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白洲信哉

 新型コロナウイルスの緊急事態宣言がでてからひと月が経った。STAY HOMEがはじまり、彼方にある富士との付き合いが日常になる。日の出前のひととき、鳥たちが(と言ってもここでは圧倒的にカラスだが)賑やかになり、夜が明けてくる。僕はすっかり早起きに、身体をおこし富士を確認するのが日課になっている。晴れていると頂上付近から斜めに朝陽が指してきて、一瞬赤くなる富士に、新たな生命が宿っているように見える日もあるが、日没の一時間くらい繰り広げられるショーを楽しみに過ごしている。

田子の浦ゆ うち出てみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける

 今から1300年ほど前の、有名な山部赤人の歌である。富士は、古来より神体山として崇められてきた。原始において山はカミであり、禁足地とされ、また山は死者の霊が赴くところと考えられていた。静岡で発掘された縄文草創期の竪穴式住居は、富士山が望める北東を向いて建てられていたという。きっと日々遥拝していたのであろう。いまから一万年!前より、富士はずっと信仰の対象であり、聖徳太子や役行者の伝説にあるように、平安の頃より修験道の隆盛にともない、富士信仰は民衆へと広まっていった。

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白洲信哉

 富士山の祭神といえば木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)である。美しい姫、富士山を囲むように鎮座し、お守りしているのが浅間神社だ。平安時代富士神は、浅間神と呼んでいた。古くからあった山中他界観と山岳密教が結びつき、浅間大菩薩と称され仏教色が強まった時期も長い。木花之佐久夜毘売が祭神として定着したのは、江戸時代後期、浅間神社の本宮は富士宮にあり、南にある村山浅間社は室町時代における参詣登山の中心であった。東口本宮の須走、山中湖など。富士吉田の北口本宮や御室に新倉などその数は数え切れない。富士は場所によって顔付きをかえ、富士宮は曼荼羅図のように三峰で、村山からは右上がり。東に行くほど勾配をきつくし、北口は御殿場からと同じく長い裾野をもつが、御殿場からとは明らかに異なり、山容は厳しく雪も多い。江戸時代に盛んになった富士講は、その北口登山が主流で、杉の大木に覆われた社殿の古格があるのは、唯一の延喜式内社であり名神大社だからであろう。

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富士山への参詣の様子を多くの人々に伝えるため描かれた美術作品、「富士参詣曼荼羅図」。複数ある中で最も有名なのが狩野派二代目絵師 狩野元信が西暦1500年代前半に描いたと伝えられるこの「絹本著色富士曼荼羅図」。こちらは富士宮市立図書館に飾られた原寸大のレプリカの写真で、本物は国指定重要文化財として富士山本宮浅間大社所蔵されています。

 明治政府の修験道禁止令という国家の弾圧により急速に衰えたが、民衆の力は政治力をもっとしても消えることはなかった。最近まで流行していた富士登山がその証明だ。テレビに映る数珠繋ぎの登山者の中には海外の方の姿も多く本当に驚かされる。まるで狩野元信の描いた富士参詣曼荼羅のような光景である。

 僕は折々に富士に接し、眼の前に現われた二度とない瞬間に掴み、一生のこととして胸に刻んできたが、さきに記した夕景の今の所のハイライトは、富士の頂上付近に沈んだいわゆるダイヤモンド富士だ。僕の心臓は高鳴り、あまりのことで震えがとまらなくなった。いまは夏至に向けて太陽は日々北へ、頭ではわかっているけど、落日の場所はひと月で随分動くものだと実感する。風の匂い、浪の音、空の深さに雲は自由な画を描く。富士はときには厳かに、ときには優しく、包容してくれる、やっぱり神の山なんだ、と。

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白洲信哉
富士山の山頂部と太陽が重なって生じる光学現象を「ダイヤモンド富士」と言います。また、月が重なった場合は「パール富士」と言います。

 コロナとの付き合いは、戦いではなく、昔の人たちがやってきた「自然との共生」にヒントがあるように思う。信玄堤に代表される公共事業や四万十に残る橋のかけかたなど、自然の力をはねつけることだけに比重があるのではなく、吸収し順応させてきた。商品化だけの目的で、全国各地の山々には杉や檜などの針葉樹林化したが、多様な広葉樹があって山の活力が保たれるのだ。幕末に来日した英国の公使は、富士火口にピストルの弾を撃ち込んで登頂を祝したというが、僕らは自然を征服するのではなく、手を合わせ拝むことで共生してきたのである。日の出や月の満ち欠け、身近な草木など、黙って語らない花にも魂があり、折々の「定点観測」から感じられる世界にも眼をくばって生きたいと思っている。


shinyashirasu
写真提供:白洲信哉

白洲信哉

1965年東京都生まれ。細川護煕首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方で日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザインのほか、さまざまな文化イベントをプロデュース。父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。主な著書に『小林秀雄 美と出会う旅』(2002年 新潮社)、『天才 青山二郎の眼力』(2006年 新潮社)、『白洲 スタイル―白洲次郎、白洲正子、そして小林秀雄の“あるべきようわ”―』(2009年 飛鳥新社)、『白洲家の流儀―祖父母から学んだ「人生のプリンシプル」―』(2009年 小学館)、『骨董あそび―日本の美を生きる―』(2010年 文藝春秋)ほか多数。近著は、『美を見極める力』(2019年12月 光文社新書刊)。