カリフォルニア州ロサンゼルスのハリウッド・ヒルズに位置する「ローレル・キャニオン」。この地は1960年代後半から1970年代前半にかけて、ロサンゼルスにおけるカウンターカルチャーの拠点となり、ウエストコースト・サウンド(カリフォルニア・サウンド)の聖地として現在も崇められています。

 
ジム・モリソン(右上)、フランク・ザッパ(右中央上)、ジャクソン・ブラウン(右中央下)、リンダ・ロンシュタット(右下)、ジョニ・ミッチェル[左]とキャス・エリオット[右](左上)、クロスビー・スティルス&ナッシュ(左中央上)、キャロル・キング(左中央下)、イーグルス(左下)。

キャス・エリオット(ママス・アンド・ザ・パパス)、フランク・ザッパ、ジム・モリソン(ドアーズ)、ジョニ・ミッチェル、クロスビー・スティルス&ナッシュ、キャロル・キング、ジェイムス・テイラー…。1970年代に入ると、ジャクソン・ブラウン、リンダ・ロンシュタット、グレン・フライとドン・ヘンリー(イーグルス)…。ローレル・キャニオンで暮らし、ウエストコースト・サウンドの黄金時代を彩ったミュージシャンの名を挙げれば、枚挙に暇がありません。

多くの才能たちが濃密な時を過ごし、わずか数年という短期間の間に数多のムーブメントが巻き起こり、そして儚(はかな)く消えていったローレル・キャニオンという神話。そんな奇跡のような瞬間の舞台となったローレル・キャニオンを巡ります。


|ハリウッドの北西。そこは深い緑に包まれた渓谷

laurel canyon, hollywood hills skyline
Halos Inc//Getty Images

ハリウッドとビバリーヒルズを結ぶサンセット大通りの一角で、ひと際きらびやかな光を放つエリア「サンセットストリップ」。クラブやライブハウスなどがひしめき合う、この西海岸有数のナイトスポットから車で10分ほど行けば、コヨーテやフクロウのいる静粛で深い緑に包まれた渓谷「ローレル・キャニオン」にたどり着きます。渓谷の中心を走るのはローレル・キャニオン通り。ウエストハリウッドとサンフェルナンドバレー東部を、南北に結んでいます。

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American Stock Archive//Getty Images
1913年のローレル・キャニオンの様子。住宅はほとんど見当たらず、のどかな風景が広がっています。

ローレル・キャニオンは、もともとは草木が荒れ放題となった荒野でした。1910年代に入り、映画会社による撮影所がハリウッドに次々と開設され始めます。映画の都の覇権が東海岸から西海岸へ移行するのに合わせるかのように、宅地開発業者が渓谷内のルックアウトマウンテンに別荘地の建設に着手します。そうして第一次世界大戦後は多くの映画スターが暮らすようになり、栄華の時を迎えるのでした。

ところが、徐々に街の治安は悪化。街は衰退の一途をたどることになります。ならず者が巣くう不安定なエリアという色を強めていきますが、ハリウッド至近な上に安価な家賃も手伝って、売れない俳優や映画関係者、若手芸術家なども多く住み着き始めます。そして1960年代に入ると、ローレル・キャニオンはロサンゼルスにおけるカウンターカルチャーの中心地となり、多くのミュージシャンたちが移住してくるようになります。

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Hidehiko Kuwata
ローレル・キャニオン通りとカークウッドの交差点にある「キャニオン・カントリー・ストア」。
  
Courtesy
1960年代後半の店舗の写真を撮影したもの。左手にお店の看板が見えます。

ローレル・キャニオン通りとカークウッドの交差点に現在も残るのが、「キャニオン・カントリー・ストア」です。1930年頃から、現在のようなマーケットとして営業しています。この小さなマーケット兼デリカテッセンは周辺で暮らすミュージシャンたち御用達の店になり、次第に彼らの集まりにも使われるようになりました。ママス・アンド・ザ・パパスのキャス・エリオットは、一時期店の地下室で暮らしていたとのこと。

1960年代中頃になると、ドアーズのフロントマンであるジム・モリソンと長年のパートナーのパメラ・クーソンは、キャニオン・カントリー・ストアの裏手にあるブーゲンビリアに覆われた家に引っ越してきた、と言われています。

ジムは近所に暮らすジョニ・ミッチェルやフランク・ザッパらと、中庭でよくジャムセッションを繰り広げたのこと。ちなみにジムとパメラの大喧嘩は、今も語り草になっていて、キャニオン・カントリー・ストアにたむろしているミュージシャンたちは、ジムの本や服をパメラが2階の窓から外に放り投げるのをぽか~んと眺めていたと言います。

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Hidehiko Kuwata
キャニオン・カントリー・ストアの裏に現在も残る、ドアーズのジム・モリソンとパメラ・クーソンが暮らした家。
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Hidehiko Kuwata
キャニオン・カントリー・ストアの側壁には、「Love Street」マーカーが設置されています。

ジムはドアーズの「Love Street」という曲に、キャニオン・カントリー・ストアを登場させて、このように表現しています。

「君はラブ・ストリートに住んでいるんだね。そこには奴らが集う店があるね。そこでアイツらは何をしているんだろうね? 夏の日曜日は特にそうだけど、1年ぐらいは今のところうまくいくと思うよ」と、ジムはナレーションのように歌っています。

The Doors - Love Street

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The Doors - Love Street
The Doors - Love Street thumnail
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この曲のおかげでキャニオン・カントリー・ストアは一躍有名になり、世界中のスターたちがこの小さなお店を訪れるようになります。ミック・ジャガーはイングリッシュ・キットカットを、デヴィッド・ボウイはお気に入りのキャドバリー・チョコレートバー・フレークを何度も買いにきていました。

|1968年、ローレル・キャニオンの夏

 
Robert Altman//Getty Images
1969年、Big Sur Folk Festival(ビッグ・サー・フォーク・フェスティバル)で演奏するクロスビー・スティルス&ナッシュ。翌年にはウッドストック・フェスティバルへ参加、1970年にはアルバム『デジャ・ヴ』で爆発的ヒットを記録することになります。

イギリスのポップグループ、ホリーズからの脱退を決心したグラハム・ナッシュ。L.Aを代表するバンドでありながら解散してしまったバッファロー・スプリングフィールドのスティーヴン・スティルス。ヒット作を連発していたザ・バーズを解雇されたデヴィッド・クロスビー。1968年の夏、この3人がローレル・キャニオンのルックアウト・マウンテンにあるコテージに集まりました。

コテージの住人は、最近東海岸から移住してきたばかりのカナダ人シンガーソングライターのジョニ・ミッチェルです。

3人は半年ほど前に、ウィンドロー・ウィルソン・ドライブにあるキャス・エリオット(ママス・アンド・ザ・パパス)の邸宅(かつては女優のナタリー・ウッドが所有していた)で顔を合わせ、軽く声を出してハーモニーを楽しみ、いい手応えを感じていました。

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Hidehiko Kuwata
スティーヴン・スティルス、デヴィッド・クロスビー、グラハム・ナッシュがCS&N(Crosby Stills & Nash=クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング)の結成を決めた、ルックアウト・マウンテンにあるジョニ・ミッチェルのコテージ。
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Sulfiati Magnuson//Getty Images
1967年、ファーストアルバム『ソング・トゥー・ア・シーガル』のレコーディングに臨むジョニ・ミッチェル。
ローレル・キャニオンでは、面白い男たちを引き合わせるキッカケになれたのかもしれないわね
―ジョニ・ミッチェル―”

ジョニのコテージのカウチに腰を下ろしたスティルスは、ギターを爪弾きながら自作の『You Don't Have to Cry』を歌い始めると、クロスビーがすかさずハーモニーをつけます。それを聴いていたナッシュは「もう一度歌ってほしい」と頼み、2人は再び歌い始めました。そして3回目、今度はナッシュが即興で高音部のハーモニーをつけます。

歌い終わった3人は、自分たちが自然に生み出したスペシャルな響きに無言で顔を見合わせます。この瞬間のことをジョニは、「自分たちのハーモニーがユニークで素晴らしいものだと実感できたようで、彼らは私のコテージで興奮して大喜びの様子でした」と振り返っています。

そして、この即興のセッションで彼らは世界的に大ヒットとなる名盤を録音することになるのです。これが、フォークロック界のスーパーグループとして大人気となるCS&N(Crosby Stills & Nash=クロスビー・スティルス&ナッシュ)の誕生の瞬間です。翌1965年5月、彼らはデビューアルバム『クロスビー、スティルス&ナッシュ』発表し、一気にスターダムを駆け上がります。

Crosby, Stills & Nash - You Don't Have to Cry

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You Don't Have to Cry (2005 Remaster)
You Don't Have to Cry (2005 Remaster) thumnail
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Crosby, Stills & Nash - Suite: Judy Blue Eyes

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好調なセールス、ウッドストック・ミュージック・フェスティバルでの印象的なステージ。CS&Nの活躍は後続のシンガーソングライターたちに大きな道を切り開くこととなりました。それまではフォーク、ロック、カントリーのハイブリッド・サウンドとして立ち位置を定めつつあったウエストコースト・サウンドを大きく前進させ、ローレル・キャニオン文化の黄金時代が幕を開けます。

その後、この地で暮らすシンガーソングライターたちは、数多くの画期的なヒット曲を生み出し、世界中のポップカルチャーの地図を大きく塗り替えていくこととなるのです。

それでは次回からは、時代をさかのぼりながら、ローレル・キャニオンの住人たちがつくり上げた音楽と、その渓谷で繰り広げられたクレイジーかつボヘミアンな暮らしぶりを紹介していきます。

*連載2回目「ローレル・キャニオンの記憶|2_トルバドゥールのオープンマイク」へ続きます*