人気の野外フェスが
豪雨で泥沼に…

私(筆者ダニエル・ドゥーマス)がRV車(キャンピングカーのようなレジャーに向いている車)に5ガロンの追加のガソリンを入れていると、ホットピンクのブーティショーツ(ぴったりフィットしたセクシーなやつです)しかはかず、泥まみれでタバコを吸っている男が後ろから近づいてきました。彼は「バーニングマンのどこが好きかわかる?」と切り出し、火のついたタバコ「ニューポート」を私のほうにちらつかせながら、次のように言いました。

「完全に予測不可能なところだよ」

バーニングマンとは、アメリカ・ネバダ州の砂漠で年に1回開かれる伝説のフェス。2023年8月28日(月)から開催された今回は、私にとって6回目のバーニングマンです。目もくらむような砂嵐、薬物による災難、そして仮設トイレの恐怖など、それなりに過酷なものをこれまで目にしてきました。そう、常に想像を絶することが起こる奇祭と言っていいでしょう。

そんなわけで9月1日(金)の夕方には豪雨に見舞われ、伝統的なこの大会の開催場所となっているブラックロック砂漠は地獄絵図と化しました。辺りはぬかるんだ泥だらけで、自転車や車の運転はおろか数百メートル以上歩くことすら不可能な場所となったというわけです。私はキャンプ仲間と相談し、結局、その場にとどまることにしました。

作家、人権派弁護士、建設業者、自転車店の店主、小さなスタートアップ企業の従業員からなる私たちの仲間は、「Sparkle Pony(スパークル ポニー)」として知られるキャンプ生活への準備不足のままやって来て、日の出とともに自撮りをするようなキラキラしたソーシャルメディアが生んだ勘違い野郎どもでもありません。また、ディプロクリス・ロックカーラ・デルヴィーニュオースティン・バトラーのような、ファンから持ち上げられるようなセレブリティでもありません。私たちはバーニングマンにやって来て、単なる埃りにまみれた中流階級の人間であり、誰も私たちを助けになど来てはくれないのです。

いつ帰路に立てるかわからないので、土曜日の夜は最大限楽しむことにしました。徒歩圏内で開かれていたパーティをいくつか回り、自分たちのキャンプに戻ったのは朝の5時半のこと。なおバーニングマンでは、この時間でも早寝とされています。

ブラックロックシティ(バーニングマンの開催地。バーニングマンの開催期間中だけ現れる街)は早朝に再び嵐に見舞われ、「状況が悪化するだろう」と言われていました。依然として、バーニングマンの会場と現実世界へと戻るハイウェイ 34をつなぐゲートに通じる道路は閉鎖されたまま…。午後になったら、もっと地面が湿って恐ろしい状態になっていることを予想しながら眠りにつきました。

午前9時、キャンプ仲間のマリッサ(人権弁護士)が私を起こしました。「午前中に車で脱出できた友人から、メールを受け取った」と言うのです。「早朝に降る」と予想されていた雨が逸(そ)れ、メインゲートは正式には開いていなかったものの外に出られるようになっていました。

地面はまだぬかるんでいましたが、4WDを走らせるのには十分なほど。ですが、「待って」とマリッサが声を上げます。「『どうやら途中で2つの川を渡らなければならないみたい』と、友だちが言っているわ」と言います。

従姉妹のベラをつかまえて、一緒に近くの塔に登ると、遠くにジープやRV車が数台ゆっくりと街を出ていくのが見えました。さらに自分たちのキャンプの前にある道は、車で走れるほど乾いているよう…。私は確認したこの状況をもとに、キャンプ仲間と話し合いました。

「ブラックロックシティから脱出するには、まだまだ簡単にはいかない…」、そう感じていました。そこでまずコーヒーを2杯飲み、電子タバコを2、3本吸い、(覚醒を維持するための精神刺激薬のひとつ。日本では麻薬及び向精神薬取締法の第一種向精神薬)「モダフィニル」を数ミリグラム飲みました。それから1時間足らずでRV車に荷物を積み込み、カーペットの繊維ほどの小さなゴミ(バーニングマンのルールの一つに、「痕跡を残さないこと」があります)をキャンプ地から回収した後、車に乗り込みギアをドライブに入れ、ゆっくりと走り出したのです。

感覚で運転をする――。
その言葉が脱出の糸口に

数カ月前、エスクァイアのライフスタイル&カルチャー担当ディレクターであるケビン・シントゥムアンによって、オフロードを走るために設計されたスポーツカー、ランボルギーニ「ウラカン ステラート」を運転するために、私はパームスプリングスに送られました。

イベント期間中、ランボルギーニのプロドライバーは、凸凹した埃っぽい地形からぬかるんだ滑りやすいオフロードまでさまざまな場所での運転、ドリフト、効果的な操縦方法について熱心に指導してくれました。そしてイベントの最後には、ほとんど摩擦のないぬかるみで、3200ポンドもするスポーツカーを横にスライドさせてドリフトさせるっことができるまでになりました。このとき、ランボルギーニのインストラクターは私に「大事なのは感覚で運転することだ」と教えてたのです。

us festival weather
JULIE JAMMOT//Getty Images
豪雨によって、筆者を含む7万人以上がバーニングマンの地に閉じ込められました。

扇状になったブラックロックシティの街は、サンレイ仕上げの時計の文字盤のようにデザインされています。中心部から放射状に伸びる通りは、時計の文字盤の9時、7時、6時半などの位置に対応。一方、中心部から同心円状に描く通りは、A通り、B通り、C通りなどといったようにアルファベット名がつけられています。

私たちのキャンプがあったのは、9時35分とGの地点。外へ出るには数マイル離れた6時30分とKの地点にある道路まで、車を走らせればなりませんでした。地面はかなり乾いているようだったので、G通りへ向かいました。従姉妹のベラは助手席に乗ってできるだけ乾いた道を探し、友人のジュリアンは人や物にぶつからないように周囲を見渡していました。

事態が悪化し始めたのは、8時30分とGの地点にさしかかったとき。すでに何度かぬかるみでエンジンを噴射し、全長30フィートのRV車をドリフトさせていましたが、そのときはまだ容易にコントロールできました。それから車輪が回転し始め、長さ50ヤード(約46メートル)ほどの深い轍(わだち)がある滑りやすいエリアに到達したときのことです。スピードが時速20マイル(約32キロメートル)から時速5マイル(約8キロメートル)くらいまで急速に落ち、のろのろとした走りに…。ついには、止まってしまいました。

「くそっ、スタックしてしまった」と私は心の中でつぶやき、脳裏には私たちのRV車に群がる激しく凶暴なフェス参加者たちの姿が浮かびました。そこでひと息つくと、ランボルギーニのインストラクターの言葉が頭に響いたのです。

「感覚で運転をするんだ」

私はギアをリバースに入れ、数センチメートル後退。従姉妹のベラが、「右側に乾いた土の塊が見えた」と叫びました。私はハンドルを右に切れるだけ切り、アクセルを踏み込みました。すると車輪が乾いた部分をとらえ、ゆっくりとですが再び動き出したのです。もはやG地点にい続けることはできません。そこで次の交差点で右折し、K通りに出ることにしました。そして、ついに私たちはゲートに通じる道路に到着したのです。何時間も走ったように思えましたが、実際には20分ほどでした。

行く手を阻む川は
スピードを出して突っ切る

ゲートまで数キロメートル続くこの道路は、不思議なことにスムーズで穏やかでした。他にも数台のRV車、4WD、セダンが散見され、私たちと一緒にところどころ泥だらけになった凸凹道を進みました。数マイル走ると、目の前にハイウェイ 34のアスファルトを曲がる車の輪郭がかすかに見えました。脱出まであと500メートルほど…。車の流れはのろのろし始めスピードを落とし、やがて止まりました。

そこで私たちは曲がっていくと、マリッサが前に言っていた「川」に出ました。目の前には幅3メートル、深さ3メートルほどの濁流が…。右隣にいた「ダッジ・チャージャー」が時速10マイル(約16キロメートル)で川に近づいたものの、途中で立ち往生して車輪が空転。乗っていたメンバーが外に出て泥に膝をついた瞬間、私は大回りをして川との距離を200ヤード(約183メートル)とり、アクセルを思い切り踏み込みました。そう、感覚で運転をするのです。

正確な速度はわかりませんが、恐らく時速45マイル(約72キロメートル)から65マイル(約104キロメートル)ほどで川に突っ込み、泥がフロントエンドに飛び散って私たちの視界を遮(さえぎ)りました。後部座席では固定されていない自転車、プロパンガスのタンク、ピクルスの瓶が宙を舞いました。

私は車のスピードを落として停車し、ワイパーを動かしてサイドミラーを見ました。川はさらに多くの犠牲者を出していましたが、猛スピードで川を突っ切った者たちは川を越えることができていたのです。つまり、ここの難所をクリアするカギはスピードだったのです。

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JULIE JAMMOT//Getty Images
月曜日の朝、フェスの参加者は会場から避難し始めました。

私は躊躇することなく、時速60マイル(約96キロメートル)で2本目の川へ飛び込みました。「おお、神よ!」と従姉妹のベラが叫び、私たちは泥まみれになってしまいました(ジュリアンはこの試練の間も冷静で、さらに悲惨なことになったときには少し笑みを浮かべていました)。

そして道路から200メートルほど離れたところで、渋滞にぶつかりました。さらにもう1カ所ぬかるみが横たわっており、無数の車が深く粘着性のある泥にはまり込んでいました。いつもはブラックロックシティをパトロールしている土地管理局の警官たちも、雨が降ると尻尾を巻いて逃げてしまったようです。

どうしたものかと、私たちは1時間そこにとどまっていました。すると前にいたオレンジ色のメルセデス・ベンツ「スプリンター」が道を外れ、最初は滑りやすそうで安全には通れなさそうに思えた道を進むのを見て、「あのバンがハイウェイにたどり着いたら、私たちもそれに続こう」と従姉妹のベラとジュリアンに言うと、彼らは同意してうなずいてくれました。

オレンジ色の「スプリンター」がゆっくりと深いわだちへと降りていき、力を振り絞って高速道路に近づいていきます。それを見て、私たちもこの車に続くことにしました。そうすると、15分もしないうちにタイヤはアスファルトに触れ、私たちは安堵のため息をつきました。サンフランシスコの自宅に戻るには、ここからさらに12時間かかります。ですが、それでも私たちは車内でハイタッチを交わし、握手喝采、歓声もあげました。

私と同じくバーニングマン参加者の友人ダルトンは、こう言いました。「バーニングマンは変わらないけれど、君は変わっていく。だから毎年違うように感じられるんだ」と…。今回の体験の後、「バーニングマンも私も、全く以前と同じでいられるかどうか?」はわかりません。

私は人間の心理について、個人的な理論を持っています。それは「複雑でストレスの多い体験をすると、私たちはひどい部分を忘れ、美しかった部分の記憶を保持する傾向がある」ということ。来年私は、バーニングマンに行くでしょうか? それは、今はわかりません。ですが、半年後にまた聞けば、恐らく「イエス!」と力強く答えるでしょう。

source / ESQUIRE US
Translation & Edit / Satomi Tanioka
※この翻訳は抄訳です