1965年、ロジャー・マッギン(当時はジム・マッギン)、ジーン・クラーク、デヴィッド・クロスビー、マイケル・クラーク、クリス・ヒルマンの5人からなるザ・バーズ(The Byrds)のデビュー・シングル『ミスター・タンブリン・マン』がリリースされました。作詞・作曲はボブ・ディラン。当時のザ・バーズは、全員がフォークソングのジャンルで活動していたアーティストたちです。

ビートルズの『ハード・デイズ・ナイト』を観て確信したんだ。フォークからロックへの転換点はその時さ
― デヴィッド・クロスビー ―
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Stanley Bielecki/ASP//Getty Images
1965年にロンドンで撮影されたザ・バーズ。左から2人目が当時24歳のデヴィッド・クロスビー。

しかし、このシングル盤に収録された演奏はロジャー・マッギンの奏でる、エレクトリック12弦ギターの印象的なコードワークで始まる斬新なロック・サウンドでした。それはディランの知的で奥深い歌詞とともにロックのバックビートを融合させたハイブリットなサウンドとなり、瞬く間に米英のシングルチャートを駆け上り見事1位を獲得します。

この結果生まれたのが「フォークロック」という名称で、以後のローレル・キャニオンで生まれるサウンドの原点となりました。そして1970年代に大きく花開くウエストコースト・サウンドへとつながっていくのです。


|ナイトクラブ「トルバドゥール」のマイクを求めて

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Hidehiko Kuwata
ビバリーヒルズのウエストハリウッドの境界線のサンタモニカ通り、9081番地にある名門クラブ「トルバドゥール」。世界中のアーティストたちのL.A.デビューの場所にもなりました。エルトン・ジョンのアメリカデビューも、このクラブでした。

ザ・バーズが結成されたのは1964年のこと。バンド結成以前のメンバーたちは、ロックンロールよりもフォークやルーツ・ミュージックのバックグラウンドを備えていました。 ロジャー・マッギンはソロのフォークシンガー、ジーン・クラークはシンガーソングライターを目指し、デヴィッド・クロスビーは歌よりもリズムギターが専門。そしてベースのクリス・ヒルマンは、当時フォークよりもブルーグラス(スコッチ・アイリッシュの伝承音楽をベースとしたアコースティックミュージック)に傾倒していたのです。

そんな彼らが出会った場所が、1960年後半から70年代前半にかけてロサンゼルスのミュージックシーンの登竜門として世界的に名を馳せたナイトクラブ、「トルバドゥール(Troubadour)」です。

THE BYRDS 1967 - So You Want To Be A Rock n Roll Star

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THE BYRDS 1967 - So You Want To Be A Rock n Roll Star
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トルバドゥールは1957年にダグ・ウェストン氏によって、ビバリーヒルズに近いラ・シェネガ通りにコーヒーハウスとして開業し、すぐに現在の場所へと移転しました。ザ・バーズだけでなく、キャロル・キング、ジェームズ・テイラー、ジャクソン・ブラウン、ジョニ・ミッチェル、イーグルス、ヴァン・モリソン、リンダ・ロンシュタット、トム・ウェイツなど、1960年代半ば~70年代に大成功を収めたアーティストたちは、トルバドゥールで演奏することで名声を確立する足がかりをつくってきました。

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Richard Weize//Getty Images
1968年、ストーン・ポニーズ時代のリンダ・ロンシュタット。アリゾナ州の高校でライブを行った際の1枚。翌年正式にソロデビューし、グラミー賞も獲得するなど70年代から80年代にかけて大きな飛躍を遂げることに。

中でも、ローレル・キャニオンのシンガーソングライター志願者の誰もがトライしたのが、トルバドゥールで月曜日の夜開催される「フートナイト」です。オープンマイクで誰でもステージで演奏でき、ここで良い演奏をすれば間違いなくロサンゼルスでの評価が上がりました。上記のアーティストたちの多くも、デビューのきっかけはフートナイトへの出演です。後にロックの殿堂入りを果たしたリンダ・ロンシュタットも、フートナイトに登場して多くのファンを掴んだと言います。

ザ・バーズやリンダをはじめ、ローレル・キャニオンで暮らすミュージシャンたちは、昼間はお互いの家を行き来し、セッションや曲づくりに励み、夜になると渓谷から街に降りてきて、ライブやパーティ、友人たちとの交流など、そういった彼らの社交の場の中心となったのもまたトルバドゥールでした。

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Hidehiko Kuwata
現在のローレル・キャニオンの遠景。

|ザ・バーズの憂鬱とデヴィッド・クロスビーの飛躍

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GAB Archive//Getty Images
1966年公開のコンサート映画『The Big T.N.T. Show』に出演したザ・バーズ。この作品には米英の人気ミュージシャンが多数出演し、ロジャー・ミラーやレイ・チャールズ、ジョーン・バエズらの名前も。

1965年のザ・バーズの大成功により、フォークロックというジャンルは一般のリスナーだけではなく、ロサンゼルスのロックビジネスの世界にも刺激を与えました。そうしてフォークロックのコミュニティにいた多くのアーティストたちが、ローレル・キャニオンへと引っ越してくるのです。その噂は全米に広がり、アーティストだけではなく熱烈なファンまで訪ねて来るようになります。そんな彼らはサンセット・ストリップからヒッチハイクをし、小さなマーケット兼デリカテッセンである「キャニオン・カントリー・ストア」を目指してやって来ます。

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Hidehiko Kuwata
1960年代後半にはミュージシャンたちの家を探して多くのファンがヒッチハイクでやってきた「キャニオン・カントリー・ストア」。ローカルな雰囲気に癒されます。

冒頭で紹介した楽曲『ミスター・タンブリン・マン』がヒットしたとき、デヴィッド・クロスビーはローレル・キャニオンの住人だった知人の地下室で暮らしていました。そんな中、突然転がり込んできた大金でグリーンのポルシェを手に入れます。クリス・ヒルマンはトライアンフのバイク「ボンネビル」を、作曲を手がけたジーン・クラークは出版印税も加わり莫大な金を得ますが、そのほとんどをフェラーリに注ぎ込みました。同年6月にリリースした同名のファーストアルバムも全米アルバムチャートの6位まで駆け上がり、ザ・バーズは大金を稼いだ最初のアメリカンバンドの一つになったのです。

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Hidehiko Kuwata
ザ・バーズもよく出演していた、サンセット通り8901番地にあるクラブ「ウィスキー・ア・ゴー・ゴー」。クロスビーはここでドアーズを観たとき、ジム・モリソンと激しい口論を繰り広げ犬猿の仲に…。

The Byrds - He Was a Friend of Mine - Live at Monterey 1967

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このように、幸先のいいスタートを切ったかに見えたザ・バーズですが、1966年には印税などの取り分の揉めごとがきっかけでジーン・クラークが脱退。翌67年には、ロジャー・マッギンとのリーダーシップについての確執が生じます。そして、この年出演した「モンタレー・ポップ・フェスティバル」のステージ上での発言(ジョン・F・ケネディ元大統領暗殺についての陰謀論を説いた)などの問題により、デヴィッド・クロスビーは解雇されてしまいます。

しかしデヴィッドは、ローレル・キャニオンに暮らすキャス・エリオットやジョニ・ミッチェルなどの音楽仲間同士のつながりによって、前回ご紹介したクロスビー、スティルス&ナッシュの結成。そして、大成功というさらなる飛躍を遂げるのでした。まさにここから、ローレル・キャニオンの音楽コミュニティが大きな果実を収穫し始めるのです。

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Jim McCrary//Getty Images
1971年1月、アルバム『タペストリー』をレコーディング中にジェイムス・テイラーと談笑するキャロル・キング(左)。中央はロサンゼルスの音楽業界で敏腕プロデューサーとして活躍したルー・アドラー 。
 
Sulfiati Magnuson//Getty Images
ジョニ・ミッチェルの才能を誰よりも認めていたデヴィッド・クロスビー。共鳴し合う才能は、短期間ながら二人を親密な間柄に。ちなみにジョニの「That Song About The Midway」は、二人の別れをつづった曲とされています。

1968年に入ると、何かに引きつけられるかのようにローレル・キャニオンには才能あるアーティストが多く移り住んできます。すでにヒットメーカーとしての実績を持つキャロル・キングは離婚して、娘を連れてやって来ました。有名なログキャビンで大騒ぎをするフランク・ザッパ、デビュー前にもかかわらず多くの人たちを魅了していたジョニ・ミッチェルなど、まもなくローレル・キャニオンの代名詞になるようなアーティストが渓谷に集結します。

同時にこの素晴らしい才能を見事に世界に送り出し、ロサンゼルスの音楽ビジネスを巨大化させるデヴィッド・ゲフィンやエリオット・ロバーツといった切れ味鋭いビジネスを得意とするヒッピー・エグゼクティブも、ここの住人に加わることになります。

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Hidehiko Kuwata
8815 Appian Wayに現在も残る、キャロル・キングが暮らした家。ここで暮らしていたときに発表したアルバム『タペストリー』と『ミュージック』は、彼女の代表作となりました。

それでは次回は、「カリフォルニア・ドリーミン(邦題:夢のカリフォルニア)」で華々しいデビューを飾ったママス&ザ・パパスのキャス・エリオットを中心に紹介します。

*連載3回目「ローレル・キャニオンの記憶|3_渓谷のビッグママ、キャス・エリオット」へ続きます*