ニューヨークが事実上、コロナウィルスに対する勝利宣言をした。
2021年6月15日にアンドリュー・クオモNY州知事は、ニューヨーク州で少なくとも1回のワクチン接種をした成人が全体の70%に達したとして、新型コロナウイルス感染拡大防止のための規制を、ほぼ全面解除した。
同年1月には、一日の新規感染者が1万9000人を越えるほど感染が広まっていたのに、 現在は197名(2021年6月19日付7日間平均)、陽性率は0.5%まで低下。これにより映画館やアミューズメントパーク、オフィス、モール、ジムなどでの規制がなくなった。ただし公共交通機関、医療施設での規制は継続される。
実際にはどんな感じかといえば、バスと地下鉄はマスク着用義務があり、店舗の多くもマスクを要請しているので、室内ではマスクを着けている人が多い。一方、道を歩いている人たちはマスクを外していることが多く、混在している状態だ。街の人通りもかなり戻ってきていて、地下鉄も混み出した。
これは昨2020年の春、コロナウィルス感染が止まらず、街から人の姿が途絶え、日々に何百人もの死亡者を出していたニューヨークを考えると、驚きの変化だ。正直なところ、これほどワクチン接種で効果が出るとは思わなかったし、一気にビジネスが再開していくスピードに驚いている。
7月4日の独立記念日には、恒例のメイシーズによる花火ショーが、観客もいれて再開される。なお観覧エリアはワクチン接種済みと、未接種者にエリアが分けられる予定だ。
コンサートも一斉に解禁となり、6月20日にはフーファイターズがマジソンスクエアガーデンで、1万8000人を集めるコンサートを行った(冒頭の写真)。100パーセントの客席率で、マスク着用も求められない。ただしアリーナへの入場には、ワクチン接種済みの証明を見せなくてはならないルールだ。
またブロードウェイでは、大御所ブルース・スプリングスティーンがコンサートを再開する。
ジェームズシアターで6月26日から行われる「スプリングスティーン・オン・ブロードウェイ」はチケットが、ほぼ500ドル以上、オーケストラの前の席は3000ドル超えする高額チケットだが、全席を入れ、マスク着用も義務づけられない。ただしワクチン接種済みの者だけが入場できるルールになっている。それもFDA(アメリカ食品医薬品局)が許可した三種類のワクチン、すなわちファイザー、モデルナ、ジョンソン&ジョンソン社製のものに限られる。つまり、中国氏のファーム社製やロシアの「スプートニクV」は認められない。
これに対してアストラゼネカ社製のワクチン接種も多いカナダのファンたちが不満の声をあげているが、はたして今後認められるワクチンの種類が広がるかどうかはまだわからない。
エンタメ界ではセリーヌ・ディオンやハリー・スタイルズ、イーグルス、エリック・クラプトンなど、コンサート再開がつぎつぎと決まっているが、今後のコンサートや観劇は、ワクチン接種済みのパスポートがある人のみ入れるというケースが主流となりそうだ。
一方、スポーツ観戦は広く行われ、ヤンキースやメッツの試合も100%の観客で行われるようになり、これまで必要とされたコロナ陰性証明やワクチン接種パスポートも必要なく、入場できるようになっている。
9月にはテニスのUSオープン大会も、100%の客席率で、再開される。とはいえ、そんなに一気に再開して大丈夫なのだろうかという懸念もある。
アメリカ全体では新型コロナウィルスの感染者数が、下げ止まっている。その新しいケースの感染力の強いデルタ株とされていて、ことにワクチン接種率が低いエリアで感染が拡大している。今後は感染のトップがデルタ株になるという見方が有力だ。
イギリスではG7の開催後に開催地のコーンウォール周辺で、コロナ感染率が実に2450%も跳ね上がり、サミットがコロナのクラスターになったという皮肉な現状がある。アメリカがどれだけ再感染の波を防げるか気になるところだ。
さて今月、アメリカで起きた大きな出来事は、「Juneteeth(ジューンティーンス)」が国民の祝日になったことだろう。6月19日…「6月」(June)と「19日」(nineteenth)の混成語「ジューンティーンス」は、アメリカで全奴隷が解放された独立記念日だ。
昨年5月に、ミネアポリス州でジョージ・フロイド氏が、警察の過剰に暴力的な拘束により殺害されてから、一年が経つ。当時は、ほとんど仮死化しているニューヨークの街で、ブラックライブズマターのデモだけが盛んに繰り広げられていた。
その1年後になる今年、6月17日にジョー・バイデン大統領が署名して、「ジューンティーンス独立記念日」は正式に祝日となり、アメリカの歴史が動いたのだ。
教科書に出てくる歴史では、エイブラハム・リンカーン大統領が1863年に公布した「奴隷解放宣言」で奴隷制度がなくなり、南北戦争の終結で、奴隷が自由になったという認識だろう。
しかし実際には違法でありながらも、奴隷を解放しなかった南部の農場主は多く、1865年4月に南北戦争に敗れたあとも、テキサス州では抵抗が続き、ようやく6月19日、「テキサス州で奴隷身分だったすべての人々は自由である」とする連邦政府からの命令が発せられた。
そうして、すべての奴隷が解放された日として記念されるのが、「ジューン・ナインティース」の略語である「ジューンティーンス」だ。
「ジューンティーンス」を祝うイベントはテキサス州などのブラックコミュニティで続けられてきたものの、メディアに取りあげられることはなかった。ハーレムでは28年前から祝われてきて、何年も前から「ジューンティーンス」を祝日にするために活動してきた活動家たちがいたとはいえ、多くの人たちが知っている日ではなかった。
ほとんどのアメリカ人にとっては、昨年のブラックライブズマター運動の波が起こるまで、耳にしたことがなかった言葉だろう。
皮肉にも、その言葉を有名にしたのは、トランプ前大統領だ。
トランプ前大統領が大統領戦の集会を、わざわざ6月19日にオクラホマ州タルサから始めようとしたことが物議をかもして、一斉にメディアで「タルサ人種虐殺」「ジューンティーンス」が報じられるようになったのだった。
タルサ市にあるグリーンウッド地区は、かつてブラック・ウォール街と呼ばれるほど繁栄した黒人居住街で、立派なホテルもあれば劇場もあるエリアだったのだが、黒人少年が17歳の白人エレベータガールに「暴行した」という一方的な通報から、裁判が行われることになった。
「暴行」といっても、実際に少女が襲われたわけではなく、少年の手が偶然、触れただけともいわれている。だが当時は、黒人男性が白人女性に近づいただけで、リンチになっていた。
そこから白人の暴徒たちが、グリーンウッド区を襲撃して、射殺、暴行、焼き打ち、略奪といった暴虐行為を行った。農薬散布用の飛行機を持っていた暴徒は空からも攻撃を加えた。300人以上の黒人の死者を出し、数万人が家を失い、グリーンウッド区は灰燼に帰して、その後完璧に再興することはなかった。アメリカ史上、アメリカ人が同国人に対する、もっとも残虐なテロ行為といえる。
しかし、このタルサ人種虐殺事件については、アメリカでは学校の歴史で教えられることはなかった。体制側からすれば、知る必要のない黒歴史であって、歴史の表舞台からは葬りさられていたのだ。
これを物語の中心に据えたのは、2019年にHBOが放映したミニシリーズ「ウォッチメン」だ。
この物語はタルサ虐殺事件から始まるが、そこから百年間をめぐる白人至上主義者たちとの戦いになるというストーリー展開で、ヒーローものと歴史と人種差別を描いた高度な完成度の作品となっている。
2019年の「ウォッチメン」、2020年5月のブラックライブズマター運動、6月のタルサ集会という流れで、多くのアメリカ人にとって「タルサ人種虐殺事件」「ジューンティーンス」という言葉が浸透したといえる。
タルサ人種虐殺事件から100周年のため、ジョー・バイデン米大統領は6月1日、現地を訪れて追悼した。現職大統領がタルサを訪れて追悼するのは、今回が初めてのことだ。
バイデン大統領は、あまりに長い間、事件が闇に葬られてきたことを語り、「決して隠しきれない不正もある」と演説した。そして、タルサ虐殺を生き延びた107歳のヴァイオラ・フレッチャー氏らと対面した。
現役の大統領が、タルサ虐殺について追悼したことは、大きな歴史のマイルストーンとなる。昨2020年にデモで広まった人権運動が、1年後には形を作るのが、アメリカ社会のダイナミックなところだろう。
それでも警察の過剰暴力はいまだに行われていて、現実での改革にはまだ時間がかかるだろう。無意識に刷りこまれた人種差別をなくしていくのがいかにむずかしいか、今後の課題となるだろう。
無自覚な人種差別がどういうものであるか、アメリカで話題を呼んだSNSの画像があったので、紹介しよう。LinkedInに投稿された画像だ。
これを見て彼らが、何に見えるだろう?
ラッパーの集団? 夜道で出会ったら怖い人たち? この画像に対して、あるユーザーが「自分にはギャングの集団に見える」と書き込んだことから、無自覚な人種偏見として炎上した。
正解をいうと、写真の男性たちはハーバード大学ロースクールの法務博士たちだ。おそらく白人の学生たち、アジア系の学生たちが図書館の前にカジュアルな服装で並んでいても「ギャング」には見えないだろう。ところが、黒人男性が黒一色で並んでいたら、なぜかギャングのようだと感じる人がいて、それは無意識のうちに人種差別に加担していることになるのだ。
この刷り込みである無自覚の人種偏見というのは、決して日本人にも関係ないものではない。なぜなら、アジア系に対するヘイトクライムというのは、まさに無意識の刷り込みであって、「コロナ菌をまきちらかしたのは中国のせい」と信じ込む人たちが、アジア系を見て、殴ったり、ヘイト行為をしたりする。
そこでは、「私は日本人で、中国人ではありません」という主張はまったく通用しない。彼らにとってはアジア系に見える人間は、全部ヘイトの対象なのだ。なんなら東南アジアやインド、パキスタン系の民族まで一緒くたに「アジア系≃中国人」になるのだ。
ヘイトをぶつけてくる相手から、自分を守るのに「私は日本人です」という主張はまったく役に立たない。役に立つのは、「ヘイトクライムは犯罪だ」という認識を広めることだけであり、誰もが持っている無自覚の偏見を意識して、なくしていくことだ。
もうひとつ6月に大きなニュースになったといえば、大坂なおみ選手のフレンチオープン離脱だろう。
きっかけは、大坂選手がフレンチオープンで第一回戦勝利後、記者会見を拒否したことから始まった。1万5000ドルの罰金を科されるとともに、大会側からは今後グランドスラムへの出場停止を受ける可能性があると警告していた。
それに対して大坂選手は、SNSへの投稿で棄権を表明した。そして2018年から長期にわたって鬱(うつ)をわずらってきたこと、対人不安があることを告白し、「しばらくコートから離れる」と表明した。
これに対して、セリーナ・ウイリアムズや往年の名選手ビジー・ジーン・キング、スティーブン・カリー、NBAのスティーブン・カリーら、アスリートたちが彼女の健康を気づかい、サポートを表した。
また、ニッキ・ミナージュやレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーやKISSのジーン・シモンズも、大坂選手のサポートを表明。俳優のウィル・スミスは、「ヘイ、なおみ。きみは正しい。彼らが間違っている。ぼくはきみの味方だ」というポストをインスタグラムに載せた。
大坂選手に対して、日本のワイドショーでは「順番が違う」といった批判が出たり、記者会見をしないのは「わがままだ」「ファンをないがしろにしている」「スポンサーを考えていない」といった意見も散見された。
一方、アメリカで多く見られたのが大坂選手をサポートする意見だった。「ワシントンポスト」紙は大坂選手をサポートして、「選手は人間であってサイボーグではない」と題する論説記事を掲載。ナイキ、マスターカード、タグホイヤーなどのスポンサーも大坂選手の選択をサポートする表明を出した。
なぜアメリカでは、多くのスポンサーやメディアやセレブが大坂選手の行為をサポートするのか? それはメンタルヘルスが、現代社会では重要な課題だからだ。現実に多くの人がストレスや鬱に苦しんでいる。鬱は決して批判されたり、本人の自己責任に帰したりするものではなく、社会的な理解が必要な問題だ。
メディアと大会主催者にすれば、当然ながら記者会見は受けて欲しいが、それが選手の精神衛生に影響をおよぼすのであれば、その方法を変えていく必要はあるだろう。
わたし自身が、大坂なおみ選手の記者会見に出たのは、2018年のUSオープンの前だった。この大会で大坂選手が優勝するという大ニュースになるのだが、もちろん大会前には誰もそんなことは予想していなかった。
その時に記者会見に答えていた大坂選手は、まったくハッタリがない人物に見えた。アメリカ人によくある身ぶり手ぶりの大きさもなく、質問ひとつずつに少し考えるようにしながら、訥々(とつとつ)と話していた姿が印象だった。いかにも自信家で、強気の発言をすることで、自分を鼓舞するアスリートもいるが、そうでない内向的なアスリートもいるだろう。人はそれぞれ違っていて、選手たちが精神衛生を守る権利があっていい。
当初大坂の会見拒否を、「ひどい間違いだ」と非難したフランステニス連盟のジル・モレトン会長が声明を発表したが、本人自身が一切、記者からの質問に応じなかったという皮肉な様を見せた。
そして大坂選手をサポートする世論の動きで、グランドスラム4大大会の主催者たちは、大坂選手が経験した問題を防ぐために「意味のある改善」をしていくと発表した。
つまり、大坂選手が投じた一石が、伝統あるグランドスラム大会主催者をも動かしたのだ。大坂選手はトップアスリートでありながら、社会問題について声をあげてきた人物だ。ブラックライブズマターでは、被害者たちの名前を記したマスクを着用して、「アスリートは競技だけやっていればいい」という批判もあがったが、彼女は意志表明をつらぬいた。アジアン系に対するヘイトクライムにも声をあげた。
大坂選手が自ら鬱の問題を口にしたかったわけではないだろうが、はからずも今まで隠れていたメンタルヘルスの問題を明るみに出した。セレブがこぞって賛同するのは、それだけメンタルヘルスの問題に悩まされる同業者が多いからだろう。
大坂選手は東京オリンピックについても、自分が日本人選手として金メダルにもっとも近い立場にいながら、「(コロナ感染拡大に)懸念がある」と口にしていて、それも勇気ある行為だ。
かつてのアスリート像とは違う「モノ申す」アスリートである大坂選手は、新しい時代のアスリートであると感じる。
グランドスラム4大大会の主催者が今回、世論によって譲歩したのは大きな変革であって、これまで国際スポーツ大会主催側は絶対的な権威を持ってきた。それは東京オリンピックに対する国際オリンピック委員会(IOC)の態度にも如実に現れていると感じる。
なぜ日本でのワクチン接種が広まり、天候的にも過ごしやすい10月にオリンピックを延期できないのか? なぜ観客1万人まで入れ、一方で飲食店の規制は続くのか? 観客がいるのに、拍手だけで応援とはどういう試合なのか? 納得いかないことばかりだ。
アメリカでは、いよいよ東京オリンピックへの米国代表選考会が行われていて、619日には女子100メートル走で、21歳のシャカリ・リチャードソン選手が10秒86の驚異的な速さで1位となった。
小柄でありながら、圧倒的なカリスマ性を持つリチャードソン選手は、オリンピックの新スターになることは間違いない。
そして選考会の会場を見ればわかるのだが、応援席にいる誰もマスクもしていないし、選手たちは堂々とハグをしているのだ。
そういう「すでにコロナに打ち勝った」感覚でいるアメリカや欧米諸国の選手やスタッフたちが東京にやって来るのだ、ということをわかっておいたほうがいい。
日本がワクチン確保を早く行えていて、すでに70%の成人が接種を済ませられていたらと残念でならない。このままマッチポンプとしかいえない状況で東京オリンピックを開幕して、苦労するのが開催地ばかりという事態にはなって欲しくはない。
黒部エリ
Ellie Kurobe-Rozie
東京都出身。早稲田大学第一文学部卒業後、ライターとして活動開始。『Hot-Dog-Express』で「アッシー」などの流行語ブームをつくり、講談社X文庫では青山えりか名義でジュニア小説を30冊上梓。94年にNYに移住、日本の女性誌やサイトでNY情報を発信し続けている。著書に『生にゅー! 生で伝えるニューヨーク通信』など。