※本記事は、生涯学習のすすめというジャンルの著書を出版するなど、自身も11歳の娘 の子育てに奮闘するトム・ヴァンダービルト氏による寄稿になります。

 哲学者のフリードリッヒ・ニーチェ自身は子を持ちませんでしたが、「成熟に至るまので闘いで必要なことは、遊びに熱中する子どものような真剣さを取り戻すことである」と書いています。

 数年前のことです。私(筆者ヴァンダービルト氏)もまた同世代の親たちと同じように、11歳の娘を連れてさまざまな体験イベントや学習講座に参加しては、待ち時間をできるだけ生産的に過ごそうと、あれこれ頭をめぐらせたりしていました。

 しかしながら実際のところは、インスタグラムを見たりして過ごす時間も長かったことを白状しなければなりません。さすがにニーチェも、例えそのとき私が熱中していたとしても、そんなのは遊びとは認めないでしょう。

◇大人も子どもと一緒に体験してみる

 でも、そんな日々の中、私を一変させた出来事がありました。

 その日、私は娘を連れてボルダリング教室に参加していました。実はもう何十年も階段以外のなにかを登った記憶などありません。先生はタトゥーの入った20代の若者で、バネのある手足、そしてチョークの粉で白くなった指先が印象的でした。子どもたちはキャンプ場に来たかのように歓喜の声をあげ、壁じゅうに付けられた幸運のマシュマロのような突起を興味津々といった様子で眺めていました。

 同伴者の親にも入場料が課されていたので、「それならば」ということで、私もシューズとハーネスを装備して参加することにしました。そこで誇らしげに、リードクライミングの初心者にしては「まずまずの難易度では!」と(自分的には)思える「5.8ポイント」のルートにトライしました。そして勝手ながら、自己満足しかけていたところ。この数字は、ボルダリングの難易度を示す評価のひとつリードグレード表示の数字ですが、その中でもこの「5.8ポイント」は初心者にとってのスタート・ポイント的な難易度であることと知らされます。あるクライマーが言っていたように、「そのポイントこそ、頂点を目指すための最初の階段さ」だったのです。

 そして私のやる気は、ここで大いに刺激されたのでした。

「大人が楽しんじゃダメだなんて、誰も言わない」

 これからは娘が冒険を楽しんでいる間、「クルマに座って、オンラインのチェス対局で時間をつぶすような真似はやめよう」と、その日を境に決意しました。「参加したからには体験しんなくては」という呪文のような言葉が、私の頭の中を回りはじめたのです。

 だからその次、娘のサーフィンレッスンに参加した私は、他の親たちのように我が子をビデオに収めることに夢中になるのではなく、娘たちに混じって一緒にレッスン用のボードを手にしたのです。

冒険心にあふれた子供,育てる秘訣,教育,子育て,
COURTESY TOM VANDERBILT

 さらに最近では、娘が地元でマウンテンバイクのコースに参加したのをきっかけに、(まあ数週間悩みはしましたが…)結局、自分用のマウンテンバイクを購入してしまいました。「まずはレベル1のコーチを目指すんだ!」と私は妻に真顔で告げて、高価な道具を買ってしまったことに対する言い訳にしたのです。

 そんな自分自身のことを冗談めかして、「gonzo Suzuki(変形スズキ)」と呼ぶようになりました。

 「gonzo Suzuki」とは、あの有名な音楽教育のメソッド「Suzuki Method」になぞって個人的に(そして勝手に)命名したメソッド法です(公益社団法人才能教育研究<Talent Education Research Institute>が普及推進している活動であり、音楽を通じて心豊かな人間を育てることを目的とする教育法。20世紀の日本のヴァイオリニスト鈴木鎮一氏によって創始され、日本、アメリカなどで教育活動が展開されています。主に、音楽によって子どもの心を豊かにし、自信をつけることを目指しています)。そこで、親も子等と一緒にピアノやバイオリンに触れることが推奨されていることを受けてのことになります。しかしこの冗談が、「実は大きな意味を持っていた」と思えりようになりました。

大人もできない姿を見せ
一緒に学ぼうとする姿を共有する

 子どもは、「親はなんでもできる」と思い込みがちです。が、このメソードで行えば、「実は親もまた、何かを学ぼうとするときには苦労するものだ」という姿を目の当りにすることになるわけです。

 そうすれば、サッカーなんて1度もプレーしたこともない傍観者に過ぎないのに、ゴール裏からゴールを決めるノウハウを指示するような極端にまで過保護な親になる代わりに、何かを一緒に学ぼうとすることで同胞としての共感、新たな絆が芽生えることでしょう。

 つまりそこで、子どもと一緒に新たなスキルを身につけることで、自分自身にもかつての勇気がよみがえったことが実感でき、さらにすべての事態を前向きに捉える寛容な心を得たことに気づくことでしょう。

 確かにあなたは、子どもを持っているわけですので、ある種、「種の永続」という生物としての目的は果たしたとも言えます。ですがあなたは、タコやカゲロウとは違います。子どもが授かること=そのまま丸まって命を落とすというわけではないのですから。

◇まとめ

 おそらくここで最も重要なことは、そうやって私は、「これから世界へと羽ばたこうとしている、小さな翼の(意欲あふれた)若者を育てている」ということです。そして上手くいけば、将来的に逃避行したいときには、いつでも同志として信頼できる冒険仲間になってくれるでしょう。

 もし子どもを持つとういうことが、自分の中にある「子どもっぽい面」を捨て去らなければならない瞬間であるとするなら、その代わりにこれからは、その子どもが自分の中の新たな若々しい側面を見出してくれる瞬間でもあるのです。

Source / Men’s Health US
Translation / Kazuki Kimura
※この翻訳は抄訳です。