2023年3月、科学者グループがチェルノブイリ原子力発電所周辺に生息する野良犬の遺伝子的変化について、史上初となるであろう詳細な研究結果を発表しました。

この犬たちは、約40年前にチェルノブイリから住民が避難した際に取り残されたペットの子孫です。調査からは、「放射能に汚染されゴーストタウンとなった場所に残された動物たちが、その後どのように生き延びたのか?」を垣間見ることができます。

科学者たちは約300匹の犬のDNAを分析し、原発の中に住みついている犬と、原発から10マイル(約16キロメートル)離れた非汚染地域に住んでいる犬とでは、遺伝子的に有意な違いがあることを発見しました。この結果は、放射線が動植物の生態に及ぼす長期的な影響を示唆するものであり、被ばく放射線量の多さが犬の生理機能や進化などに影響を与えた可能性も示しています。

この研究に関わった研究者であり著者であるサウスカロライナ大学の研究者ティム・ムソー氏が、「彼らの生理機能を調査することで、他の生物を守ることにつながる何らかのヒントが得られる可能性があります」と、アメリカのテック系メディア『Popular Mechanics』に語ってくれました。

チェルノブイリに残された犬やその子孫が、どのようにして放射線被ばく環境を耐え抜いてきたのか、完全に正確なことは科学者にもわかっていません。が、この犬たちの調査は「放射線が存在する環境で生物がいかに生き残れるか?」を解明するための、意義のある機会となり得ます。犬たちは、ただ単に過ごしてきたきただけなのでしょうか? それとも、生物学的な耐性獲得戦略を進化させてきたのでしょうか?

犬に関しては、その答えを得るにはまだもう少し時間が必要なようです。しかし、そうしている間にも、他の動物に関する研究を参考にすることができます。

科学者たちは何十年もの間、チェルノブイリや日本の福島で起きたような原発事故に注目し、バクテリアや菌類のような単純な生命体からカエル、鳥類、小型哺乳類まで、さまざまな生物に対する放射線の影響についての知見を得てきました。

そして、このような過酷な環境中で生き物がいかに生き抜抜けるのか? さらには、繁殖することさえも可能なのか? を解明しようとしています。これらの疑問に対する答えは、がん治療の進歩、安全な宇宙旅行の実現、あるいは将来の原子力災害に対する防護戦略の開発など、さまざまな点で人類の興味を引きつける解決策を得るためのカギを握っていると言えるでしょう。

目に見えぬ放射線の影響

チェルノブイリ原発事故の放射線に対して動物が持っているかもしれない耐性を理解するために、まず放射線が生物に及ぼす害の概要を明らかにしましょう。

放射線は、地球上のあらゆる場所に存在します。太陽光や地中の岩石はもちろん、果物や野菜にも放射性物質は含まれています。こうした放射線のほとんどは、マイクロ波や可視光線のように無害なもので非電離放射線と呼ばれています。

ですが、核放射線は電離放射線と呼ばれる別のカテゴリーに属し、高速の荷電粒子や電磁波として存在します。これらは原子や分子をイオン化(電子を分離)する能力によって細胞に損傷を与え、主に二つの作用を及ぼします。

一つ目は、細胞の分子ビルディングブロック(構成要素)に含まれる原子を電離させ、DNAや他の細胞内の電子を奪って分子結合を破壊する直接作用。二つ目は生体内の水分子をイオン化し、体内で反応性に富むフリーラジカル(活性酸素)を発生させることでDNAの分子結合も破壊する間接作用です。

チェルノブイリの被災者や事故処理作業員が受けたような、短時間に高線量の放射線に被ばくした場合、急性放射線症を発症して数日以内に死亡します。広島と長崎の原爆被害者の研究では何十万人もの犠牲者が出ており、さらに白内障やガン、神経発達障害などのさまざまな症例が詳細に報告されています。

チェルノブイリの最初の爆発(放出された放射性物質の量は広島に投下された原爆の400倍)後、植物や野生生物は壊滅的な打撃を受けました。原発周辺地域では数カ月以内に放射能雲(大気中を流れる気体状の放射性物質を含んだ空気の塊)によって松林が枯れ、樹木は不気味な赤色に変わり、「赤い森」と呼ばれるようになりました。

そうして原発事故から数年後、放射性粒子の崩壊が進むに従って放射線量は徐々に減少しました。やがて、「人間がいなくなったことで動物たちが立ち入り禁止区域に戻って、繁殖している」との噂が流れたのです。そこで科学者たちは、「野生動物にとっては、放射線よりも人間が及ぼす影響のほうが悪いのではないか」との考えを持ち始めました。

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Sean Gallup//Getty Images
チェルノブイリの立ち入り禁止区域内で遊ぶ、野生化した子犬たち(2017年)

しかし、こうした考えはもちろん物議を醸しました。「生き物にとって放射線は、圧倒的に有害であることを知ってほしい」というのがムソー氏の考えです。

ムソー氏と彼の長年の同僚であるアンダース・モラー氏は、「放射性物質降下地帯の生物種は遺伝子の突然変異が多く、脳の縮小などがみられる」という厳しい実情を示す多くの研究論文を発表しています。また両氏は昆虫鳥類、ミミズのような土壌無脊椎動物における生物多様性の喪失の例を記録しています。

植物に対する放射線の影響を独自研究しているポリーナ・ヴォルコワ氏は、また別の視点を提示しています。チェルノブイリの立ち入り禁止区域でヘラジカやシカ、オオカミ、バイソンといった、多くの大型哺乳類を見てきたというヴォルコワ氏は『Popular Mechanics』誌に対し、次のように述べています。

「放射線耐性については、長寿生物は慢性的な放射線被ばくの影響を緩和する戦略を発達させていると予想されます」

ムソー氏およびモラー氏の研究論文と矛盾する内容の研究報告もあり、そこではこの地域の生物多様性が減少していないことが示されています。豊かで多様な動植物が、原生保護区のように赤い森で再びコロニーを形成していることを示す研究も発表されています。

両方の研究で意見が一致している思われる点は、「放射線に対する反応にはかなり幅があり、生物はその反応に大きなばらつきがある」ということです。ムソー氏は次のように話しています。

「生き物によって、また細胞株によって、放射線に対する耐性には大きな違いがあります」

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Anton Petrus//Getty Images
赤い森を歩き回る野生のプシバルスキーウマ(モウコノウマ)。1998年に31頭の馬がこの地域に入り、その後個体数は約150頭に増加しています。
どんな動物が
放射線耐性を持つのか?

放射線耐性を持つ生物として特によく知られているのは、バクテリアと菌類です。ウィスコンシン大学のマイケル・コックス氏(分子生物学)が『Popular Mechanics』誌に語ったところによると、「過酷な砂漠気候の中で生き延びるために進化したバクテリアは、放射線によるDNA損傷を修復するための複数のメカニズムを発達させた」とのこと。

科学者たちは、20年近く前の実験で初めてバクテリアのその回復力を実証しました。彼らはアメリカのアリゾナ州、カリフォルニア州、メキシコのソノラ州にまたがって広がるソノラ砂漠とルイジアナ州の沼地から、それぞれ少量の土を採取。その後、両方のサンプルを高線量の電離放射線にさらしたところ、ソノラ砂漠の土壌バクテリアは生き残ったのです。

コックス氏の説明によれば、「砂漠のバクテリアは、非常に過酷で乾燥した砂漠では休眠状態に入るように進化してきた」そうです。この休眠中にDNAが損傷を受けても、雨が降るとバクテリアは再生し、DNAの損傷を素早く修復して繁殖します。修復と繁殖を素早く行うことで、バクテリアには放射線耐性が備わったのです。

さらにコックス氏は次のように述べています。

「こうした仕組みのおかげで、私は『もし人間が愚かな行為に及んで自滅したとしても、地球上のすべての生命を絶滅させることはない』と確信できました。生き延びることのできる生物もいるのですから…」

また放射性環境で生き延びるだけでなく、一部の菌類の中には、「放射性合成」として知られるプロセスによって放射線をエネルギー源として利用しているようにさえ見える菌類もいます。「こうした菌類はメラニンを持ち、メラニンによって放射線によるダメージからの保護効果を得ている」と推測されています。

植物でも何らかの適応を示しているケースがあり、チェルノブイリ周辺の汚染地域で採取されたシラカバの花粉や月見草の種子は、事故後より向上したDNA修復システムを持っていたことがわかっています。

より複雑な動物に関しては、まだ解明されていない部分が多くあり、ムソー氏は犬についての自身の研究の解明を進めています。同氏は「動物が高線量環境で繁殖できるよう進化できるか?」という点については懐疑的な立場である一方で、一部の動物が放射線耐性を持つように適応する可能性について認めています。

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Antoine Rouleau//Getty Images
チェルノブイリ原発にほど近い、プリピャチのゴーストタウンにいるキツネ。

ムソー氏は次のように指摘しています。

「耐性を進化させることが、非常に困難だと考えるのには理由があります。しかし同時に、我々のさまざまな研究の中でも特に難解な観察結果の一つとして、個体間や種間で放射能に対する感受性には大きなばらつきがあることが挙げられます。このため一部の動物が、放射線耐性を持つようになる可能性も捨てきれないのです」

ムソー氏は鳥類や小型哺乳類の調査研究で、活性酸素や放射線による酸化ダメージを中和する抗酸化物質が増加している種を発見したことを明かしています。こうした防護メカニズムを獲得した生物の例の一つとして、チェルノブイリ地域全体に生息するヨーロッパヤチネズミ(Bank Vole)という小型のげっ歯類がいます。

2018年に発表された研究では、科学者たちは空間線量率(対象とする空間の単位時間当たりの放射線量)が非汚染地域の100倍であるチェルノブイリ原子力発電所に生息するヨーロッパヤチネズミの細胞を調査しました。

彼らはチェルノブイリと非汚染地区に生息するヨーロッパヤチネズミの皮膚細胞のサンプルをそれぞれ採取し、サンプルに10Gy(グレイ)のガンマ線を照射しました。通常、短時間に4~5Gyのガンマ線を被ばくすると、人間にとっては致死量となります。

この研究により研究者たちは、「チェルノブイリのヨーロッパヤチネズミの皮膚細胞は、より高い線量に耐えることができ、平均して持っている抗酸化物質の能力が高いこと」を突き止めました。

その後、DNAを損傷する3種類の薬剤に対して細胞をテストしたところ、チェルノブイリに生息するネズミの細胞のほうが耐性があることがわかったのです。ムソー氏は、「チェルノブイリに生息するネズミから採取した細胞の抗酸化力は、対照サンプルの細胞のほぼ2倍でした」と話しています。

しかし、科学者が放射線の真の影響を解明するためには、同地域の動物や植物の調査を継続し、彼らが生き残るためのDNAの秘密を突き止める必要があります。だからこそ、ムソー氏ら研究者は人間がいなくなった荒れ地へと行き、「そこでいかに生命が存続しているか?」の手がかりを探し続けているのです。

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source / POPULAR MECHANICS
Translation / Keiko Tanaka
※この翻訳は抄訳です