「なぜ自分は、2つの車輪でバランスを取りながらペダルを漕ぎながら、どこかへ出かけることができないのだろう?」と、子どものころに疑問に思ったことがありました。そこでその理由について母に訊ねると、この(以下のような)話を聞かせてくれました。以来、母は何度も私に話してくれるようになったのですが、そのたびに身がすくむような思いと疑問が自分の心の中で葛藤していたのです。
母は子どものころ、バランスを取ってペダルを踏んで進んでいたところ(この複雑でそそっかしい一連の動作を私たちは、『自転車に乗る』と呼んでいます)、制御不能に陥ってしまったそう。そしてそのまま、錆びたクルマのバックフェンダーに突っ込んでしまったのです。
恐ろしいことに、その自転車のハンドルは彼女の盲腸に真っ直ぐと突き刺さったのです。すぐには破裂はしなかったそうですが、もっとひどいことに…。なんと、5日間痛みに耐えたのち、破裂したそうなのです。病院に行くと医者に「部屋の向こう側まで1.5メートル歩けるか」とたずねられ、「いいえ!」と言った途端に彼女は意識を失い、そのまま手術を受けたそうです。以来、彼女にとって自転車=「最高に危険なもの」という認識となり、もう二度と乗らなかったそうです。
そうして30年後、(私が「チキンナゲットダイエット」をしようとしたときに、反対したことは別次元のことだと思いますが…)私の母である彼女にとっての使命は、「子どもたちに、決して自転車の乗り方を学ばせない」ということだったのです。
というわけで、私は大人になって自立するまで自転車の乗り方を習ったことなどありませんでした。だからと言って、誤解しないでほしいのですが…私の子ども時代はとても素晴らしいものでした。ただ、ビリーやボビーやジャックと一緒に街中を自転車で走ることができなかったり、膝をすりむいたりぶつかったり、ヘルメットをかぶったりすることもなかったというだけです。
映画『E.T.』を観たときは、エイリアンと一緒にお菓子を食べるシーンよりも、自転車に乗るシーンのほうに魅了されていましたが…。考えてみれば、自転車に乗って出かけるということは、子どもにとって最も自由な行為であり時間であったに違いない…と、いまではうらやましく思うときがあります。
当時、自転車に乗らないことは、それほど大きな問題ではありませんでした。自転車の乗り方を知らないことよりも、私は歯に矯正用のゴムバンドをしていたほうが恥ずかしかったからです。とは言えそれも、20代になれば変わりましたが…。
あなたは、「自転車に乗れない」というカッコ悪い事実を心の奥底に隠したままデートしたことがありますか?
その秘密は、いつか明らかになるでしょう。秘密が漏れれば最後、デート相手の目には軟弱で偏平足な、補助輪を付けた子どものように映るに違いありません。そして、「え、自転車乗れないの!?」と言うときの顔は、あまり見たいものではありません。でも、そのまま「ハハハ、そうなんだよ…」と気まずく苦笑いしながら、グラスを空にすることになるでしょう。そのデート相手も、最初は笑ってくれるかもしれません。ですが、「この男から将来逃げたくなった場合は、自転車に乗ればいいんだ」と気づかれるまでのことでしょう。
ちょっと話が暗い方向へ進んでしまいました。ではここで、話題の方向をポジティブなほうへ…。
わたしは2020年の10月まで、「恋人が欲しくなったら、(アメリカのディスカウントスーパー)ターゲットで(米玩具メーカー)『ハズブロ』が世界展開するキャラクター「MY LITTLE PONY(マイリトルポニー)」の三輪車を購入して、無理矢理覚えるしかない」と思い込んでいました。
そしてある日、マッチングアプリHingeを使っていると…いきなり自転車好きの女性(Hingeのプロフィールの90%には、自転車が出てきます)の“コリンヌ”とマッチしたのです。彼女は自転車と一緒に大きな笑顔で写真を撮っており、それが実にかわいいわけです。とは言え、私にとってこれは悪いニュースでもあります。私の暗い秘密は、3回にわたるメッセージのやり取りで明らかになったのです。そこで私は、「もし、きみが道端で自転車の乗り方を学ぼうとしている哀れな人を見かけたとしたら、それは私だ」という自虐ネタを伝えたのでした。
しかし、どうやらコリンヌは私のこの問題を、彼女自身の挑戦または課題と捉えたようです。それから彼女とは、もう1年続いています。彼女のおかげで、「自転車に乗れないことは何も恥ずかしいことではない」と今は言えます。もしあなたが、私と同じように自転車に乗れなくても、あまり気にしないでいいでしょう。例えもし自転車に乗れなくても、恋人というものはあなたが自転車の乗り方を知っているかどうかなど、あまり気にすることではないようです。とは言え彼女が、この記事を読んでどう思うかは検討もつきません。さて、コリンヌならどうでしょう?
当初はコリンヌと外出先で自転車を見かけると、必ず彼女の口から自転車に関するコメントが出てきたのですが、私は彼女の自転車ブートキャンプをなんとか理由をつけて避けていました。「今日は雪が降ってる!」「暑すぎる!」「頭痛がする!」「痔になった!」などなどの言い訳を駆使して…。
しかし、あの旅行ですべてが変わったのです。
戦没将兵追悼記念日(メモリアルデー)の前の週、コリンヌと私は11時間かけてペンシルバニアからウェストバージニア、バージニア、ノースカロライナ、サウスカロライナへと南へと移動し、彼女の両親と1週間過ごすことになりました。南部に行ったのは初めてでしたし、彼女の両親と同じ家で寝たのも、裏庭にゲストハウスにもなるようなとんでもなく大きな小屋を建てるのを手伝ったのも初めてでした。
日曜日に到着し、コリンヌパパの箱舟であるこの罪深い小屋の建設は、木曜日に行われました。IKEAのベッドフレームを組み立てる様子を想像してみてください。その巨大版です。大型トラックから部品を降ろした後、私の仕事はコリンヌパパがドリルで穴を開ける間、壁を支えることでした。その日、新しい友だちもできました…それは南部の湿気です。何時間も何時間もかけて、屋根を除くすべての部分の設置が完了しました。
汗でベトベトになり、腕も足はパンパンになった私は、5分間水を飲んで回復するために1人でガレージの横に立っていました。するとガレージの中から、「カチャカチャ…カチャカチャ…」という音が聞こえてきたのです。聞いたことのある、あの恐ろしく忌まわしい音です…。
そして、自転車と共にコリンヌが登場したのです。
「自転車の練習するよね?」
「嫌だ」
「いいじゃない」
「やだよ」
ジロリと睨(にら)まれます。
「君のお父さんが注文した大きな家の裏に置く小さな家の壁を支えてたから、ちょっと疲れてるんだよ」
今度は彼女の表情は、悲しいものへと変わっていきました…。
そして5分後、私はコリンヌとコリンヌパパに挟まれて自転車を見つめながら、フラれるまであと何日? 何時間? 何分だろうか?と考えていました。そのとき愚かな私は、コリンヌのお父さんが私に情けをかけてくれるものだと思っていました。疲れ切って神経質になっていた私は、エアコンの下でテレビを観ながらゆっくりしたかったのです。ですが実際のところコリンヌパパは、コリンヌによく似ていました。優しくて、忍耐強い…。このとき私には、自転車の乗り方を学ぶ以外の選択肢は与えられていなかったのです。
家の裏には未舗装の道があり、両側にはたくさんの木が植っています。その幅は約3メートル。私の母親のように転倒して、ハンドルバーを盲腸に突き刺すのに十分な狭さです。衝突するのは錆びたクルマの代わりに、苔の生えた木というわけです…。
2人の先生が私の無力で不器用な身体を、高さ約1.5メートルもある自転車の上で支えている間私は、そんなことを考えていました。文字通りコリンヌとコリンヌパパが私の身体の両側を支えてバランスを取りながら、私は前後左右と這うようにしてこの道を進んでいきます。しかし2人は、両側から同時に全く異なる指示を出してきます。
「そのまま漕ぎ続けて!」
「下を見ないで!」
「木の根っこに気をつけて!」
「考えすぎたらダメ!」
「どんどんペダルを踏んで!」
「前を見て、前を見て!」と叫ぶ彼女の父親に支えてもらいながら、道の真ん中で同じ根っこにぶつかり続ける様子ほど、男としてガッカリな姿はありません。約1時間後、私は二輪に乗った無力なマヌケのように扱われていたのを卒業し、先生たちが私の両側をジョギングしながら道を走れるようになりました。しかし誇らしいどころか、セーフティネットがないことで恐怖心が増すばかり。根っこのことを考えるたびに衝突し、コリンヌパパにぶつかったらどうしようと考えるたびに、コリンヌパパにぶつかっていました。
やがて私は、「自転車とは、無心で乗るものだ」と気づき始めました。必死でペダルを漕ぎ、まっすぐ前を見て、自分がいかに滑稽に見えるか? そして、自分が必死に学んでいるか? コツを決してつかめないのではないか?という不安をどうにかして追い払えば、ぐらつかずに数メートル進むことができたのです。不安になると、ついつい考えすぎてしまう脳を持った大人だからこそ初めて理解できることですが、自転車に乗るということはある意味、小さな奇跡のようなものです。
人間の身体が二輪の上で? 時速20キロで疾走する? もう意味がわからないですよね。しかも、その幅は2.5センチほどですから…。子どものころに習っていたら、誰にも邪魔されずに車道を疾走することができたでしょう。しかも、姿はさぞかし美しかったことでしょう。ですが、考えなくても身体のあらゆる部分が思い通りに動いた少年時代にこれを習得していたとしたら、このことが奇跡に近いことだという認識もできなかったでしょう。また、この乗れることができたときの快感も思い出すことなど、ほとんどないのではないでしょうか…。
そうこうしているうちに、日が暮れてきました。私はシャツの色が変わるほど汗をかいており、脳はヘルメットの下で煮えたぎり、「転ぶな、転ぶな」という不安が何時間も続きました。先生たちは終始優しく親切で、忍耐強く、並走したことで私以上に汗をかいていました。ですが終始、「できるできる!」と励ましてはくれないでしょうし、この2つの車輪の上でバランスをとり、ペダルを漕げばどこまでも進むことができるようにならなれば、この夜は終わらないに違いません…そう感じていました。
そうして私は、地面を強く蹴って、ふらふらと道を進み始めるようになったのです。今度は先ほどより少しだけ速く、少しだけしっかりと、あの根っこにぶつからないようにしながら木の中に入り、彼らが見えなくなるまで、彼らの声が聞こえなくなるまで、私は走り続けることができました。
道の手前で私はブレーキを握って足を下ろします。そして振り返って、前回よりも地面を強く蹴ります。そして膝を上げて下げて…を繰り返してペダルを漕ぎ進み、次の木に向かって行ってはその根っこを通り過ぎるのでした。そうして林を過ぎると、コリンヌの横にコリンヌママいて、応援してくれていました。もちろんコリンヌパパもいて、「いいぞ!」と叫んでいます。そうして初めて見た写真と同様に、満面の笑みを浮かべたコリンヌが撮影していました。
数週間後にコリンヌが、撮影した動画を私の母に見せました、私の満面の笑みと自転車の奇跡を…。すると、母は笑いながら頭を振り、コリンヌの努力に対して大いなる感謝を示していました。
Source / ESQUIRE US
Translation / Yuka Ogasawara
※この翻訳は抄訳です。