ビヨンセやマドンナ、ファレルなどトップアーティストにともなっているツアーダンサーが、島津藍(しまつあい)さんだ。そればかりでなく、現在は広告モデルや女優としても活躍している。

10cmのハイヒールで踊る
「ヒール」クラス

preview for The reason why Ai Shimazu, a Japanese dancer who performs on Beyoncé's world tour, was able to reach the top

足もとは、10センチはありそうなハイヒールで固められている。マンハッタンの某ダンススタジオではその日、講師である島津 藍さんも生徒たちもハイヒールを履いていた。

その名も「ヒール」クラス。ハイヒールを履いてダンスするというクラスだ。オリジナルの振付を手本にしてみせる藍さんは、くねるようにセンシャルな動きを見せたかと思うと、ビシッと切れのよい動きを見せ、「パッ、パッ、パパパパ、シャ、シャ、シャ」とかけ声はとても大きく、キビキビとしている。生徒たちもハイヒールを履いて踊れるのだから初心者ではないのだが、藍さんの動きはそれとはまったくレベルが違う。

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SARAI MARI

柔らかいところは水のように流れ、決めるところはパチッと決まり、腰の入り方、足を動かす角度、動きの切れ、メリハリがあり、ちょうど書道でたとえるならば、「とめ」「はね」「はらい」が美しいダンスというのだろうか。

「これが一流のプロというものか」、というのが短い間にもわかる踊りだった。

素顔の愛さんは、キビキビとした動きと、はっきりした物言い、そしてふだんはスポーティブな女性という雰囲気でいながら、いったん踊ると、驚くほど官能的で、観る者を魅せる力がある。

エンタメ界のスターと踊り、
広告に出演する日本人女性ダンサー

島津 藍さんは、現在アメリカのロスを拠点にして、ダンサー、女優、広告のモデルとして活躍している。

2011年に日本人として初めてビヨンセのプロモツアーに参加。ツアーに加わったアーティストは、マドンナ、ファレル、ケイティ・ペリーなど、超一流スターたちだ。

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さらに生前のプリンスともテレビ収録で同じステージに立ち、カニエ・ウェストのパフォーマンスやテレビ収録、同じくグウェン・ステファニー、ジャネル・モネエなど、そうそうたるアーティストたちとも共演。また、「コーチ」「トミー・ヒルフィガー」「ケンゾー」「ラグ&ボーン」のキャンペーン広告にも出演している。

つけ加えるなら、夫のリル・バック(Lil Buck)さんは世界で有名なストリートダンサーであり、まさにいま世界でもっとも輝いているダンサーのひとりだ。

前代未聞の豪華さで話題、
ビヨンセの
『ルネッサンス』ワールドツアー

藍さんが今年、直近まで加わっていたのがビヨンセの『ルネッサンス』ワールドツアー(2023年5月11日~10月1日)だ。ヨーロッパと全米をまわるツアーだが、とてつもないスケールで話題を呼んだ。わたし自身も、フィラデルフィア公演を観たのだが、間違いなく今まで観たコンサートのなかでも最大級のエンタメだった。

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衣裳チェンジは、なんと7回。そのたびにバックダンサーたちも着替え、シルバーの宇宙っぽい衣裳、あるいはホットピンクで揃えた衣装など、場面ごとに世界観を打ち出したスタイルも見どころだ。

愛娘のアイヴィ・ブルーさんも出演し、映像からセット、ライティング、ビヨンセの宙づりにいたるまでビッグスケールだ。ダンサーたちの存在感が高いのも特徴で、観客たちもダンサーたちのダンスタイムを待ち受けている。

今回のツアーでは、フランス出身の双子ダンサーであり、世界的な人気を誇る「レ・ツインズ(Les Twins)」をはじめ、体型もセクシュアリティも多様性にあふれたチームとなっている。この選りすぐったダンサーたちのなかで、日本人は藍さんだけだ。彼女が世界の一流まで上りつめた秘密はどこにあるのだろう。

ディズニーのダンサーに憧れて
バレエを始めて

「きっかけはディズニーでしたね」と、ダンスに興味をもった発端を、そう藍さんは思い返す。4歳になるちょっと前のころ、ディズニーランドで観たダンサーたちに魅せられて、ダンスを習いたいといい、近所のクラシックバレエ教室に通いだした。そのままクラシックバレエを修練しつづけた。

「なにか違うことをしたくなって、17歳の頃にいったんやめて。高校ではダンス部があったので、ジャズダンスをやっていました。ヒップホップは、全然やってなかったですね」

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その後、エイベックスが運営するダンスアカデミー東京校に通いだす。トレーニングしながら、たまにエイベックスから来る仕事もこなしていたという。そして高校卒業後は、ニューヨークへと留学した。

「ダンス以外のものを学びに大学に行くのもお金のムダだし、ダンスの専門学校も見に行ったんですけど、なにかしっくりこなくて。そしたら『海外に行ってみたら』と母に勧められたんです。『大学に行かないのだったら、1年間サポートしてあげるから』と。日本だけじゃないよっていうのを教えてくれたのは、母のおかげですね」

高校卒業後に、ニューヨークに渡る

ニューヨークには、2007年後半に移住。語学学校のビザを習得して、大手のダンス学校であるブロードウェイダンスセンターに通いだし、その後はダンスセンターの学生ビザに切りかえた。

「ダンスセンターでは、ジャズの授業も受けなきゃいけないし、ヒップホップも受けなきゃいけないっていうカリキュラムなので、そこでヒップホップもやり始めたっていう感じでした」

そしてニューヨークでは、いくつも小さな仕事をこなしていくようになった藍さんだったが、ここから上に行くにはロスに移るしかないと考えて移住することを決心した。大きなオーディションは、ほとんどがロスで行われるからだ。

ビヨンセのオーディション合格
いきなりフランス公演から参加

ロスに引っ越そうとしていた2011年のこと。突如舞い込んだ知らせが、ニューヨークで行われるビヨンセのオーディションだった。すでにロス行きの飛行機チケットも買っていたが、すぐさま申し込んだ。

オーディションでは「今までツアーでアジア人を使ったことない」と言われ、実際にオーディションを受けたアジア人女性も藍さんだけ。オーディション後、すぐに結果が出るかと思いきや、2週間たっても答えが出ず、これはもうないのだろうと判断した。そしてロスに行って、空港着いたとたん電話かかってきて、合格の知らせを受けたのだった。

「『みんなはもうヨーロッパ行っているから、合流できるか』って。2日後にフランスでしたね。パリでみんながいるところに合流して、リハーサルをしました」

たった2日で本番を迎えた藍さん。

こんなふうに練習が2日間で本番というのは業界的にはあり得ないことで、ツアーの場合、チームは「2〜3カ月の練習期間をするのがふつう」だという。

そこで成功を収めた藍さんは、つぎつぎとアーティストたちの専属ダンサーを務めることになる。

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突き抜けるトップの違いは
「負けず嫌いである」こと

ニューヨークには多くの若者が夢を追ってやってくる。だが、努力しても誰もが成功できるわけではない。いったいトップに飛びぬける人は何が違うのだろうか。

この問いに、藍さんはしばらく考えてから、こう答えをくれた。

「たぶん負けず嫌いだっていうことが、共通しているなと思いますね。もちろん練習しないといけないというのはあります。練習しなかったら、うまくはならない。それは前提条件だと思うんです。

それに加えて、なんかもうこの、こんちくしょう精神というか、根性が必要というか、私のまわりでも肝が据わっている人が多いですね」

アメリカというのは、どんな職業であっても、自己主張は必要とされる。当然ながら、ダンスのオーディションでは、自分の良さを見せなくてはならない。

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「もちろん自分の見せ場は大事です。控えめな日本人でいたら、オーディションを獲得するのはムリですよね。

自分の良いところを見せなくちゃだめというところで、良さを出せないと採用されないと思います。それはまわりを見て学び、練習で身についていくものだと思います」

実際に会った藍さんの印象は、まさしくニューヨーカーだった。ロスのゆるい雰囲気とはまったく違って、キビキビと話して動き、眼光も鋭い。ニューヨークのテンポで生きているアーティストだと感じた。

オーディションに落ちても、
もはや気にしない

シビアな競争を勝ちぬいてきた藍さんだが、採用されることについても、きわめて冷静な見解を持っている。

「オーディションって『ダンスがうまいから、受かる』っていうわけでもないんです。見た目とか背の高さとか体型とか、全部関係してくるので。私は小さいほうなので、そういう背丈が求められているときはいいし、いっぽうで背が高いダンサーが求められている現場では、ダンスの技術以前に、採用されない。

オーディションに受かったときに『何が良かったから受かった』とは言ってくれないので、自分が求められる条件に合っていたのだろうと考えますね」

いっぽうオーディションで落ちることもあるだろうが、落ちたときの乗り越え方はあるのだろうか?

「今はもう落ちても何とも思わないんです。やっぱり最初はやっぱ落ち込みましたよ。なんで受からないんだって、まわりと比べたりしましたけど。でも、すぐ次のオーディションが来るので、そっちに集中しないと。どんどん来るから、切り替えていくしかなくなる。

落ちたとしても、『この仕事が求めるものに合ってなかったんだな』って考えて流しますね。下手とかじゃなくて、『多分この仕事に向いてなかった』、そう考えます」

バレエをしていたからこそ、
得意なジャンルはヒール

そんな藍さんが一番好きなジャンルは、ヒール・ダンスだと言う。

女性のツアー・ダンサーは、ブーツも含めてほぼ衣裳の靴がヒールであり、ヒールができなかったら、プロとしてはむずかしい。たしかにコンサートやMVでは、女性ダンサーたちはグラマラスな恰好に身を包んでいるものだ。

「ヒールを履いて踊るっていうのが、好きなんです。私、人よりも得意なのはこのジャンルじゃないかなって最初に思ったんです」

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ハイヒールでは、ほとんど靴の中でつま先立ちしている状態であるため、慣れない人にとっては苦痛だ。いっぽう藍さんは、バレエをやっていたために、トゥで立つ訓練を積んでいて、そのために足が強くなり、つま先立ちになるのに慣れていた。

藍さんのクラスを見たときに印象的だったのが、彼女の太腿の筋肉が発達していることで、まったくのアスリートの体型だった。

彼女自身はジムには行くが、きつい筋トレをするわけではないという。それでこれだけの筋肉を備えているのは、ひとえにバレエで鍛えたせいだろう。

「私はヒールで生徒に教えていきたいのは、セクシーさだけではなくて、私が使っているテクニック、足の使い方といった面を教えたいんですよね」

リル・バックさんとは
マドンナのツアーが出会い

私生活に触れると、藍さんの夫であるリル・バックさんは、ストリートダンサーとして世界的に有名だ。ホワイトハウスに招かれてオバマ大統領の前で、ヨーヨー・マの演奏で『瀕死の白鳥(The Dying Swan)』を踊った人物、というと思い当たる方もいるのではないだろうか。

リル・バックさんと付き合いだしたのは、2015年にあったマドンナのツアーで共演したことからとのこと。

「ツアー中ではもう付き合っていましたね」と、彼女は笑う。

広告でも、『ラグ&ボーン』の “Times Change” キャンペーンでは、夫のリル・バックさんと共にダンスを披露している。

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結婚したのは2020年の終わりだが、日本での和装の結婚写真もインスタにアップした。あのリル・バックさんが紋付き袴を着こなすようすには、好感を覚えたものだ。

ダンサー同士のカップルとなると、互いのダンスにも口を出すのかと思いきや、「彼は、ネガティブなことは一切いわないです」と藍さんは言う。

「基本的に、褒めて、あげて、あげてっていう人で。だから悪いところ言っているのは、一切聞いたことないですね」

ツアーの魅力は
5万人の観客の前で踊ること

そんな藍さんだが、「実は前回のツアーで、ツアーは終わりにしようと思っていたんです」と思いを語る。

ツアーは体力勝負の世界であり、何カ月も旅の生活となる。ところがパンデミックになってから、すべての仕事が撮影になってしまい、生のパフォーマンスで客の前で踊るということが、できなくなってしまった。

「やっぱもう何万人のひとの前のダンスの感覚や、もう1回やりたいなっていうのもあったんですよ」

アメリカのスタジアムツアーでは5万人以上の観客が集まって、大声で合唱したり、歓声をあげたりする。その熱気と興奮はなにごとにも変えられないだろう。

日本のダンサーの実力は
すごいのだから、
世界を見る機会を

さて世界を舞台にする藍さんから見て、日本の若きダンサーたちにアドバイスできることはなんだろうか。

「私が日本にいた頃は、ダンサーというと趣味みたいな感じで、それでご飯を食べるなんてあまり考えられませんでした」

そこには職業としてのダンサーの地位の差もある。アメリカでは、ダンサーを含めてアーティストに対するリスペクトがある。 ヨーロッパなどでは、ダンスカンパニーが国から支援されているし、アメリカでもダンサーはアーティストとしてあつかいされており、そこが日本との大きな違いだと指摘する。

「なにも海外で成功しなくちゃいけないというのではなくて、海外に出れば、必ず視野が広がるとは思うんです」

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これからの展望として、藍さんはツアーダンサーではないキャリアにもシフトも考えているという。ツアーは長期間にわたるので、体力勝負の世界でもあるからだ。

「この先は、ダンスを教えることも考えているし、もっとコマーシャルもがんばるとか、演技がんばるとか。全部好きだから、全部いろいろやってみたいです」

最後に、夢を追う若い世代へのアドバスを聞いてみた。

「ひとことで言えば“ネバーギブアップ”、“当たって砕けろ”ですかね…。海外に出ればわからないことだらけだから、恐れずにチャレンジするってことですね」

Instagram@aishimatsu


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写真提供:黒部エリ

黒部エリ

Ellie Kurobe-Rozie

東京都出身。早稲田大学第一文学部卒業後、ライターとして活動開始。『Hot-Dog-Express』で「アッシー」などの流行語ブームをつくり、講談社X文庫では青山えりか名義でジュニア小説を30冊上梓。94年にNYへ移住、日本の女性誌やサイトでNY情報を発信し続ける。著書に『生にゅー! 生で伝えるニューヨーク通信』など。