クエンティン・タランティーノ監督の最新作、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の公開まであと1カ月となりました。

 レオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピット、マーゴット・ロビーとハリウッドを代表する俳優たちが出演する本作では、1969年に起きた女優シャロン・テートが被害者となった殺人事件を軸に、当時のハリウッドのライフスタイルが描かれる展開になっているとのこと。そして本作は、今夏最大の注目作の一つとなっています。 

 その殺人事件とは、1969年にビバリーヒルズ北部のベネディクト・キャニオンにあるテート宅にて、シャロン・テートを含む5人が惨殺されたというもの。現場検証の際、警察は殺人犯のものと思われる角縁のメガネが発見されていました。そう、この眼鏡が疑惑のカギとなったのです。 
 
 当時テートの夫であった映画監督ロマン・ポランスキーは、彼女の殺害を知ったときはロンドンにいました。ポランスキーはすぐに帰国しましたが、その後もこの事件は解決しないまま数カ月が経ち、彼は事件のことで頭がいっぱいになったと言います。

 事件現場に残された問題のメガネについて知ったあと、ポランスキーはヴィゴール社のレンズ測定器を購入していました。彼の回想録(ある事件、事象や時代に関する自らの経験を記したもの)である『Roman(原題)』によれば、「捜査の手助けになることを期待してのことだった」と説明されています。 
 
 一方で、以前から友人であった俳優そして武術家のブルース・リーから護身術の指導を受けていたポランスキーは、事件後も1時間あたり1000ドル近くを支払って、このレッスンを受け続けていました。 
 
 そうした中で、レッスン中にリーが何気なく口にしたある言葉により、ポランスキーは「大量殺人を実行したのはリーではないか!?」と疑念を抱くことになったのです。今となっては当然ながら、あの夜テートらを殺した犯人はチャールズ・マンソンの信者たちでした。 
 
 このリーとテートの関係は、クエンティン・タランティーノ監督の最新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の中で改めて見直されています。

 この映画の中で35歳のマイク・モー演じるリーは、マンソン事件の被害者たちと関わりを持ちます。ですが、この事件をめぐっては、「事実は小説よりも奇なり」とも言うべきエピソードがありました。


 テートがポランスキーにリーを紹介したのは、1960年代のこと。

 それ以前に彼女がリーと知り合ったのは、映画『サイレンサー/破壊部隊』の撮影現場です。このとき、キャストに空手を教えていたのがリーでした。彼女は、当時演技の世界に足を踏み入れたばかりだったリーと、すぐに意気投合しました。ポランスキーを交えた食事に誘い、夫には「あなたたち2人は、あっという間に仲良くなるはずよ」と伝えたそうです。

Publicity Photo of Sharon Tate
Bettmann//Getty Images
1969年公開の映画『サイレンサー/破壊部隊』の宣伝で使われた、シャロン・テートのスチール写真 。

 実際に2人はすぐに馬が合い、ポランスキーは個人的なカンフーインストラクターとしてリーを雇いました。 
 
 このカップルがリーと友人関係を築いてから間もなくのタイミングで、テートは不可解にも殺害されてしまうのです。

 リーは当時、1969年8月の大量殺人が起こった2人の自宅から比較的近くに住んでいました。あの夜、テートと一緒に殺された被害者の中には、リーとテートの友人でセレブリティのヘアスタイリストをしていたジェイ・セブリングも含まれていました。リーの伝記作家のマシュー・ポーリーによれば、セブリングはリーの親友の一人で、彼のハリウッド進出をサポートした人物だったと言います。

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』予告2 8月30日(金)公開
映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』予告2 8月30日(金)公開 thumnail
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 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の中でタランティーノは、事件の数時間前という状況のシーンで、リーとセブリングが一緒にトレーニングしている場面を描いています。

 しかし実際には、事件当日リーが(高級住宅地の)ベネディクト・キャニオンに行ったという話は噂に過ぎませんでしたし、前述の伝記作家のポーリーも「リーがその日にセブリングのレッスンをしたという証拠はありません」と語っています。

 ポーリーはリーの配偶者であったリンダ・リーにも話を確認しており、彼女は「リーが事件の日にテート宅に行った、あるいは被害者たちに会ったかは覚えていません」と語っています。また、リーが指導していた顧客の記録をつけていた日誌には、その時期にセブリングを指導している記録はなかったということです。 
 
 とは言え事実に世界では、さらに信じがたいストーリーが展開しました。 
 
 この殺人事件から数カ月後、リーはポランスキーのカンフーレッスン中に、「最近自分のメガネをどこかに置き忘れた」ということに言及しています。このときポランスキーは、事件現場のテート宅にあったメガネをすぐに思い浮かべたということです。

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ポランスキーとテートの結婚式での写真。

 ポーリーによれば、ポランスキーは「どっちにしても、君の以前のメガネは全然好きじゃなかったよ」とリーにポーカーフェイスで伝え、「レッスンが終わったら、僕のメガネ技師のところにクルマで連れて行くよ。新しいメガネをプレゼントさせてくれないか?」と提案したと言います。 
 
 「ポランスキーの個人的な知り合いで、一度に多くの人を殺傷できる身体的スキルを持っていたのはブルース・リーだけでしたし…。ブルースは彼の知る最も強い男性のひとりであり、武器の扱いも心得ていましたので」と、ポーリーはポランスキーが疑ってもしょうがない裏付けを語ります。 
 
 リーがメガネ技師に視力を伝えたとき、ポランスキーは自らの疑いが事実無根であったことをすぐに理解できたようです。自ら購入したレンズ測定器で現場に残っていた眼鏡のレンズを測っていたのでしょう。そのレンズとリーの焦点距離はまったく違っていたというわけです。

 この時点で彼は、リーへの疑いを晴らすことになったのです。そしてポランスキーは、自分が「テート殺しの犯人はリーではないか!?」と疑っていたことは、リー本人に決して打ち明けることはなかったのです。やがてリーは、1973年7月20日に32歳の若さで亡くなることになります。やがてリーの死後10年以上経った1985年に、ポランスキーは自らの回想録の中でこの話に関して、初めて詳細に語ることになったのです。
 
 ポーリーはリーの伝記『Bruce Lee: A Life(原題)』の取材で、リンダ・リーにインタビューしていますが、リンダはポランスキーの回想録でこの話を読んだとき、このとんでもない疑いを面白がったと言います。 
 
 ポーリーによれば、ポランスキーのリーへの疑念に関する話が含まれる彼の本に、タランティーノのマネージャーからもリクエストがあったとのこと。そして、リーを演じているモーもこの伝記を読んでいました。この流れから見ても、タランティーノはこの本に関して、映画創作上の権利を取得していると思われます。 
 
 本記事の筆者ケイト・ストーリーはリーの家族に接触し、タランティーノの新作映画にブルース・リーが登場することについての考えを聞いてみました。が、現時点で彼らからの返答はありません。とは言え、リーの娘であるシャノン・リーは2019年始め、この映画のキャストが発表されたとき、米エンタメサイト「デッドライン」に次のように語っています。 
 
 「タランティーノ監督の映画について、製作サイド側から一切説明はありませんでした。なので、他の関係者(シャロン・テートの妹のデブラ・テートなど)に接触したかしないかにかかわらず、私に連絡とともに話がなかったことはある程度イライラしました。ですが、私の中では結局、これは自分の時間やエネルギーを注ぐに値することではないとも思ったのです。世界がこの映画にどう反応するかを見てみましょう」と、シャノン・リーは語りました。 
 
 「デッドライン」によれば、タランティーノはこの映画の脚本を書く前の段階で、ポランスキーにも連絡を取ることはなかったと言います。ですがポランスキーは、友人を通じてタランティーノに接触しました。 
 
 「脚本執筆が終わった後、ポランスキーはこの噂を聞きつけ、2人の共通の友人を通して連絡してきました。その友人から電話があり、映画について『どうなってるんだ?』と聞かれたんです。彼は『ロマンは怒っているわけではない』とも言いました。ポランスキーが激怒したり、不快になっているから電話をかけてきたわけではなく、『これは何なのだろう?』と単に好奇心をそそられたからなのです」と、タランティーノは話しました。 
 
 「そこで、私は次のようにしました。ポランスキーは明らかに欧州から出られないようなので、その友人を招き、脚本を読んでもらったんです。彼は私の自宅まで来ました。そして、脚本を読んでポランスキーに電話し、そのアイデアや内容について伝えたというわけです。そして基本的には、ポランスキーにとって心配するようなことはありませんでした」と、タランティーノは続けて語りました。

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チャールズ・マンソンとこの殺人事件のつながりが判明したのは、数カ月後のことでした 。

 ポランスキーが「欧州から出られない」のは、彼が1977年に未成年者への強姦や規制薬物の提供などを含む、6件の重罪容疑で大陪審に起訴されたためです。彼はその後、未成年者との違法な性行為について有罪を認め、判決の前夜に米国から脱出しました。それ以来、彼は欧州に留まっています…。 
 
 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』で描かれたように、リーは事件当日にテートの家にはいませんでした。ですが彼は、テートとセブリングの死に深い影響を受けていたのも事実です。 
 
 「映画『サイレントフルート』の脚本を書いたとき、この作品には当時としては極端なほどのバイオレンスが含まれていました。そこには、テートらの殺人事件からの影響が感じられることでしょう」と、ポーリーは話します。「また、香港に引っ越して超有名人になった後、誰もが『リーは神経質になりすぎているようだ』と指摘していました。自分の子どもは世話人なしで決して外出させませんでしたし、当時としては異常なことに、自らも常にボディガードを引き連れていましたから…」と、ポーリーは続けて語りました。 
 
 「彼は事件以来ずっと、有名人であることにかなりの恐怖感を抱いていたんだと思います」と、ポーリーはブルース・リーを気遣うコメントを発しました。 
 
 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は、2019年8月30日より日本公開です。

 


From Esquire US
Translation / Wataru Nakamura 
※この翻訳は抄訳です。