ペンは剣よりも強いことを身をもって証明してみせたマララ。彼女にまつわる様々な事実を振り返ります。
2019年7月12日に、22歳の誕生日を迎えたパキスタン出身のフェミニスト・人権運動家のマララ・ユスフザイさん。
死の淵から舞い戻ってもなお、揺るぎない信念と行動力で、すべての女の子のロールモデルとして輝き続ける彼女にまつわるあれこれを、時系列でいま一度おさらいします。世界を変えるべく闘うマララさんに注目しましょう。
1997年7月12日、パキスタン北西部のスワート地区に3人姉弟の長女として生まれる。名前の「マララ」は、隣国アフガニスタンの英雄的存在である女性「マイワンドのマラライ」に由来しており、「悲しい」「悲しみにうちひしがれた」という意味を持っています。
マラライさんは1878年、アフガニスタンと英国が戦った第二次アフガン戦争でジャンヌ・ダルクのように活躍し、アフガン兵たちを奮い立たせたとされています。
2007年、パキスタンとアフガニスタンを中心に活動するイスラム主義組織タリバンの地方部隊がスワート地区に現れ、制圧を開始。「イスラムの教えに反する」として女性が教育を受けることを認めない彼らは、約200もの学校を破壊、TVや音楽なども禁止し、命令に従わない人にはムチ打ちや処刑を行うなど、恐怖で支配します。
マララも学校に行けなくなってしまいましたが、11歳のとき、「グル・マカイ(ヤグルマギク)」というペンネームで、怯えながら暮らす人々の惨状やタリバンの残虐行為を英BBCのウルドゥー語版サイトのブログで発信。「女子も教育を受けるべき」と声をあげると、たちまち国内外のメディアが注目して話題を呼び、政府も彼女を表彰します。
ですが、その投稿のせいで、彼女はタリバンの怒りを買うことに…。政府軍の掃討作戦により、タリバンは2009年にはスワートからいなくなったと見られていたのですが、2012年10月、スクールバスで下校していたところをタリバンのメンバーに銃撃され、マララは側頭部を撃たれてしまいます。
世界が見守る中イギリスへ搬送され、数日間生死の境をさまようこととなのですが、手術を経て奇跡的に回復。翌年2013年1月、2カ月半ぶりに退院し、その後は国外に留まることに…。
なお、この襲撃を命じたとされるタリバンの指導者マウラナ・ファズルラは、2018年に米軍の無人機攻撃によって死亡したと報じられています。
襲撃から約9カ月後、イギリスの学校で学んでいたマララは、2013年7月12日の16歳の誕生日にNYの国連本部に招かれ、力強いスピーチを披露。教育の重要性や平和の大切さを世界中に向けて訴え、国連によりこの日は「マララ・デー」と定められました。
そして、娘を応援し続ける父ジアウディンとともに、世界中の少女たちに教育の機会を与えるためのサポートをする「マララ基金」を創設。地元に女子高を新設するなど、精力的に活動を開始していきます。
複数の本を執筆しているマララ。中でも2013年10月に出版されたクリスティーナ・ラムとの共著『わたしはマララ』は、世界中で翻訳されたちまちベストセラーに。同名のドキュメンタリー映画もあるので、気になる方はチェックしてください。
ちなみに映画内では、テニスの王者ロジャー・フェデラー選手のファンであることを明かしており、照れ笑いする姿がとてもキュートです。
本のリリース後、2013年10月にはホワイトハウスとバッキンガム宮殿を訪れ、オバマ米大統領やエリザベス女王とも面会をはたしたマララ。大統領も女王も、彼女の世界への働きかけに心酔している様子です。
17歳になった2014年には、その功績が認められ、史上最年少の若さでノーベル平和賞を受賞。この受賞が拍車をかけ、著書もさらにヒットしたそうです。 また『タイム』誌の「最も影響力のある25人のティーン」に選出されたほか、国際子ども平和賞、パキスタン国民平和賞、サハロフ賞、クリントン・グローバル市民賞など様々な賞を獲得しており、若い女の子だけでなく多くの人々にインスピレーションを与えているのです。
2017年、NYの国連本部で国連ピース・メッセンジャーに任命されます。
19歳での任命は史上最年少で、メンバーはほかにレオナルド・ディカプリオやヨーヨー・マ、スティービー・ワンダー、五嶋みどり、シャーリーズ・セロン、パウロ・コエーリョなどが名を連ねています。
2017年10月には、イギリスが世界に誇る名門大学オックスフォードへ進学、現在も勉強中で政治学、経済学、哲学を専攻しています。
歴史ある学び舎で切磋琢磨し、将来ますますリーダーシップを発揮してくれるでしょう。
2018年4月、銃撃後初めて祖国パキスタンに帰国。
これまでにも帰国を望んでいましたが、安全上の懸念に加え学業で手一杯だったため、5年半ぶりにやっと祖国の土を踏むこととなりました。
2019年3月には、東京で行われる国際女性会議に出席するため、来日もはたしています。
かつては学業に集中するため、携帯電話も持っていませんでした。ですが今では、ツイッターやインスタグラムでも情報を発信したり、ファンと交流を図っています。
ぜひフォローして、さらに聡明でたくましく成長し、快進撃を続ける姿を見守ってください。
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