2023年のニューヨークは、ヒップホップ生誕から50周年を迎えているが、現在行われているのが、ブルックリン美術館(Brooklyn Museum)での「スパイク・リー」展、そしてブルックリン公立図書館(Brooklyn Public Library)では「ジェイ・Z」展だ。
いずれもブルックリンが生んだアーティストであり、世界をチェンジした変革者だ。展覧会を観ながら、ヒップホップが変えた世界のカルチャーと、マイノリティの視点が変えたエンタメをふり返ってみよう。
ブルックリン美術館で現在公開されているのが、正式名「Spike Lee: Creative Sources(スパイク・リー:クリエイティブ・ソーシズ)」展だ。「創造の源」と銘打つ通りに、スパイク・リー監督が創作をする過程でインスピレーション源となっているものを、彼自身のコレクションから450点も陳列している。
会場はカテゴリーごとに分類されていて、たとえば黒人の歴史、ブルックリン、スポーツ、音楽、映画、ファミリーといったようにコーナーがわかれている。
展示されているのは、著名なアーティストであるケヒンデ・ワイリー(オバマ元大統領の肖像画を描いた作家)の作品から、ミュージシャンのプリンスが所有していた楽器、NBA選手のユニホームやバスケットシューズ、そして映画のポスターや家族の写真など多岐にわたる。入り口にある「黒人の歴史と文化」では、スパイクの代表作である『マルコムX』の映像が流れ、バージル・アブローがデザインしてスパイクがカンヌ映画際で着用した服が展示してある。
そして壁には、FBIによるアンジェラ・デイビス(かつて左翼活動家で、ブラックパンサー党員、現在はカリフォルニア大学の名誉教授)の手配書。あるいはモハメド・アリの自筆サインやマーティン・ルーサー・キング牧師の肖像写真などのコレクションが見られる。なかでも衝撃的なのが、水飲み場で実際に使われていた「白人用、有色人種用」のサインや「黒人とメキシコ人、犬はお断り」のサイン、さらに射的の的に使われていた黒人のフィギュアを射的などのコレクションだ。
すさまじい人種差別の証拠なのだが、20世紀の半ばまでアメリカではごく当たり前のように有色人種に対する差別が行われていた。こうした人種差別という歴史的背景をふまえて、スパイクの映画が作られていたのだとわかるし、欠かせないテーマだとよくわかる。
スパイク・リー監督の出世作といえば、『Do the right thing(邦題:ドゥ・ザ・ライト・シング)』だろう。「正しいことをやれ」「まっとうなことをしろ」といった意味になる。1989年にスパイク・リーが監督・製作・脚本・主演をした映画で、ブルックリンを舞台に人種差別と対立を扱っている。
スパイク自身が演じる主人公の黒人ムーキーは、ブルックリンのベッドフォード・スタイヴェサントで、イタリア系のサルが経営するピザ屋で働いている。サルは裸一貫で店を立ちあげた男であり、客はほとんどが近所の黒人たちだ。ところがある日、ちょっとしたことから人種間の衝突といえる暴動に発展してしまう。
この映画では人種間の対立に、和解も解決もない。おまけにこの映画のなかで、スパイク演じるムーキーは、ちっともナイスなキャラではないのだ。自分が勤めるピザ屋が暴動で壊されたあとでも、店主にズケズケと給金を求めるのだ。
けれども、そこがカギであって、彼は決して白人側にとって役立つように働くアンクル・トムのような、善い黒人を演じるのではなくて、むしろ自分勝手な、リアルな黒人を演じてみせたのだ。
それはハリウッドで描かれがちだった黒人とはまったく違うものだ。
スパイク・リーが批判したのが、「Magical Negro(マジカル・ニグロ)」の問題だ。この「マジカル・ニグロ」とは、なにか。それは困難にある白人の主人公を救い出し、物語を展開させる装置となる存在であって、たいていどこから来たのかもわからない。
たとえば 『The Legend of Bagger Vance(邦題:バガー・ヴァンスの伝説)』(2001年)は、スランプに陥ったプロゴルファー(マット・デイモン)を、突然どこからともなく現れた黒人キャディ、ヴェガー・ヴァンス(ウィル・スミス)が助けるという物語だ。
アカデミー作品賞をとった『Green Book(邦題:グリーンブック)』(2018年)も、スパイク・リーによって批判された。人種差別の影響が強く残る1960年代のアメリカ南部を舞台に、著名な黒人ピアニストと運転手であるイタリア系白人男性の交流を描くストーリーで、心温まる、よい話とはいえる。
だが、よく観れば、人種偏見を持つ白人男性(ヴィゴ・モーテンセン)が、知的な黒人との交流を通した「気づき」によって、より良い人間に変わるというキャラクターの成長を描いていて、黒人ピアニスト(マハーシャラ・アリ)はその手助けをしているに過ぎない。
黒人ピアニストからすれば、人種差別がなくなるとか、音楽家としての成長につながるといった変化があるわけではない。
スパイク・リー監督が『ドゥ・ザ・ライト・シング』で示した新しい見方は、それまでの黒人層を対象にしたエンタメの「ブラックムービー」とも、白人監督による映画ともまったく異なる見解だったのだ。
さらに考察するなら、「マジカル・ニグロ」と同じように、「Magical Asian(マジカル・アジアン)」も存在する。ハリウッド映画を観ていて、「誠実なアシスタント」としての東洋人の役割に見覚えがないだろうか。
古いところでは、ラジオからテレビ番組として人気の『The Green Hornet(邦題:グリーン・ホーネット)』(1936年~)でサイドキック(ヒーローの相棒)のカトーを、ブルース・リーが(1966年〜1967年)演じたことで有名だが、映画『The Last Samurai(邦題:ラスト・サムライ)』も話全体が、主人公のトム・クルーズの精神的成長を助けるのが日本のサムライたちという構図になっている。
この白人ヒーローを支える東洋人の相棒という構図は、映画やドラマのなかでもおなじみのものだ。
そして典型的な「マジカル・アジアン」といえば、「スター・ウォーズ」シリーズのヨーダ、『The Moment of Truth / The Karate Kid(邦題:ベスト・キッド)』(1984年)のミスター宮城、『Doctor Strange(邦題:ドクター・ストレンジ)』(初登場はコミックで1964年~)のエンシェント・ワンなど、主人公に技と道を教えるという役割をになう。これがどれほどハリウッド映画に染みついているかというと、その反対のパターンを思い浮かべると、まったくないことに気づくだろう。
迷える東洋人の主人公を助けてくれる、白人の脇役はいないのだ。
展示の内部では、は2017年バージニア州シャーロッツビルであった事件のニュース映像も流されている。これは極右集会の参加者とそれに抗議するデモ隊が激しく衝突した事件で、デモ隊に車が突っ込んで負傷者数名と、白人女性であるヘザー・ハイヤーさん(32歳)が亡くなるという悲惨な事故を起こした。
近年の秀作『BlacKkKlansman(邦題:ブラック・クランズマン)』(2018年)は1970 年代の実話をベースにしながら、白人至上主義団体Ku Klux Klan(略称:KKK=クー・クラックス・クラン)を捜査する黒人警察官ロン(ジョン・デビッド・ワシントン)と、ロンに化けて潜入捜査をするユダヤ人警察官(アダム・ドライバー)のコンビを描いた作品だ。
この潜入捜査でKKKの陰謀を暴くのだが、映画の最後に流れてくるのが上記の2017年のシャーロッツビルの映像であって、現代になっても問題がまったく解決していないことを示している。
人種対立や差別は、とことん暗澹(あんたん)とする題材だ。だが、スパイク・リー監督が一貫して描いてきたのが、皮肉な笑いがこめられてエンタメに昇華した作風だ。
ちょうど、ズバズバときつい冗談をいうスタンダップコメディアンのように、彼の映画を観れば「きついジョーク」「そこまでいわなくても」という部分を盛りこみながら、見るひとを引き入れて考えさせる。
『ドゥ・ザ・ライト・シング』のなかに、いまでも響くセリフがある。スパイク・リー演じるムーキーと、イタリア系であるピノのやりとりだ。ムーキーはピノに、こう尋ねる。
ムーキー:おまえが一番好きなバスケット選手は誰だよ?
そうして問答が続く…。
ピノ:マジック・ジョンソン
ムーキー:一番好きな映画俳優は誰だよ?
ピノ:エディ・マーフィ
ムーキー:じゃあ、一番好きなロックスターは? プリンスだよな。おまえはプリンスおたくだよな ?
ピノ:違うね、ボスだよ、ブルース(スプリングスティーン)だよ
ムーキー:おまえが大好きなスターは、みんなニガーと呼ばれるヤツらなんだよ
ピノ:違うね。マジックやエディやプリンスはニガーじゃないんだよ。彼らは黒人じゃない。つまり、なんていうのか、彼らは本当の黒人じゃない。ていうか、黒人なんだけど、本当の黒人じゃない。彼らは黒人以上なんだ。そこが違いなんだよ
ムーキー:そこが違いなのかよ。
これは今でも通用するセリフだろう。
今の時代、好きなスポーツ選手やミュージシャンが黒人であることはめずらしくない。だが、同時に「それとこれとはべつ」で、「貧しくて、乱暴な黒人は恐い」と感じるアメリカ白人やアジア人はいるし、日本でもそう感じる層もいるだろう。
実はこれは、私たちアジア系にも通じる話なのだ。
今のアメリカやヨーロッパでの日本食の人気はとても高い。寿司のパックは、どこのスーパーでも売られているし、ラーメン店は大人気だ。だからといって、アメリカで、アジアヘイトをしている層が、決してインスタントラーメンを食べないかというと、話は違う。ラーメンを食べても、アジア系は嫌いという人はいるわけで、それはそれ、これはこれとして、「アメリカに侵入してくるアジアの勢力」に対してヘイトを持つ人たちもいる。
そうしたときにふと思い出すのが、上記のセリフであって、1989年の時点でこれをズバリと表現したスパイク・リーの炯眼(けいがん)に感心するのだ。スパイク本人も「自分が社会を変えられるとは思わないが、映画を見て議論してもらいたい」と語っていて、それがもっとも重要な彼の作品の使命だろう。
もうひとつの画期的な展覧会が、現在、ブルックリン公共図書館本館で開催されているジェイ・Zの展覧会で正式名「The Book of HOV:Celebration of the life and work of Shawn “Jay-Z” Carter(ザ・ブック・オブ・ホヴ)」だ。
この「ホヴ」というのはジェイZの愛称で、キリスト教の神エホバ(Jehovah) から、Jay Hovaに語呂合わせされてできたという。この展覧会は、ジェイ・Zことショーン・カーターの幅広いキャリアと、文化的な貢献を表した企画展示となっている。オブジェから映像まで、さまざまなメディアを使った大がかりな演出だ。
ジェイ・Zは、ブルックリンのベッドフォード・スタイヴァサントにある公営住宅で生まれ育ち、1996年にデビュー・アルバム『Reasonable Doubt』(リーズナブル・ダウト)をリリースして大ヒット。以来、27年以上にわたり創り上げてきたキャリアをふり返り、グラミー賞のトロフィなど数々のアワード、映像、雑誌の表紙などが展示されている。
このジェイ・Z展が公立図書館で行われているというのが、大きな文化的意義があると言えるだろう。それは、ラップを文学や詩歌のジャンルにあるものとして扱っているからだ。
ラップには内容、フロー(リズムや韻)そして口調があるが、それまでのポップやロックの歌詞とは違って、とてつもなく言葉の情報量が多いのが特徴だ。韻(ライム)を踏むのには、語彙力が必要でもあり、ラップはまさに現代詩の一翼といえる。
ちょうどニューヨークはヒップホップ誕生から50周年を迎えたが、ヒップホップは音楽のみならず世界のトレンドを一変させた。ファッションで言えば、初めて有色人種初のトレンドを生み出したのがヒップホップだ。
それまでのストリートファッションが、ロックなり、パンクやモッズなり、多くが白人カルチャーから生まれてきたものだったのに対して、ヒップホップは有色人種カルチャーから生まれたスタイルだ。今ではスニーカーをパリのメゾンが作っている。このことは半世紀前には、考えられないことだったのだ。
ブルックリン美術館も、ブルックリン公立図書館も、ヒップホップを若い時期に浴びたひとほど訪れて欲しい展覧会だ。
◇展覧会情報
Brooklyn Museum
ブルックリン美術館
Spike Lee: Creative Sources
「スパイク・リー:クリエイティブ・ソーシズ」展
会期/~2024年2月4日(日)
住所/200 Eastern Parkway
Brooklyn, New York 11238-6052
Brooklyn Public Library
Central Library
ブルックリン公立図書館本館
The Book of HOV: A celebration of the life and work of Shawn "JAY-Z" Carter
「ザ・ブック・オブ・ホヴ」展
会期/~2023年12月4日(月)まで
住所/10 Grand Army PlazaBrooklyn,
New York 11238
Ellie Kurobe-Rozie
東京都出身。早稲田大学第一文学部卒業後、ライターとして活動開始。『Hot-Dog-Express』で「アッシー」などの流行語ブームをつくり、講談社X文庫では青山えりか名義でジュニア小説を30冊上梓。94年にNYへ移住、日本の女性誌やサイトでNY情報を発信し続ける。著書に『生にゅー! 生で伝えるニューヨーク通信』など。