「がんになったらどうしますか?」と聞かれることがありますが、なったらなったでしょうがないと思っています。85歳ですから、今からがんが見つかったとしても、何も治療をする気はありません。
調べればがんが見つかるのかしれません。でも今まで一度もがん検診を受けたことがないので、あるかないかもわかりません。
2020年に東大病院に行ったのは、具合がとても悪かったからです。それまでに体重が15kgぐらい減っていたので、こんなにやせたのなら、がんがどこかにあるかもしれないと思っていました。しかしCTなどの検査の結果、がんは見つかりませんでした。
逆に、がんではなくて心筋梗塞だったのは寝耳に水でした。医学生の頃、心筋梗塞を起こす人は、割合はっきりとした性格的な特徴があると教わりましたが、それによると、僕は心筋梗塞のリスクが高い性格ではありません。だから自分は心筋梗塞にならないと勝手に決めてつけていました。
僕は小学校1年生のときにも東大病院に入院しています。
東大病院の小児科に入院していたのは、おそらく昭和20(1945)年ではないかと思います。山の手大空襲(1945年5月25日)があって、病室のガラスがビリビリ揺れたり、患者さんがみんな地下に避難したのを覚えています。
なぜ東大病院に入院することになったのかというと、2歳のときの鼠径(そけい)ヘルニアがきっかけです。鼠径ヘルニアは腸が本来の位置から下腹部にはみ出す症状です。はみ出した部位がゆるければいいのですが、狭くなっていると腸が戻らなくなります。するとはみ出た腸が血行不良を起こして壊死します。そこで、外来で緊急手術をしてもらいました。
そのときの手術の傷を縫う糸に、ばい菌がついていたのでしょう。5~6年かけて大きく膿んでしまったので、また東大病院で手術することになりました。大きな階段教室の真ん中に手術台があって、まわりを医学生さんが見学している中での手術です。子どもですから、ギャーギャー叫んでいたみたいです。
当時は、エーテル麻酔が主流でしたが、エーテルでは軽すぎたのか、執刀医が「クロロホルム」と叫んだのを覚えています。
クロロホルムも麻酔薬です。後に医学部に入って勉強してわかったことですが、クロロホルム麻酔は1000人に1人くらいの確率で死ぬそうです。幸い死なずに、その手術も終わりました。
それで終わったと思ったら、まだ終わりではありませんでした。細菌性のアレルギーを起こして、朝起きると目やにが出るようになったのです。眼科の先生に診てもらったら、このまま放っておくと、いずれまつげも全部なくなると言われ、母が心配していたのを覚えています。
そのときに行われた治療が、今でいうところの脱感作療法で、アレルギーの原因菌の抗原を注射して、それを少しずつ増やしていくことで、過敏な反応を減らしていきます。その注射薬をつくっていたのが、当時の伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)でした。
注射薬は1日しかもたないので、看護師さんが毎日、伝染病研究所まで取りに行って注射してくれました。そんなこともありましたので、東大病院には昔も今もずいぶんお世話になっているんです。
だから東大には足を向けて寝られないはずですが、できれば行きたくない場所でもあります。ありがたいというのと同時に、嫌だという気持ちが同居しているのです。
僕もいちおう医者の修行をしましたが、お医者さんになる気はありませんでした。患者さんを診るのが苦手だったのです。
その理由は患者さんが勝手に死んでしまうからです。一生懸命診ても、患者さんが亡くなることがあります。
例えば交通事故でかつぎ込まれた患者さんがいて、多量の出血がありました。インターンだった僕も、あちこちの出血しているところを押さえる手伝いをしました。最初のうち、どこが問題なのかわからずに手術していたので6時間くらいかかりました。最後は問題がわかって手術は終わり、傷をきれいに縫合しました。
ところが、その段階で患者さんは亡くなってしまいました。患者さんを助けるための6時間がまったくの無駄になってしまったわけです。
2022年4月12日の診察では、大腸ポリープを取るか取らないかについて尋ねられました。2年前に「取らない」と言っていたのに、また尋ねるんです。東大病院の先生方は取る気満々だと、中川さん(編集部注/東大病院の中川恵一教授)から聞きました。
この大腸ポリープを放置していると、がん化するから取るべきだと言っているのですが、もちろん取る気はありません。
大腸ポリープがあることになったのは、心筋梗塞で入院して半ば強制的に大腸まで調べられたからです。入院患者に拒否権はありません。俎(まな)板の鯉、「さあ、殺せ!」という心境になっていますから、やるより他に手がないのです。
そもそも大腸ポリープなんて、内視鏡で調べなければ存在しません。調べた人が取ると言っているだけだから、僕はそんなの知りませんよと答えるだけです。
胃にも胃がんのリスクを高めるピロリ菌というやつがいて、除菌治療を勧められましたが、これも「除菌しない」と言っています。
大腸がんにしろ、胃がんにしろ、年寄りががんの予防する意味がわかりません。がんは年をとるほど増えるので、僕くらいの年齢ならがんが2つや3つあっても不思議ではありません。いったい、がんで死ななかったら、僕は何で死んだらいいのでしょう。心筋梗塞の治療をして、コロナのワクチンも打っています。死ぬ病気といったら、がんか肺炎くらいなのに、これでは簡単に死ねないですね。
東大病院の先生たちからは、タバコについても聞かれました。入院していたときは、もちろん吸っていません。病院内で吸ったら強制退院させられると聞いていましたし、病院では言われたとおりにしていたので、キッパリと禁煙しました。
退院してからも、しばらく禁煙していましたが、ときどき吸うようになって、今に至っています。
2月8日の再診では、少し吸っているけど家では吸っていないとか、テキトーに答えていましたが、基本的に吸いたいときは一服しています。
僕の肺のCT画像には肺気腫が認められています。肺気腫がひどくなると、酸素ボンベを引きずりながら生活しないといけなくなりますが、今のところ坂道を上るのも問題ありませんし、歩くと気持ちがよいくらいです。ですから肺はそんなに壊れていないと思っています。
70代のときですが、ブータンに行ったときも平気でした。ブータンの空港は標高2500メートルぐらいで、空気が薄いのですが、息苦しくはありませんでした。
健康のため禁煙したほうがよいと言われます。しかし、これは『愛煙家通信』に以前書いたことでもありますが、タバコが健康に悪いことなど、昔から誰でも知っています。僕が大学に入学した60年以上も前の話ですが、通学途中でばったり出会った同級生から「昨日タバコを吸って朝起きたら、口の中に嫌な味がまだ残っている。こんなもの健康にいいわけがない。俺はやめるから、お前もやめろ」と言われたことがあります。
つまり、タバコは60年以上も前から「健康に悪い」「お前もやめろ」と言われ続けているのです。にもかかわらず、多くの人が吸い続けているのは、タバコに何らかのメリットがあるからでしょう。
タバコは健康に悪いかもしれないけれど、メリットもたくさんあると思っています。例えば、人間は1日の3分の1は眠らないと生きていけませんが、眠っているときに脳に溜まった無秩序を清算してスッキリさせていると考えられています。タバコを一服するのは睡眠と同じで、無秩序を少しだけ清算しているのかもしれません。
意識は秩序活動なので、意識活動にともなってエントロピーが増大し、その分、無秩序が生み出されます。だから、タバコをやめても別の方法で無秩序を清算しなければならないのです。つまり、今までタバコを吸って無秩序を清算していた人は、タバコをやめるだけではスッキリできないということです。
ちなみに中川さんによると、タバコをやめて発がんリスクが吸わない人と同じになるまでに、20~25年かかるそうです。今からやめて20年としても、僕は105歳ですから、今から禁煙する意味はほとんどないでしょう。
僕は病院に行って、最後に会計をするときにいつも思います。いったい自分以外の人にどれだけ医療費の負担をかけているのかということを。
里見清一(ペンネーム、本名は國頭英夫で日本赤十字社医療センター化学療法科部長)さんが、SATOMI臨床研究プロジェクトというのをやっていて、臨床研究を後押しする活動を行っています。医療にムダなお金をかけないよう合理化するための研究です。計算上、医療費がこのまま増え続けると、国民皆保険制度は続かないことが明らかになったわけです。
こういう問題をどう解決するか、この国ではあまり考えていません。国家の大きなプランとして考えていかないといずれ立ちゆかなくなってしまうでしょう。
エネルギー問題も同じです。持続可能性を考えたら、一番の問題がエネルギーであることは間違いありません。
日本人は予定調和で、それにはよいところもあるのですが、次の大きな自然災害が来てから、医療費やエネルギーについて考えるのではもう間に合いません。
2038年に来るといわれている南海トラフ大地震は、僕は確実に来ると思っています。地震学者で京都大学元総長の尾池和夫さんが『2038年南海トラフの巨大地震』という本を書いているから、かなり信憑性が高いと思っています。
それまでにもう20年ありません。そのときに自力で復旧できる経済力が日本にあるのか疑問に思います。
地震で広い国土がボコボコになって、それを復旧させるときに誰がお金を出すのか。もっと具体的に言うと、家が潰れたら誰がお金を出して家を建て直してくれるのか。それを国全体で考えると、インフラが壊れたら、まずそれを整備することから始めないといけないのです。
それに復旧するまでは食料を輸入しなければならなくなるかもしれません。とにかく、とてつもないお金がかかります。国際金融資本家とか中国とかに国土を身売りするという話になるかもしれません。そのときは否が応でも来ると僕は思っています。
最近、『方丈記』がよく読まれているそうです。今のような時代には作者の鴨長明の生き方が、しっくりくるような気がします。
僕も多くの人に読んでもらいたいと思って、『漫画方丈記 日本最古の災害文学』の解説も書きました。
僕が若い頃『方丈記』に興味をもったきっかけは、堀田善衛の『方丈記私記』でした。都の大火の描写が東京大空襲と重なるという趣旨でしたが、数百年前の話と自分の知る時代がピッタリくるものかと思って原典を読んでみると、文献の乏しい鎌倉時代なのに記述がとても具体的です。
よく覚えているのが、飢饉の際、隆暁法印という偉いお坊さんが供養のために死体の額に「阿」の字を書いて数えていったら、都の東半分だけで4万2300あまりもあったと言うのです。
僕は解剖をやっていたから、死体には慣れていますが、そこまで都が死屍累々(ししるいるい)なのを見たら、人生ってなんだろうと考えざるを得ないだろうなと感じました。
『方丈記』の書き出しの「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」は、多くの人に知られていると思います。これに近い時代に書かれたと言われている『平家物語』の始まりは「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」で、同じ感慨を記しています。どちらの文章もすべてのものは移り変わり、とどまることはないと述べています。
一方で、現代は情報化社会といわれ、「変わらない」ものに満ちあふれています。情報とは「変わらない」もののことで、ネットに書かれた文章は、誰かが消さない限り、いつまでも変わらずに残っています。
情報化社会は変わらないものをよしとして、それを優先します。そして情報は絶えず交換可能なので「新しくなった」と思うだけで、情報そのものはいつもとどまったまま変化することはありません。この世界には、鴨長明が入る余地はないのです。だからこそ、改めて読んでほしいと思います。