牛乳瓶にたっぷり詰めこまれた新鮮な海の幸。思わず写真を撮りたくなる鮮やかな色彩。ミルフィーユ状になった瓶の断面には、まるで宝石のような旬の海鮮がキラキラと光っています。これを、あつあつのご飯の上にまるごとかけていただく…岩手県宮古市の名物「瓶ドン」です。
2019年には、「ふるさと名品オブ・ザ・イヤー」の“地方創生賞(名品部門)”を受賞し、雑誌『anan』『MORE』といった人気雑誌、TBSテレビ系列『マツコの知らない世界』および日本テレビ系列『ヒルナンデス』などのテレビ番組でも取り上げられるほど注目を集める、大ヒット商品となりました。
しかし、沿岸地域に海鮮丼を提供する食堂は、ごまんと存在します。“瓶から丼に盛りつけて”しまえば、いわゆる普通の海鮮丼となるわけですが…。一見、シンプルに思えるこのアイデアが、なぜここまで話題を呼ぶほどの大人気商品にまで上り詰めたのでしょうか?
今回は、そんな瓶ドンを企画した宮古市役所の職員として働く松浦宏隆さん(45歳)と、そのアイデアをカタチにした、地元の食堂を営む宇都宮純一さん(45歳)に、この瓶ドンがどのようにして生まれたのか、お話をうかがいました。
2011年3月11日に発生した東日本大震災の以前は、宮古市役所観光課の職員として勤務し、東京の旅行会社にも2年間出向していた松浦さん。ですが、震災を機に福祉課へ異動となり、生活保護を受けている人々のサポートを行うケースワーカーとして勤務し、併せて被災して家族や家を無くした人々の未来を一緒に考えていく業務も行っていました。
先の見えない未来を精一杯
励ますことしかできなかった
「皆さん、家なくて…。もともと生活保護だった方も含め、震災後に家や仕事を無くして生活が困窮した方々も沢山いらっしゃって、たくさんの相談を受けながらも、心の中では正直“上向くことがあんのかなあ、これが…”と思っていましたね。何もかも崩れてしまった中で『就職して頑張りましょう』と口では言いながらも、“いや、でも実際厳しいよね”って。ただ先の見えない未来を、精一杯励ますしかなかった。それが想像以上に辛かったんです」と、松浦さんは当時を振り返ります。
行方不明者の再会の場となる
定食屋『魚彩亭 すみよし』
一方、松浦さんの小学校からのご友人である宇都宮さんは、宮古駅前にお店を構える創業140年の老舗『魚彩亭 すみよし』の店主として、飲食店を営んでいました。しかし、震災によって船が津波に飲みこまれ、魚介類が一切手に入らなくなったために営業を続けることが困難な状況に…。震災直後、地元の新鮮な魚介類を売りにしていた沿岸の飲食店が軒並み津波の影響を受けて閉店していく中、それでも宇都宮さんはお店を営業させました。
「その頃って、魚どうこうっていう以前に、何もなかったじゃないですか。ただやっぱり飲食やってる以上は、“何かあったかいものを食べさせたい”っていう想いがあったから、材料が限られている中で、とりあえず今あるもので温かいものをお出ししようっていう気持ちで、なんとか日々過ごしていました。『震災直後はどんな想いだったんですか?』と訊かれることがあるんですけど、正直、被災した人たちってそのとき何を思って何をやってたかって、はっきり覚えてないと思います。必死すぎてもう、本能ですよね。ひたすら、今できることをがむしゃらにやるっていう…。あと、お店を開けててよかったなって思うのは、当時連絡がとれない方とかも結構いたので、お店を開けておくと『あ! だれだれが生きてた!』ってなる瞬間ていうのが、結構ありましたね」
震災後、松浦さんは5年間福祉課で勤務し、平成28年度から観光課へ配属、そして同時に観光協会への出向を命じられました。
松浦さんは震災からの復興を目の当りにする中で、最初に観光課にいたときには見えていなかったことに気づきました。地元の人々と日々直接触れる中で、「地元の人が認めるものを、地域ブランドにすべきだ」と思い立ったそうです。それまで、県外から来る人向けのビジネスに徹していた観光業界では、大人数が一度に訪れる、大口団体客向けのプランが主流でした。
そして松浦さんは、既存のターゲット層に疑問を抱いたそうです。
それまで宮古市の観光客と考えられていたのは、遠い県外からの団体客。ですが、そこにきちんとしたデータが存在していなかったことに気づいた松浦さんは、まず市場調査を開始しました。そして、実際データをとってみると、宮古市に最も多く観光客として訪れるのは県内の個人客であるという集計に。その中でも特に盛岡市の人が多く、「家族連れの日帰り」という滞在プランが最も多いこともリサーチによって明らかになりました。さらに宮古市へ来る一番の目当ては、「景勝地」でした。飲食にかける費用に関しては、全国平均よりかなり低いこともわかってきたのです。
「他の都道府県からの観光客が多かったのは、近隣の青森・仙台・岩手からの日帰り観光目的で訪れてくれるお客さまでした。『日帰りの人がお金使うには、やっぱりお昼ご飯だよね』ってことで、当時の観光協会では次なるターゲット決めでの課題となっていたので、ここで「盛岡の日帰り家族連れ観光客」をターゲットとしてフォーカスして、景勝地を観るだけの観光ではなく、お金を落としてもらえるような仕組みづくりを見直すことにしました」と松浦さん。
ターゲットと観光戦略はわかってきた…。あとは地元の人が認めるような、そして市外のお客さんにとって特別感のあるものをつくり出すにはどうすればいいのだろう?と頭を悩ませていた松浦さん。そんなとき、ぼんやりテレビを見ていたら、宮古市の“生ウニ”が紹介されていたそうです。
「宮古は海に面しているので、やはり、『海鮮物がウリになるな』とは思っていたんですけど、普通の海鮮丼っていうのは宮古市だけじゃなくて、三陸全体の巷で既にあふれていたんですよね。どうしようかなと思っていたときに、ちょうど全国放送のテレビで、“宮古地域は牛乳瓶の中に生ウニを入れて販売してる”っていうのをやっていたんです」
生ウニというのは、型くずれを防いだり保存のためにミョウバン等の添加物を使用するのが一般的ですが、岩手県宮古市の生ウニはこれらの添加物を一切使わず、滅菌した海水と一緒に牛乳瓶に詰めることで、鮮度や旨みを損なうことなく販売しています。そのことがテレビで放送されていたのをたまたま見かけた松浦さん…。
「その放送直後に、宮古の魚屋さんに『購入したい』という問い合わせが殺到したそうなんです。“牛乳瓶に入った生ウニっていうのは珍しいから、ぜひ買いたい!”って」と、松浦さんは顔をほころばせながら語ります。
「ただ、この生ウニっていうのは、時期的に1カ月ぐらいしか販売できないものなんですね。そのため、一瞬は流行るけれどもその時期を逃してしまうと、もう買えないっていうのはちょっと残念だなと思ったんです。でも、牛乳瓶というのはインパクトがあるので、『1年を通して提供できるものを牛乳瓶の中に入れたら、年間通じて販売できるんじゃないか?』と…。じゃあ、瓶の中にいろんな海産物を入れて、さらにそれをご飯にかけて、自分で丼をつくって食べるみたいなことを提案したら面白いんじゃないかな…って思ったんです」
生ウニから着想を得たあと、アイデアを紙に描きだし、商品の実現化にむけて一気に動き出した松浦さん。
「名前も一応、いろいろ考えたんですよ。英語にしてみたり、全部ひらがなにしてみたり、全部漢字にしてみたり…。で結局、なんとなくこうバランス的にいいなと思ったのが『瓶ドン』でした。”ドラえもん”的な感じで(笑)」
こうして膨らんだイメージをノートに書いた松浦さんは、まず最初に自身の同級生である宇都宮さんのもとへ向かいました。そしてイメージ画を見せると宇都宮さんは、二つ返事で引き受けてくれたそうです。
「そこでやってもらって失敗しても、『同級生だからまぁいいかな…』と思って(笑)。『ちょっとお前、これ考えたからつくってみろよ!』という感じです。そしたら、ああ面白いな、やるよやるよって言って、すぐにつくってくれて。で、まあ見栄えも良かったんで、『これならイケるかも!』ってなりました」
初めて瓶ドンのイメージ図をみたとき、宇都宮さんはどのように感じたのでしょうか? 宇都宮さんに、当時の率直な感想をうかがいました。
「いや、すごく面白いなと思いました。ものすごい発想だなと。見た目も綺麗だし、これなら確かに年間通じてお客さんに宮古の海の幸を提供できるし、なんなら通販もできる。『これだ!』と思いましたね」
話を聞いて即、引き受けてくれた宇都宮さん。地元の方々に古くから愛されている老舗食堂の店主が即決したことは、松浦さんにとって大きな自信につながりました。それから松浦さんの申し出を受け、今度は宇都宮さんがアイデアをカタチにしていく作業が始まりました。しかし、それは思っていたほど簡単な作業ではなかったそう。
「正直、最初すごくナメていたんですよ。勝手なイメージで、こんな感じでやればいいんだろうなって。でも、実際詰めてみたら『え、ちょっとこれは微妙だな』って…。べちゃっとしてしまったり、あまり彩りが綺麗じゃなかったり。今はこの配色と配置に落ち着いてるんですけど、やっぱり最初は全然こんなに綺麗じゃなかった。グチャグチャになってしまって、どうしても色のバランスや見栄えがうまくいかなくて」と、宇都宮さんは語ります。
「でも、やっぱり僕は地元にこだわりたかったんで、とりあえず1年を通して、宮古市の食材で使える魚や貝類の中からあれは使える、これは使えないとか、そういう組み合わせる作業は、想像以上に時間がかかりましたね。去年から宮古がトラウトサーモンの養殖を始めたので、それもどうしても使いたいと思って最近また中身をいろいろ変えました。なので、最初に始めた頃と今では中身も変わっていますし、恐ろしく量も変わっています(笑)。最初は蓋をして、はい、どうぞみたいな感じだったんですけど、だんだんなんかもう、もりもりになってきて(笑)。収まりきらなくなったので、蓋はもう発注していません」
「はっきり言って、最初は伸びなかったです。どうにか地元の人に来て欲しいって、つくったものなんです。岩手は田舎ですから、やっぱり人口が少ないこともあって、最初はもう横ばい…本当に数えるほどしか瓶ドンも動かなかったんですよ。でも、そのうちSNSに載せられたり、口コミで広がったりして人気が出てきて…。徐々に雑誌やテレビの取材をいただくようになって、そこからですね。あるタイミングで、バチーンと一気に瓶ドンの人気に火がついたのを覚えています。確か1年目のゴールデン・ウィークだったかな? そのときはもう、開店と同時に席が埋まって、全員瓶ドン目当てのお客さまでした。11:00開店だったんですけど、11:15にはもう瓶ドンは完売してしまいましたね」と言います。
こうして松浦さんの目論見通り、「瓶ドン」は結果的に宮古市を代表する大ヒット商品となりました。さらに松浦さんは、この瓶ドンを宮古市のブランドとして強化するために、ある施策を思いつきます。
「例えばこう、どっかのラーメン屋さんの『究極煮干しラーメン』とかって、仮にめちゃくちゃ流行っても、それを市のパンフレットに載せるっていうのができないんですよね。一企業の一商品ってなると、ちょっと公平性を欠くという部分で…。だけど、“瓶ドン”ていうものは観光協会の発案したものなので、市のパンフレットに載せることもできるし、宣伝し放題と言いますか、市を代表するブランドとして堂々と名乗れる…。さらに宮古市でしか購入できない、という風にすれば旅行に来た時の特別感も出る。それで、観光協会として権利を持つことにしました」とのこと。
松浦さんは『瓶ドン』を、宮古市の確固たるブランドにするために商標登録を取ることにしました。こうして『瓶ドン』は、宮古市を代表する名産品として不動の地位を獲得したのです。
宮古市の今後の展望を、松浦さんにうかがってみました。
「そうですね、基本、宮古市って観光地なのでコロナが落ち着いたら、ぜひ全国の方に一度でいいからきて欲しいなって思いますね。一度来た方って、結構2回目3回目って、来てくださるんですよ。『浄土ヶ浜』はぜひ訪れて欲しいですね。やっぱり、地元に住んでいても未だに観るたびに、『ああ、すごいなあ。やっぱりすんごい綺麗だ』って思うので…。あと、一番の誇りはやっぱり魚が美味しいことですね!」
取材当日も『魚彩亭 すみよし』の店内は、瓶ドンを美味しそうに食べる地域住民の方々や県外からの観光客の方々で店内は満席でした。その様子を松浦さんは、満足そうに眺めていました。
岩手の生ウニを牛乳瓶に入れて保存する習慣からヒントを得て、こうして誕生した瓶ドン。今までは宮古市に来た特別感を出すために、通販はおこなっていませんでした。が、新型コロナウイルスの影響もあり、2020年から通販での購入も可能となりました。
「瓶に詰まった宮古のめぐみをほかほかご飯にまるごとかけて」をコンセプトに、牛乳瓶に入った新鮮な海鮮を、自分自身でご飯にかけて食べる体験型のご当地丼、瓶ドン。それは、”宮古市を盛り上げたい!”と本気で願い、震災を乗り越えて奮闘した2人の熱い物語が産んだ商品だったのです。一度でも食べたらきっと、もうやみつきになるはず。ぜひ一度味わってみてください。