中村ヒロキが語る、ゴローズ

ファッションブランド「visvim(ビズビム)」を展開するキュビズムの代表であり、同時にビズビムのクリエイティブディレクターでもある中村ヒロキさんが、みずから手がけるもの以外のブランドについて話したことは、これまであっただろうか? 自身のものづくり、生き方に多大な影響を与えてくれたと言ってはばからないゴローズ、そして髙橋吾郎という男を語る。

ビズビム中村ヒロキのポートレート
Ko Tsuchiya

TALK ABOUT GORO’S

「自由に生きている姿が、すごくかっこよかった」

ゴローズの創業者である髙橋吾郎(以下ゴローさん)は、自身の抱く憧れや興味の赴くままにアメリカ各地を旅した。そこで本物を目にし、手で触れ、さまざまな人と出会い、学びながら自分だけのレザークラフト、シルバージュエリーを「ゴローズ」として世に生み出しつづけました。そんな“ものづくり”に対する姿勢、さらには“生き方”そのものが重なり合う人物が現代の日本にもいる。そう思うと、話を聞かずにはいられませんでした。それはビズビムのクリエイティブディレクターである中村ヒロキさんである。

ビズビム中村ヒロキ腕もと
Ko Tsuchiya
シャツの袖を無造作にまくり上げた両腕には、ナバホ族のシルバーバングルが輝く。

「 僕はアメカジブームの世代なので、15、16 歳だった当時の表参道や渋谷あたりには、ゴローさんのアイテムを持っている人たちがいて…。それを見ながら『かっこいいな』『欲しいな』っていう、そんな憧れの存在でしたね。原宿のショップの前を通るとたまに、出勤してきたゴローさんをお見かけしました。サビ色のバイク、確かハーレーだったと思うんですが、愛犬を乗せて走る姿に『この人、すごくかっこいいな』と思って見ていました。

でも、お店に入るのはちょっと怖くて、なかなか扉を開けられずにいたんですが、ある日、友だちと勇気を振り絞って入ってみたんです。そしたら、ゴローさんがハンマーでコツコツと何かをたたいていて。ざっと店内を見まわしたら、メディスンバッグ(ネイティブアメリカンが薬草入れとして腰にぶら下げていたことから、こう呼ばれるようになった)みたいな革製のバッグが目に留まって、でも10代だった僕には、とても高価だったので買えなくて。その後も何度かお店に通って、最終的には僕の誕生日のプレゼントとして姉に半額出してもらって手に入れたのを覚えています。17 歳くらいのときですね」

絨毯ナバホ族のヴィンテージ
Ko Tsuchiya
「ゴローズについての取材なので、新しく手に入れたナバホ族のブランケットを敷きました」と中村さん。

少しずつコンチョを買い足して取りつけたり、油を染み込ませたりしながら、中村さんはそのメディスンバッグを大切に使っていたという。時は「渋カジ」全盛期。アメカジの盛り上がりとともにインディアンジュエリーも流行し、ゴローズの類似品のようなものも出まわりはじめた。それでも中村さんはゴローズ以外には目もくれず、その理由をこんなふうに話してくれました。

中村ヒロキ手元
Ko Tsuchiya
ゴローさんが手がけた1970年代のメンズクラブ誌面を見て、「好きでやっているのが、すごく伝わってきます」と中村さん。

「モノとしての力が、ぜんぜん違うと思ったんです。モノをつくる側になったいま考えると、やっぱり髙橋吾郎さんという方の人間性や考えていること、そして精神的なものが、そこに出ていたんだと思います。ゴローさんの生きざまを若いときに見て、『こんなに自由に生きている、かっこいい大人がいるんだ』と。僕はその姿にすごく影響を受けましたね」

TALK ABOUT GORO’S

「第三者の評価ではなく、自分の「尊厳」のために」

それから約10年後。ビズビムを立ち上げる頃、スタッフでもあるゴローさんのご家族と知り合い、ふたたびゴローズに足を運ぶようになった中村さん。ゴローさんとは特別何かを話すようなことはありませんでしたが、中村さんは鹿革バッグやコンチョを使った髪留め、カメラのストラップなどをゴローズでつくってもらい、ゴローさんはビズビムの靴や服を愛用するなどモノを通じてつながっていたのが、なんとも“らしく”思える。

畳デニム素材の
Ko Tsuchiya
取材は都内某所に江戸時代から今も残る、中村さんが所有する古い日本家屋でおこなわれました。畳のへりにはデニム生地を使用。

「僕は、ゴローさんみたいなかっこいい大人になりたいと思ってきました。でも、ゴローさんの近くにいたらなれない。その人のようになりたかったら、その人と同じことをしてはいけない。自分をつくらなきゃだめなんです。もちろん、ゴローさんがやっていることも商品もすごくかっこいいし、素敵ですが、僕もいろんなものを発見して、取り入れて、僕は僕の世界観をつくらなければならない。そうじゃないと、ああいうかっこいい大人にはなれませんから…」

ビズビム中村ヒロキ
Ko Tsuchiya
「僕はまだまだ、ゴローさんの足元にも及びません」と中村さん。

トナカイのスエードが実際にどう使われていたかを知るために、フィンランド先住民族のサーミ(トナカイ遊牧民)の人々に会いに行ったり、アイヌ民族の織物についての論文を発表したり。「世界中を旅して触れた伝統技術」をものづくりのインスピレーションとしてきた中村さんだけに、先の言葉には説得力があります。 

そして、“ラグジュアリー”という言葉がひとり歩きしている感のある現在のファッション界において、ゴローズ、そしてビズビムこそが、真のラグジュアリーを体現する数少ないブランドなのではないか、というこちらの見解にはこう応えてくれた。

コンチョレザーバッグ
Ko Tsuchiya
中村さんは柱にかけられたバッグを指さして、「初めてゴローズで買ったのは、あんな感じのメディスンバッグでした」。

「ゴローさんを見てきて思うのは、大切にしていたのは『Pride(誇り)』ではなく『Dignity(尊厳)』なんです。両者は同じようで、ぜんぜん違う。『尊厳』というのは自分自身に対するもので、『プライド』というのは第三者がいて生まれるもの。そう僕は解釈しています。『これが流行っているから』などの理由で、第三者からどう見られるかに価値を見いだそうとするのに対し、ゴローさんは『これは好き』『これはかっこいい』とか、その価値基準はすべて自分なんです。同じように店頭に並べて売っていても、それは全く次元が違うもの。『尊厳』を大切にしたものづくりに、僕はすごく共感します」 

表参道に店舗を構えるインディペンデントなブランドは、今やゴローズ、そしてビズビムだけかもしれない。共に在りつづけることを、切に願う。

ビズビム中村ヒロキ
Ko Tsuchiya

HIROKI NAKAMURA/1971年生まれ。キュビズム代表。「ビズビム」クリエイティブディレクター。2000年にビズビムを立ち上げ、13年にはウィメンズライン「WMV」も始動。国内外に多く店舗を展開し、現在はカリフォルニアを拠点に活動。同号の新連載(P.102)にも注目。

モノを通したつながりを感じる、ゴローさんが愛用したビズビム

髙橋吾郎さんの私物のビズビム
Kazuya Aoki

中村ヒロキさんと親交のあるスタッフから贈られたこともあり、ビズビムのフットウェアを愛用していたゴローさん。基本、ソックスをはくことはなく、常に素足で靴を履いていたというゴローさんが好んだのは、さっと着脱できるこんなローファータイプでした。

髙橋吾郎さん私物のビズビム
Kazuya Aoki

Tシャツにジーンズというスタイルが定番だったゴローさん。Tシャツのカラーは黒を好み、肌触りのいい素材が好きで、気に入るとずっとそれを着つづけていたとか。このTシャツ、スウェットシャツのくたびれ感からは、よく着用していたことがうかがえます。


Composition & Text / Satoru Yanagisawa
Edit / Masahiro Nishikawa
Cooperation / goro’s
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