2004年にアトリエで撮影された貴重なスリーショットは、ゴローさんの愛犬スノーJr.もいっしょに。ひとりひとりの飾らない、ごく自然な表情からは気が置けない関係性がうかがえます。

いでたちも言葉も何もかもがカッコよかった

ゴローズ対談
Katsunori Suzuki
右/池 利文さん1935年生まれ、岡山県出身。日本大学芸術学部在学中、写真家・中村正也氏に師事。64年より写真家としての活動を開始。87年から18年間、毎日新聞の記者としてスペインに。スペイン国際記者クラブ会員。
左/山田明光さん1948年生まれ、東京都出身。72年にファッションブランド「グラス」を創業。同社を6年ほど経営したのち、ブランドを手放してバリ島に移住。現在もバリに生活拠点を置きながら、1年の約半分ほどを日本で過ごしている。

 僕にしても明光にしても、ゴローとはだいぶ長く、深い付き合いをしてきました。ゴローのことをここまで知っているのは、僕と明光しかいないと思う。だからこそ、あまり話しちゃいけないことも多すぎてね(笑)。

山田 僕がゴローちゃんと出会ったのは、池さんよりも後だと思います。年も2人より若いから。

ゴローズ特集対談
Katsunori Suzuki

「ゴローは自分自身に
確固たる自信があった」(池さん)

 僕はね、写真家の中村正也さんの助手を辞めて、一時期、会社に勤めていたんですよ。その会社に、上野にある「中田商店」からカタログをつくるから写真を撮ってくれってオーダーがきたわけ。そのときに当時の社長、中田忠夫さんと知り合って、そこにゴローもいたんです。それが最初の出会いで、僕が20代後半の頃。当時ゴローはレザーのウエスタンベルトをつくっていて、それを中田商店が売っていた。中田さんって人は、すごく見る目があったんですよね。

当時のゴローはね、こういうふうに言うとわかりやすいと思うけど、トヨタの新車を買ってきて改造して、自分なりにスポーツカーに変えちゃうわけ。年齢は僕より5歳下ですが、彼のほうが突っ張ってましたね。自分に自信があったよね。

山田 僕が池さんに初めて会ったのは、たぶんゴローちゃんの駒込の家だと思います。ゴローちゃんはクルマをつくっていた。もうなんだかわからないくらい、全部ぶっ壊して。

 ゴローの家には山本寛斎さんもいた。寛斎さんとゴローというのは、その頃のちょっと突っ張った若者たちっていうのかな…。寛斎さんは、ゴローがつくったインディアンスーツみたいなものをよく着ていましたね。

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「初めてゴローちゃんを見て
“あ、この人だ”と思った」(山田さん)

山田 僕がゴローちゃんに初めて会ったのは、18歳の頃。辻堂でサーフィンをしていたんですが、すごく輝いて見えて「あ、この人だ」と思った。いちいちカッコよかったからね。言葉も、あいさつの仕方も、何もかも。だから、ついていこうって思ったんです。僕はただ憧れてくっついていただけ。池さんに対してもそう。みんな本当にカッコよかった。

 中田商店の仕事を何度かしたあと、僕は写真家として独立したんです。正也先生の名声のもと、『婦人画報』の当時有名だった女性編集者からお声がかかって、その流れで60年代後半から『メンズクラブ』でも写真を撮らせてもらうようになりました。そこから、どうしてゴローがメンズクラブに出ることになったのか、それは「おもしろい男がいるから」って、僕が当時の編集者・佐川さんに紹介したのかなぁ…その辺りは、しっかり覚えていませんが、僕から言わせると、おもしろいヤツは婦人画報やメンズクラブにすでにいたんだけどね。

よく覚えているのは、ゴローがバイクにまたがっている姿。あの頃、まだ晴海埠頭っていうのは東京都のゴミ捨て場だったんです。そこに小さな飛行場があって、そこにゴローを連れて行ってね。「おもしろい場所があるから」って、いっしょに行くわけです。編集者がその写真を気に入って使ったかどうかは知りませんが、僕はすごく気に入って――。ゴローとはニューヨークにも行きましたね。

仲間で何かをするときいつも中心にゴローがいた

 70年代の初めに「ビブロス」というディスコが赤坂にオープンして、武さん(菊池武夫さん)とか稲葉賀恵さんとか、流行の最先端を行くクリエイターたちがみんなそこに集まっていたんだよね。

山田 ビブロスのオープン当時、赤坂にちょうど空いている物件があったので、そこで、「じゃあビブロスに行くための服、ビブロスで踊るための服をつくろう」ということになって。店の名前は「パンツショップ グラス」。池さんがつけてくれました。

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その物件は売り先が決まっていたので3カ月限定だったんですけど、何をしてもいいって言うんで、階段から室内まで、全部に水をかけてね。ゴローちゃんのアイデアだったんですけど、水をかけてカビを生やすんですよ。ニューヨークだかハワイだかに、そういう内装があったらしいんです。カッコいいからって。

カビ臭いからお香をいっぱい焚(た)いて、ミシンを2台置いて、でも、お金がないからシーチング生地しか買えなくて、それをダイロンで染めて服をつくったり。僕は何もできなかったので、ゴローちゃんが先生になっていろいろと教えてくれました。武さんやジョー(ジョー山中さん)なんかもよく通って盛り上げてくれて、メンズクラブがいちばん最初に紹介してくれたんですよ。

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 フレアジーンズにレザーをパッチワークしたりとか。あれは完全に「ウッドストック」の影響を受けていたよね。

山田 そのあと、樹木希林さんの紹介で松濤に物件を借りて、そこでしばらくやっていたんですが、まったくお客さんが来なくてね…。そんなタイミングで、たまたまある話がもち上がったんです。

原宿に、のちに「パパス」を設立する荒牧太郎さんがやっていた「マドモアゼルノンノン」っていう小さなブティックがあって、そこで毎日のように太郎ちゃんや仲間たちとコーヒーを飲んでいたんです。今のラフォーレ原宿があるあたりに当時、教会があったんですが、それが取り壊されることになって、「どうにかして阻止できないか」いう話にみんなでなって、そしたら太郎ちゃんが「ゴローちゃん呼べよ」と。

そういうきっかけもあって――原宿の「上田ビル」って言うんですけど――その3階に僕のお店が入って、2階にゴローちゃんのお店が入ることになり、それが現在の「ゴローズ」なんです

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 その頃、僕もいろいろやってましたよ。ロックンロールのバンドをもっていました。「ファーラウト」っていうバンドの経営、マネージャーをしていたんです。それがね、コシノジュンコさんに頼まれたんだけど、彼女から「フォトグラファーで、しかもロックバンドのマネージャーなんてカッコいいよ」って言われて、その気になっちゃった(笑)。

写真の仕事はいろいろやっていましたが、芸能界の仕事がいちばん多かったです。でもあるとき、そんな仕事に嫌気がさして、僕は高野山のお寺に入ることになるんです。約5年間…。その間は、もちろんゴローには会っていませんでしたが、その後、僕が新聞記者になっても、長らくスペインにいたとしても、何か用事があれば電話で連絡を取り合いながら会っていましたよ。

やっぱりゴローとは特別な関係がありましたから。そういう意味では本当にゴローと明光っていうのは、どこかで問題があったとしても、それが障害になることはなく、友だちじゃなくなるってことにはならなかったんです。

ゴローちゃんはいつも「やってる」からカッコいい

 アメリカに行って、ゴローはアメリカの文化に影響を受けるわけですよ。そして、ハワイの海岸で目覚めて、銀細工をはじめるわけですけど、そのときの話を聞くと理解できますよ、「彼がどういう男か?」っていうことを。

銀細工ってもともと、どういう民族を発祥としているかと言えば、アラブなんです。もともとアラブの技術なんです。それをアメリカのネイティブアメリカンが応用して、いろんな銀細工をつくったというわけです。そして、それにゴローが感化されて、自分のものにしてしまった…だから、彼がつくる銀細工というのは、いろんなルーツをもってはいるけれども、ゴロー独自のものと言えるんですよ。あの羽根のアイデアなんて、本当にすばらしいですよ。

山田 ゴローちゃんに電話すると、口癖のように毎回「明光、オレやってるよ!」って言っていた。やっていない人にはできないこと。もし自分に甘えていたら、そんなセリフ言えないですよ。とにかくゴローちゃんは、いつも「やってる」だったんです。それで、「ありがたいよ!」って言うんです。「やってるよ! ありがたいよ! 明光」って。周囲の人やモノだけじゃなく、全てのものに感謝をしていたんだと思うな。



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スペインに渡るときにラゲッジタグをつくってくれた

高野山での修行を終えた池さんは毎日新聞社にスカウトされ、『毎日グラフ』で写真の連載をもつように。1987年には記者としてスペインに渡ります。「ゼロハリバートンのアルミトロリーケースは僕が購入したものですが、スペインに渡航するときに『これ付けていったらいいよ』って、ゴローが手製のタグをつくってくれたんです。プレートに刻印された住所は、僕とゴローが当時住んでいたマンション」と池さん。

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自分で選んだものはなく、すべてゴローさんからの贈り物

アトリエでゴローさんが、「これあげるよ」と明光さんに選んでくれたというベルト。「あるとき、ベルトを5本くらい買わせてほしいとゴローちゃんに言ったら、『明光、1本だけあればいいからね』って」。ショルダーバッグは最近、ストラップの付け根部分をブラックスエードで補強。

ちなみに海でフェザーをなくしたとき、「大丈夫、地球に戻ったんだから」とゴローさんは言ってくれたとか。


Composition & Text / Satoru Yanagisawa
Edit / Masahiro Nishikawa
Cooperation / goro’s
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