「むずかしいことをやりたいんです」
ブルックリンのグリーンポイントにレストラン「YUU (ゆう)」を5月にオープンしたばかりの島野 雄シェフは、そう言い切る。
モダンでシックな雰囲気の店内には、長いカウンターテーブルがあり、18席だけが用意されている。あたかも鮨店のカウンターのようにしたかったのだという通り、席からはオープンキッチンが臨める。
さらにブルックリンでしか実現できないような、ゆったりとしたラウンジスペースがあり、そして厨房のスペースが驚くほど大きい。
ふつうなら10人以上のラインコックが立ち働いている広さだが、ここをたった3人のシェフと、わずかなアシスタントで切り回している。
ここには特注した15万ドル(約2000万円)のフランス製調理器具や、一般のレストランには滅多に置かれていないパイ生地シートマシンなどを完備している。
「ぼくにとってキッチンは舞台。シェフは役者。音楽のペアリングを含めて、お客さまが食事を楽しむだけではなくて、ここにいる時間を楽しめる場にしたいです」
奥にある冷蔵庫も大きく、シグネチャーである鴨のパイ包みに使うために、鴨肉が乾燥熟成されている。
「パイに包むためには、味わいを凝縮させるためにも、水分を調整するためにも鴨肉を熟成させたほうがいい。フランス料理を22年やってきているので、手間をかけて、テクニックが必要な、むずかしい料理に挑戦したいんです」
現在、提供しているのはテイスティングメニューのみで、250ドル。ワインと日本酒のペアリングが185ドル。客単価は、450ドルほどだ。
出す料理の点数は、約20点。最初に手でつまんで食べられるアミ—ズブッシュが出され、スプーンで食べられる前菜、ナイフとフォークで食べる料理、デザートは4品といった組み合わせだ。得意の肉料理は必ず2品入れている。
一方、皿には有田焼の器をあしらい、美しい日本の美意識がうかがえる。
パリの三つ星レストランで
ソース部門長に
サッカー少年が、島野シェフは兵庫県三田市出身、サッカー少年だったが、映画『耳をすませば』を観てヨーロッパに憧れを抱き、漠然と行ってみたい気持ちがわいたという。
そこで高校卒業後は辻調理学校で学び、フランス校での研修で、はじめて本場のフランスの厨房で修行をすることになった。
そこから神戸のポートピアホテルにあった「アラン・シャペル」などを経て、ワーキングホリデーを利用してフランスに渡り、修行。就労ビザも手に入れた。
そしてついに、パリの三ツ星レストラン「ギイ・サヴォワ」でソースと肉の部門責任者(シェフ・ド・パルティ)に抜擢。フランス料理では、味の決め手となるソース長がもっとも花形とされている。和食の板前でも、煮方や椀方の地位が高いように、味つけを決める役割となる。
ポテチを知らなかった少年時代
味の原点は母親、そんな島野シェフにとって、味の原点は母親にあったという。
母親が料理上手で、野菜嫌いだった島野少年のために、好きなホウレンソウに苦手な野菜を隠しいれてくれたり、ソースで味付けしたりと工夫してくれた。
「袋菓子のポテトチップも食べない家庭で、友だちのところに遊びに行って食べていましたね。そういう意味で舌が肥えていたのが、アドバンテージになったのかもしれません」
計8年ほどになるフランス滞在を経て、2017年ニューヨークのレストラン「MIFUNE(ミフネ)」でヘッドシェフに就任。そして今度は自分がやりたい料理をとことん実現してみたいと、満を持して23年5月に自分の店をオープンした。
幼なじみの投資家と自己投資で開店
アメリカでは、シェフが店をオープンする場合、バックにレストランティエ〔経営者〕がつくことが多い。数ある高級鮨店も日本人の板前が看板となりながら、経営はユダヤ系アメリカ人というケースが珍しくないのだ。
しかしYUUの場合は、自己資金と投資家を募ることで自分が100%采配できるようにしたという。メインの投資家は、日本で会社経営をしている島野シェフの幼なじみ。あとは自己資金、そして他の投資家たちからも資金を募った。
YUUの開店は「NYタイムズ」に取りあげられ、著名インフルエンサーがポストしたとたんに予約が殺到した。また、集めた仲間もExecutive Chefを担当する古川修二(さん、そしてペイストリーシェフを担う髙橋荘幹(まさき)さんともに昔からの知人であり、同じほどの実力の持ち主を集めた最強のチームだ。
「ぼくだけが主人公なのではなくて、みんながスターになる店をめざしています」
店の構想を練るときはカジュアルなビストロのようなスタイルも考えたのだが、自分にとっては、やはり高級フランス料理の世界であるとガストロノミーを追究することにしたという。
意外かもしれないが、ニューヨークには東京ほどフランス料理店が存在しない。
ニューヨークで最も多いのが、「ニューアメリカン」というアメリカ料理をアップデイトしたもので、高級店でも必ずハンバーガーとフレンチフライが用意されている。
一方、凝ったフランス料理を出す店と言えば、「ダニエル・ブールー」、「デビッド・ブーレイ」、そして「ジャン・ジョルジュ・ヴォンジェリヒテン」など、ビッグネーム以外はそれほど多くないのだ。
そういったなかで、ガストロノミーの店を日本人が手がけることの意味をどう捉えているのだろうか。
「ぼくにはフランス料理に対するリスペクトがあり、その一方で日本人としてのサムライ・アイデンティティもある。醤油や出汁も使うし、スッポンなどの素材を使うこともある。フランス料理を守りつつ、そういう自分らしさを加えていきたいです。アメリカでは人種差別があるだろうと身構えていたんですが、実際には、実力があれば誰でも認められる。人種が混じりあっていて、居心地が良いですね」
例えば、ニューヨークのミシュラン三つ星レストランである「ブルックリンフェア シェフズテーブル」のシェフ、セザール・ラミレス氏はメキシコ系アメリカ人だが、和食とフランス料理から影響を受けた料理で評価を得ている。ニューヨークには多彩な文化があり、実力のあるシェフはその腕前で認められる。
「フランスやアメリカでは、料理人がアーティストとして扱ってくれると感じます。日本でも料理人の地位を高めたいという思いはあります」
「僕が来たころとは違ってきて、以前はフレンチでもア・ラ・カルトがあるのがふつうだったんですが、今はティスティングメニューだけでも通用する。ここ6年くらいで、食が変化したと感じます」
もともとアメリカは客の好みや要求が絶対的だったのだが、ここ数年でティスティングメニューが浸透してきている。
「OMAKASE」という言葉が、もはや英語で定着しているのを見ても、鮨が広めたコンセプトが食通たちの間に広まったと言えるだろう。
「着地点がしっかりしている料理が理想」と言う島野シェフ。
「皿の着地点は見えるので、そこを逆算してつくっていきます。自分の料理は、足し算の料理だと思っています。フランスのクラシックな料理をしっかりやりたくて、たくさん古い本のレシピを調べたりしているんですが、そこに“新しい”というよりは、“僕らしい”ものを足していきたい。もっと言えば、新しいカルチャーをつくっていきたいです」
今の目標はミシュランの三つ星を取ること。チームの力を合わせて、絶対に取れると、確信している。
若き日の島野青年は、TシャツにBrooklynと書いてあるのを「ブロッコリン」と読んでいたというほど海外のことにも疎かったというが、それが今や新しいフレンチを牽引する立役者にもなっている。次のミシュランが楽しみだ。
◇詳細
Restaurant Yuu
住所/55 Nassau Ave, Brooklyn, NY 11222
営業/火曜日〜土曜日
時間/6:00pm~
※9月半ばから、5:30pm~と8:30pm~の予約が可能。
定休/日曜・月曜
公式サイト
公式Instagram
ミシュランと言えば、オープン初年に見事ミシュランひとつ星を獲得した、日本人シェフが手がけるフランス料理店がある。トライベッカにある「L’Abeille(ラベイユ)」だ。
トップに立つ長江充展(ながえみつのぶ)シェフは、恵比寿の「ジョエル・ロブション」の卒業生であり、正統派のフレンチ料理を手がけてきた背景がある。
ラベイユとはフランス語で、ミツバチのこと。長江シェフの名前、ミツとかけている。
「ニューヨークで店を開くようになるとは、想像もしていませんでした」と長江シェフ。自らニューヨーク上陸を計画していたわけではなく、ジョエル・ロブションのニューヨーク店オープンにともなった渡米だった。
長江シェフは食の都である大阪出身。両親が忙しかったので、中学の頃から自分と妹のぶんのお弁当を作っていて、料理には親しんでいた。高校の時には、パン職人になりたいと夢みたが、実際の調理学校の見学をしてみて、フランス料理の方が合っていると進路を定めた。
辻調理学校のフランス校で、ミシュランの三つ星に輝くレストラン、オーヴェルニュにある「Régis Marcon」(レジス・マルコン)でインターンシップを勤めた。そこでは豊かな自然に生えるキノコやハーブを朝に詰んで、用意をしたという。
「マルコンさんは料理に対して誠実で、思いやりがあったんです。厨房で働くスタッフにも、気づかいがあって、朝食用のパンが用意してあるんですね。そういう気づかいや思いやりが、すべての料理にも反映していると感じました」
卒業後、2008年に東京のミシュラン三つ星に輝く「Joel Robuchon」に入社する。
「ロブションさんは仕事に厳しい方だったんですが、その厳しさに多くのことを教わりました」
例えば、ロブションのシグネチャーの料理にカリフラワーのクレームにキャビアを添えたものがあるが、そのてっぺんに飾る小さな緑の葉が完璧に美しい一枚でなければならず、少しの欠点も許されない。
「ロブションさんが言っていたのは、つくるほうにとっては毎日の流れ作業かもしれない。けれども、お客さまにとっては一期一会の食事なのだから、その気持ちになってつくらなければならないと…」
細かいところまで徹底的に追求していくロブション氏のもとで研鑽したことに、今の長江シェフの実力が築かれている。
再び渡仏して、パリの「Ledoyen」(ルドワイヨン)で1年間働いたあと、今度はパティシエとして東京のジョエル・ロブションに参加。さらに銀座の老舗「ロージェ」でも腕をふるった。
こうしたパティシエ経験があるのが、長江シェフの強みにもなっている。
ラベイユの料理はどれも品よく、美しく、かわいらしい盛りつけが特徴で、パティシエ経験者らしい感覚が生かされている。
長江シェフがニューヨークに来たのは、2017年のこと。
ロブションのニューヨーク店である「L’Atelier de Joel Robuchon(ラトリエ・ド・ジョエル・ロブション)」の立ち上げにともなって新天地に移住した。さらにロブション出身であるシェフ、アラン・ヴェルゼロリ氏のファインダイニング「Le Jardinier(ル・ジャルダニエ)」がミッドタウンに開店するのにともない、併設する「SHUN(シュン)」で、シェフ・ド・キュイジーヌとして抜擢。
この「ル・ジャルダニエ」もミシュランの星を獲得している。
ところがニューヨークの街はパンデミックで「シュン」がクローズ。レストラン業界は大打撃を受けた。そんなときに、ロブションの常連客であったラウル・サイトウさんから出張料理を頼まれるようになる。そこから話が進んで、ラウルさんがレストランティエとして店舗を出すことになった。
そして「ラベイユ」は、ファインダイニングよりは堅苦しくない、けれども美食を追求する「ビストロノミ—」をコンセプトにした店として、22年3月30日にオープンした。
店内は48席、落ちついたグリーン系のベルベッドを配したインテリアは、上品で都会的なイメージがあり、こぢんまりとした空間が、「ビストロノミー」にふさわしい、居心地の良さを感じさせる。
現在、ラベイユが提供しているのは、シェフのテイスティングコース8品で225ドル。ワインのペアリングは155ドルとなる。初めての客が試してみるのに良いのが、5品からなるディスカバリーメニューで、こちらは165ドルだ。おおよその客単価は300~400ドルほど。
「このあたりにはフランス料理店がなかったので、出来て良かったといって下さるお客さまが多いですね」
客層はほとんどがトライベッカの周辺に住む人たちで、富裕層が多いエリアであり、彼らにとっては身近にある美食が楽しめるビストロノミ—と言えるだろう。
さて、3カ国を経験してきている長江シェフから見て、その味に対する好みの違いというのは、どうなのだろうか。
「フランス人がつくるフランス料理と、日本人がつくるフランス料理は似ていると思います。どちらも職人気質なので…。また、フランス人が好む料理も日本人が好む料理も似ているとは感じます。でも、アメリカは全くまったく違う。食材の調達から違いますね」
例えばイチゴにしても、日本では甘いイチゴが開発されるが、アメリカではあまり甘みのないイチゴが流通していて、そこで甘く品種改良していくといったことが行われない。そのままの素材を受け入れて、味を足していくことが多い。
「ここではハッキリした味、インパクトを求めますよね。酸味も好まれるのですが、それだけを追求したら、全部の皿が酸味に傾いてしまう。大切にしているのは、インパクトはあるけれど、うまくまとまっていてバランスがいいこと。バランスある皿を、つねに追求しています」
「ラベイユ」は22年春にオープンして、その年の秋にみごとミシュランのひとつ星を獲得している。いったいミシュランの調査員というのは、来るとわかるものなのだろうか。
「うーん、わかりそうで、わからないんですよね(笑)。メモを取るお客さまがいると、怪しいと思うわけですが…。実際には、メモを取る食通のお客さまもけっこういらっしゃるんですよ」
長江シェフによるテイスティングメニューには「日本の食材や調理法をうまく取りいれたい」というこだわりから、新しい試みが生かされている。
例えば、「オーベルジーヌ」(茄子)の一品はまるまる茄子を揚げて翡翠煮(ひすいに)にして中にカポナータ(シチリア島およびナポリの伝統的な野菜の煮込み料理)を詰め、あおりイカ、さらに焼き茄子のアイスクリームを添えてシラントロのピュレを敷いている。
「フィレ・ド・カナール・ロティ(鴨フィレのロースト)」は、ドライエイジした鴨肉のコンフィに焦がしたリーク葱、そしてコンテチーズのムースを添えて、日本の「鴨ネギ」をフレンチに再構築している。
また「アンギーユ・ジャポネ—ズ」は、炭火でグリルした鰻にクリスピーに仕上げたコシヒカリ米を添えて、ひつまぶしをモダンなフレンチに仕上げている。
さまざまな都市を経験してきた長江シェフだが、「ニューヨークは、スポ—ド感とエネルギーがあって、いろんな情報文化がある。すごく成長できる町だと思います」と語る。
例えば、南米文化に近しいのも面白いところで、ヨーロッパや中国のように南米では豚でも全部を食材として使う知恵もあれば、さまざまなスパイスもあり、今まで触れてこなかった食文化に触れるのも、勉強になるという。
「今やるべきことを、精一杯やっていくのを大切にしています。まじめにコツコツやっていけば、道が拓けると思って、やってきました」
そう語る長江シェフは、ニューヨーカーらしからず、謙虚だ。店舗の隣には「ラベイユ・ア・コテ」もオープン。こちらはカジュアルバージョンで、ア・ラ・カルトはこちらで出すようにするようにしていく予定だ。
誠実に仕事をしながら着実にミシュラン星を叩き出し、店舗を展開していく長江シェフのすばらしい手腕にさらに期待したい。
◇詳細
L’Abeille
住所/412 Greenwich St, New York, NY 10013
営業/火曜日〜土曜日
時間/5:00pm〜
定休/ 日曜・月曜
公式サイト
公式Instagram
このジャパニーズ・フレンチ・ブームだが、少ない数のカウンター席というスタイルを始めた先駆者と言えば、谷 祐二シェフだ。
今、トレンディなエリアとして注目されるブルックリンのグリーンポイントに、「HOUSE ブルックリン」がオープンしたのが2022年春。
西麻布「ハウス」と言えば、フランス製の鋳物鍋「ストウブ」を使用したビストロとして業界人や芸能人の御用達のスポットであるのは、よく知られているところだ。なぜ、すでに東京で成功している谷シェフが、あえてニューヨークに挑んだのか。その思いを尋ねてみた。
谷シェフは京都生まれの京都育ち。祖母や母の味つけで、自然と京都の味を舌に叩きこまれていたという。高校卒業後サラリーマン生活4年のあとに、21歳から京都の老舗フレンチレストラン「ベルクール」に飛び込みで入って、料理人の人生をスタートさせる。
そして2001年、28歳のときに「シボネ」などのブランドを手がける(株)ウェルカムで飲食チームの立ちあげに加わり、そこから14年間飲食部門に係わり、2008年に西麻布にビストロ「HOUSE」をオープンした。
リヨン料理をベースにしながら独自のメニューを開発し、ストウブからは200個のココットを提供してもらったことで、ココットを利用した料理が話題を集めた。
2015年には「ハウス」のオーナーシェフとなり、今度は海外に店舗を出そうと谷シェフは一家をあげて2019年9月に渡米した。なぜ海外に移ったのだろうか。
「ニューヨークに移住したのは、三つ理由があって、もともと海外に住んでみたかったというのがひとつ。二つめが西麻布ハウスも、PRの展開に新規なことがなくなって、もっと何か面白い方法がないかと模索してみたこと。そして自分の料理が、料理だけで評価されてみたいと思ったことですね」
谷シェフは人気レストランを経営しながらも、正当に料理を評価されてきていないという気持ちがあったという。
「自分の料理は、そんなのはフレンチにはないよねといわれたり、あるいは著名な老舗フランス料理店出身でないと、評価もされなかったり、味の批評以前に終わってしまうことが多かったんです。自分の料理だけを見てもらえるところに行って、勝負してみたいと感じていました」
はじめはクラウンハイツに物件を借りる予定だったのだが、工事が始まる前にパンデミックが始まって、その物件の契約は白紙に戻る。代わりに見つかったのが、グリーンポイントにある倉庫だった物件だった。
3500スクエアある広大な箱であったため、とても自分のレストランだけでは成立しないと思えたが、旧知の「シボネ」に話を持ちかけたところ、ふたつ返事で参加することに。さらに知己(ちき)を得た、「出汁の尾粂(おくめ)」も出店することになった。
そこで「50 Norman(フィフティ・ノーマン)」には、日本のインテリアや雑貨、アートを扱う「シボネ」と食材と出汁を扱い、焼き魚定食を出す「尾粂」、そして奥に「ハウス」という複合スペースが出来上がり、これがニューヨークでも新しいジャパンのミニモールとして話題を集めた。
そんな「ハウス」は、22年12月1日に正式オープンする。
結果的には大正解で、クラウンハイツまで高級フレンチを食べに行く客がいるとは思えないが、グリーンポイントであれば、今、所得の高い層が住み始めているのでちょうど良い選択であったと言える。
オープンして3カ月はアジア系の客層がほとんどだったが、半年たってローカルの客が増え始めて、現在は40代くらいの年齢層で何回も来てくれている常連が多いと言う。
さて、実際に店舗を出してみて、東京とニューヨークでは好まれる味が違うものだろうか。それに対し、「まったく違いますね。ここでは自分の感覚よりは、三段階くらい味を濃くしています」と谷シェフは説明する。
日本で言えば、味が一種類でも良いがそこを深掘りする。例えば鯛の刺身なら鯛だけでよいが、それがどこ産であったり、あるいは昆布締めであったりという深さを追求していくわけだ。
一方ニューヨークでは、「おいしいと思われるには4種類くらいの味があって、横に広げるようにしないといけない」と分析する。キッチンは3人で回していて、営業日は水曜日から土曜日までの4日間。8席を二回転させている。
現在提供しているのは、9品のテイスティングコースで180ドル。ティスティングメニューはシーズンごと、3カ月にいっぺんほど変えているが、旬の素材によって細かく変更している。
シグネチャーのメニューはモツァレラのブラータチーズに、クランチ—なストロベリーのネットをかけた一品で、開店時から持続している。最中の皮の中にフォアグラとアップルジャムを詰めたアペタイザーも人気だ。
また、大根を薄く切ってリボン状にしたものと薄づくりのあおりイカを一緒にまるめて、大根のクリームをかけた一品。昆布でマリネした和牛や、柴漬けとフォアグラをまぜたごはんなど、和と洋のフュージョンが目立つ。
「ハウス」について、英語サイトでは「フランス料理のテクニックと、京都スタイルのミニマリストなアプローチの融合」と説明されているが、これは言い得て妙だろう。
谷シェフによる手の込んだテイスティングコースは、アメリカではアップスケールの店が出すものだが、「50ノーマン」の奥にある「ハウス」は知らない人でないと来られないような隠れ家感がある。
ここではカウンターに8席、多くても10席まで。鮨屋のようにオープンカウンターで、立ち働くシェフたちが見えてインテリアも黒に統一されている。そのミニマルさが、ニューヨーカーには日本的に感じられるのだろう。
2023年には「NYタイムズ」のピート・ウェルズ氏による評論が出たり、ミシュランのガイドに登場したり、「トラベル+レジャー」誌のベストニューレストランに選出されるなど、メディアの注目も集めて話題の店舗となっている。
「ぼくの料理は、日本料理の技術を駆使して、フレンチにしあげるもの。もっと言えば、今の和食だと思っています。今は、日本の家庭でも和食だけ食べているのではなくて、洋風にアレンジして食べたり、日本の素材でパスタを作ったりしますよね。それがリアル・ジャパンだと思う。そしてお客さまには、ここでリアル東京を体験していただきたい」
さまざまなバックグランドを持った人たちが集まるニューヨークに移住したことは、「住み心地は最高ですね、誰の目を気にしなくてもいい」と笑顔で語る。
谷シェフは腕にほどこしたタトゥが、彼のスタイルになっているが、日本の食コミュニティのカキコミでは「シェフがタトゥをしていた」と書かれたこともあり、「料理ではなくて、そこなのか」と落胆した経験もあるという。
ニューヨークでは、誰がどういう恰好をしていようが誰も気にしない。ニューヨークの暮らしでは、何かの配達や修繕を頼んでも時間通りに来るということがなく、地下鉄やバスも時間通りに来ず、不便さはつきまとう。一方日本は、便利なだけに詰め込みすぎることがあったという。
「日本は全員がスケジュール通りに動いていくから、たしかに便利なのだけれど、どんどんスケジュールを詰めこんでしまえて、それが反対に過労につながったりもする。ここでは、スタッフもワンシフトで、週4日の営業でやっています」
朝の9時から仕込みをして、夜は深夜までのスケジュールをこなしつつも、谷シェフには新天地で、のびのびと腕をふるうひとの笑顔があった。
さまざまなバックグランドを背負った人たちがやって来るニューヨークで、日本人シェフたちの挑戦はこれからも続く。
◇詳細
House Brooklyn
50 Norman
住所/50 Norman Ave, Brooklyn, NY 11222
営業/水曜日〜土曜日
時間/6:00pm~
定休/日曜・月曜・火曜
公式サイト
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Ellie Kurobe-Rozie
東京都出身。早稲田大学第一文学部卒業後、ライターとして活動開始。『Hot-Dog-Express』で「アッシー」などの流行語ブームをつくり、講談社X文庫では青山えりか名義でジュニア小説を30冊上梓。94年にNYへ移住、日本の女性誌やサイトでNY情報を発信し続ける。著書に『生にゅー! 生で伝えるニューヨーク通信』など。