目に見えるものには、
みんな限りがある。
きみの心の目で見るのだ。

上の言葉の引用は1970年にアメリカで出版され、1972年にベストセラーとなったリチャード・バック著『かもめのジョナサン(Jonathan Livingston Seagull)』の中に出てくる一節です。日本では1974年に五木寛之氏の翻訳によって新潮社から出版され、ベストセラーになっています。

弊社発行の雑誌『メンズクラブ』のレギュラーモデルでもあるShogoとの別件での撮影の際、たまたま見せてもらった彼のスマホの中のカメラロールから発見したカモメ(本人もカモメか海ネコかははっきりしていないが、カモメにさせてください)の写真からふと、この『星の王子さま』の名言にも似たセリフと名著、さらにそのおおよそのストーリーがフラッシュバックしました。これは偶然でしょうか?

「これはどこで撮影したものなの?」と軽率にShogoに訊くと、その答えと共に、僕のしゃがれた心に突き刺さるような写真がたくさん目に舞い込んできました。そして、このタイミングだったのです…。

すぐにShogoにお願いし、この画像とお話を共有させてもらうことに。その話が「まさに[this is a pen]である」ことなど、最初は到底思えるはずもなかった自分がそこにいました…。その反省は、今も続いています。

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写真提供:Shogo
私服に身を包んだままで話すShogo。仕事以外のことで話すのは、初めてかもしれません。普段は「着飾る」といった形容となる仕事をするプロフェッショナルですが、この日のShogoは心を裸にした発言をしてくれました。


編集部:2011年3月11日(金)
14時46分18.1秒…この時間の
前後はどこにいました?

※以降、Shogoの一人語りでお届けします。

当時25歳でした。モデルという仕事を真っ当しようと頑張っていた時期で、好奇心(および向上心)だけは人一倍持っていた時代と言えます。自分のことばかり考えていたのでしょうか、「世の中のために」など全く想像もしていなかったんです、それまでは…。そしてあの瞬間、まさにトンカチで頭を撃たれた感覚で、何かが少しずつですが変わっていったのかもしれません。心の中では、「なんじゃこりゃっ!?」って叫びながらですが…。

ちょうどその時間は、東京で某雑誌のファッション撮影をロケで行っていました。新宿の新しい大きなビルの5階の飲食店にいて、かなり揺れたのでグラスやワインが床に落下して破砕(はさい)状態となって、店内は騒然となりました。一緒に撮影していたモデルはかなりパニック状態になって、5階にいるのに「ここから飛び降りて外に出る!」とか言いだしたので制止しました。その衝撃はかなり強く、いまでもその映像が頭に浮かびます。

翌12日以降は撮影の仕事が何日か入っていて、当時の自分にとっては生業なので撮影を続けさせていただいていましたが、とにかく「現地に行かなくては…」という衝動にかられていました。それをそのときのマネージャーに相談すると、「今はやめておいたほうがいい、1カ月後にしなさい」と冷静なアドバイスをいただき、少し時間をおくことにしたのです。

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写真提供:Shogo
初めて現地に行ったとき、時間は止まっていました。岩手県宮古市にて。

そうして1カ月ほど過ぎた頃に、岩手出身のモデルの先輩が「田舎のお母さんがすごく不安がっているから、帰省する」という話を聞き、その先輩にお願いして、一緒にバス乗って岩手へと向かいました。場所は岩手県宮古市と山田町というところです。

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写真提供:Shogo
2011年4月15日、岩手県の山田町で集められた瓦礫(がれき)の山。
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写真提供:Shogo
2011年4月15日、岩手県の山田町での支援風景。風向きの影響で、火災を免れたお宅の床下の泥はけと清掃を担当。ここから、[this is a pen]は始まりました。

戦後直後って、
こんな感じなのか…

まさに瓦礫(がれき)の山でした…。そこで思ったことは、「みんなをここに連れてこなくちゃ」というのが一番でしたね。そしてその1週間後に、仲間を集めて一緒に行く計画を立てました。まずは宮城県社会福祉協議会に電話して、「30人ぐらいで行きたいのですが、仕事いただけますか?」とうかがいました。

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写真提供:Shogo
2011年5月22日は宮城県本吉郡南三陸町へ。モデル仲間と一緒に、写真の修復作業を。何か意味がある気がした。
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写真提供:Shogo
2011年6月4日は宮城県石巻市で、写真の修復を。泥を洗った写真を乾かしています。

そこで最初に振り分けていただいたのが、石巻市を中心に写真修復のお手伝いをすることだったのです。ドロドロになってしまったたくさんの写真を、みんなで洗浄して乾かす仕事を2週間くらいやりました。そのとき、東京でいつも一緒に仕事をしていた仲のいいロケーションサービス会社の協力を得て、友人でもあるその会社のドライバーさんと一緒に毎週30人ぐらいの人数が集まり、マイクロバス等で通うようになっていました。

佐藤さんとの出会いで、
AwayからHomeに変わる

すると3回目ぐらいに、同じ石巻市の湊町で水産加工工場を営んでいる佐藤さんという方に出会います。その頃、ようやく町もクルマを走らせることができるようになっていましたが、当初は「こんな感じで復興させようとしているんだ…できるのか?」と少々不安に思ってしまうほどの状態だったのです。

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写真提供:Shogo
石巻市湊町で出会った佐藤家のお父さんとお母さん(前列でしゃがむお二人)。「復興したい」と、背中でみせてくれました。

佐藤さんは父・母・長男・次男・長女の5人家族の父親で、幸いにも家族の中に亡くなった方はいませんでした。ただ、築2年の実家が崩壊しているのと共に、生業としている水産加工を行う工場も…。「まずは生活の糧となる、工場を復興させたい」とおっしゃっていたので、「僕らのチーム[this is a pen]が一丸となって、それ手伝います」って言いましたね。

そのときに僕らが佐藤家の皆さんを見て感じことを正直に言えば、「いつ自ら命を断ってしまってもおかしくないような雰囲気」に読み取れたのです。全然笑わないし…。そこで「これはちょっとまずい…」と勝手に思い、それ以降は社会福祉協議会に連絡することなしに、佐藤さんのお宅へ通い続けようになります。生意気なことを言わせていただくなら、「佐藤さんたちの心に積もったドロも、僕らの心で洗い流せることができれば」と願ってのことです。

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写真提供:Shogo
2011年8月22日、「1日目標100個!」と気合いを入れて水産加工工場の清掃作業に励むチームメイト。

その日その日…一緒に作業することを積み重ねることで互いの絆を深め、つなぎとめることができればと思いました。そして東京へ戻る際には、「来週もまた来るからね」という言葉を毎回かけていました。

すると次第に、最初は全然笑わなかったのですが…。ある日、若い男子ばかりで行ったときのこと。僕らは毎回、失礼にあたると考え、とにかく作業だけ真剣に取り組もうという気持ちでいたのですが、ついついふざけてしまったのです。何かの弾みで、水をかけてふざけ合ってしまったのですが…。「あ、マズい…」とすぐに気づいて、やめようとしながら佐藤さんの顔を見てみると…笑ってくれていたんです。

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写真提供:Shogo
佐藤さんが営む水産加工工場「ヤマユ佐勇水産」の工場前。コンクリートの地面が見えたとき、長靴の底で確かめながらお父さんは、そこで初めて静かに笑いました。

作業するだけが
復興じゃないのかな…

と思い、その日以降から毎回、最後にふざけたことを言ったり、自分たちで自虐ネタをやったりしていましたね。それでちょっと笑ってもらえると、僕らもかなりうれしくなって毎回ネタを考えていくようになりました(笑)。

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写真提供:Shogo
2011年9月25日、ついに小さなほうの工場を再稼働させることができるまで復旧させることができました。

作業は進んで、小さい工場と大きい工場と2つある工場のうち小さいほうが先に復興させることができました。それは東日本大震災と言われる大きな地震の日である3月11日から、半年を超えた9月の末ぐらいでしたね。小さなほうの工場がやっと稼働できるようになったんです。そのときに、「みんなでお祭りをやろう」ということになり、そこで初めて魚を食べさせてもらいました。魚の切り身を扱う水産加工の工場だったので、そこの食材をいただいたわけです。そこからまた、大きなほうの工場の復旧に取り掛かりました。

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写真提供:Shogo

 その一方で、崩壊した自宅も復旧しなくてはいけません。1階と2階が半壊状態のままで「掃除をすると補助金が下りる」ということを聞いて、早速みんなで掃除しました。ですが住まいとなると、そこの主役はお母さんになります。いわばお母さんの城であり、作品とも言えます。つまりここは、お母さんの心そのものであり、過去と未来の境界線のようなものだったのだと思います…。きちんと現実を認識しなくてはない、でも、できるならその現実を受け入れたくない…これが「悪夢」という架空の話であれば…と願っていたのかもしれません。

ですがお母さんも、「ここを越えなければ、前に進めない…」と決意したのだと思います。お母さん自ら、相談しに来てくれたんです。「すごく掃除したいんだけど、ちょっと一人じゃできないから一緒にやってくれない?」って言われて、「もちろん、やりますよ」と応えました。その時期には、お母さんともチームのみんなも打ち解けていたので、何人かと一緒に掃除させてもらいました。

すると、「そこだけはちょっと、今は無理だわ」とお母さんは言うんです。それは、思い出の品が入った棚でした。それだけ最後に残っていたんです。それ以外は全部みんなで掃除して、整理も完了していたのですが…。

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2011年8月22日、人の笑顔の力強さをこれほど感じたときはありませんでした。

お母さんいわく、「気心しれていないボランティアさんに願いしたら、遠慮してこちらの思い入れも語れず、結局、たくさんの大切な思い出を捨てることになるかもしれないからね…」と言ってくれたんです。その言葉はとてもうれしくて…。僕らは作業のためだけにこの町へ通っていたわけでなかったので、チーム一丸で身体だけでなく、「心も通わせることができたのでは…」って、喜びに満ちながら作業していましたね。

そこの清掃を終えると、
お母さんも少し明るく
なったのも実感できて、
さらにうれしかった。

佐藤さんが住む石巻市湊町では、毎年夏になるとお祭りを行っています。佐藤家のお父さんとも当初から、「復興したら、お祭りで一緒にお酒でも飲みたいですね」と話していましたので、毎年夏のお祭りの際にはチームのみんなと町のお祭りに参加したり、バーベキューしたりと、コロナ禍となるまでは訪問するたびにひとつの家族のようにお酒を飲んで楽しく盛り上がっていました…。

震災から1年が過ぎたころ、2012年の夏ぐらいでした。町の物理的な復旧活動にも先の見通しができるようになり、だんだん活気が出てくるようになっていました。ですがここで…

目に見えない部分こそ
デリケートかつ
大切な部分なんだ…

ということを、まじまじと実感させられる状況が耳に入ります。同じ町の中でも震災の影響は山を境に、被災している地域と被災してない地域があったのです。そこで同じ学校でも、生徒たちの中に被災している生徒と被災していない生徒がいることになり、その両者の間に壁が生じていたわけです。

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写真提供:Shogo
8月には、僕の誕生日も祝ってくれました。ほんと、どちらが元気をもらっているのかわかりません。そしてこんな笑顔を見るために、宮城へと通い続けたとも言えるのです。

その壁のよって、すごく悩んだり傷ついていたりする子どもたちも少なくありませんでした。そういうときに僕らが兄貴的な感じでちょっと寄り添って、「相談に乗る」とまではいかないけれど、「対話することが大切なんだ」と思って続けていました。今では、本当の兄弟のようです。このことも、宮城に通い続けた大きな理由のひとつですね。

「まずは瓦礫の復旧をしなければ…」と思って通い続けていたのですが、現場に立って、そこで暮らす皆さんと接してこそわかる現場のリアルな空気感の一部が実感できたのです。目に見える物理的な復旧も大切だけど、結局は…

そこに暮らす人々の心が
復興しなければ、
「復興」とは言えない。

と、そこで大きく再確認できたのです。それは現在、このコロナ禍で現場へ行けない状況だからこそ、さらに強く思っています。実際に僕らは現地へ通い、その現場に立ってはいますが、震災の当事者ではないのです。そんな僕らが物理的な復旧を見て、「復興、結構進んでいるんですよ!」なんて、判断してはいけないって思うんです。

現地の方々が心から「復興できた」と実感していただかない限り、復興ではありません。10年経った今でも、まだまだ“復興した”とは言い切れないと思っています。なので、その日が来るまではきちんとやり続けたいと心に決め、物理的な復旧と共に精神的な復興…その両面で頑張るしかないと決めています。

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当事者である東北の
皆さんが「復興した」と
実感する日を目指して


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写真提供:Shogo

 コロナ禍の現在、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐ観点から、ボランティアの募集範囲を地元に限定する被災自治体が主流となっています。そんな状況下ということで、Shogoを代表とする[this is a pen]チームも政府の意向に則り、現地へ赴いての支援は控えているのが現状。

「行って顔を見ていない分、こまめに電話やメールやLINEで連絡し合うようにしています」とShogo。まるで、田舎の親にしばらく会えないで淋しい気持ちを抑えている子どものような顔で、さらに支援活動の写真をスマホのカメラロールから見せてくれました。

…と、そのとき、見逃せない写真が流れそうになっていたのを制し、ゆっくりと見せてもらいました。それがこちら…。

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写真提供:Shogo
震災から1年が過ぎた、2012年の夏。湊町のお祭りの日のことでした…。

先頭の列の中央にはタキシード姿のShogoが、そしてその隣にはウエディングドレスの美女が…。この写真の話は、【後編】で紹介します。 

…【後編】へつづく  

ボランティアチーム[this is a pen]

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Transcription / Shane Saito

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