メンズクラブ10月号ゴローズ特集
goro's Archive
ネイティブ・アメリカンの文化により傾倒していた頃、無数のインディアンジュエリーを身につけたゴローさん。

米兵との交流をきっかけにレザークラフトの腕を磨く

1939年、東京・十条で生まれた髙橋吾郎(以下ゴローさん)。子どもの頃からウエスタンスタイル、特にネイティブ・アメリカンの文化に強い憧れを抱いていました。中学生のときに湘南・葉山での臨海学校に参加したゴローさんは、レザークラフトでものづくりをしていたアメリカ軍の駐屯兵と運命的な出会いを果たします。

彼からカービング(彫刻)などの技術を学び、その楽しさを知ったゴローさんは臨海学校が終わってからも彼のもとに通い詰めます。そうして2 人の交流は、駐屯兵がアメリカに帰国するまで続くことに。そして帰国の直前、ゴローさんは彼から工具を譲り受け、その後も独学で腕を磨いていくのでした。

中学を卒業したゴローさんは、その工具を使ってレザーベルトにウエスタンの花柄の彫刻を施し、学校の友人など身近な人たちにつくっていました。そうして手がけたベルトを、上野の「中田商店」に持ち込みます。当時の社長である中田忠夫氏はゴローさんの才能を見抜き、即座に100本のベルトをオーダーしたということ。その後もバッグをはじめとしたウエスタン小物を中田商店とつくり続け、ゴローさんはポスターやカタログなどの制作にも携わりました。

1956年、ゴローさんは東京・駒込で自身のブランド「ゴローズ」を立ち上げます。創業から1960 年代後半にかけてのゴローズの商品はカービングを施した革製品が中心で、それから徐々にオリジナルで真鍮のバックルや金具などの製作に着手するようになります。ゴローさんはやがて、南青山のキラー通りにあるセントラル青山にアトリエを構え、そこで生活をはじめるようになります。雑誌『メンズクラブ』に初めて登場したのも、ちょうどこの頃です。

ゴローさんは、なんでも自分でつくってしまう人でした。ベルトやバッグは言わずもがな、例えば鹿革のジャケットやパンツなどは、先に紹介した小誌のファッションページからも見て取れます。テーブルや椅子などの家具、そしてソファや自動車のシートを革張りにしてカービングを施すことも…。1960年代後半から70年代前半のこの時期は、赤坂の「ビブロス」「ムゲン」といったディスコで多くのファッションデザイナーやアーティストとの交流が生まれ、菊池武夫氏や同じくセントラル青山にブティックを構えていたコシノジュンコ氏からも、ゴローさんの作品は高い評価を得ていました。

そして1972年、ゴローさんは原宿に現在のショップをオープンすることになる。

メンズクラブ10月号
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右上/千葉の海岸にディスプレイ用の流木を拾いに行った際に出会った愛犬スノー。ゴローさんと原宿の街を自由に歩きまわっていました。右中/1980年代末から90年代初頭のゴローズ。店の奥に作業スペースを構えていました。Photo / goro’s Archive 右下/ラコタ族の居留地を訪れたときのゴローさん。 Photo / Kin Koyama

日本人として初めてのネイティブ・アメリカン

初めてニューヨークに訪れた際、アリゾナ州北部の中心都市フラッグスタッフに立ち寄ったゴローさんはそこで、シルバー職人のジェッド氏に出会います。ゴローさんはそこで自作のレザーベルトやバッグを彼に渡し、コンチョ、リングなどのつくり方を学ぶことに。そうしてゴローズでは、インディアンジュエリーも扱うようになっていきます。

その後も幾度となく渡米したゴローさんは、サウスダコタ州を拠点とする米先住民族ラコタ族のリトルスカイファミリーと出会い、多くを学び、交流を深めていきました。そして1976年、ネーミングセレモニーの儀式を受けます。長時間にわたる儀式の中でゴローさんはイーグルに出会い、“東から来た鷲”を意味する「イエローイーグル」というインディアンネームを拝受します。1979年にはラコタ族の神聖な儀式「サンダンス」を受け、日本人で初めてネイティブ・アメリカンの仲間入りを果たすのでした。

神聖な儀式を経てゴローさんは、ゴローズを代表する2つのモチーフを生み出します。ひとつが言わずと知れた「フェザー」。セレモニーで使用した本物のイーグルの羽根は普段持ち歩くことができないため、シルバー製のフェザーをつくって身につけたいという思いから生まれました。

もうひとつは「イーグル」。これは「イエローイーグル」のインディアンネームをもつゴローさんが最も大切にしてきた、創作活動の根幹をなす存在です。以降、ここから派生したさまざまなアイテムが展開されていくことになります。

1980~90年代にかけて、渋カジの流行とともにゴローズの知名度は上がっていきます。当時のゴローさんはハーレーダビッドソンやインディアンなどのバイクをカスタムし、千葉の海岸で出会った愛犬「スノー」を乗せて走る姿が原宿の名物に。その頃はひとりで店を切り盛りしていました。ですが、万引きに悩まされたこともあり、お客さんを1 組ずつ順番に招き入れ、しっかり話しながら接客するというスタイルを考案します。1991年には、冬場に冷たいガードレールに座って入店を待つお客さんのことを思い、9メートルもの丸太を表参道の歩道に設置。2002年に撤去されるまで、原宿の風物となっていました。 

2000年代になるとゴローさんは店を任せて、都内のアトリエで創作活動に専念。そして2013年11月25日、74年の生涯に幕を下ろす。ゴローさんの意志は家族やスタッフ、そして多くのファンに受け継がれ、今も変わらず息づいています。

レザークラフトの技術はもはや芸術的レベルでした

髙橋吾郎の初期作品
Katsunori Suzuki
髙橋吾郎の初期作品
Katsunori Suzuki

1960~70年代にゴローさんが制作した革の絵。当時、猟銃を扱うお店からケースにカービングを施す依頼があり、その見本としてつくっていたのだとか。彫るのではなく、水に浸した革をたたいてつくり上げる。


Composition & Text / Satoru Yanagisawa
Edit / Masahiro Nishikawa
Cooperation / goro’s
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