その瞬間、自分の目が見ている光景を信じられなかった。
連邦議事堂の窓を壊して、デモ隊がなだれこんでいく。議事堂警察の警備はあきらかに手薄なまま、なす術もなく後退していく。あっという間に議事堂のなかは暴徒たちであふれ、怒号がうずまき、カオスとなりはてた。
2021年1月6日、連邦議会でバイデン次期大統領が正式に承認される日に起きたのが、連邦議事堂襲撃事件だった。新型コロナ禍が始まってから、何度も現実とは思えない光景を目にしてきたが、これほどアメリカの民主主義を根本からくつがえすようなさまを見たことがない。
経過を説明すると、同日、議事堂の向かい側では、トランプ大統領による「アメリカを救う」集会が行われ、数千人の支持者が集まっていた。物騒なことに「裏切り者をつるせ」と絞首刑台も設置された。
そして演説をふるったトランプ大統領が、「われわれは勝っている。連邦議会に行け」と煽(あお)ったのち、群衆たちは旗をかかげて議事堂前に行進。議事堂を取り囲んだ群衆たちの間からは、「ペンスはどこだ、ペンスを吊せ」とシュプレヒコールがあがり、「われわれは大統領に招かれて、ここに来た」と主張する者たちもいた。そして群衆の一部が、議事堂の窓ガラスを割って侵入を始めたのだった。
アメリカの南軍旗を抱えた暴徒や「アウシュビッツ収容所」のTシャツを着た男などが議事堂を占拠し、現実とは思えない光景がくり広げられたのだった。
トランプ支持者たちが掲げていたのは、南軍旗から民兵の旗、アメリカ革命時の旗、反連邦主義の旗など、多岐にわたる。緑の旗をたてたグループは、画像掲示板「4chan」を元にしてできた「Kekistan(ケキスタン)」という架空の国家の旗だという。架空の国ながら、白人ナショナリストが集うオルタナ右翼団体となっている。これほど多様なオルタナ右翼や民兵グループが存在しているのかと、愕然とするばかりだ。
この襲撃事件では、元アメリカ空軍で、熱心なトランプ支持者の女性が銃で撃たれて亡くなり、また他に心臓発作などで亡くなった乱入者たちが3人、そして暴徒から消火器で殴られて病院で亡くなった警察官という、合計5名の死者を出す傷ましい結果に終わった。
さらにパイプ爆弾が、共和党と民主党それぞれの全国委員会の本部近くから発見され、議事堂近くに駐車していた車からは11本の火炎瓶が発見された。選挙の結果を暴力でくつがえそうとしたテロ事件として、アメリカ史に残る汚点となってしまった。
米連邦捜査局(FBI)によれば、すでに議事堂襲撃事件での容疑者200人以上を特定し、100人あまりを逮捕しており、これには議事堂内への乱入に加わったウェストバージニア州議会議員も含まれる。
当初、議事堂内に乱入したのは「極左のアンティファだ」というデマがツイッターで流れたが、実際に逮捕されたのはトランプ主義者たちだった。
例えばた毛皮の帽子にバッファローの角をつけたコスプレで目立った「Qアノンのシャーマン」を名乗るジェイコブ・アンジェリだが、逮捕されてからは、彼が俳優として挫折して、母親のところで暮らしている無職の人物だと判明した。拘置所では、「オーガニックフードでないと食べられない」と訴え、それが承認されたが、全米では「あんたが今いるのはホールフーズ(アメリカの大手スーパー)ではない」と叩かれた。
また、手足を拘束できるジップタイを手にして侵入していた、通称「ジップタイ男」エリック・マンチェルは、母親と一緒にナッシュビルからやって来て、D.C.のホテルに泊まり、暴動に参加。母親も防護ベストを身につけていたという用意周到さだ。
その他、ペロシ下院議員長の部屋に侵入してデスクに足を乗せていたアーカンソー州から来たリチャード・バーネットや、ペロシ下院議長の見台を盗み出したフロリダ州の男性、さらに元オリンピック水泳ゴールドメダリストのクリート・ケラーらが逮捕された。
フロリダで不動産業を営むトランプ支持の女性は、プライベートジェットでD.C.入りをして襲撃に参加。「これからワーキングクラスの人たちと議会に行くわ」と、ツイートしたというジェットセッター暴徒だ。FBIに逮捕されたあとも、サクッと保釈金を払って拘置所は免れ、裁判を待っている。またニューメキシコ州では、「カウボーイ・フォー・トランプ」という団体を立ちあげた郡制委員の男性も逮捕された。
暴徒の中には、なんと建物内で脱糞までしていった者たちもいたというから、呆れるばかりだ。
これがもし黒人に対する人種差別を訴えるブラック・ライブス・マター(BLM)のデモ隊だったら、たちまち発砲され、ゴム弾や催涙ガスが使用されていたに違いない。昨2020年のBLMのデモ隊には、完璧武装した州兵たちが警備したのと対照的だ。
今回の乱入事件では、「白人だから、射殺されない」という特権が悪い意味で働いてしまったことになり、ニュース映像を見ても、議事堂警官たちがどう対応していいものか迷っているのがあきらかに見てとれた。
支持者たちが保守プラットホーム(新興SNS)「パーラー」などで計画を練ってきたことは、FBIも情報を掴んでいたとされる。それなのに、警備は補充されなかった。これほど簡単に侵入を許したのには、警察のなかにも協力者がいたのではないかと調査が進められている。前日には、3人の共和党議員が一般人に議事堂内ツアーを行っていて、計画を事前に知っていたのではないかという疑惑もある。
この議事堂襲撃を、トランプ大統領が扇動した責任は大きく、ツイッター社はトランプ大統領のアカウントを永久凍結。続いてインスタグラムやスナップチャットなどのアカウントも凍結。
保守派のプラットホームである「パーラー」は、グーグルやアマゾン・ウェブサービスから追い出されたために、実質上アクセスができない状態になった。現在はロシアIT企業の支援を受けて、一部サービスを再開している。
例えSNSは停止されても、トランプ大統領は国のトップとして記者会見も開ければ、演説もできる。ところがなぜか、一切記者会見を行わず、「暴力はいけない」とビデオ声明を流しただけに終わった。ちなみに議事堂襲撃のニュースを見たトランプ大統領は、暴徒たちが「ロークラスである」ことに非常な不快感を示していたと伝えられている。
ネットでは、なおもトランプ支持者たちが「バチカンが停電して、教皇が逮捕される」「ペロシが逮捕される」といった誤情報を流し、なかには「今いるジョー・バイデンはクローン人間だ」といったSFマンガの見過ぎとしか思えないツイートも流れた。
ツイッターのアカウントを凍結されたトランプ信者たちは、ギャブ(gab)やテレグラム(Telegram)に移行しており、ギャブではドナルド・トランプ名義の一連のツイッターを保存している。
NY市は「トランプ・オーガニゼーション」との関係を切り、「トランプ・ゴルフ」やセントラルパークのスケート場などのビジネス契約を終えると発表しした。
JPモルガン、ドイツ銀行、オンライン決済システムのストライプ、ショップファイ、ゴルフトーナメントのPGAらが、トランプ・オーガニゼーションとのビジネスを終結。トランプ・タワーなどの地所を扱ってきた不動産会社も、ビジネスを終えると発表している。
この襲撃事件にミッチ・マコーネル上院内総務は「憲法に対する脅威」と批判し、マコーネル氏の妻であり、政権幹部だったエレイン・チャオ氏、ベッツィ・デヴォス氏らが次々と辞任。これまで政権を支えていた重鎮たちが、あっという間にトランプ離れを起こした。
一方、身の危険もあったペロシ下院議長は、トランプ大統領が支持者を「反乱扇動」したとして、罷免を求める弾劾訴追決議案を1月11日(月)に下院で可決した。罷免にするには、上院での弾劾裁判が開かれ、出席議員の3分の2の賛成が必要となる。バイデン政権に移行してから、弾劾裁判が行われるとされている。
世論調査の分析サイト「ファイブサーティエイト」によると、トランプ政権の仕事ぶりを評価するが38%(CNNの調査ではさらに低い34%)、評価しないが58%という世論調査の結果で、これは一任期目を終えた歴代大統領のなかで、もっとも低い評価となっている。
大統領就任式に合わせて、全米で抗議テロや暴動が起きるのではないかという懸念もあり、ワシントンD.C.では2万5000人の州兵が配置され、ホワイトハウスや議事堂周辺の道路や地下鉄の駅が封鎖され、ホワイトハウス周辺には防御線も張られた。
エア・ビーアンド・ビーも、就任式の州はワシントンD.C.での民泊を禁止するポリシーをたてた。ものものしい警備が敷かれ、バイデン大統領側も就任式に一般の参加を呼びかけず、オンライン中継がメインとなった。
今回の就任式では観客を一切いれない方式だが、代わりに20万本の国旗と州旗がナショナルモールに並べられて、壮観な眺めとなった。
1月20日の大統領就任式では、ジョゼフ・バイデン氏が第46代アメリカに就任。レディ・ガガが国家斉唱をし、ジェニファー・ロペスがアメリカへの愛を歌うメドレーを披露した。バイデン大統領は就任演説で「民主主義が打ち勝ちました」と語り、「すべてのアメリカ人のための大統領になる」と力説。自身を支持しなかった有権者に向けても、「それでいい、それが民主主義です」と語り、なおかつ「私を支持しなかった人のためにも、支持してくれた人のためと同様、懸命に戦う」と語りかけた。
話している内容はきわめてまっとうな品位あるもので、攻撃性や批判性も一切なく、「すべてのアメリカ人のために勤める」という内容だ。こうしたまともな言説が、新鮮に響くのは、この4年間にそうしたスピーチが聞けなかったからなのだ、ということに改めて驚いた。
そしてこの就任式で、一躍全米の注目を集めたのが、「The Hill We Climb(私たちが登る丘)」という詩を朗読したアマンダ・ゴーマン氏だ。若干22歳と、歴代でもっとも若い詩人となる。
彼女が候補にあがったのは、ジル・バイデン大統領夫人が2017年に彼女のパフォーマンスを映像で見て、感銘を受けたからだとされている。全国青年桂冠詩人に選ばれた最初の人物という天才だ。
ゴーマン氏の身ぶりをいれた朗読はパフォーマンスとしても美しく、「光はつねにある」という印象的な言葉で魅了し、ネットではたちまち彼女が話題となり、新世代のスターアーティストとなった。
就任式には、クリントン、ブッシュ、オバマの各前大統領も参列。
トランプ大統領は就任式には出席せず、特別機でホワイトハウスから去る前に、軍隊パレードを希望したものの、ペンタゴンが却下。さらに退任セレモニーをしようと計画したものの、共和党重鎮たちはことごとく断って、ペンス副大統領も、ミッチ・マコーネル議員も、その妻であるエレイン・チャオ氏も、テッド・クルーズ議員も、バイデン大統領就任式参加を選んだ。
結局のところ、旅立ちはドン・ジュニアやエリック、イヴァンカ・トランプ氏らの子息たちと、ジャレット・クシュナー氏など、ファミリーが見送ることになった。
アンドルーズ空軍基地での退任スピーチでは、支持者たちを前にして「またなんらかの形で戻ってくる」という言葉を残しつつも、エアフォースワンでフロリダの自宅へと去ったのだった。
いまだにフェイスブックでは、暴動や反乱を煽るような投稿は続いていて、フェイスブック側の取締が続き、フェイスブックでは武装用品の広告を1月22日まで掲載しないと発表している。またYouTubeでも、「3月までにバイデン大統領は逮捕され、トランプが返り咲いて、フリンが副大統領になる」といった荒唐無稽な説が、15万人以上の高評価を集めているのだ。
いったいなぜ、これほどカルト信仰がはびこるのか。陰謀説の沼はいったんはまると、もはや出られなくなるらしい。「バイデンは児童誘拐に係わっている」とか「ディープステートが世界を操っている」とか、闇のファンタジーは驚くほど根深い。多少でも常識があったら否定するような陰謀説を否定せず、白人至上主義を肯定して、まったく根拠がないのに「自分たちが勝った」と言い続けてくれるトランプ大統領は、彼らにとって得がたい存在なのだろう。
ネットのコミュニティでは、自分と同じ意見が返ってくる「反響室」のような環境によって信念が強化してしまう、「エコーチェンバー」現象が起こる。ドナルド・トランプという人物は、まさにそのエコーチェンバーでもたらされたカリスマだ。この分断が新政権になってから消えるとは思えない。
5年前の大統領選では、アメリカではイスラム過激派のテロがもっとも脅威とされていたのだが、いまやオルタナ右翼や白人至上主義者や陰謀説者といったアメリカ人による国内テロを懸念することになっているのが、実に皮肉な話だ。
一方、新型コロナによる全米の死者数は、今や40万人越えという甚大な被害となっている。カリフォルニア州では、新規感染者が一日4万5000人を超える日もある事態に陥っている。
ニューヨーク州では、新規感染者数は1日1万人以上という高い数値だ。ただし死亡者数は、1日の死者数が800人もあった昨2020年の4月のピーク時と比べると、低く抑えられていて、治療法が確立されてきたのがわかる。先月(2020年12月)から始まった新型コロナワクチンの投与は、病院勤務者や介護施設の入居者に続き、主要交通機関従事者、そして65歳以上の人にも接種が始まった。
ニューヨーク市では、市のオンラインサイトから登録して予約をするのだが、多くの人が予約に殺到しているので、運よく接種を受けられる人もいれば、そもそも予約できていないケースも多い。
NY在住で、米大手航空会社で客室乗務員をしているゆりかさんは、「航空会社従業員や教師などを含むカテゴリー1b」に該当し、サイトでスムーズに予約でき、接種を受けてきたという。
「職業でPublic Transit Workerという項目にチェックすると、会社名と会社の電話番号を入れる項目が出てきたので、入力しました。接種サイトのリストから好きな場所を選び、10分もせず予約完了しました」とのこと。
接種サイトは自宅近辺ではなく、ブルックリンの接種サイトで予約が取れたという。
「注射している時はまったく痛くなかったのですが、その日の夜から3日ほど患部が少し痛みました。でも、日常生活に支障はない程度。80%の人に軽い腕の痛みが起きるけど、だいたい二日で消えるというデータを読んでいて、まわりの接種済みの人も同じこと言っていたので、予想通りでした」とも言います。
その一方で、「オンラインでのアカウントは既につくっているが、オンラインでの予約アクセスもつながらないし、電話でも対応してもらえていない」と、あるマンハッタン在住の女性(65歳)はこぼす。
現時点でまた供給されたワクチンが、既に足りなくなっている接種サイトもある。全米規模で言えば、1月15日時点で少なくとも1回の接種を受けているのが、1千110万人で、これは総人口の 3%にあたる。2度の接種を受けているのは、人口の0.5%となる。投与が多くの国民にいきわたるには、時間がかかりそうだ。
イギリスで発見されたコロナウイルスの変異型「B.1.1.7」は、アメリカ内では76ケースが検出されていて、アメリカ疾病予防管理センター(CDC)によれば、3月にはコロナ感染の大半が、この変異種によるものになると予測している。果たしてワクチン投与がひと通りめぐる3月以降、どのくらい感染爆発を抑えられるか。
バイデン新政権に交代した後は、ワクチンが迅速に供給されるようになることを願うばかりだ。
※2015年1月25日(月)に、一部改訂しています。
黒部エリ
Ellie Kurobe-Rozie
東京都出身。早稲田大学第一文学部卒業後、ライターとして活動開始。「Hot-Dog-Express」で「アッシー」などの流行語ブームをつくり、講談社X文庫では青山えりか名義でジュニア小説を30冊上梓。94年にNYに移住、日本の女性誌やサイトでNY情報を発信し続けている。著書に『生にゅー! 生で伝えるニューヨーク通信』など。