「頭が痛い」と訴える愛娘ケイティーちゃんの様子に父モイセス・ファンティラさんは、幾ばくかの不安を感じたそうです。そしてその後、医師との折衝(せっしょう)という最大の困難を乗り越えたのでした。
毎年アメリカでは、1万5700人以上の子供たちが癌を発病しています(The American Childhood Cancer Organizationより)。それに伴って、何万人もの親たちは現在も、複雑極まりない医療システムのなかでの闘いを強いられているのです。子供たちの命を守るために…。そのような親の物語をここで紹介したいと思います。
主人公はモイセス・ファンティラさん48歳、そして、彼が愛する娘ケイティーちゃんです。ファンティラさんは海兵隊と空軍に所属した過去があり、その後は陸軍病院で22年間、医療関係の職務に従事していました。
そんな彼は、まだ8歳のケイティーちゃんがひどい頭痛と吐き気を訴えるのを聞き、脳腫瘍である可能性を察知したのです。しかし、ケイティーちゃんを診断した医師は、あっけなくそれを否定。しかしながら2017年の6月、それは「父の日」の翌日になります。
「髄芽腫(ずいがしゅ)」という脳腫瘍の一種に、ケイティーちゃんが侵されていることがわかったのです。「髄芽腫」を発病するのは大人よりも子供である場合が多く、その数は小児脳腫瘍症例の約20%に及ぶと言われています。むかつき、頭痛、嘔吐といった症状に加え、平衡感覚が喪失する場合もあります。摘出手術が必要となる場合が多く、また、その後も放射線治療や抗癌剤治療を続けなくてはならない可能性もあるとのこと。そして治療後の5年生存率は、70%から80%とされています。
ケイティーちゃんの発病後、ファンティラさんは銀行での仕事を辞め、その他4人の子供たちのために主夫となることを決意しました。
妻のキンバリーさんは、陽子線治療をおこなう「セント・ジュード・チルドレンズ・リサーチ・ホスピタル」でのケイティーちゃんの闘病に付き添うため、テネシー州メンフィスに向かいました。ファンティラさんと妻は、ヴァージニア州からの補助と教会からの援助、そして「GoFundMe」というサイトを通じての寄付を頼りに生活を営むことになりました。子供に癌の治療を受けさせる親の約25%が短縮された労働時間と治療費のために、収入の40%を失うそうです。
そして2018年の「父の日」を迎えるにあたり「メンズヘルスUS版」は、ファンティラさんへ取材を申し入れました。
病気の子を抱える親であること、「グーグル・ドクター(=同じ悩みをもつ人がグーグルで検索したときに参考としてもらえるため)」となることの重要性、そして、ケイティーちゃんの闘病から彼が学んだ「より良い父親」になるための秘訣をたずねました。
※下記モイセスさんの証言は、抄訳であり、編集したものです。
「2016年の年末に差し掛かるころ、末っ子のケイティーは夢を見なくなり、そのかわりに頭が痛いと訴えるようになりました。8歳の子が絶え間ない頭痛に悩まされるというのは、なにか深刻な異常が生じていると考えて間違いありません。それは1度や2度ではありませんでしたから…。むしろ、毎日と言っていいほどでした。『これは大変だ』と私は察知しました。私がまだ陸軍病院に勤務していたころ、似たような症状を訴える兵士がおり、CATスキャンを行ったところ、脳腫瘍が発見されたことを思い出したのです。そこで私は『脳腫瘍かもしれない』と妻に伝えたのです」とファンティラさん。さらに語ってくれました。
「すぐに病院に担ぎ込みました。ところが医師は、『大したことはないだろう』と言って、そのまま彼女を帰宅させたのです。ケイティーに腹痛、むかつき、嘔吐の症状があったことから医師からは、『GI療法(グルコース・インスリン療法)』を行う病院を紹介してきたのです。そしてそこへ行ってGI療法の専門医に診てもらっても、異常を発見することができなかったのです」とのこと。また、こうも語っています。
「彼女には新たな症状が現れ始めました、例えば歩行です。まっすぐに歩けていないのです。右にふらふら、左にふらふらと、そんな具合なわけです。『まっすぐに歩いてごらん』と言って試しましたが、無理でした…。飲酒運転のチェックを受けるドライバーが白線の上をまっすぐに歩けと言われて、それができない。そんな状態なのです。そのうち、吐瀉物(としゃぶつ)に血が混じるようになったので、再び病院へ連れてゆきました。今度は自宅での様子を撮った写真やビデオを持参し、医師に示しました。『嘔吐物の中に血が混じっているのがわかりますよね? 深刻な状態なんです』と強く訴えたのです。ですが病院では、誰もCTスキャンを撮ろうともしてくれませんでした。その後、4つの異なる病院へも行ったのです。ですが、誰もが口を揃えてGI療法をすすめてくるのです」と、ファンティラさん。
「そしてあるとき、Lucile Packard(ルシール・パッカード)と呼ばれるスタンフォードにある小児病院に、子供に特化した緊急救命室の存在を知りました。より良い設備があり、より良い医師や看護師たちがいることも調べました。そしてそこに行けば、『私の懸念に対して耳を傾けてもらえるのではないか?』と考えたのです。初めてそこを訪れたのは土曜日でした。『父の日』の前日です。知りうる限りのことを伝えたり、こうして欲しいという求めを行うのは止めようと考えました。医療の専門家がどのようなものであるのか、私はよく知っています。患者の話に耳を傾け、それに応じて何をすべきかを応えるのです。ただ、脳腫瘍の疑いがあるとだけ伝えました。しかし、ここでもまたGIをすすめられてしまいました」と冷静に説明を重ねてくれるファンティラさん。
そして、ようやく理解者を見つけたのです。
「ケイティーは妻に向かい、『死んじゃいそうだ』と伝えていました。私の経験から言わせてもらえば、患者自らがそのようなことを口に出した場合、それから数時間、もしくは数日の間に亡くなることが多いのです。だから、その訴えを真剣に受け止めました。仕事を早退し、また彼女をスタンフォードまで連れて行きました。病室に入るなり、私はドクターにこう伝えたのです。『CATスキャンをしてくれるまで、ここを動きませんよ。今夜のうちにCATスキャンをすると約束してください』と。すると、そのドクターは「わかりました。CATスキャンをしましょう。あなたの言うことを信じます。やってみましょう。決まりごとは忘れてね」。こうしてついに、耳を傾けてくれる人を見つけ出したのです」。
「私たちは特別室に入れられました。そうして間もなく、そう、おそらく30分後くらいでしょう。ドアが開きました…そこには先程の医師ではない、別の医師が2人立っていました。彼らの表情は真剣です。『私にはわかっていますよ。彼女の後頭部あたりに、なにか塊を見つけたんじゃありませんか? それもかなり大きな』と、私は彼らに言いました。すると彼らは、『5センチほどの大きさです』と言いました。そして、すぐに手術が必要であると告げました…。それは「父の日」の翌日のことでした。娘が『脳腫瘍に侵されている』と聞かされたのです。祝日に私たち家族が何をしていたのかなど、もう思い出すこともできませんでした」
その翌日、緊急手術となったそうです。昼過ぎに始まった手術でしたが、終わったのは夜の8時半ぐらい…そんな時間だったそうです。そして、手術室から現れた執刀医には笑顔が浮かんでいたそうです。と同時に、ファンティラさんの顔にも笑顔が浮かんだことでしょう。今までのことは水に流して…。
「医師は『脳腫瘍のおおよそ98%の摘出に成功しました。残りについては、治療で治すことができるはずです』と言いました。私はその医師をハグし、動くことができませんでした。良い医師に巡り会えたと、そのときやっと思うことができたのです」とファンティラさん。さらに…。
「ケイティーはそのまま約4週間、スタンフォードに留まることになりました。すぐに放射線治療へ移行するというわけにもいかなかったのです。その間、私たちはこの先の治療をどのように行うべきか話し合いました。そんなとき妻の叔母から、「セント・ジュード・チルドレンズ・リサーチ・ホスピタル」について聞かされたのです。『陽子線治療は、放射線による副作用を軽減させるものだと科学的に証明されている』と、彼女が調べてくれたのです。そして私たちは、スタンフォードで採取したケイティーの細胞サンプルをセント・ジュードに送り、そこでの治療が可能か否か、検査してもらうことになりました。そうしてセント・ジュードから次のような返答が来ました。『このような症例における我々の元での生存率は、70%から80%です」と…私たちに迷いなどありませんでした」
「ケイティーの発病後、私は自分自身を責めました。誤った診断を下した医師たちのことも責めました。誰から構わず責めたのです。しかし間もなく、誰のことも責める必要などないことに気づきました。娘の、そして家族のために動くほかにすべきことなどないのです。そんなわけで辞職を決心しました。『もう仕事には戻りません。子供たちの面倒をみるのです。やるべきことをやらなければなりません』と、そう言ってね…」とファンティラさん。
「私たち夫婦には、3人のティーン・エイジャーがいました。「主夫」になることを私は心に決めました。少しばかりのタフネス、隠れたスーパーヒーロー、それから大きな愛と配慮、そう「主夫」とはまるでバットマンのようなものだと考えたのです。決意を固めた私は、『ちょっと考えてみろよ? これって実は、かなり素晴らしいことじゃないか!? 子供たちの面倒を見ることができるんだぞ」と、自分に言い聞かせました。軍隊にいたころも銀行に勤めていたころも、私は極めて多忙だったのです。それがある日を境に、家族と過ごすようになったのです」と、笑顔とともに重ねて語ってくれたのです。
「頼りになる人はいないからこそ、『グーグル・ドクター』になるのです。我が娘、我が息子のために、あなた自身が立ち上がるのです」
ファンティラさんらが治療のため、テネシーを訪れたのは2017年の7月だったそうです。そして、さらに続けて語ってくれたのです。
「2017年8月には子供たちの学校が始まりますから、長居はできませんでした。しかし、妻とケイティーは治療が終わるまで、そこに留まることになったのです。治療中の癌患者の家族のために用意されている『ターゲット・ハウス』に、彼女たちは滞在することになりました。そして、ついに2018年2月、彼女の誕生日の直前になって帰宅でくることとなったのです。 ケイティーのリハビリ生活は、まだまだ続いています。まだ完全にまっすぐに歩くことは困難ですが、2017年のあのころと比べれば、かなり改善されています。そして、理学療法とスピーチ・セラピーにも通っています。おそらくは癌の後遺症だろうとのことですが、彼女の話しぶりは6才児か、せいぜい7才児といったところなんです。この夏にはサマースクールに通うことになっています。秋には5年生となるので、その準備のために私は私でできることをやっています。彼女は実際、非常に賢い女の子なのです」とファンティラさん。彼によれば、ケイティーちゃんはその後も健康状態は良好で、癌の転移もないそうです。
そして、こうも語ってくれました。
「私は新たな職業に就くことにしました。セント・ジュードでの経験や、頼りになる人がいないときに助けとなる、『グーグル・ドクター』についての執筆を行っています。自分の大切な家族のため、最終的に頼りになるのは自分自身であることを多くの人に知ってもらいたいと思っているのです。『子供たちに問題が生じた場合に、そこで誰も頼りにならないと思ったときには、親であるあなた自身が立ち上がらなければならない』ということを伝えたいのです。私は医学を学ぶために、復学することに決めました。これから1年半は医学進学過程に通い、そうすれば医科大学入学試験(MCAT)の受験資格を得ることができるでしょう。順調にいけば、2020年には医大生となっているはずです」と語りながら、最後には感謝の気持ちを伝えています。
「スタンフォード、それから私たちのローカル・コミュニティー、そしてセント・ジュード、出会ったあらゆる人々に深く感謝しています。知らなかった世界があったことを教えられました。人々の善意に改めて気づかされる、そんな経験となりました。セント・ジュードに初めて訪れたときのことを覚えています。ケイティーはホットケーキが大好物なのです。職員の一人に、『ホットケーキの美味しいお店はありますか?』と聞いていました。『ステイクス』というお店を紹介してくれました。そして家族全員のために、かなりの量を注文しました。すると、『ケイティー、頑張ってよくなってね』と声をかけていただき、そのお店は料金は受け取ってくれませんでした。こうして我々は、多くの人々の優しさに触れました」と…。今後、私にとって「父の日」という日は、特別な日になりそうです。
今回、インタビューに答えていただいたモイセスさんから学べたことは多くあるのではないでしょうか。たとえ自分に知識や経験がないことであっても、「物事を疑う」という訓練を積んで行く必要があると改めて感じさせられます。今回の記事が、同じ悩みを持つ方に少しでも参考になり、最悪な事態になりませんように…。最後までお読みいただきありがとうございました。
From Men's Health