写真家でありミュージシャンでもあるヘンリー・ディルツさんは、1960年代中期から70年代にかけて、多くの著名なアーティストたちを撮影してきました。写真家としての初期のキャリアでは、ローレル・キャニオンにゆかりのあるアーティストたちのレコードアルバムのジャケット写真を数多く残しています。

クロスビー、スティルス&ナッシュ(CS&N)、ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、ジェイムス・テイラー、イーグルスなど、ディルツのシンプルな写真の数々は、いつでもアーティストの素顔を捉えています。約80万枚に及ぶ膨大な写真の中には、音楽史上における重要なシーンを切り取ったスナップが山のようにあります。

私は人にとても興味があり、その人生を捉えて写真に収めたかった。それが私の写真だからね
―ヘンリー・ディルツ―
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ディルツさんが撮影したジャケットの数々。アナログ盤時代のアルバムジャケットは80枚ほど、CDジャケットを含めるとおよそ200枚に上ります。

今回の連載を終えるにあたり、当時のローレル・キャニオンの様子をよく知るディルツさんにお話をうかがうことにしました。ファインダー越しに多くのアーティストと当時の渓谷を眺めていたディルツさんほど、適任者はいないはずです。2022年6月、ローレル・キャニオン通りを下り切ったバレーの町、ウッドランド・ヒルにある自宅兼アトリエを訪ねました。前後編に分けてお届けします。


 
Hidehiko Kuwata
ウッドランド・ヒルの自宅の裏庭でインタビューに答えるヘンリー・ディルツさん。
写真家として活動するようになった経緯を教えてください。

ヘンリー・ディルツ(以下ディルツ):写真家になるつもりはありませんでした。もともとはフォークシンガーでしたね。1960年代の中頃は、モダン・フォーク・カルテットというバンドでツアーをやっていましたよ。そのとき、ツアーで訪れたミシガン州の町で偶然セカンドハンドのお店に立ち寄ったんです。そこには中古カメラもテーブルいっぱいに並んでいて、バンドメンバーの一人がそのカメラを買ったんです。そこでついでに、私も買ったのが全ての始まりです。

その中古カメラを使って、自分たちのツアーの様子を写真に撮りました。そしてロサンゼルスに帰ってフィルムを現像し、メンバーたちを集めてスライドショーを開いたんです。これがすごく楽しくてね。旅先で仲間たちと共有した日々が3メートルのスクリーンに映し出されて、しかも驚くほど色鮮やかに映っていました。そこで私は決めたんです、「もっと写真を撮って、酔っぱらったヒッピー仲間とまたスライドショーをやるぞ」ってね。それが写真を撮り続けるきっかけとなりました。

 
Michael Ochs Archives//Getty Images
1964年当時のモダン・フォーク・カルテット。写真右端、メガネをかけた男性がディルツさん。
その頃には、もうローレルキャニオンで暮らしていたのですか?

ディルツ:そうです。デヴィッド・クロスビー、スティーブン・スティルス、ママ・キャスといったミュージシャンたちもローレル・キャニオンに住んでいて、彼らとは毎日のように会っていました。昼間はママ・キャスの家のプールで遊んで、夜は皆でナイトクラブの「トルバドゥール」に繰り出していましたね。私はいつもカメラを持ち歩いて、彼らをどこかで見かけると写真を撮っていたんです。週末のスライドショーで、仲間に見せるためにね…。

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Hidehiko Kuwata
名門クラブ「トルバドゥール」。ローレル・キャニオンで暮らすミュージシャンたちは、夜になると渓谷を降り、このクラブでたむろしていました。

当時はまだ写真の仕事はしていなかったので、彼らも私を”カメラを持った友人”として接してくれました。だから、お外行きのポーズを取っていない、彼らのありのままの姿が撮れたのでしょうね。スライドを見せたときに、「君に写真を撮られていたなんて気づかなかったよ」って言われるとうれしい気分になったもんです。写真を仕事にしてからも、ずっとこの撮影スタイルを続けてきました。

ご自身がミュージシャンであったこと、そして”カメラを持った友人”であったことは大きな力になったでしょうね。

ディルツ:それは間違いないですね。自分がミュージシャンでありながらフォトグラファーでもあるという利点は、彼らとの付き合い方を知っているということだと思います。ツアー中、バックステージでもオフのときでも、私はただそこにいて撮影の瞬間が訪れるまで、ぶらぶらして待っているだけなんです。「じゃ、そこに立って、ポーズして」なんて指示は出しません。そこで起きていることを記録しながら、彼らの自然な素顔を捉える。半分くらいは仕事じゃないですね。誰かに雇われているわけでもなかったし。ただ彼らと一緒に遊んで、写真を撮っていました。

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Hidehiko Kuwata
ローレル・キャニオンのルックアウトマウンテン通り8777番地にあるディルツさんが暮らした家。
何がきっかけで、プロの写真家としての仕事を始めたのですか?

ディルツ:ある日、スティーブン・スティルスに誘われてレドンドビーチのスタジオに行ったんです。中に入ると、バッファロー・スプリングフィールドのメンバーたちがリハーサルをやっていました。私はスライドショーで使うビーチの写真を撮りたかったので、スタジオを出てビーチに行って…。しばらくしてスタジオに帰ってくると、建物の裏手に大きなカラフルな壁画が見えたんです。それがすごく気に入ったので撮影していたら、リハーサルを終えたメンバーたちが出てきました。それで彼らに壁画の前に立ってもらって撮影したんです。彼らが写真に入ってくれると、壁画の大きさが分かりますからね。

その後、しばらく経ってから連絡が来て、「バッファロー・スプリングフィールドのインタビュー記事が雑誌に載るので、100ドル払うから壁画の前で撮影したあの写真を使いたい」って言ってきたんです。これが仕事として写真を撮るようになったきっかけですね。当時私はミュージシャンとして稼いでいたお金の大半を、フィルム代や現像代に使っていたので、これは助かったと思いましたね。

その後はどのように、写真家としての仕事は発展していったのですか?

ディルツ:その雑誌が、「今度はモンキーズを撮影してくれないか」と言ってきたんです。彼らもローレル・キャニオンで暮らしていましたからね。その後、パートリッジファミリーの撮影の依頼も来て、デヴィッド・キャシディと仲良くなったので、その後は彼のカメラマンとして2、3年一緒に世界中を回りました。あれは楽しい経験でしたね。

数多くのアルバムジャケットの撮影を手掛けてきましたが、特に印象に残っている作品は?

ディルツ:一つに絞るのは難しいけど、CS&Nのデビューアルバムはよく覚えています。その日は、彼らと一緒にウエスト・ロサンゼルスのあちこちで宣伝用の写真を撮っていました。アンティークの服を着て店の中で撮ったり、ガレージで撮ったりしてね。そうやって撮影しているうちに、あのジャケットに映っている古い家を見つけたんですよ。

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Courtesy Atlantic
ヘンリー・ディルツのジャケット写真の中でも有名な、ベストセラーを記録したCS&Nのデビューアルバム。

なんと言っても、この古いソファーが気に入りました。彼らに座ってもらって撮影したんですが、座る順番を間違えてCS&Nではなく、NS&Cになってしまってね(笑)。翌日、撮り直すために彼らと一緒にこの家に行ったら、なんともう壊されていたんです。だからNS&Cのままになっているんですね。たくさん撮った中から、相棒でもあるデザイナーのゲイリー・バードンがこの写真を選んでうまくトリミングしてくれました。彼は素晴らしいアートディレクターですよ。

イーグルスのデビューアルバムと次の「デスペラード(邦題:ならず者)」の撮影も、ディルツさんによるものですよね。

ディルツ:イーグルスのデビューアルバムのジャケット撮影のときは、彼らと一緒にジョシュア・ツリーに行って、砂漠で一晩過ごしました。あれはちょっとした冒険でしたね。同じ年に「デスペラード」の撮影がありました。サンタモニカ・マウンテンにあった「パラマウント・ランチ」っていう古い西部劇の町を再現したスタジオに行って、2〜3、日カウボーイの真似事をしながら撮影しましたね。

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Courtesy
カリフォルニア州南東部に位置するジョシュア・ツリーでジャケット撮影が行われたイーグルスのデビュー作。
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Courtesy
有名なパラマウント・ランチで撮影されたイーグルスの2ndアルバム「デスペラード」

ハリウッドの有名な古着店でカウボーイの服を調達して、撮影で撃ちまくるための空包もたっぷり用意してパラマウント・ランチに行きました。ムービーも撮影することになっていましたからね。

イーグルスのメンバーだけでなく、ジャクソン・ブラウンとJ.D.サウザーも参加していました。私はスタジオ撮影ではなく、こういった”冒険”のような撮影が好きでしてね。単なる写真ではなく、時間や冒険の記憶をアピールできる方法をいつも考えていたんです。

でも、この撮影には予算が結構かかったので、撮影に立ち会っていた音楽プロデューサーのデヴィッド・ゲフィンの機嫌の悪い顔が忘れられません…。ごめんね、デヴィッド(笑)。

 
Henry Diltz//Getty Images
パラマウント・ランチで行われたイーグルスの撮影。
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Hidehiko Kuwata
イーグルスの撮影に使ったパラマウント・ランチは、残念なことに2018年の山火事で消失してしまいました。

次回も引き続き、ディルツさんに当時のことについてお話をうかがっていきます。

*連載最終回「ローレル・キャニオンの記憶|7_ヘンリー・ディルツが写した渓谷[後編]」へ続きます*

Interview Coordinate / Kaz Sakamoto, Mutsumi Mae