ホワイトハウス前で行われた歴史的デモの数々を、写真で振り返る
人々は長年この場所で歴代の大統領たちに向かい、それぞれ求める正義を訴えてきたのでした。
ミネソタ州ミネアポリスにて、黒人男性ジョージ・フロイドさんが警察に拘束され死亡した事件をきっかけに始まった「警察による暴力と白人至上主義に抗議する活動」は、全米各地からさらに世界へと広がっています。さらにアメリカではその深度はさらに増し、大統領の住まいでもあるホワイトハウスの前にも抗議の声を上げる人々が集まったのでした。
これは初めてのことではありません。20世紀初め以降、アメリカ人は首都ワシントンDC、特にホワイトハウスの前で、さまざまな抗議活動を行い言論と集会の自由の権利を行使してきたのです。そこで今、歴史的にも象徴的な活動とされるうちのいくつかを時間を巻き戻して確認していきましょう。
2020年 「ブラック・ライヴズ・マター(黒人の命も大切)」
まずは現在。黒人男性ジョージ・フロイドさんが警察官に殺害された事件に抗議し、ホワイトハウスに隣接するラファイエット広場には2020年6月1日(現地時間)、平和的な抗議活動を行う人々やジャーナリスト、宗教関係者らが集結しました。
しかし彼らは突然、警官隊によって排除されることになったのです…。
その理由は「この広場を通ってその先にあるセント・ジョンズ聖公会教会の前まで、そこで写真撮影を行うドナルド・トランプ大統領が徒歩で通り抜けられるようにするため」だったということ。このことに対し、さらに大きな非難を浴びているのです…。
「ブラック・ライヴズ・マター」
「ニューヨーク・タイムズ」紙は、「ラファイエット広場で起きたことは、トランプ大統領の任期中のアメリカの歴史を決定づけることになった瞬間のひとつとして、記憶されることになるだろう」と報じています。
平和的に抗議活動を行うデモ隊に向かって催涙ガスや閃光(せんこう)弾などが放たれたことは、アメリカだけでなく世界中にショックを与えました。
2019年 「グローバル気候マーチ」
それでは時間を戻していきます。まずは2019年。
スウェーデンの若き環境活動家グレタ・トゥーンベリさんが中心となって行われた、学生や若者とその家族らによるデモ。
地球の環境保護のための変革を訴え、政府関係者らに気候変動対策のためのさらなる行動を求めました。
2018年 「マーチ・フォー・アワー・ライヴズ(私たちの命のための行進)」
続いて2018年。全米各地の学校で多数の銃乱射事件が発生していることを受け、銃規制を求める高校生たちが中心となって行ったデモです。
フロリダ州パークランドのストーンマン・ダグラス高校で発生した銃乱射事件では、生徒ら17人が死亡。このことから高校生たちは、17分間の座り込みを実行しました。
2017年 「ウィメンズ・マーチ」
トランプ大統領が就任した翌日、ホワイトハウス前には就任に抗議し、人権の保護を訴える女性たち約50万人が集まりました。
たびたびニュースにもなっていたとおり、トランプ大統領は女性を蔑視した発言が多いことでも知られています。
2014年 「ブラック・ライヴズ・マター」
ミズーリ州ファーガソン市で18歳の黒人男性マイケル・ブラウンさんが、白人警官ダレン・ウィルソンに射殺されるという事件が発生。
この事件について、同州の大陪審がウィルソンの不起訴を決定したことに怒った同市の市民らが、ホワイトハウス前に集まり抗議の声を上げました。
2009年 「平等を求める全米政治行進」
LGBTQのグループや支援者たちが集結してバラク・オバマ元大統領に対し、軍に入隊するときに同性愛者であることを公言することを禁じた「Don't Ask, Don't Tell(聞かない、言わない)」方針の撤廃を求めるとともに、平等の権利を訴えました。
このデモは、カリフォルニア州で同性婚を禁止する州憲法改正案「提案8号」が住民投票によって可決されたことがきっかけとなっています。
2005年 「反イラク戦争デモ」
イラク戦争で息子を亡くし、2004年から戦争の終結を訴え続けていたシンディ・シーハンさんをはじめ、兵士の母親たちが活動の中心となりました。
「反イラク戦争デモ」
イラク戦争を続けるジョージ・ブッシュ元大統領に対する批判など、デモ参加者たちは思い思いのメッセージを書いたバナーを掲げています。
1999年 「反コソボ空爆デモ」
アメリカを含む北大西洋条約機構(NATO)加盟諸国が、ユーゴスラビア連邦のセルビア共和国で大規模な空爆、通称「コソボ空爆」を敢行。
それを非難するセルビア人たちが集まり、ホワイトハウス前で抗議しました。
1987年 「レズビアンとゲイの権利のためのワシントンマーチ」
第2回となる「レズビアンとゲイの権利のためのワシントンマーチ」が行われ、ロナルド・レーガン元大統領にエイズ対策や患者への積極的な支援を求めました。
このデモは、エイズの原因となるHIV(ヒト免疫不全ウイルス )の流行に注目を集めることにもつながっています。
1977年 男女平等のための憲法修正案「ERA」に抗議
保守派の活動家フィリス・シュラフリー率いる「STOP ERA」は、性別にかかわらずすべての市民に平等な法的権利を保証するための憲法の修正(男女平等憲法修正条項「ERA(Equal Rights Amendment)」を憲法に盛り込むこと)に反対。
そしてホワイトハウス前で抗議活動を行いました。
1976年 フェミニストたちは「ERA」を支持
「ERA」を支持して立ち上がったフェミニストたちは、憲法修正案の可決を求めてホワイトハウス前でマーチ(行進)。
抗議活動の中心となった活動家には、グロリア・スタイネム、シャーリー・チザム、ベティ・フリーダンなどがいました。
1974年 ニクソン大統領弾劾を要求
共和党のニクソン元大統領の再選支持派が、ワシントンのウォーターゲートビルにある民主党全国委員会本部に盗聴器を仕掛けるために侵入し、逮捕されるという事件が発生。
大統領の側近らがこれに関与していたほか、ニクソン元大統領自身も事件の揉み消し工作を行っていた疑いが浮上すると、大統領の弾劾を求めて多くの市民がホワイトハウス前に集まりました。
これによりニクソン元大統領は、弾劾される前に自ら辞任しています。
1970年 「反ベトナム戦争デモ」
ニクソン元大統領によるカンボジア侵攻と、ケント州立大学銃撃事件を受け、ホワイトハウス前にはベトナム戦争への軍事介入に反対する市民が集まり、抗議の声を上げました。
ケント州立大学銃撃事件では、オハイオ州にある同大学の学生らがベトナム戦争への抗議活動中、武装していなかったにもかかわらず、警備していた州兵に銃撃され4人が死亡しています。
1965年 「公民権運動」
黒人の投票権を求める市民が、アラバマ州のセルマから州都モンゴメリーまでを歩く抗議の大行進を試みましたが、州警察がこれを暴力で阻止。
「血の日曜日事件」の後、行進に参加した人々との連帯を示すため、ホワイトハウス前で行われたデモには多くの市民が参加しました。
「公民権運動」
集まったデモ参加者たちは、ホワイトハウス前で腕をつなぎ、連帯を示しています。
1940年代後半 「反リンチ運動」
ジョージア州で1946年、若い黒人の男女4人が白人の男らに襲撃され殺害された「ムーアズフォード橋のリンチ」をきっかけとする抗議デモが、全米各地に拡大。
ホワイトハウス前でも多数の抗議活動が行われ、参加者らはハリー・トルーマン大統領に対し、公民権改革の推進とリンチをなくすための行動を求めました。
「反リンチ運動」
ホワイトハウス前で、「リンチをやめよう、本当の民主主義に勝利を」「リンチは恥ずべき行為、リンチをなくそう」と書かれたプラカードを掲げ、平和的にデモ行進する女性たち。
1933年 人種差別が生んだ冤罪事件に抗議
1931年、若い黒人男性9人が白人女性2人をレイプした疑いで逮捕され、有罪判決を受けました。実際には冤罪だったものの、裁判の結果8人に死刑判決が下されました。
陪審員が全員白人で、人種差別が裁判に大きく影響を及ぼしていると厳しく非難されたこの「スコッツボロ事件」をきっかけに、公民権法の成立と公正な裁判を求める抗議行動が拡大。
数千人がデモに参加し、「スコッツボロ・ボーイズ」と呼ばれたこの黒人男性たちの釈放を求めました。