最高のスパイが命尽きるまでには、一体どれくらいの時間が必要なのでしょうか? ボンド映画の新作『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』の公開日が全米で2021年10月8日(日本公開日は未定)に延期されたことを考えると、かなりの時間が必要なようです。
当初は2020年4月10日に公開される予定でしたが、この1月の発表で3度目の延期となりました。60年近い歴史を持つシリーズの25作目となる本作ですが、ボンド自身と同じくらいに「かなり長い執行猶予期間」を挟むことになったわけです。
「いやボンドくん、キミはもう話さなくていいんだよ。あとは死んでもらうだけだからさ。でもな、私の計画について詳しく聞いてもらったあとだけどね…」というゴールドフィンガーの声が聞こえてきそうです。
しかし何よりも、映画の公開にはタイミングというものが重要です。クリストファー・ノーラン監督によるボンドのタイムワープ版とでも言うべき『テネット』は、かなり期待はずれに終わったことからも明らかなように、世界的なパンデミックに高価な映画を映画館で公開するという行為は、「タイミングが悪い」と言うしかありません。
今度こそ、2021年10月8日に公開されることを期待しています。ですが本作の延期が、単にコロナ禍における客足を流れを考えてのことなのか? または、ストーリーに何等かの社会的不調和音を招く音階が含まれているのか?といった、はっきりとした理由は発表されていませんし、後者を懸念させる話も浮上しています。
なぜなら予告編では、ラミ・マレック演じる悪役のサフィンが、謎の "新技術 "を使って大虐殺を企てていることが示唆されており、それは「ウイルスのような生物兵器」の可能性もあるからです。彼の名前が致命的な神経ガス「サリン」に似ているのも、果たして偶然でしょうか…?
カリブ海でのミサイルがプロットに登場する『007/ドクター・ノオ』が1962年10月に公開された際、数週間後にキューバのミサイル危機が起こったのは、偶然のタイミングでした(配給会社の ユナイテッド・アーティスツは、『007/サンダーボール作戦』を先につくりたがったのですが、ストーリーの権利が法的に複雑だったため実現しませんでした)。
ジョン・コークとブルース・シバリーが2002年に出版した『James Bond: The Legacy』の中で語っているように、冷戦と宇宙開発競争にソビエトが勝利したことにより、共産主義が世界を征服するように思われた時代です。一方で西洋は、良質なものを買う美徳を披露してくれる「自分たちと同じ価値観を持った象徴的存在」を求めていました。
テレンス・ヤング監督は、「ドクター・ノオは、これまでの映画で最も完璧なタイミングでつくられた映画だった」と語っています。しかしそれは、単に運が良かっただけではありません。
プロデューサーたちは、帝国主義的に衰退したイギリスがファッションや音楽、文学、建築、デザイン、アート、映画の分野で世界をリードしているという時代の流れが、ボンドに適していることを鋭く見抜いていたのです。そして脚本家たちは、ドクター・ノオをソビエトではなくスペクターのために働かせることにし、プロットは政治的なものではなくなったわけです。
また、ボンドを1冊につき(平均)1人ではなく、映画1作品に3人の女性を相手にするという、女たらしに仕立て上げました。“プレイボーイ”やドラッグの時代に合った、3倍みだらなボンドというわけです。
英国政府のメンバーがソ連のハニートラップに捕まったプロフモ事件(ロジャー・ムーアは眉をひそめたことでしょう)は、1963年10月に公開された『007/ロシアから愛をこめて』の数カ月前に起こりました。
この小説は、同年11月にリー・ハーヴェイ・オズワルドに暗殺される前のケネディ大統領のお気に入りで、悲劇的な出来事の前夜には「2人ともボンドの小説を読んでいた」と言われています。しかしこの出来事は、アメリカの映画ファンを引き止めることにはならず、評論家たちはこの映画の“現実逃避性”を賞賛しました。1964年の『007/ゴールドフィンガー』や、同年に起きたポップカルチャーが引き金となった熱狂は、ジョン・コークとブルース・シバリーによれば「社会を蝕(むしば)んでいた衝撃、怒り、恐怖のすべてを解放するかのようだった…」とつづられています。
1967年の『007は二度死ぬ』からボンド映画は、イアン・フレミングの原作よりも、現実の出来事からより多くのインスピレーションを得るようになります。
脚本家のロアルド・ダールは、友人であるフレミングの書いたブロフェルドが、“死の庭”のある日本の古城に立てこもるというストーリーは、映画的ではないと感じていました。そこで彼は、第三次世界大戦という引き金をつくり、スポンサーである(新興の共産主義大国として当時恐れられていた)中国の手助けをするため、スペクターがアメリカとソ連の宇宙船をハイジャックするというストーリーを考え出したのです(世界的な興行収入については、あまり気にしていなかったようです)。
宇宙空間に放り出されたアメリカ人宇宙飛行士の死を描いたクレジット前のシーンは、宇宙飛行士3名が地球上で犠牲になったアポロ1号の悲劇が起こる、約2週間前に撮影されていました。
信じられないかもしれませんが、このように実際のボンド映画は不気味なほど、予言的であることを証明してきたのです。
1966年に『007/サンダーボール作戦』が公開から数週間後、4つの水爆を積んだ米軍機がスペインの海岸に墜落しました。1971年の『007/ダイヤモンドは永遠に』の衛星“レーザー”兵器(ドクター・イーブル風に)は、ロナルド・レーガンの戦略防衛構想(スター・ウォーズ計画)の10年以上も先を行っていました。
2002年の『007/ダイ・アナザー・デイ』でさえ、ジョージ・W・ブッシュが北朝鮮を「悪の枢軸」として位置づける前に、地政学的なホットスポットとしてピンポイントで北朝鮮を指摘していたのです(それにもかかわらず、金正日総書記はボンド映画の大ファンだったとも言われていますが…)。
芸術は人生を、人生は芸術を真似ることができます。1974年の『007/黄金銃を持つ男』の太陽光エネルギーを使ったプロットは、1973年の第四次中東戦争でイスラエルが武装したことへの報復として、アラブがアメリカへの石油輸出を禁輸した件に一部もとづいたものでしたが、評論家たちはすでに古いニュースだと感じていました。
「『エネルギー危機は、まだ私たちの身近にある』というような情報は、ジェームズ・ボンドの映画から学ぶ必要はないし、知りたいとも思わない」と、ニューヨーク・タイムズ紙はコメントしています。
ロジャー・ムーアがボンド役を務めていたときは、時事問題、特に血なまぐさいテロの頻発などの容赦のない悲惨なプロットからは、意図的に遠ざかっていました。1972年にはノーベル平和賞受賞者に該当者なしになるほど事態が悪化していましたが、この年はスペクターを想起させる大統領再選委員会が企てたウォーターゲート事件が起きた年であり、スパイ活動に対する世間の印象が悪くなっていった年でもあります。
とは言え、ムーアの毒舌キャラのおかげで、アメリカの人種被害妄想を悪用したフレミングの問題とされた小説の映画化は成功となったわけです。
1973年に公開された『007/死ぬのは奴らだ』では、黒人搾取というジャンルを利用し、さらにコミカルな雰囲気を醸し出すために無愛想な田舎者の保安官を登場させることで論争を巻き起こすこともなく、ボンドが異人種間セックスに興じる様子を描くこともできました。
1985年の『007/美しき獲物たち』では、数年前のハーヴェイ・ミルク氏(ゲイと公言して全米<世界でも>初の公職に選ばれた人物であり、1978年に暗殺される)と同じように、サンフランシスコ市庁舎で政治家が銃殺される様子と建物に火をつける撮影を、喜んで門戸を開いてくれた公務員たちのおかげで実現することができました。
レーガンが再燃させた冷戦へとボンドを引き戻した1981年の『007/ユア・アイズ・オンリー』を除き、ムーアの映画は現実よりも大きく、はるかに楽しいものだったのです。
1985年の『ロッキー4/炎の友情』がプロパガンダ的なインパクトを残せなかったのに対し、1983年の『007/オクトパシー』では、核兵器の危険性や(国際社会の緊張が高まる原因となった)ヨーロッパにおける他の危険性、そしてピエロやゴリラ、ワニに変装したボンドまでも描くことができたのです。そしてそこでの悪者は、悪の帝国などではなく、予測不能なスティーヴン・バーコフ扮するオルロフ将軍でした。
そうして次第に、善人と悪人を見分けるのはますます難しくなっていきます。しかし1987年の『007/リビング・デイライツ』のプロットは、ソビエトの悪党将軍とアメリカの武器商人を結びつけることで、製作中に勃発したイラン・コントラ事件を前に、「悪党は双方にいるのだ」ということを示してくれました。またエイズの流行があったため、ダルトン扮するボンドの絡みシーンに関しては抑えられています。
その後のベルリンの壁とソ連の崩壊により、1995年の『007/ゴールデンアイ』でジュディ・デンチ演じるMが、「冷戦時代の遺物」と呼んだピアーズ・ブロスナンのボンドは余剰なものになったのではなく、事態を収集するので精一杯となるわけです。
水不足がもたらす世界的な安全保障上の脅威に関する報告書を2012年にまとめた米国の情報機関は、おそらく2008年の『007/慰めの報酬』を見ていましたし、スノーデンの一件があった2015年の『007/スペクター』は、モリアーティ米軍基地以外の監視の危険性を強調していました。
…というわけで、一体クレイグの時代が終わったら、次はどんなジェームズ・ボンドが登場するのでしょうか?
映画製作者たちは、ボンドは「2分先の未来」に存在すると言いますが、近年の予測できない激動を考えると、今は2分先の未来も予測するのも難しいのではないでしょうか。悪党や恐ろしい脅威の不足が問題になることはなさそうですが。むしろ、バーバラ・ブロッコリと共同製作者は、悪役選びとどのようにボンドが説得力のある対応をするかを考えるのに、忙しくなりそうです。ボンドは世界を救うだけでなく、世界の流れを変えなければならないのですから。
フレミングが戦後のイギリスからジャマイカへと移住し、エキゾチックな場所を想起させるようになって以来、現実逃避主義は常にボンドの魅力の一部となってきました。私たちが今まで以上に、それを必要としていることをコネリーならきっと察しているでしょう。
キングズリー・エイミスが1965年に書いた『The James Bond Dossier』の中で、「魔法の絨毯(じゅうたん)で行く小旅行」と呼んでいるような意味合いだけではありません。どんなに大衆主義的だったり深いものであっても、すべての文学は現実逃避であり、人生は首尾一貫していて意味のあるものであると暗黙のうちに私たちに保証しているのです。エイミスは、「これ以上の逃避主義的概念はない」と書いています。もちろん、スペクターがすべての背後にいることは除いて、ですが…。
Source / ESQUIRE UK
Translation / Yuka Ogasawara
※この翻訳は抄訳です。