れる中、アメリカ初となる大規模なポップ(ロック)フェスティバルが6月16日から18日までの3日間にわたって、モンタレーで開催されたのです。

ジャニス・ジョプリンの衝撃

ジャニス・ジョプリン
🄫2002 THE MONTEREY INTERNATIONAL POP FESTIVAL FOUNDATION, INC., AND PENNEBAKER HEGEDUS FILMS, INC. 🄫2017 JANUS FILMS
モンタレー国際ポップフェスティバルでの熱演でレコーディング契約をゲットしたジャニス・ジョプリン。

会場となったのは、「モンタレー・カウンティ・フェアグラウンド」という野外コンサート会場を擁する複合施設でした。フェスティバルのステージにはママス&ザ・パパス、ザ・バーズ*⁵、サイモン&ガーファンクル*⁶、ジェファーソン・エアプレイン*⁷、エリック・バートン&ジ・アニマルズ*⁸、ザ・フー*⁹など、すでに成功を手に入れているバンドに加えて、開催時にはパフォーマーとして未知数だったジャニス・ジョプリン*¹⁰、オーティス・レディング*¹¹、ジミ・ヘンドリクス*¹²などが登場しました。

当時、ジャニスの人気はまだサンフランシスコ周辺に限られており、オーティスはヒット曲もありある程度の成功を収めていました。ですが、依然として黒人聴衆の前でのパフォーマンスが中心で、白人マーケットにおいて商業的に成功するシンガーとは考えられていませんでした。前年に渡英していたジミは、ロンドンでの人気は高まっていましたが、母国アメリカでのジミ名義のパフォーマンスとしてはこのフェスティバルでのステージが事実上のデビューと言えます。

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ステージの横断幕には「Music, Love and Flowers」と記され、初日となる金曜日の夜はジョニー・リバース*¹³やエリック・バートン&ジ・アニマルズなどが出演しました。この夜のヘッドライナーはサイモン&ガーファンクルで、真夜中に登場して、ポール・サイモンのギター1本で素晴らしい演奏を披露しました。

翌日土曜日の午後、ジャニスはジョニー・リバースとともにステージに登場して圧巻の歌唱力を披露。独自の解釈で歌うブルース・スタンダード「ボール・アンド・チェイン*¹⁴」はじめ、ジャニスのエモーショナルかつ野生的なボーカルに会場はこのフェスティバル初の総立ちとなりました。

後に「フェスティバルの真の女王」と称されたステージは、ジャニス大躍進のきっかけとなり、まもなく評判はサンフランシスコ・ベイエリアから全米に広がっていきました。バンドはこのパフォーマンスを受けて、大手コロンビアとのレコーディング契約も獲得したのです。

オーティス・レディング
🄫2002 THE MONTEREY INTERNATIONAL POP FESTIVAL FOUNDATION, INC., AND PENNEBAKER HEGEDUS FILMS, INC. 🄫2017 JANUS FILMS
大多数を占めた白人観衆にも大好評を博したオーティス・レディング。

この日はヒュー・マサケラ*¹⁵やザ・バーズ、サンフランシスコで大人気のジャファーソン・エアプレイン*¹⁶などが出演し、土曜日の夜のヘッドライナーとして登場するのはオーティス・レディングです。フェスティバルにはメンフィスからブッカー・T&ザ・MG’s*¹⁷(オーティスのレコーディングをサポートしてきたバンド)も駆けつけました。

これはThird partyの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。

まずは彼らの演奏で会場を盛り上げ、続いてMCの紹介でオーティスがステージに登場して、熱量あふれる歌唱力で『Shake(邦題:シェイク』を披露します。モンタレーでは途中バラードの『愛しすぎて*¹⁸』を挟んで5曲を披露したオーティスですが、この夜の白人聴衆を前にした圧倒的なパフォーマンスは彼が黒人マーケットを飛び出し、人種の垣根を吹き飛ばして活躍できることを見事に証明したのです。

ブライアン・ジョーンズ
🄫2002 THE MONTEREY INTERNATIONAL POP FESTIVAL FOUNDATION, INC., AND PENNEBAKER HEGEDUS FILMS, INC. 🄫2017 JANUS FILMS
ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスを紹介したローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズ。

ジミヘンという発見

日曜日には、シタール奏者のラヴィ・シャンカール、バッファロー・スプリングフィールド、ザ・フー、グレイトフル・デッド、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスなどが出演しました。ヘッドライナーはママス&ザ・パパスです。ジミの前に演奏したザ・フーは、「マイ・ジェネレーション」の熱狂的なパフォーマンスに加えて、ギタリストのピート・タウンゼントはギターを打ち砕き、ネックをアンプやスピーカーに叩(たた)きつけて観客に衝撃を与えました。その余韻が残るなか、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズ*¹⁹の「今まで聴いた中で最もエキサイティングなギタリスト」というMCとともにステージ上にジミが登場します。

ジミ・ヘンドリックス
🄫2002 THE MONTEREY INTERNATIONAL POP FESTIVAL FOUNDATION, INC., AND PENNEBAKER HEGEDUS FILMS, INC. 🄫2017 JANUS FILMS
聴衆をぼうぜんとさせる圧巻のステージで、全米制覇の足がかりをつかんだジミ・ヘンドリックス。

モンタレーでのジミの演奏は、ソロ名義での大舞台デビューということもあり、大音量でありながらも冷静にコントロールされ、ワイルドな歌とギタープレイはともに抑制が利いています。

彼の映像は他にもいくつかありますが、モンタレーでのジミは目が輝いて若々しいルックスで、演奏も実に滑らかです。しかし演奏が進むにつれ、次第に熱を帯びてきてきます。ラストナンバーの「ワイルド・シング*²⁰」でジミは爆発します。陶酔したような表情で歌い、ギターはまるで武器のような扱いです。サイケデリックなフレーズをアクロバティックにプレイし、ステージアクションも大げさになっていきます。

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
Wild Thing (Live At Monterey)
Wild Thing (Live At Monterey) thumnail
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そして最後にはギターに馬乗りとなり、オイルライターのオイルをギターに振りかけマッチで火をつけるのです。立ち上がったジミはギターを振り回してアンプにたたき付けて壊し、残ったギターのネックを客席に放り投げてステージを去っていきます…。

偉大な音楽フェスの残響。
ドキュメンタリ―映像は
半永久的保存推奨作品に指定

『monterey pop モンタレー・ポップ』
🄫2002 THE MONTEREY INTERNATIONAL POP FESTIVAL FOUNDATION, INC., AND PENNEBAKER HEGEDUS FILMS, INC. 🄫2017 JANUS FILMS
『monterey pop モンタレー・ポップ』
🄫2002 THE MONTEREY INTERNATIONAL POP FESTIVAL FOUNDATION, INC., AND PENNEBAKER HEGEDUS FILMS, INC. 🄫2017 JANUS FILMS
『monterey pop モンタレー・ポップ』
🄫2002 THE MONTEREY INTERNATIONAL POP FESTIVAL FOUNDATION, INC., AND PENNEBAKER HEGEDUS FILMS, INC. 🄫2017 JANUS FILMS

モンタレー国際ポップフェスティバルの出演者は、当時のムーブメントの中心にいたアーティストばかりですが、ジャニス・ジョプリン、オーティス・レディング、ジミ・ヘンドリックスの3人は、まさにこのステージが自分たちのキャリアアップの分岐点となったのです。

人気・知名度ともに全米から世界に広がっていきました。しかし残念なことに3人は、頂点をつかみかけたときに命を落としてしまいます。モンタレーでの演奏から半年後にオーティスは飛行機事故で、ジミとジャニスは2年後に薬物の過剰摂取でこの世を去ります。

フェスティバルの模様は、ボブ・ディラン*²¹の『ドント・ルック・バック*²²』、デヴィッド・ボウイ*²³の『ジギー・スターダスト*²⁴』といったライブ・ドキュメンタリー映画を手がけたD.A.ペネベイカー*²⁵監督により16ミリフィルムで撮影され、1968年に映画『モンタレー・ポップ』として公開されました。このドキュメンタリー映画は、2018年にアメリカの国立フィルム保存委員会により「文化的、歴史的、また芸術的に重要」という理由で、半永久的保存推奨作品に登録されています。

映画『モンタレー・ポップ』が
高画質リマスターで復刻上映

『monterey pop モンタレー・ポップ』
🄫2002 THE MONTEREY INTERNATIONAL POP FESTIVAL FOUNDATION, INC., AND PENNEBAKER HEGEDUS FILMS, INC. 🄫2017 JANUS FILMS

そしてこのたび、映画『モンタレー・ポップ』はオリジナルの16mmフィルムから16bit4Kでスキャンされ、サウンドトラックは録音技師のエディ・クレイマー*²⁶により、オリジナルのアナログ8トラックテープから5.1サラウンドにリマスター、4Kレストア版の『モンタレー・ポップ』が誕生することに。そうしてこの歴史的なフェスティバルが、クリアな映像とサウンドで楽しめることになったのです。

2024年3月15日(金)渋谷シネクイント・立川シネマシティ他にて全国順次公開されます。興味のある人はぜひ、劇場へ足を運んでみてはいかがでしょう。

公式サイト

[脚注]

*1:Monterey Pop Festival 1967年6月16日から18日までの3日間、カリフォルニア州モントレーで開かれたロックがメインの野外コンサート。30組以上のミュージシャンが出演し、20万人以上の観客を動員。今日のフェスの源流と言われる。ちなみにニューヨーク州で開催されたWoodstock Music and Art Festival(ウッドストック・フェスティバル)はこのあと、1969年8月15日(金)から17日(日)までの3日間(正確には、8月15日午後から18日午前にかけての4日間になる)。

*2:Summer of Love1967年にカリフォルニア州サンフランシスコで起こったヒッピー文化のムーブメント。愛と平和を掲げ、物質主義や戦争に反対する若者たちが集まり、音楽や芸術、自由な生き方を追求した。この行動をあるメディアが「Summer of Love(愛の夏)」と呼びことで、その名がムーブメントの象徴になったと言われている。

*3:Lou Adler(1933年12月13日生~)ママス&ザ・パパスやキャロル・キングなど、多くの著名な音楽アーティストをプロデュースし、育成してきた。Rock & Roll Hall of Fameサイト内のページを参照

*4:John Phillips(1935年8月30日生~2001年3月18日没)ママス&ザ・パパス(The Mamas & the Papas)のメンバー。このフェスティバルのプロモーション用に『San Francisco (Be Sure to Wear Flowers in Your Hair)』を書きヒットした。

*5:The Byrds(活動期間 1964年~1973年)アメリカのロックバンド。1964年にロサンゼルスでロジャー・マッギン、ジーン・クラーク、デヴィッド・クロスビーによって結成され、その後すぐにベーシストのクリス・ヒルマンと、ドラマーのマイケル・クラークが加入。ソニーミュージック公式サイト内のページを参照

*6:Simon & Garfunkel(活動期間 1964年~1970年※その後は継続的に再結成を繰り返す) ソニーミュージック公式サイト内のページを参照

*7:Jefferson Airplane(活動期間 1965年~1973年、1989年~1990年) ソニーミュージック公式サイト内のページを参照

*8:ERIC BURDON & THE ANIMALS(活動期間 1963年~1969年、1975年~1976年、1983年~1984年)公式サイトを参照

*9:The Who(活動期間 1964年~1983年※1985年以降、再結成を繰り返す)公式サイトを参照

*10:Janis Joplin(1943年1月19日生~1970年10月4日没)1960年代後半のアメリカにおけるカウンター・カルチャー時代を象徴する破滅型ロック・シンガー。「27クラブ」のメンバー。公式サイトを参照

*11:Otis Ray Redding Jr.(1941年9月9日生~1967年12月10日没)ソウルミュージック界に多大な影響を与えたアメリカのシンガーソングライター。パワフルな歌声と、情熱的なパフォーマンスで知られている。26歳という若さで、飛行機事故で亡くなった。ワーナーミュージック公式サイト内のページを参照

*12:Jimi Hendrix(1942年11月27日生~1970年9月18日没) 20世紀を代表する伝説的なロックギタリスト。左利きながらギターを逆さに持ち、独創的な演奏スタイルと圧倒的な表現力でロックギターの可能性を大きく広げた。彼もまた「27クラブ」のメンバー。公式サイトを参照

*13:Johnny Rivers(1942年11月7日生~)ロックンロール、ポップ、カントリーなどさmざまなジャンルを横断したアメリカのシンガーソングライターであり、パワフルなボーカルとギター演奏で知られている。公式サイトを参照

*14:『Ball & Chain』 ブルース歌手であるビッグ・ママ・ソーントン(Big Mama Thornton / 1926年12月11日生~1984年7月25日没)が書き、自ら吹き込んだ楽曲。これを後にジャニス・ジョプリンが演奏することで大人気に。Spotifyで聴く

*15:Hugh Masekela(1939年4月4日生~2018年1月23日没) 南アフリカ連邦出身のトランペット、フリューゲルホーン、コルネット奏者、そして作曲家であり歌手でもある。

*16:Jefferson Airplane(活動期間 1965年~1973年、1989年~1990年)ソニーミュージック公式サイト内のページを参照

*17:Booker T. & the M.G.'s(活動期間 1962年~1971年、1977年、1992年~2021年)ワーナーミュージック公式サイト内のページを参照

*18:『I’ve Been Loving You Too Long』オーティス・レディングとジェリー・バトラー(Jerry Butler)という、共にロックの殿堂入りを果たしている2人によって書かれたバラード。1965年にリリースされたアルバム「Otis Blue/Otis Redding Sings Soul(邦題:オーティス・ブルー)」から先行発売となったシングル。アルバムも米国R&Bチャートにおいて1位も記録しいるSpotifyで聴く

*19:Brian Jones(1942年2月28日生~1969年7月3日没)イギリスを代表するロックバンドである「ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)」の創始者であり初代リーダー。「27クラブ」の嚆矢(こうし:物事のはじめ)とされる。

*20:『Wild Thing』オリジナルは、ニューヨークでナイトクラブのハウスバンドとなっていた「ザ・ワイルド・ワンズ(The Wild Ones:日本の同名バンドとは別)が1965年11月に発表。1966年にイギリスのグループ「トロッグス(THE TROGGS)」がカバーし全米チャート1位を記録する。その曲を「モントレー・ポップ・フェスティバル」でジミ・ヘンドリックスが演奏し、その途中で「ギター燃やし」のパフォーマンスを行ったことで世界的に歴史的にも有名となる。ちなみに邦題は『恋はワイルド・シング』。

*21:Bob Dylan(1941年5月24日生~)公式サイトを参照

*22:『Dont Look Back』(1967年製作)若き日のボブ・ディランの姿を収めた音楽ドキュメンタリー。「時代は変る」「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」をリリースし、アコースティックからエレクトリックへの転換期を迎えたディランが1965年に行ったイギリスツアーを追い、当時の世界の空気を映し出す。IMDbのページを参照

*23:David Bowie(1947年1月8日生~2016年1月10日没)グラムロックの先駆者として台頭し、ポピュラー音楽の分野で世界的名声を得た。役者の世界にも進出し、数々の受賞実績を持つマルチ・アーティスト。公式サイトを参照

*24:『ZIGGY STARDUST AND THE SPIDERS FROM MARS』(1973年製作)1972年2月から翌年7月にかけて、「5 年後に滅びようとする地球の救世主ジギー・スターダスト」という物語を引っ提げて25歳のボウイは、クィーン・エリザベスII世号に乗船しイギリス、アメリカ、日本を巡る1年半の長期ツアーを決行。そして1973年7月3日にロンドンのハマースミス・オデオン劇場での最終公演を行い、華やかで妖しいグラム・ロックの寵児ボウイはコンサートの最後で、突然自らグラム・ロックを葬り去る、そんな物語。ちなみに衣装は、1971年に日本人として初めてロンドンでコレクションを行った当時27歳の山本寛斎。劇場用予告編を参照

*25:Donn Alan Pennebaker1925年7月15日生~2019年8月1日没)アメリカのドキュメンタリー映画監督。ダイレクト・シネマ/シネマベリテの先駆者として、ボブ・ディランやジョン・レノン、デヴィッド・ボウイなど、音楽史に残るアーティストたちの姿を記録した作品で知られる。音楽ドキュメンタリーの巨匠であり、2012年にはアカデミー名誉賞を受賞。公式サイトを参照

*26:Eddie Kramer(1942年4月19日生~音楽業界で広く尊敬を受けているレコーディングエンジニアおよびプロデューサー。南アフリカ・ケープタウンに生まれ、19歳のときにイングランドに移住。ジミ・ヘンドリックス、レッド・ツェッペリン、キッス、ザ・ビートルズ、ローリング・ストーンズ、エリック・クラプトンなど、数多くの伝説的なアーティストやバンドのレコーディングに携わってきた。Studio Expresso公式サイト内の紹介ページを参照

Edit / Ryutaro Hayashi