この日キッド・カディは、ニューヨーク・メッツの本拠地「シティ・フィールド」にあるジャンボ・スクリーンの前に立って、スタジアムを埋めた観衆が彼の名前を連呼しているのを眺めています。ツアーを行うのは5年ぶりのことで、この感覚を自分がどれほど必要としていたかをすっかり忘れていました。

彼がずっと生き続けてこられたのは、ファンから単に偶像として崇拝されただけではなく、ファンたちとの物理的なつながりがあったからなのです。2022年の夏から、世界27都市を回るツアー『TO THE MOON – 2022 WORLD TOUR』(東京公演は2022年10月17日に豊洲PITで)に出発する彼は、再びその感覚を毎晩のように味わうことになるでしょう。今回のツアーは、歌うことと演じることに対する彼の愛と、ロマンティックで「めちゃくちゃトリッピー」なコンサートとを合体させた、野心的で演劇性に満ちたステージになっています。

この取材を行ったのは、NYで開催されたフェス“ガバナーズ・ボール 2022”の初日(2022年6月)で、ヘッドライナーを務めるキッド・カディを観るため数万人の音楽ファンがシティ・フィールドに集結しました。このコンサートは彼にとって、2022年8月16日のカナダ・バンクーバーを皮切りに始まった自身の「TO THE MOON - 2022 WORLD TOUR 」のウォーミングアップといったところでしょう。

しかしながら、私(筆者ホープ氏)のほうはそれどころではありませんでした。彼のチームの居場所を突き止めるのに電話とテキストメッセージで1時間もかかり、ようやくゴルフカートでステージ脇まで運んで行ってもらったときには、オープニング曲が始まってから数分経っていました。

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NORMAN JEAN ROY

大歓声を上げるファンたちが、オイルサーディンのようにぎっしりと詰め込まれた客席に比べたら、ここは全くの別世界です。酔っ払い、ハイになったファンたちは互いのひじがぶつかり合うような状態で、『Sad People』(それは、希望に満ちた賛歌です)を声を合わせて楽しそうに歌っています。なによりもこれは、スケールの大きなバリデーション療法(相手の言うことを否定せず耳も心も傾け、相手の話を聴く「傾聴」を行うとともに、共感の態度に示すことによって本質的な会話へとつなげていく心理療法)です。

左右に揺れる腕がスタジアムに海のように広がり、それらは照明の光を受けて、とてつもなく大きなものに見えています。歌詞を聞き取ることはもはや不可能で、サウンドはただの振動の壁と化していました。私の前にあった歌詞を表示するプロンプターにちらりと目をやると、カディがいま歌っているところが「Close call, life on the edge / Ah, when the time comes, I'll find peace」であることがわかりました。観客のほうはまた彼の名前を連呼しています。「カー・ディー! カー・ディー!」--このほとばしるほどの無条件の愛は神、ミュージシャン、そして生まれたばかりの赤ん坊しか経験できないものです。

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Kid Cudi - Sad People (Official Visualizer)
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何年もの間、このような経験と彼自身の私生活とのバランスを取ることの重圧で、カディは一度はどん底を味わいました。そして、確かな成長を遂げた彼はその先に新たなキャリア築こうとしており、その中には彼の新会社である「マッド・ソーラー(Mad Solar)」とのプロジェクト開発も含まれています。2022年9月には10枚目のアルバム「Entergalactic」がリリースされ、同じタイトルのアニメシリーズも同時にNetflixで公開されます。カディ(本名スコット・メスカディ)はこの番組を、プロデューサー兼クリエイターとしての最初の重要な転換点と考えています。

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「いまのオレは、
自分のモジョを台無しにするような
モノは何も受け付けませんよ。
そんなことできない…」

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キッド・カディのファッション
着こなしは?

2022年6月の昼下がり、私はマンハッタンのミッドタウンにある「シビリアンホテル」のブルールーム――ここには、ブロードウェイの記念品の数々が展示されています――そこで彼に会って、詳しく話を聞くことになっていました。

そこへやって来たカディが、ミュージカル『ハミルトン』で使用されたジョージ・ワシントンのサーベルが収められた陳列ケースの前に腰を下ろしました。身につけているのはいかにもキッド・カディらしいもので、ピンクのコーデュロイパンツと破けたWizのTシャツでした。履(は)いている靴はオフホワイトという、クールキッズの間では別格視されているブランドです。

髪の色は“ナウ・アンド・レイター・ブルー”(文字どおり、彼の自宅のテーブルに置いてあったナウ・アンド・レイターのキャンディに由来する色)です。2日間のインタビューの間、彼は私たちがふたりだけで話ができるようチームのメンバー――マネージャーで幼なじみのデニス・カミングス、彼のアシスタント、レーベルの担当者、スタジオのエンジニア――に部屋を出て行くよう丁寧に頼みました。電話もただちにマナーモードに変更しました。彼はまるで、生ける“平静の祈り”のような男だったのです。

「38歳にして、自分のことが
好きだと言えるようになった」
--キッド・カディ

カディは、「自分がなりたかったような大人、きちんとした生活を送れる大人に初めてなれたような気がして…はじめているところだよ」と、私に言いました。最近はただハッピーなだけではなく、ワクワクするような気分で目が覚めるそうです。大抵の日は朝の9時にシャワーを浴びて、ほとんどの人がキッド・カディらしいと考えるような服に着替えます。そして鏡に映った自分を観て、セクシーだと感じるとのこと。

「この姿を誰かに見せるわけでもないし、その日に何かやることがあるわけでもない。それでもやっぱりオレはクールなんだ」と言って彼が笑うと、特別誂(あつら)えの2本の金歯がキラッと光ります。「実際38歳にして、自分のことが『好きだ』って言えるようになったよ。6年前には、そんなことは絶対に言えなかったことだね。今は自信を持ってそう言えるし、心からそう信じているよ。それは行動にも表れるんだ…」。

キッド・カディ、
うつ病とリハビリついて語る

皮肉なことに彼が公に見せる顔の多くは、彼のプライベートな面での充実ぶりが基礎になっています。

2022年6月6日、『ヴォーグ』の編集長アンナ・ウィントゥアーが「ユース・アングザイアティ・センター」と共催したディナーに主賓として出席した彼は、うつ病とリハビリの時期についてスピーチを行いました。

彼の歌は内面の不安のスナップショットであり、ヒップホップ、怒り、エレクトロニク、ロックなどで構成された曲の背後で行われているのは、絶望からまばゆいばかりの自己愛への逃避です。カディはその物語を、自らエグゼクティブ・プロデューサーを務めた2021年のドキュメンタリー『スコットという名の男(A Man Named Scott)』にまとめました。

仲間(ファレル・ウィリアムス、カニエ・ウェスト)や友人(シャイア・ラブーフティモシー・シャラメ)は彼のことを、感情を言葉で表現しようともがき苦しむ若者たちのヒーローとして描いています。ほとんどのミュージシャンと同じように、彼も多少の神話化をやっているのは確かですが、自分の話術をコントロールしたいという彼の欲求が、コントロールできない感覚をずっと味わってきた経験から来ていることは皆さんも理解できることか思います。

彼がいまもハッピーだとわかれば、もちろんファンはほっとするはず。でも、有名人がこれまでずっと苦しんでいたという発言をしても、ファンにはなかなか信じられないかもしれません。安らぎを伝える能力というのは、例え自分自身でそれを感じていなくても、仕事に欠かせない部分ということでしょうか?

カディの場合、私たちの多くと同じような形で達成感を得ている可能性があります。つまり、最初は少し自信がない素振りを見せるのです。途中でいろいろな変化があるのは、言うまでもありません。彼はいくつかのプロジェクトに情熱をもって取り組む一方で、長い間、積極的に愛を追い求めてヴァダ・メスカディという娘の父親になっています。彼女はまだティーンエイジャー前ですが、歌手志望で親の名声の影響も経験しています。現在彼には、2人のアシスタントがいます(「このチームは、アニメのヴォルトロンのようにすべてがそろっている。最高だよ!」と彼は言っています)。

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どん底を経験したカディは、長年にわたるセラピーを通じて手に入れた道具を上手に使いこなして、不屈の精神を持つ要塞になることを強いられました。決してストレスがなくなったわけではありません。大きな混乱に対処できる備えが、それまで以上にできているだけのことです。その混乱とは、失恋、悲しみ、あるいはテキストメッセージのスクリーンショットを武器に使うことで知られる友人との大げんかかもしれません。しかし、その要塞が安全である保証はどこにもなくて、そこに留まる努力をしなければならないのです。「オレの人生には素晴らしいものがたくさんある。家族もそう、仕事もそうだ」とカディは言います。「今のこの幸運を、誰にも邪魔させるわけにはいかない。絶対にだ」。

ここで「愛」についてお話ししましょう。

でも、心の問題について語ろうと思うと、とりわけこのアプリの時代においては聞き飽きたようなものか、「決して放さないよローズ」的なメロドラマチックなものになりがちですが、カディの哲学は核心をズバリと突くことです。

「愛はすべての答えだ。ときには人を傷つけることがあるけれど、癒(いや)しにもなってくれる」--その意味では、『Entergalactic』はラブストーリーと言えます。このアニメでカディは自分の分身とも言える、愛を求めるニューヨークのアーティスト、ジャバリの声を担当しており、ほかにもジェシカ・ウィリアムズ(ジャバリの恋人、メドウ)、シャラメ(ジャバリの親友、ジミー)、ヴァネッサ・ハジェンズ(メドウの友人、カリーナ)など、オールスター・キャストです。

カディはこの作品を、一話完結のエピソードを集めたアンソロジー(選集)として見ています。黒人ファミリーによるシットコム『ブラッキッシュ(Black-ish)』をつくったケニヤ・バリスがこの番組のエグゼクティブ・プロデューサーで、これをフルアニメーションのシリーズにすることを提案しました。

カディは演技について語るときと同じように、愛の力について語ります。「誰かとその状態にあるときはものすごい乗り物に乗ってるようなものさ、特に『Entergalactic』のようなことを経験しているときはね」と、彼は言います。

「とんでもない魔法だよ」この番組は彼のアルバムのビジュアル版で、そのためにまず音楽――愛の力で解放されることの美しさを歌った一連の曲――のレコーディングを先に行い、そこからさかのぼって物語のストーリーボードを作った後で脚本の執筆チームを雇いました。ジャバリとメドウがパーティーで出会う場面では、ロマンティックな救世主の美しい序曲『Angel』が部分的に使われています。また、セックスの場面――そう、アニメでセックスの場面があるのです――では、未来のパートナーに対する宣言のような『Willing to Trust』が流れて、カディが「キミはオレのもの/心配しなくていいよ」を繰り返します。

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キッド・カディと故ヴァージル・アブローの友情

カディの友人で、先見的なデザイナーだった故ヴァージル・アブローが、キャラクターたちの衣装(ジミーとジャバリはアブローのブランド、オフホワイトを着て登場)をいくつかスケッチしています。ふたりは長年、アルバムのアートワークからファッションショーまでさまざまなコラボレーションを行い、この作品がその最後となりました。

アブローは珍しい種類のガンとの戦いを公にすることなく、2021年11月にこの世を去りましたが、彼がファッション、ヒップホップ、アートなどに与えた影響に対してはさまざまな讃辞が寄せられています。アブローが亡くなる前日にも、カディは彼と言葉を交わしていました。

「最後に彼とコンタクトを取れてうれしかった。最後に話をしたのが何カ月も前ってことにはならなかったからね。そうなってたら、オレはボロボロになっていただろうね」と、カディは言います。「この数カ月間、オレはそこに安らぎを見出していたんだ。自分の気持ちをヴァージルに伝える機会を持てて、彼もそれをわかってくれたから…。ときにはつらくなることもあるさ、彼のことをよく考えるんだ。そして、しんみりした気持ちになる。でも、ちゃんとわかっているからそれを乗り越えられるんだ」。

私(筆者)がカディと初めて会ったのは2009年で、そのころ私はラップ雑誌『XXL』の編集をやっており、B.o.B.やワーレイなどを含む新世代ラッパーを特集した号の表紙が彼でした。彼にはヒットしたストーナー賛歌『Day 'N' Nite』があり、またカニエ・ウェストのお墨付きもありました。デビューした当初から、カディのメロディっくなスタイルにはスカーフェイスやDMXといったアーティストを感情面の下敷きにしている部分があり、感情表現を極限まで押し進めて、情緒不安定の領域にまで深く分け入って行きました。2009年のデビュー・アルバム『Man on the Moon: The End of Day』は、意外なことにZ世代のソースコード的な存在となり、いまでは内に潜む悪魔を甘い歌声でもって駆逐するのが普通のようになっています。

カディは当時のことを振り返って、「ファースト・アルバムは、オレにとっては自己発見のようなものだった。オレの魂がどれほど苦しめられていたかわかったからだ。曲を書いてはちょっと手を止め、“待てよ、オレは本当にこんなふうに感じているのかな”と思うことがあるんだ。この気持ちはどこから来てるんだろうってね? そんなとき、オレはもう少し深く掘り下げて曲を完成させないといけないんだ」。

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「すべての男がそうであるように、
自分のたわごとを認める必要がある」

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少年時代のキッド・カディ、
その生い立ち

カディはオハイオ州ソロンで、物静かで観察眼の鋭い少年に育ちました。母のエルシー・メスカディは音楽を学び、公立学校で38年間教師を務めました。彼女はスコット――4人きょうだいの末っ子――が7歳のとき、ベッドの下でニンジャ・タートルと遊びながら「主われを愛す」を歌っていたことを憶えています。少年時代の彼は絵もたくさん描いたし、ノートに書いてあるのは詩ばかりでトークボーイを使って初めてのラップも録音していました。父親がガンで亡くなったのは、彼が11歳のときです。家族で毎日、病院に入院していた父親のお見舞いに行っていました。「彼は父親の話に耳を傾け、父親から得られるものをすべて吸収したんです」と、母エルシーは言います。

彼の20代はさらにつらいものでした。カディは、何もかもにムカつくことが多かったその10年間をハルク時代と考えています。そのころにはもう彼はラップのスターになっており、スターの重圧を仕事とドラッグで紛らわせていましたが、コカインで2週間ばか騒ぎを繰り広げた後、ようやく自分がセラピーとしてつくっていた音楽(『Man on the Moon II: The Legend of Mr. Rager』と『Indicud』がその時期に出た作品)が、純粋に治療効果のあるものではなく、破壊的にもなったり、自分にすり寄るようなものでさえあったことに気がついたのです。カディは2016年にFacebookの投稿で、「うつ症状と自殺衝動があるため自発的にリハビリセンターに入った」と記したのでした。

そしてある日、エルシーは息子から電話をもらいます。それはリハビリセンターに向かっている途中で、「緊急連絡先として選んだから」という知らせでした。そして彼女は、息子からの次なる知らせを待ち続けたそうです。そのときの想いをこう語ります。

「リハビリセンターでの治療が終わり、息子が電話をかけていい状態になるまで待つことが、これまでの人生に中でいちばん辛かったことです」とエルシー。そしてそのときが訪れると、彼女はすっ飛んでカディに会いにいっては毎日のように会っていたそうです。そうして彼が回復へと向かう中で、ふたりはともに祈りました。

「スコットにとって、それ以上素晴らしいことはありませんでした。それは確かです。“自分の子どもなら絶対こんなことはしない、あんなことはしない”なんて、親なら絶対に言えないのです。子どもがいつどんなことをやるかは親にもわからないし、実際、自分のキャリアが一夜にして崩壊するというところまで追い込まれるのは非常に難しい状況です」、ともエルシーは言います。

カディのリハビリ期間は彼の物語の重要な部分ですが、リハビリ2週間目に彼が脳卒中で入院したことを知っている人は多くありません。それからの数カ月間はしゃべるのも動くのもゆっくりでした。「なにもかも最低だったよ」と彼は言います。マネージャーのカミングスは、しばらく音楽から離れることを彼にすすめました。

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うつ症状を乗り越えて…
リハビリとキッド・カディ

カディはその後の数カ月を、肉体的なリハビリに費やしました。彼が完全に立ち直ったと感じたのは、2017年、警察の世界を描いた『ロビー・ヒーロー』というブロードウェイの芝居のある役の台詞をマイケル・セラと一緒に読んだときです。そのオーディションではゾッとするほどの量の台詞を記憶することが求められましたが、カディはそのチャレンジに前向きでした。

結局、その役はもっと経験豊富な俳優が演じることになったのですが、彼はもっと素晴らしいご褒美を手にしたのです。「オレはやれるってことを自分に証明してみせたんだ。あのときのオレにはそれが必要だった」と彼は言います。「オレは満足だった。なんていうか、オレの脳はまだまだ丈夫だぜって感じさ。ひどい経験をしたが、そんなことでは何も失っていなかったんだ」。

有名人のメンタルヘルスを擁護する人々であふれ返っているような状況の中、カディは最もやりやすい方法で――つまり音楽を通じて――そのアンバサダー役になりました。彼は若者に影響を与える責任の大きさを喜んで引き受けています。彼にはもっと大きな構想があるのです。「オレはその役を引き受けてロールモデルになる準備ができている」。しかし、多くの若者たちの兄貴になるために彼が取るアプローチは、「めちゃくちゃロックンロールさ。それに、そのことで謝ったりしない……オレは自分の感情をちゃんと把握できているんだ。年齢を重ねながら自分の感情を管理、コントロールする方法をしっかり学んできたからね」。

キッド・カディの覚悟と
メンタルヘルスの代弁者

私はカディに、無神経に聞こえるかもしれない質問をぶつけてみました――メンタルヘルスのスポークスマンという役に、飽き飽きしたことはありませんか?

「プレッシャーは大きいよ。でも、そのおかげで生き続けていられる。だからやるのさ。それがストレスになることはないね。絶えずオレにこう考えさせてくれるんだ、“だめだ、スコット。おまえはここにいるんだ。死ぬのはじじいになってからだ”ってね」。

存在しない画像

友人ジェシカ・ウィリアムズとティモシー・シャラメが語るキッド・カディの内面

「カディは傷つきやすくなる術を身につけている」と、(アニメ『Entergalactic』で声出演した)女優ジェシカ・ウィリアムズは言います。「黒人男性のイメージを幅広くすることは大事なことだし、それはラッパーについても同様ね」と彼女は言います。「スコットは常にその先頭に立ってきた。いつもドレスを着ていたり、マニキュアを塗っていたり、あるいは自分が経験してきたことを歌にするという形で。彼はより多くの黒人男性や有色人種が、自分の望む方法で自分自身になれる余地をつくり出しているわけ」。

「彼はもっと傷つきやすくなれと、ほかのアーティストを鼓舞してきたと思うんだ」と言うのは、ティモシー・シャラメです。「カディには人の心に訴えかけるような、嘘いつわりのない確かなものがあるよ」。

ナズとJAY-Zへの尊敬

カディはいろいろな点で、ラッパーとしての批判的な立場より、生きることへのメッセージを発信していることのほうが有名になっています。音楽情報サイト、ステレオガムのライターのパトリック・ライオンズは2019年に、「カディは芸術的価値を超えた形でファンにとって重要な存在になっている」と書いています。カディ自身はラッパーとして休眠状態にあると考えに悩んでいるようすはありません。40歳を過ぎたらラッパーをやっていないとさえ考えているのです。

「オレはキッド・カディだからな」と言って、彼は笑います。「全然ちがうんだよ。オレはナズじゃない。ジェイ(JAY-Z)でもない。これらの名前は伝説の、神のような存在で、永遠の若さを保っているんだ。もし、40代50代までずっとクールでいられる才能があると感じたら、“ああ、オレはくたばるまでラップをやってやるぜ、マザーファッカー!”てなもんだろう。でもオレは……よくわからないな」。

私たちがホテルに来て1時間ほど経ちましたが、喫煙が許されているのはテラスだけです。スタジオに行って『Entergalactic』の音楽を聴きたいかと問われたら、答えはもちろん、トゥ・ザ・ムーン! です。

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カニエ・ウェスト(イェ)について語らない本当の意味

「シビリアンホテル」のブルールームのインタビューでは、カディはカニエ・ウェスト(いまでは『イェ“Ye”』というシンプルな名前で知られているアーティスト)との絶縁について、何も語りませんでした。もし彼がそれについて何かしゃべれば、ジャーナリストが書かずにいられないことがわかっているからで、彼は「それについて何も耳にしたり関わったりしないことの心の安らぎ」を大事にしているのです。

彼の中では、まだ友情が終わったことの整理もついていません。しかし私たちが話をしているうちに彼は、“注目を自分に集めるのが得意の人間”に対する、いちばんのお返しは“注目を奪い返してやること”と気づいたのです。

スタジオはNY・チェルシーにあるレーベルがオープンさせた最新のスペースで、素晴らしいドルビー・アトモス・システム(立体音響設備)が備わっています。ですが、私がそれを聴くことはありませんでした。アグのブーツみたいな感触の、クリーム色のふわふわの椅子に座ったカディが怒りをあらわにしはじめました。

キッド・カディ、カニエ・ウェストとの確執

彼とカニエ・ウェストは、カディが2008年にウェストのレーベルのG.O.O.D. ミュージックと契約して以来、友人としてコラボレーターとして10年以上深いつながりを保っていました。

ふたりはお互いの新しいドキュメンタリーやその他のプロジェクトにも姿を見せていますが、カディはバランスの悪さを感じていました。「オレはあの男のすべてのアルバムに参加してきた。彼がオレのに参加したのはたったの2枚だけだ。それでわかるだろ。言っておくけど、オレが頼まなかったからじゃないぜ」。ここ数年、ふたりは衝突を繰り返していました。ほとんどはクリエイティブ面における意見の相異が原因でしたが、表向きには和解していたのです。

そして今年の2022年2月、ウェストは彼のアルバム『ドンダ2』にカディが参加しないことを発表しました。彼はインスタグラムにカディがシャラメや、ウェストの元妻であるキム・カーダシアンと付き合っていることが知られるピート・デヴィッドソンとポーズを取っている写真を投稿します。その写真のデヴィッドソンの顔には×印がつけられていました(現在は削除)。

カディはそれに反応し、ツイートでウェストを恐竜よばわりした上で、「オレがあんたと会って以来、あんたのアルバムでいちばんよかったのがオレだったことはみんな知っている。あんたのために祈ってるぜブラザー」と付け加えました。4月カディは、「ふたりはもう友人ではない」とツイートしています。

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「目が覚めて自分のソーシャルメディアを見たら、誰かにディスられたせいで自分がトレンド入りしていたときの気分がどんなものかわかるかい?」と彼は言います。「でもって、そいつがインスタグラムやツイッターで釣りのメッセージをよこしてきたら? オレのコメント欄にだぜ? あれは頭にきたね。彼にはオレをぶっ潰す力があるとか。その力を使ってオレをぶっ潰してやるとか。オレは腹が立って仕方がなかった」。

彼は厳しい表情でこう付け加えました。「あんたはオレのメンタルヘルスをずたずたにしてるぜ、ブラザー」。結局カディはそれを無視して、安らかなバブルの中に身を潜めたのでした。

スタジオで、彼が椅子から身を乗り出しました、その椅子を両手でつかんで…「オレはいま人生の中で、間違ったエネルギーをまったく容認できない時期にいるんだ。これまで、へまをやらかしたために彼からひどい目に遭わされた人間をたくさん見て来たよ。でもその後で、彼らは考えが変わって彼を許してしまう。しこりも残らない。また彼とクールな関係に戻るんだ。彼はそういうことを何度も何度も繰り返してるんだ」。

カディはウェストに、直接語りかけました。

「オレはあんたのキッズじゃないんだぜ。それに、キムでもないんだ。オレがピートのダチだろうがなんだろうが、そんなのはどうだっていいことだ。そういうゴタゴタは、オレには全く関係のないことさ。あんたは大人になれなくて、女を失った事実に対処できないってか? それはオレの問題なんかじゃないね。あんたもほかのみんなと同じように、自分の間違いを認めるしかないんだ。そりゃ女を失った経験は、オレにもあるさ。でもオレは、自分の間違いを素直に認めた。そういう問題はオレの人生に必要ない。オレには要らないものなんだ」。

カディは自分の成功が、彼と彼のオリジナル・プロデューサー・チーム――パトリック“プレーン・パット”レイノルズ、オラディポ・オミショア(別名ドット・ダ・ジニアス)、エミール・ヘイニー――だけではなく他の誰かがいて、そいつのおかげと多くの人々が考えていることにも多いに悩まされているのです。

彼は、「G.O.O.D.ミュージックと契約するのを躊躇していた」と言います。そしてウェストが『808s & Heartbreak』をリリースしたとき、彼の恐れていたことが現実のものとなりました。それは2曲目のカディの印象的なボーカルや全編にわたるソングライティングを聴けば、カディがそこで重要な役目を演じていたことがわかるでしょう。まだ自分のデビュー・アルバムも出していないのに…。カディは少し困った状態に陥りました。スーパースターの陰に隠れた、若きラッパーになっていたのです。

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「オレのキャリアと現在のオレをつくったのは、カニエだと考えている連中のために、はっきりさせておきたいだけなんだ」とカディは言います。「彼は『808s』にオレを参加させた。あれはマジで最高だったと思ってるよ。オレはファミリーの一員になりたかったし、G.O.O.D. ミュージックをその絶好の機会だと考えていたしね。だから、オレは最終的に承諾したんだ。カニエ・ウェストがアップルビーズやベイプストアに来て、オレを引き抜いたわけじゃない」。

カニエについて議論したくなかった人間にしては、ずいぶん多く語ってくれました。カディが言うには、その違いは彼が自分の言葉で語っていることだそうです。もし、いつか和解の申し出があるとしても、それは誰の目にも触れないどこかで行われるでしょう。

カディがさらに言葉を続けます。

「こう言っちゃなんだが、オレはドレイクじゃないんだ。ドレイクなら来週にでも彼と写真を撮ってまた友人に戻り、すべてをチャラにするだろうけどね…。オレはそんなことはしない。オレは本気で言ってるんだ。彼とはもうおしまいだよ。マザーファッキンな奇跡でも起きない限り、オレとあの男が友人に戻ることはありえない。全く考えられないことだ。あの男が修行僧にでもなれば別だけどね」(いま話しているのは、イェのことなので「まさか!」とは思いますが、ありえない話ではないかもしれません…)。

運命の皮肉というのか、今年のローリング・ラウド・マイアミではウェストに代わってカディがヘッドライナーを務めることになりました。ですが、カディのセット中に観客から物が投げ入れられると、カディは「これ以上それが続けばステージを降りる」と警告し、その言葉どおりマイクを置いてステージを去ったのです(その一方でイェは、ラッパーのリル・ダークのセットにサプライズで登場しました)。

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カディは「放っておくこと」が、彼に取れるいちばん大人の対応だと決意しました。「ややこしいのはオレが彼を愛しているということだけど、愛しているからこそ彼と縁を切って、オレの人生から締め出すことができるんだ。そうしないとオレのためにならないからね」と言って、今世紀初めの偉大な哲学者サマンサ・ジョーンズ(『セックス・アンド・ザ・シティ』の登場人物)が使って有名になった自己肯定の言葉で、自分の心情を総括しました。

オレは自分のほうが好き。自分のほうがもっと好きなんだ」。

カディはこの言葉をマントラのように繰り返しながら、なおも元友人へ語りかけます。「あんたがオレを知ってからの年月は、オレは自分が好きじゃなかった。いまは自分のほうが好きなんだ、ブラザー。自分のほうがはるかにね」。

リハビリ中、支えとなったセラピスト

人が成熟するためには、すでに知っていることを最終的に認めるまで、自己破壊的な行為を繰り返す時期を経なければならないことがあります。多くのセラピーが必要なこともありますが、セラピーというのはやること自体は面白くても、話題にするのは全く面白くないということのひとつです。でも、彼にとってセラピーは大きな意味があって、その効果が出て来るまでにはある程度の粘り強さを要しました。ふたりの男性セラピストは、あっという間に彼に拒絶されました。そして次に担当になったのが、ニカという女性のセラピストだったのです。

「これほどサポートと愛にあふれたセラピストは初めてだった。リハビリセンターにいるとき、オレは何度もそこを逃げ出したくなった。そんなときにオレを叱ってくれたのが彼女だったんだ」と、カディは言います。それこそ彼が必要としていたものでした。

「オレはかなりのマザコンで、女性のエネルギーがオレの励ましと慰めになってくれるんだ。オレが深刻な悩みを口にするのは、その相手が思いやりのある、オープンな人間で、オレに安心感を与えてくれるかどうか知りたいときなんだ。それからオレのやる気を引き出してくれるかをね。ニカはいつもそんなふうにしてくれたよ」。

「めしを食った後はお昼寝の時間、って感じさ」

「ガバナーズ・ボール・ミュージック・フェスティバル」が始まる数時間前、私たちは予定していたとおり、バックステージではなくスタジオで再会しました。前日とはまた別の、いかにもキッド・カディらしい服装で、オレンジとイエローのパファーパンツをはき、オフホワイトのシューズにミスマッチのひもを通しています。

この日の彼は、セラピー的な要素があった前日のインタビューよりは、スターらしくなっていました(たぶん、虹色のサングラスをかけて話していたからでしょう)。彼は、「ライブの前に行うルーティンはエクササイズと昼寝だ」と教えてくれました。

「今は毎日昼寝が必要なんだ。幼稚園の頃に戻ったみたいに、また赤ちゃんモードになってるからな」と彼は言います。「めしを食った後は、うーん、お昼寝の時間って感じさ」。

娘ヴァダへの想い

昔のカディは、「つながりを求めている自分」を自覚していました。ですが、彼の破壊的な性格がそれを妨げていました。「いつもそれと戦っていたんだ。ガールフレンドが欲しい、ガールフレンドが欲しい。誰かが近くにいないとダメだって感じで。オレは独身生活が長いから、ほとんどの人はオレがシングルでいるのをエンジョイしていると考えていた。だけど本当はつながりが欲しい人間なんだ」と彼は言います。

その意味では、彼は保守的な人間なのです。「オレの目標は誰かいい人を見つけることだ。うまくいけば、近いうちに実現するだろう。そして結婚して、もっと子どもをつくるんだ」。娘ヴァダ(彼女のことを彼は「いちばんクールで勇敢な人間」と表現しています)の父親であることが彼の人生にとっては最高の部分で、彼は自分の家族を広げていくことを望んでいるのです。

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元ガールフレンドへの未練

何年か前、彼はセレブリティの出会い系アプリである「Raya」に加入しましたが、ほんの数カ月で辞めてしまいました。誰かと顔を合わてはみたけれど、「何を話していいかわからない」というリアル世界のぎこちなさのほうが彼は好きなのようです。「ハローと打つのに20分かかる」-そんなという具合に…。

彼は元ガールフレンドのロッキーについて、未練ありげに話します。彼女はまだ彼の人生の一部なのです。彼女がある種の教師的な役割を果たしていたことが大事な思い出になっていて、男というのはこのように未熟だった自分が立派になるための準備をしてくれた女性を、心の中に大切にしまっておくものと言えるでしょう。最近では、彼も説明責任を果たすことができるようになりました。

「人は、自分の狂気を認めることを学んで男になる。オレの中にも大量の狂気があった」とカディは言います。「オレはそれを自分の奥深くにしまい込もうとしていた。なぜならオレは、何百万という人たちの救世主である必要があったからだ。それに、オレは若い頃からやっていたことをまだ続けていた。なにしろ、それしか知らなかったからね…」--彼はそれを深く後悔しています。

「できることなら、ロッキーに相応しい男になってから彼女と出会いたかった。でも、これからの人生でその埋め合わせをしていくつもりだ。オレたちが一緒にいようと友人でいようと、最終的にどんな関係になろうとね。彼女がオレにとってどれほど大きな意味があり、オレの人生にとってどれほど重要な存在であったかを証明することで、それを果たしていく。それから、何度も彼女を失望させたこともオレが後悔していることのひとつで、そのことをよく考えるんだ」。

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Kid Cudi On New Netflix Show, Virgil Abloh & Mentoring Timothee Chalamet | Explain This | Esquire
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北極星のような存在の娘との時間を大切にしたい

自分の親が有名であることを知った有名人の子どもの気分を、ひと言でうまく表現できる言葉はみつかりませんが、カディはそれを自分の娘の目の中に見たことがあるとのこと。

ヴァダは2022年3月で12歳になりましたが、彼女の父親はその目の奥にあるものを前からずっと見極めようとしてきました。最近、オハイオ州・クリーブランドへ旅行したとき、駐車場でふたりのファンと写真を撮るため、彼女のそばを短時間離れました。そして車に戻って来た彼は、彼女(娘)が押し黙っていることに気づいたのです。

「オレは思ったのさ、さっきのことを彼女がどう思っているか訊いておこうって。いまこそはっきりさせるんだ」。そして彼は、彼女に質問しました。

「町中でファンが父さんのところにやって来たら、どんな気分になる?」

「悲しい」とヴァダは答えました。「だって、父さんとふたりだけでいたいもの」。

彼女の答えを聞いたカディは、それを人々に知らせたくなりました。「世の中のすべての人に知らせるため、全国に通達を出さないとダメだ」と、彼は厳しい調子で言いました。「もしオレが娘といっしょにいるのを見かけたら、頼むから、どうかふたりの時間を邪魔しないでくれ。これはオレじゃなくて、ヴァダからのお願いだ」。

「ガバナーズ・ボール」の翌日、彼のマネージャーのカミングスから彼のライブを観て、私(筆者)がどう思ったか? を、カディが知りたがっているというテキストメッセージが届きました。このラッパーはもうすぐ始まるツアーのことを、いじらしいくらい気にして神経質になっているのでしょう。ヴァダはライブ好きで、これまでも彼のパフォーマンスを観たことがありますが、彼はこう言います。「これから始まるツアーは、娘にとってはこれまでで最大のものなんだ。彼女の反応を見るのが楽しみでたまらないよ」。

ヴァダは、複雑な感情を言葉で表現できるようになる年齢に近づいています。彼女は学んでいる途中です。彼女の父親も学んでいる途中です。そして、彼が人生のこの時点で歓迎しているのは、こういうタイプの不確実さなのです。ここまでたどりつくのに少し時間がかかりました、もう40歳近いわけですから…。

「彼女はすべてを把握できていないかもしれない。でも、いったん世界に出て大学にでも入れば、そこで何をやるにしても自分の生活というものができてくるはずだ。そして自分の力で、世界に出て行くだろう。そのときは彼女も、多少は理解できるかもしれない。時間はかかるかもしれないが…」。

ヴァダは彼の北極星であり、彼女の幸福と彼自身の安らぎが現在の彼にとっていちばん重要なことなのです。もちろん、ファンの存在も刺激になっていますが、大きな歓声と熱気が収まってしまえば、それはただの人です。

彼はファンに悩まされることなく、ニューヨークの同じ家に10年住んでいます。それに彼は散歩もあまりしません――するとしても、せいぜい周囲に誰もいない夜の遅い時間あたり……彼が現実に戻れるのは、そんなときなのです。

Source / Esquire US
Translation / Satoru Imada
※この翻訳は抄訳です。

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