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Alexi Lubomirski
ロングラン公演「スプリングスティーン・オン・ブロードウェイ」でも黒いTシャツをまとい、ギター片手にひとり舞台に立つ。Tシャツ925円(H&M)●お問い合わせ先/H&Mカスタマーサービス TEL 0120-866-201 ジュエリーはブルースの私物。

 ブルース・スプリングスティーンが、もうじき目の前に現れる。ここはニューヨークの小劇場、ウォルター・カー劇場のバックステージ…話題のロングラン公演「スプリングスティーン・オン・ブロードウェイ」の準備が大詰めを迎えている。

 座席数1000席に満たないこの劇場を、ブルースの歌声と語りで満たすこのパフォーマンスは実にパワフルで、時に親密な雰囲気で観客を包み込む。大好評を呼び、1年以上続けられたこの公演は、2018年12月15日でついに千秋楽を迎えた。

 実はブルースへのインタビューは、別の日に予定されていたのだが、広報担当者が一度公演に顔を出すようすすめてくれたのだ。私は午後7時に劇場に到着すると、トイレ近くのソファへ案内された。

 開演5分前。楽屋へと続く階段を移動する人影が目に入る。黒のワークブーツに黒のジーンズに身を包んだブルース・スプリングスティーンが、低い天井を避けるように頭を下げながらやってきた。

 そして私を見つけると、手を伸ばしてこう言った。

 「ブルースだ」と…。私たちは握手を交わし、沈黙が流れる。身長は178センチ、“ザ・ビッグ・マン”クラレンス・クレモンズ(ブルース・スプリングスティーンが率いるEストリートバンドのサックス奏者)にもたれかかって歌う姿が印象深かったからか、その背の高さが意外だった。そんなことをぼんやりと考えていたら、ブルースは私の目をしっかり見た後、小さくうなずき「そろそろ行かないと」とつぶやいてのちにステージへと消えていった。

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2018年9月、ウォルター・カー劇場のバックステージで、機材を入れたボックスに座るブルース・スプリングスティーン。ヴィンテージ・バイカージャケット 参考商品(ゴールデンベア)●お問い合わせ先/ジャラーナ TEL 03-3835-8813 、Tシャツ925円(H&M)●お問い合わせ先/H&Mカスタマーサービス TEL 0120-866-201、ジーンズ、ジュエリー、ブーツはブルースの私物。

 「そうだな…」、これは数週間後に行ったインタビューで、私が「スプリングスティーン・オン・ブロードウェイ」のテーマについて尋ねたときのブルースの反応だ。

 ブルースは観客に「人間は体内を巡る血や、DNAによって縛られているのだろうか?」ということを問いかけたがっているのではないのか?、というのが私が期待した回答の道筋であり、そう考えながら私は少し待った。

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ブルースの父ダグラス・スプリングスティーンと母アデルの結婚式。

 するとブルースは左のほうに目を向ける。その視線の先には楽屋用の鏡があり、その表面は数々の写真で覆い尽くされていた。写真の中にはジョン・レノンや、若き日のポール・マッカートニー、パティ・スミスなどの姿が…。

 そして、ようやく彼が口を開く。

 「DNAは、この公演の重要な要素だ。自分を“フリーエージェント”として、血や親からの遺伝などあらゆるものから解き放つこと。言い換えるなら、“独りで立つ”ということがテーマなんだ。人はどうしたら自分だけの力で立つことができるのか? これはすべての人に“与えられる”経験ではない。確固とした決意をもって、人生に向き合う強い気持ちを持たなければ勝ち取ることができないことなんだ」と…。

 「スプリングスティーン・オン・ブロードウェイ」の根底に流れるのは、いくつもの対立する概念に対するブルースの思いだ。例えば“孤独と愛”や“心理と精神”、“死の力と生の力”、そして何よりも“父と息子”。 ブルースの父親、ダグラスのことを語らずして、フリーエージェントとなった自らの真実の姿を見つけることはできない。

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ニュージャージーのダイナーで食事をするダグラスとアデル。笑顔を絶やさず朗らかだった母親とは対照的に、威圧的だった父親の存在は、ブルースの人格形成に大きな影響をもたらしたと言う。「父は俺のヒーローだった。そして、一番の敵でもあった」と。


 この公演は、ブルース・スプリングスティーンをある意味形成し、そしてある意味で破壊した、ひとりの男との和解を探る旅でもある。

 ダグラス・スプリングスティーンはかっぷくがよく、ブルースの言葉を借りると「まるで100キロ以上のニッケルがシアーズ(百貨店)で売っているスラックスをはいているよう」な男だったと言う。

 カーペット工場の雑用係からバスの運転手まで、ダグラスは多くの仕事を経験した。だが彼の居場所は外の世界ではなく、家庭の中にあった。ダグラスは家を支配していたのだ。毎晩暗闇の中でキッチンの椅子に座り、酒を飲み、何かをじっと考えていた。

 「子どものころの記憶と言えば、暗く、静かなキッチンの中のことがまっ先に思い浮かぶ。あそこには子ども心に恐ろしく、濃密な空気が流れていた」とブルースは言う。

 「その空気を、ロックで打ち破ろうとしたのですか?」 と聞くと、彼はこう答えた。

 「当時の俺は空虚で、それを音楽で埋めようとしていた。そしてアルバム『ネブラスカ』を聴けばわかると思うが、俺はあのキッチンのために曲を書いたんだ」

 ブルースは、父親が自分たちに対してとった距離と沈黙に対して反抗した。だが一方で、父親のアイデンティティーを自分の中に取り込もうともしていた。

 音楽の世界に足を踏み入れると、ダグラスの作業着を着込み、彼の人格を演じたのだ。公演の中で彼は、『ネブラスカ』の中の1曲『僕の父の家』を歌うと、続けてこう話し出した。

 「自分が愛する人間に愛してもらえなかったら、俺たちはその相手の特徴を真似ようとする。愛情を手にするには、そうするしかないと考えるからだ。だから俺は、ある時期から父の人格をまとい、その“声”を借りることにした」。

 そして一呼吸おき、「男としてのあり方は、父親から学ぶものだ。父は俺のヒーローだった。そして、一番の敵でもあったんだ」と言った。

 こうして、ブルースは複雑な思いを持つ父親の声で歌い始めたわけだが、このことは当然彼に無理を強いていたのだった。
 

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1969年に結成され、71年に解散したバンド、スティール・ミル。ブルースが参加した初期のバンドのひとつ。


 ブルースの精神に初めて異常が認められたのは、32歳のときだった。

 その夏、彼はクルマで友人とニュージャージーからロサンゼルスへ向かっていた。テキサスの人里離れた場所を通ると、そこではイベントが行われていた。バンドが演奏し、男女が抱き合い、星空の下で誰もが楽しそうだった。ブルースはその様子を少し離れた所から眺めていた。そのとき、彼の中の傷口が突然開いたのだ。

 その時、彼が“観察者”として生きていた人生、つまり「生活をすること、そして人を愛すること、といった日常の雑事から距離を保っていたこと」が、「どれだけ自分に負担を課していたのかを実感した」のだと言う。

 彼は精神分析を受け、自身を真剣に見つめ直した。それが、彼のその後の人生を変えてくれた。自分が抱える問題について他者と話すことの重要性を、ブルースは主張する。その考えはもちろん、「スプリングスティーン・オン・ブロードウェイ」でも貫かれている。そこではひとりの男が弱みをさらけ出し、それによって観客の心は、深い所から揺さぶられるのだ。

 テキサスの夜からおよそ10年の月日が経ったころ、ブルースはロサンゼルスの自宅にいた。

 隣には妻のパティ・スキャルファがいて、第1子エヴァンの出産は目前に迫っていた。早朝、ドアをたたく音が聞こえたので行ってみると、そこには父親がいた。ブルースは彼を招き入れ、ふたりはテーブルで向かい合った。すると父親はこんなことを口にした。「お前は、私たちにとてもよくしてくれたよ」と。ブルースは言葉を失った。父親は「だが、私はお前に優しくしてやれなかった」と続けた。

 ブルースはこのときのことについて、ステージ上でこう明かしていた。

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20歳の頃、ギターを演奏し歌うブルース。彼は19歳で故郷を後にし、ロックスターになる日を夢見てさまざまなアマチュアバンドに参加した。

 「人生の中で、最高の瞬間だった。まさに俺が望んでいたことだったんだ。あと何日かで、父親になるというタイミングで親父が訪ねてきて、自分が犯してきた過ちを繰り返さないように息子を諭してくれた。これから生まれてくる子どもを、罪の連鎖から解き放ち、彼が自分の人生を生きられるように…」

 父親の晩年になって、ブルースはその父親についてある事実を知った。

 キッチンの暗闇の中に座り、静かに物思いにふけっていた彼は、妄想型統合失調症を患っていたということだった。このことを聞いて、幼いころに経験した数々の出来事について説明がついた。そして同時に、「自分も父親の精神状態を受け継いでいるのではないか?」という新たな恐怖がブルースの心に影を落とした。

 20年以上前の春、ダグラス・スプリングスティーンは73歳で世を去った。彼は、生前ブルースに対して、「アイ・ラブ・ユー」という言葉を口にしたことがなかった。それを聞いて私は、ブルースにこんな質問を投げかけた。

 「お父さまから、今聞きたい言葉がありますか?」

 彼は黙り込み、しばらくしてこう話し出した。「子どものころの俺を、ありのままの姿で見てほしかった。子どもは親に観客でいてほしいものだ。俺は自分の子どもを見ていてそう感じた。今でも思う。“俺の親父”でいてほしかったんだ」

 60歳を迎えた数年後、2回目の発作がブルースを襲った。そしてそれは、その後3年にわたって繰り返された。ブルースはこのときのことをこう振り返る。

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所有するギターコレクションの中の一本。「人々が自分自身をアメリカ人だと思えるような社会をつくってほしい。そして、人々がチャンスを与え合えるようにしてほしい」

 「激越性鬱病と診断されたよ。そのときは自分を覆っている肌の中にいること自体が不快でしょうがなかった。とにかく、そこから出たかったんだ…。考えたくもないことがたくさん頭に浮かんだ」

 「自らを消し去ろうとしたことはありますか?」 と私が聞くと、ブルースはこう答えた。

 「それはないが、あまりにも苦しくて、『こんな状態で生きていけるのか自信がない』と口にしたことはある。狂乱状態で、とにかく必死に助けを求めていたんだ。どれくらい続いたのか、振り返っても思い出せない。あれが数週間だったのか、数カ月だったのか…。これは、親から受け継いだもの。DNAの問題なんだ」。

 そして「ただ、今はずいぶんうまくやっているよ。戦いに終わりはないが」と続けた。

 ブルース・スプリングスティーンは、私たちの心の痛みや、その理想とする姿を巧みに言葉に置き換え、歌いあげてきた。だが、キャリアを重ねるにつれ、次第に社会問題を取り上げた作品も多く手がけるようになる。

 公演の中でも彼は、映画『怒りの葡萄』(1940年)からインスピレーションを得た『The Ghost of Tom Joad』を歌う前には民主主義の偉大さを語り、そこでトランプ大統領にも言及している。このことについて尋ねると、ブルースはこう話した。

 「トランプは、国をひとつにすることになんか興味はない。むしろ反対で、俺たちを分断しようとしている。これは人類に対する犯罪だ。多くのアメリカ人から権利を奪おうとしている。非常事態なんだ」。そして、「今のアメリカという国に対して、何かリクエストすることができるなら、まず人々が、自分自身をアメリカ人だと思えるような社会をつくってほしい。そして人々が、チャンスを与え合えるようにしてほしい」と続けた。

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ウォルター・カー劇場の外で待ち構えていたファンの熱狂に答え、写真やサインに応じるブルース。1年以上続いた公演のチケットは、完売が相次いだ。ヴィンテージ・バイカージャケット 参考商品(ゴールデンベア)●お問い合わせ先/ジャラーナ TEL 03-3835-8813、Tシャツ5370円(オールセインツ)●お問い合わせ先/オールセインツ 原宿キャットストリート店 TEL 03-5766-3011、ジーンズ、ジュエリー、ブーツはブルースの私物。

 インタビューも終盤に差し掛かり、私はこんなことを聞いてみた。「あなたは、真の自分の姿を見つけられたと思いますか?」と。

 「そんなもの見つけられないさ。時間が経つにつれ、真の自分に近づいてはいくが…。結局、人生の中で確実なものがあるとしたら、『何かを手にしたと思っても、実際は何も手にしていない』ということだな」

 「ちょっと待ってください」と、私は思わず口を挟んだ。あなたは、あのブルース・スプリングスティーンですよ?

 「うーん」…ブルースは笑い、そしてため息をついた。
 
 「“ブルース・スプリングスティーン”は人工の産物だ。いま現在のスプリングスティーン像は、明日どうなっているかは分からない(笑)。それに人は誰だって模索しながら生きている。社会の中でほどよく安定して生きていきたいから、“アイデンティティー”という概念を形成するんだ。けれど、人として“存在する”ことは概念なんかじゃない。俺たちの中には、野生のままむき出しにされたものたちがうずまいている。それが、存在するということだ。夜中にふと、自分の中のこうした部分を見つけると、ぞっとするよ」

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劇場の観客席。ブルースは、昨年の9月で69歳を迎えた。Tシャツ5370円(オールセインツ)●お問い合わせ先/オールセインツ 原宿キャットストリート店 TEL 03-5766-3011、ジーンズ、ジュエリー、ブーツはブルースの私物。「自分だけの力で立つためには、相応の努力をしなければならない。それには、確固たる決意が必要なんだ」

 自らの過去を含め、“存在する”ことと向き合い、精神分析と治療を繰り返すことで苦しみながら生きる術を模索したブルースの話を聞いていると、『The Promised Land』の中の歌詞、「時折、爆発してしまいたくなるほど、弱い気持ちになることがある。ナイフを取り出して、心臓からこの痛みを取り去ってしまおうか」を思い出した。

 私は何年もの間、これは愛する女性を失うことを歌った曲だと思っていたのだが、ふと、「もしかしたらそれは違うのかもしれない…」と感じた。

 そのことを彼に聞くと「これは存在の弱さについて、そして全力でそれを乗り越える努力をすることについて、歌っているんだ」と答えてくれた。

 「『Ties That Bind』では、あなたを捕らえて放さない家族のDNAに関する思いを表現しているのですか?」と問いかけると、彼はこう答えた。

 「自分の家族の絆もそうだが、同時にコミュニティーや仲間との間に築かれた絆についても歌っている。こうしたものを切り捨てることはできない。そんなことでもすれば、いずれは自分の中心にある大切な部分を腐らせることになる。トランプを見てみろ。やつは、こうしたものをどんどん捨てていった。それがいま、あの男は蝕んでいるんだ。深いところからな」

 それから私は、『ボーン・トゥ・ラン(明日なき暴走)』についても考えた。その歌詞には、ブルース・スプリングスティーンを表す4つの言葉が含まれているのだ。つまり「悲しみ」、「愛」、「狂気」、それから「魂」…「一緒ならウェンディ、生きてけるよ悲しみとともに。すべての狂気とともに俺の魂の中で」。

 「『ボーン・トゥ・ラン』…これは俺の碑銘さ。今も昔も変わらない。公演を締めくくるのは、この曲と決めている。ここには、一番大切なことが込められているから」


 「最後の質問です。あなたは19歳でニュージャージー州フリーホールドを去る際、子ども時代に愛用していた木馬をトラックに積み込んだという話を聞きました。他に故郷にゆかりのあるものは持っていますか?」と問うと、彼は子どものころから慣れ親しんだ街、同じくニュージャージー州のアズベリー・パークについて教えてくれた。

 「そこにあったメリーゴーランドには、手の届きにくい場所に金色に輝くリングがかかっていた。それを手にすれば、無料で1回乗れるというわけだ。子どものころは全然取ることができなくて、1000回は試したかな。でも、最初のアルバムが発売される前日の夜にメリーゴーランドに乗ったらなんと、リングを取ることができたんだ」

 それは今どこにあるかと聞くと、「家の書斎に置いてあるよ。ゴールドのリングを手にした俺の身に、何が起こったことかはよく知っているだろう?」と彼は言った…。


Interview / Michael Hainey
Translation / Chisato Yamashita