記事のポイント

  • 「インドネシアのグヌン・パダン遺跡は、約2万7000年前までさかのぼる可能性がある先史時代のピラミッドだ」とする新しい研究が発表されました。
  • その研究著者はこの結論の主な根拠として、地中探知レーダー技術による調査結果を挙げています。
  • ですが、考古学界はこの調査結果に疑問を呈しており、論文は現在精査されている最中です。

グヌン・パダン遺跡は
最古のピラミッドなのか

エジプトのピラミッドと言えば、カイロ市中心部から西南西約13km郊外のギザの砂漠にある三大ピラミッド(古代エジプト王国のクフ王、カフラー王、メンカウラー王が被葬者とされる)がであり、隣接するスフィンクスとともにエジプトの地を象徴するイメージとなっています。そして英語では、Giza pyramid complex(ギザのピラミッド群)と呼ばれています。

中でもクフ王のピラミッドは、古代エジプト最大のピラミッドとされています。ちなみにクフ王のピラミッドは平均2.5トンの石灰岩を210段に重ね、もともとの高さは146.5メートルあったと言われています。そして現在のサイズは、138.8メートルということ。

その一方で現時点で世界最古となるピラミッドを観たいのであれば、ギザの三大ピラミッドの南約20km、カイロからは南へ30キロほどのところにあるサッカラ遺跡に足を運ばなければなりません。

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そこには「世界最古」とされるジェゼル王のピラミッドをはじめ、テティ王のピラミッド、ウナス王のピラミッド、および王朝に仕えた宰相や貴族のマスタバ(ベンチ形式の墳墓)群などが、南北7キロメートルおよび東西2キロメートルにわたって点在しています。中でも人気は、約4700年前に築かれたエジプト最古のものとして知られているジェゼル王のピラミッドです。

ジェゼル王(別名:ネチェリケト)は、紀元前27世紀ごろのエジプト古王国第3王朝の二代目ファラオ(古代エジプトの王の意)で、神官から宰相となったイムホテプに命じてこの階段ピラミッドを造らせたとされています。ピラミッド建造の理由としては、「ナイル川渇水による飢饉をしずめるためだった」とも伝承されています。

ですが、この「世界最古」という称号に異論を示す論文がこのたび発表されました。それは考古学ジャーナル『Archaeological Prospection』誌に2023年10月20日に掲載された新しい論文であり、インドネシアにある約2万7000年前の“先史時代のピラミッド”の存在を強く主張するものだったのです。とは言え誰もが、この論文を支持しているわけではなく、同誌はこの研究について再調査を開始しています。

カーディフ大学の考古学者フリント・ディブル氏は、同誌の調査を最初に報じた『ネイチャー』誌に対し、「(論文が)そのまま掲載されたことに驚いています」とコメントしています。このディブル氏の疑問は、グヌン・パダン遺跡から得られたデータに対してというよりも、著者たちが導き出した結論に対してです。

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論文の著者は、「“複雑で洗練された巨石遺跡の有力な証拠”を得た」と述べています。どうやら研究者たちは地震波トモグラフィー(地震波の到達時間や波形から、地下の構造を明らかにする方法)を使ったところ、「グヌン・パダン遺跡には隠れた空洞や部屋があり、“多層構造の存在”になっている」という考えに至ったそうです。

その場所はインドネシア
ジャワ島西部に位置する

インドネシアの西ジャワにあるグヌン・パダン遺跡には、盛り土をした場所があります。もしその土の下に人間がつくった洞窟や部屋があるとすれば、数千年前に築かれた最古のピラミッドというだけでなく、その石積み方法も最古のものとして知られることになるでしょう。これは旧石器時代における文明の進歩をめぐる、これまでの通説を完全に覆すものとなり得ます。著者らは論文で次のように延べています。

「これらの発見は、グヌン・パダン遺跡の建設史に貴重な洞察を与えるものであり、旧石器時代の古代文明におけるエンジニアリング能力を明らかにするヒントになります」

gunung padang megalithic site, indonesia
Fairfax Media//Getty Images
2013年7月6日に撮影された、インドネシア・ジャワ島西部のグヌン・パダン巨石遺跡の一角。この遺跡は少なくとも紀元前5000年頃のものと言われ、崇拝や天文学のために建てられたと考えられている。

著者らは地中探知レーダー技術を駆使して、建設段階が異なる部屋を含む4つの層があると思われる建造物を発見し、今回の結論に至りました。現場から掘削された土壌の放射性炭素年代測定によって、最初の層の年代は2万7000年から1万6000年前のものと判明。また石が整えられ(厳密には、細心の注意を払って形づくられ)、計画的に配置されていたと発表しています。

ですがここで、
2つの大きな疑問が

浮上します

1つは、「これだけの技術がありながら目に見える証拠がなく、本当に人間の(あるいはヒト科の)手によるものなのか? 何千年もかけて地盤が移動し、土壌に空洞を残す層が形成されたのではないか?」ということになります。

そしてもう1つは、「研究者たちがその地域で、組織化された集落や社会の記録はおろか、それほど昔にさかのぼる人間の活動の証拠を発見していないのは、どういうことなのか?」ということになるのです。

さらにディブル氏は『ネイチャー』誌で、「岩石の自然な動きと風化が石を形づくり、丘を転がり落ちたことで、計画的に配置されたように見えるようになります」と主張。これ対してインドネシア国立研究革新庁の地質学者でこの研究の共著者であるダニー・ヒルマン・ナタウィジャ氏は、「この石は整然と並べられ、形が整っていて、大きすぎて自然には運ばれにくい」と『ネイチャー』誌に語っています。さらにディブル氏は、「石が人間によって形づくられたと信じるに足る証拠は何もありません」と、重ねて反論しています。

それから、放射性炭素年代測定についてです。南コネチカット州立大学の考古学者ビル・ファーリー氏は『ネイチャー』誌に、「最終氷期において、その場所に高度な文明が存在したという証拠はありません」と語りました。

また土壌サンプルは約2万7000年前のものかもしれませんが、人間の活動の痕跡(木炭や骨片など)はなく、その時代、特にインドネシアに大規模な集落があったと信じる理由はないということ。また、ピラミッド型の建造物を建てるのに必要なコミュニティを持つ最古の複合社会としては、「約9000年前のもので、現代のトルコにある」ともされています。

この論文につきまとう疑問符は、出版社による再調査を正当化するのに十分なものと言えるでしょう。また、この論文に対する再調査が深まれば、グヌン・パダン遺跡に対する監視の目はさらに厳しくなるかもしれません。

Translation & Edit / Satomi Tanioka
※この翻訳は抄訳です

From: Popular Mechanics