- 『101匹わんちゃん』に登場する架空の人物クルエラ ・ド・ヴィルは、実際にはパンクであったことが判明しました。そのため、私たちはその時代全体のファッションと精神を見直すため、素晴らしい (そして手に負えない)70 年代へと思いを馳せます。そして、このクルエラにとっての人生とは…。
1981年、スコットランドのパンクロックバンド「The Exploited(エクスプロイテッド)」は「5年も経たないうちにパンクカルチャーは消えた」という、(1978年パンク・ロックを代表する『Sex Pistols(セックス・ピストルズ)』のイメージを拭い去ろうと、ジョン・ライドンが<セックス・ピストル時代はジョニー・ロットンの名>が新たなバンド「PIL」結成時に「パンクは死んだ」と語ったことに端を発し、芸術集団パンク・ロックバンド「CRASS」も発言したことによる)世の見解に対し、アルバム『Punks Not Dead(パンクス・ノット・デッド)』をリリース。「パンクは死んでいない」と歌い、そして叫びました。
厳密に言えば、そもそもパンクは死んでおらず、元に戻す必要もありませんでした。しかし、彼らがしたことは、あらゆる種類の芸術的な潮流と規律に浸透し、その影響力は今日に至るまで生き続けています。そしてその遺産は、意外な場所で復活を遂げているのです。
そのひとつが、2021年5月27日に公開スタートしたウォルト・ディズニー・ピクチャーズの新作映画『Cruella(クルエラ)』です。この作品では、名作『101匹わんちゃん』の悪役、Cruella de Vil(クルエラ・ド・ヴィル)の誕生秘話が描かれています。Craig Gillespie(クレイグ・ギレスピー)監督が手掛けたEmma Stone(エマ・ストーン)主演の本作は、パンクムーブメントの真っただ中にある1970年代のロンドンを舞台に、伝統とパンク、ファッション誌と同人誌の対立を物語の背景にしています。
映画では、若き日のエステラ(のちのクルエラ)が友人2人と路上生活をしながら、何の財産もない中でファッションデザイナーになることを目指す夢見る少女時代から描かれています。
そして次第に、彼女のパンク精神が形作られるのです。また、そんな彼女はリサイクルや再利用された素材を使用したり、目を引くメイクアップやレザー素材を用いるなど、DIY(Do It Yourself=何かを自分で作ったり修繕したりすること)の先駆者であったことも確認できるはずです。
そして、生まれつき白黒のツートンカラーの髪で生まれ、人から冷たい目で見られてきたことに関しては、改めて説明するまでもありません。反抗的な幼少期から狂暴な青年期までこのキャラクターは時代の精神を体現しており、(映画『A Room with a View / 眺めのいい部屋』と『Mad Max: Fury Road / マッドマックス 怒りのデス・ロード』でアカデミー衣裳デザイン賞を獲得している)Jenny Beavan(ジェニー・ビーヴァン)がデザインしたワードローブも、それを繊細なまでに具現化しています。
『クルエラ』が映画的に良いか悪いかは別にして、少なくとも今ではか細くなった糸をたどりながら当時のカルチャーをたぐりよせ、イギリスの70年代パンクの真髄を―それは決して帳尻合わせ的なものでなく―リアルに探し当ててくれているのです。
1970年代のロンドン:パンクの時代
パンクの根底にあるのは、怒りとフラストレーションです。
よって彼らは、ギターを叩き壊したり、髪の毛を可能な限り印象的な色へと染めたりしたかったのです。そこには絶望感と同時に、葛藤もあったでしょう。これらのすべてが1970年代に膨れ上がり、ついにはあらゆるものに反発するスタイル(歌い方、服装、生き方)へと破裂したのでした。
「パンクは、偶然に生まれた創造的なエネルギーでした。当時、芸術におけるあらゆる分野が肥大化し、その膨満感のあおりを受けて何もかもが可能であるかのように感じられていたのです」と当時、最も有名な同人誌のひとつであった『The Next Big Thing』の著者でもあったDJのLindsay Hutton(リンジー・ハットン)氏は語っています。さらに、「そして、しばらくの間はそうでした…」と続けて語ります。
何事も、永遠に続くものはそうはないということでしょう。そして資本主義の世には、本物のものを見定め、それを販売するためパッケージ化するマニアがいます。この『クルエラ』こそがその際たるものかもしれません。 この映画でわれわれは、ファッションが意思表示であった時代を十分理解する(あるいは、少なくとも記憶する)ことができるはずです。
パンクファッションをつくった、ヴィヴィアン・ウエストウッドの存在
『クルエラ』の制作にあたりギレスピー監督が参考にした人物の中には、パンクシーンを語る上で欠かせない人物、Vivienne Westwood(ヴィヴィアン・ウエストウッド)の名ももちろんありました。
1971年にウエストウッドは、ファッションデザイナーのMalcolm McLaren(マルコム・マクラーレン)と一緒に、チェルシー区キングスロード430番地に「Let It Rock(レット・イット・ロック)」という衣料品店を構えています。そこでパンクの美学が生まれ、ヒッピーの時代からロックンロールの本質を取り戻し、70年代初頭にはまだそれを着こなす勇気すら持ち合わせていない者たちが多い中、挑発的な服を販売しいました。そこではレザー、ラテックス、安全ピン、スパイクなどが多用された、アンダーグラウンドなファッションスタイルが展開されていたのです。
当時のマクラーレンは、パンクバンドのカリスマ的存在となった「セックス・ピストルズ」のマネージャーも務めていました。そんなわけで「セックス・ピストルズ」のライブ衣装は、すべてヴィヴィアン・ウエストウッドが手掛けたものだったというわけです。そうして1974年には、店名を「SEX」へと変更しますが、「セックス・ピストルズ」がバンドとして成功を納めるとともに、ウエストウッドの名と一緒に「SEX」という店名も世界中へ広がっていきました。すぐに彼女の服はパンクファッションのアイコンとなり、1970年代後半あたりにこの店は、世の中に対して不満を持ち、それを服装で表現したいと切望する全世代の若き英国人たちに影響を与え始めていたのです。そして1976年には、店名を「Seditionaries: Clothes for Heroes」へと改名。さらに1979年には、「Worlds End(ワールズエンド)」へと変更します。
ウェブメディア「Collider」のインタビューで、『クルエラ』の衣装デザイナーを担当したジェニー・ビーヴァンは、この時代が映画にどのような影響を与えたかを説明しています。
「私は非常なほど個人的に、興味深いことをしていました。また、ポートベロー・ヴィンテージ・マーケット(イギリスで行われる世界最大のアンティークマーケット)へ行ってパーツとなるものを購入しては、それらを組み合わせていた頃のことを思い出しました。当時はジーンズやフリルのついたスカートに合わせて、ミリタリー要素を取り入れたりするのが流行っていました。それは実に面白い方法で、別々の要素を組み合わせるわけです。私たちは非常にシンプルだった50年代から、あらゆる面で自由さが爆発した60年代へと突入していました。やがて70年代に入ると、その自由さをよりよく発揮しようとする非常に興味深い時代になりました。そんな時代の流れを加味しながら表現することが、この映画の中で私が自分らしさを表現する道だと思い、追求し続けました」
インタビューの中でビーヴァンは、ヴィヴィアン・ウエストウッドやJohn Galliano(ジョン・ガリアーノ)、そして80年代に流行したブランド「BodyMap」などを例に挙げています。そうしてパンクが、この映画の敵役である伝統を象徴する男爵夫人(エマ・トンプソン)に対しての完璧なアンチテーゼとして機能することを説明しています。そして、それこそがパンクの精神であり、古いもの、すべてのものを壊すことになるのです。
古いものを利用して新しいものをつくる…このようなマインドでつくられたアイテムは、高級品や高価な素材ばかり頼りにしたものではありません。限られた資源の中でリサイクルやリユースを行い、それを自らの手で組わせること、さらには自分だけのものへとつくり上げるという発想で構築されているところが、とても重要なところと言えます。実際その手法以外に、私たちそれぞれの個性をよりよく表現する手立てなどないのではないでしょうか?
また多くの場合、壊されたのは男女の役割であり、この点で際立った存在であったデビッド・ボウイは、『クルエラ』の中でも賛辞ともとれるシーンがあります。物語のある時点で、ジョン・マクリー演じるファッション・ストアのオーナー、アーティとクルエラが出会います。彼はクルエラのチームに加わり、当時のロンドンに新しく新鮮なデザインで革命を起こします。非常にスリムで引き締まった体型、アイメイク、マレット風の髪型、カラフルでディープな70年代の衣服を身にまとったアーティは、まさにボウイ本人の生まれ変わりのような存在でした。またサウンドトラックの中には、出演している俳優ジョン・マクリー(John McCrea)が歌う「I wanna be your dog」も収録されています。
しかし、デヴィッド・ボウイ(David Bowie)は、私たちが一般的に認識している70年代後半のパンクというものには当てはまりません。もちろん彼は、数年ごとに新しいキャラクターへと変身するカメレオンのようなアーティストだったので、ある段階では明らかにこのムーブメントの影響を受けてはいました。彼の反抗的で不遜な精神、それは常に持っていたはずですので…。そうした彼の動向の中には、明らかにそうであると識別できるファッション要素もあります。
例えばレザージャケット。バイカースタイルの定番で、ジーンズにはもちろん、鮮やかな色のドレスにも合わせられます。レザーという素材は当時、大流行していましたし、スパイク付きのブレスレットやチョーカーに事欠かないフェティシストの美学にもつながっていました。
パンクのスタイル・態度・歌、すべては強いメッセージを伝えるため
先のヴィヴィアン・ウエストウッドが写真の中で着用していたTシャツを見ればわかるように、政治的なメッセージもパンクの美学には欠かせない要素でした。ですが70年代のパンクは、既成概念にとらわれずに個性を発揮することであり、例えそれが政治的な言説にまで踏み込んだりすることであっても、大義名分を持った反逆者ではなかったのです。
彼らの政治的関与がどちらの方向からか、さらにどのような立ち位置にいたとしても、挑発的なメッセージはTシャツやジャケット、そして忘れることのできないピンバッジにしたためていたのです。洋服にピンがびっしりとついていて、それを使っていろいろなメッセージが発信されているのはかなり多く見られました。そしてそれは、実にクールでもありました。
そしてミリタリーもこの時代に欠かせないものであり、このスタイルは現在にも引き継がれています。ミリタリーの美学への憧れは、特にジャケットに対して顕著に表れています。クルエラもこのスタイルを踏襲しており、特に映画で注目すべき衣装は、ユニフォームをグラマラスでバロック的な光沢感あるものに仕上げているところです。また、本作で表現されたパンクが、いかに当時のファッションやマインドに影響を与えているかをよく表現している衣装でもあります。
1つのジャンルを確立したパンクミュージック
映画『クルエラ』内で何よりもパンクを象徴するのは、服装以上に音楽です。
「ドクターズ・オブ・マッドネス」、そしてもちろん「セックス・ピストルズ」と並んで、70年代後半に音楽的にも美的にも一世を風靡したバンドが「ザ・クラッシュ」でした。彼らの歌、スタイル、そして態度は、当時のロンドンで起こっていたことを理解するための完璧な事例です。
また、彼らのアルバム『ロンドン・コーリング(London Calling)』のジャケットには、ベース奏者が怒りのあまりフェンダー・プレシジョンを床に叩きつけようとしている色あせたピンボケ写真が使われています。写真家ペニー・スミス(Pennie Smith)が偶然とも言えるタイミングで捉えたこの写真によって、パンク史上最も象徴的なカバーが誕生しました。
それは彼らと政治的な活動、変化への欲求、体制への怒りによって突き動かされた全世代を象徴するものでした。同じことは、「X・レイ・スペックス(X-Ray Spex)」や「アドヴァ―ツ(The Adverts)」のようなバンドによって、社会文化や政治的なメッセージが強く打ち出された曲で表現されていました。パンクの心は、「スージー・アンド・ザ・バンシーズ」、「ワイヤー(Wire)」、「サブウェイ・セクト(Subway Sect)」、「スリッツ(The Slits)」など他のグループも、あらゆる種類の音楽的形態へと広がりを見せていきました。
パンクの反対側にいる人々
しかし、その反対側にはどんな人々がいたのでしょうか?
それはもちろん、体制の整った権力者たちです。そして規律を重んじ、資源を有している者です。『クルエラ』で例えるなら、Emma Thompson(エマ・トンプソン)扮するトップファッションデザイナーのBaroness von Hellman(バロネス・フォン・ヘルマン)です。彼女は『The Devil Wears Prada / プラダを着た悪魔』のMiranda Priestly(ミランダ・プリーストリー)のような存在であり、従業員に対して冷酷で、まるで悪魔のような態度をとっています。
彼女は若く野心に燃える少女の才能を利用するため、自分の会社に引き留めようとします。パンクの美学に対抗するものとして、このキャラクターを選んだのは良い選択と言えるでしょう。もちろん彼女のような存在は、70年代の若いパンクスの誰もが心の底から拒否していたに違いありません。
本作の衣装デザイナーであるビーヴァンが語っているように、バロネスのスタイルは当時の『VOGUE』誌を開けば目に入るようなものにインスパイアされています。もしくは、街のリッチなエリアに並ぶマネキンや、「Dior(ディオール)」や「Balenciaga(バレンシアガ)」のウィンドウに飾られているようなスタイルです。
物語冒頭の18世紀を舞台にした舞踏会では、Marie Antoinette(マリー・アントワネット)をイメージしたものもありました。このキャラクターは、Joan Crawford(ジョーン・クロフォード)からElizabeth Taylor(エリザベス・テイラー)まで典型的なクラシック映画スターのスタイルを踏襲しており、信じられないほど高いシニヨン(お団子ヘア)、シャープな体型、そして徹底的な豪華さが特徴です。
『クルエラ』で、バロネスはターバンをかぶり、大きなサングラスをかけ、印象的なヘアスタイルをし、(クルエラに比べると)地味なメイクをしています。そこには、偉大な歌姫たちや、ファッション誌の伝説的な表紙、夢のあるショップのウィンドウ、そして伝統や確立されたもの、慣習を象徴するようなタイプのファッションに見られるような要素が凝縮されています。
もちろん彼らにメリットがないわけではなく、パンクムーブメントが否定する現状を擁護しているのです。だからこそ、下の者は上の者、貧乏人と金持ち、従来型と異質なもの、というシンプルですが効果的な対決ができるのです。
『クルエラ』が教えてくれる、私たちが持つ内なるパンクの精神
『クルエラ』では2つの動き、2つの世界の見方、そしてもちろん、ファッションに対する2つの異なる理解の間にある緊張感があることが、非常に興味深いところです。そして不思議なことに、最終的に戦いの勝者となるのはパンクなのです。
もしそうでなかったとしても、現実世界の世の中ではどんどん劣化していくことへの怒りが、今またよみがってきているような予感がしませんか? どの世代にも限界があり、どの時代にもカタルシスもあるのです。1970年代は、アメリカにとって前半はベトナム戦争の影響もあって不振続きであったハリウッドが後半に入って改革を始めるという不遜なる懸念で渦巻く年代でもありました。そして英国を中心に、メッセージを大声で叫ぶパンクバンドなどの隆盛といった感じで、文化の転換期でもあったのです。
今後新たな革命が起こるかどうか? それがテレビで放映されるのか? それともSNSで生中継されるのかはわかりません。もしかしたら、これからはずっとないのかもしれません…。しかしながら、ここではっきりと言えることは、パンク時代にわれわれが戻れるなら、さぞかし刺激的に毎日になることでしょう。そして、私たちにもちょっとした怒りを思い出させてくれ、次に叫び、カタルシスを感じながら前へと進んでいけるかもしれません。
音楽情報サイト「Pitchfork」の記事では、こう書かれています。
「パンクスタイルの最も永続的な遺産は、特定の服や、破れたジーンズや染めた髪の毛など、ビジュアルに集約されたものだけではありません。自分のしたいことをして、自分のやり方で服を着れば、自分の周りの世界を変えることができるのです。そうして"オーセンティックであること"についての考えを、より深めてくれるのがパンクの真髄なのです」
世界がなくなったわけではありません。私たちは、いつでもやり直すことができるのです。
Source / ESQUIRE ES
※この翻訳は抄訳です。