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【鈴木涼美コラム】映画『夜明けのすべて』レビュー:月経について男に、理解しないでいいからやって欲しいこと

月経前、3~10日の間続く精神的あるいは身体的症状「PMS」に苦しんでいる女性がもし目の前にいたら――。男性は特に、生理について学べる機会が日本ではなかったかもしれません。元日経新聞記者で芥川賞候補作家の鈴木涼美さんが、ひどいPMSに悩む女性が主人公の映画『夜明けのすべて』を観て感じたこと。

By
松村北斗、上白石萌音
(C)瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会

PMSとは「Premenstrual Syndrome=月経前症候群」で、月経前の3~10日の間に続く精神的あるいは身体的症状で、月経開始とともに消失していくものということ。

公益社団法人 日本産科婦人科学会の公式サイトでは、「原因ははっきりとはわかっていませんが、女性ホルモンの変動が関わっていると考えられています…」と言います。症状としては、「精神神経症状として情緒不安定、イライラ、抑うつ、不安、眠気、集中力の低下、睡眠障害、自律神経症状としてのぼせ、食欲不振・過食、めまい、倦怠感、身体的症状として腹痛、頭痛、腰痛、むくみ、お腹の張り、乳房の張りなどがあります…」とのこと。

さらに詳しくは、日本産科婦人科学会の公式サイトをご覧ください。

公開中映画『夜明けのすべて』

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
映画 『夜明けのすべて』ロング予告【2月9日(金)公開】
映画 『夜明けのすべて』ロング予告【2月9日(金)公開】 thumnail
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2020年に刊行された作家 瀬尾まいこ氏の『夜明けのすべて』を原作に、三宅唱監督が映画化。 月に一度、PMS(月経前症候群)でイライラが抑えられなくなる藤沢さん(上白石萌音)とパニック障害を抱える同僚、山添くん(松村北斗)。2人のように何かを抱いてきた人たちにおくる、生きるのがほんの少しだけ楽になる、心が温かくなる物語。

公式サイト

【鈴木涼美コラム】月の周期で性格が変わるなんていうトンデモな現象を、ほとんどの男性が理解するのはとても難しいけれども

a person and a girl at a table with baskets of food

PMS、いわゆる月経前症候群は、女性の多くがその症状を経験したことがあるとされる割には言葉や概念が広く認知されているかというと、そうでもなく、PMSの言葉もその意味も知っていると答えたのは女性の中でも3割に過ぎない。

いわゆる「生理痛」であれば、言葉として多くの男性にも浸透しているのだろうが、字面通り「生理でお腹が痛くなる」という意味しか想起させない言葉は、女の月経について誤解や無理解が増える原因にすらなっている節がある。

小学校で「生理の授業」を受けるのは女子だけ、男子が生理なんて口に出したら嫌がらせや辱めのように捉えられていた光景を思い出せば、PMSについて男性に一切の知識がなくとも、本人を責められない社会に私たちは生きている。

a group of men sitting on the ground by a tree

男が男の浮気心を、狩猟本能や子孫を残すための生理現象などを持ち出して擁護するたびに右から左に聞き流してきたし、暑苦しいタイプの殿方が「男とは」とか「男ってやつは」とかいって語り出したらトイレに立ってやり過ごしてきたので、男女がそれぞれの生理について本気で理解・尊重し合うような夢のような現象は基本的に起こらないものと思ってきた。

というか、「男っていうのは」と浮気やら仕事の付き合いやら家事への不参加やらの正当性を語られるのを本気で聞こうと思わないのだから、「女っていうのは」とこちらの生理現象を振りかざして自分の不備や不足を正当化しても聞き入れられないだろうなと反省をこめて軽く絶望気味ですらある。

性別的な生理現象であれ何であれ、相手を傷つける言い訳にしてはいけないのもわかる。

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a person in a white dress and a person in a black dress sitting in a vehicle

ただ、映画『夜明けのすべて』で酷く極端なPMSに悩む主人公の生々しく荒々しい言葉、身に覚えのある妙にリアルな苛立ちや攻撃性を見ていると、「身体的な性差への無理解は仕方のないものだ」とか「所詮、言葉では女性のバイオリズムなんて伝えられない」とか言っている間に、取り返しのつかない戦争が起こったり、少なくとも誰かが誰かに誤解されたまま死んだり、人を傷つけた代償として復帰できないほど社会生活にダメージを負ったりしそうで、なんだか焦ってしまった。

月の周期で性格が変わるなんていうトンデモな現象を、その生理が身体にないほとんどの男性が理解するのはとても難しい。もはや理解や共感なんて無理ゲーなことは諦めて、戦争や暴力や死を避けるために私たちの抱えるその爆弾の処理知識だけでも身に着けてもらう努力が必要なのかもしれない。

すべて把握しあい、理解しあい、共感して包み込んで直してあげることなんて不可能だからこそ

『夜明けのすべて』
©瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会

『夜明けのすべて』で上白石萌音が演じるのが、毎月PMSでイライラした気分が抑えきれず、普段の彼女からはちょっと想像しにくい攻撃的な口調で仕事場の同僚に注意したり文句を言ったりしてしまう会社員だ。

PMSの症状は人によってさまざまだが、自分がこの世で一番かわいそうに思えたり、世界の全てが憎い敵のように思えたり、普段なら我慢できるような些細なことが許せずに怒りが爆発したりした経験がある女性は結構多い。

人に苛立ちすぎて涙が出るとか、心の中で上司や後輩にひたすら悪態をついているとか、そういったことは私にも死ぬほど身に覚えがあるが、この主人公の場合は、一部の大人が心の中でついている悪態がすべて外に表出しがちで、結果的に職場の人間関係などに支障が出てしまう。

わかってはいても、毎月その時期になればやはり自分で抑えられない性格の変化や苛立ちに見舞われて、何もかもがうまくいかないし何もかもが嫌だと厭世的になって生きづらさを抱えている。

『夜明けのすべて』
©瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会

そんな絶賛PMS真っ最中の主人公と些細なトラブルでぶつかるのが、パニック障害を抱える後輩の男性社員。主人公と同じように自らの抱える症状によって、あらゆることがうまくいかないという気分に陥っており、不愛想で付き合いは悪く、当初は自分の症状に比べてPMSなんてと主人公の悩みを軽視するようなところすらあった。

パニック障害や鬱(うつ)、適応障害など心の不調は水疱瘡や骨折のように見た目にあからさまな症状があるわけでもなく、人によって症状の濃淡がそれぞれで、他人からすれば何てことない些細なことが大事件になってしまうようなところがある。

そういう意味では、人によっては症状が軽かったり単純だったりするPMSと同じく、他者に想像してもらうのが難しい病気だ。

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a person cutting another woman's hair

そんな生きづらさゆえの棘を抱えている二人が、ささいな出来事をひとつずつきっかけにして、自分とは違う苦しみを抱える相手に対して何か力になろうという関係を育んでいく。

苦しみの形は人それぞれ違うのだから、それをすべて把握しあい、理解しあい、共感して包み込んで直してあげることなんて不可能だ。それでも「助けられることはある」。そこに気づいたあとの二人の関係性は温かい。

共感し得ない苦しみを無理に理解しようとせず「助けられること」を探すことの尊さ

a woman and a man sitting

「助けられることがある」と信じている男性が近くにいることは主人公にとっては、大きな心の支えとなる。その存在はPMSの症状を治癒するわけでも、あらゆる問題を解決するわけでもなく、まして男性である後輩が彼女の生理を余すことなく理解するなんていうことはないにもかかわらず。

共感し得ない苦しみを無理に理解しようとせず、「助けられること」を探すことの尊さがそこにある。

a man and woman standing outside

私自身はPMSといって最初に思い当たるのは、激しい乳房の張りと眠気、腰痛なのだが、それでも気分が激しく落ち込んだり、普段の自分なら軽く許せることで苛立ちを感じたりした時期を思い返すと、実際は生理前の似たような時期であるということは少なくない。

最初にそれに気づいたのは、水商売時代、客の言うことにつっかかったり嫌味で返したりしてしまう時期と、お酒を飲んで気持ち悪くなる時期が重なっていたからだった。

女性であっても自分の怒りや悲しみが、PMSのせいなのか自分の本来的な性格や思想のせいなのか、よくわからないということは結構ある。

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『夜明けのすべて』
©瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会

生理について男性に知識があることは心強いが、自分の本来的な怒りが、「なんだ? 生理前か?」で片づけられたらものすごく屈辱的に感じる人も多いだろうし、逆にPMS故に攻撃的になってしまった言葉を、「性格に難あり」という風に断じられるのも辛い。

実際はちょっとした知識がある人にとっても、女性の生理について男性が寄りそうというのは難しいことなのだ。

自分や他者に理解や共感が難しい複雑さがあるという事実が、孤立ではなくつながりのきっかけになりますように

a couple of women standing on a sidewalk eating

『夜明けのすべて』の主人公の言葉は、PMSが発症しているときには面倒くさくて攻撃的で嫌味っぽいが、実は別に間違っていることや全く思っていないことがでまかせのように、口をついて出るわけではない。

言い方や言うタイミングの考慮、相手の反応に対する配慮などが大きく欠如しているだけで、主人公の主張であることには変わりないのだ。思えばPMSの症状で世界の全てが憎かったり、ままならない全てが他人のせいに思えたりするときにも、われわれの文句や悪態は何の根拠もないところに突拍子もなく生まれているわけではない。

日頃感じている違和や、積み重なっている我慢が極端な形で表出している場合だって多い。

『夜明けのすべて』
©瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会

おそらく、「生理前だから仕方ない」と片づけられたら傷つくのに「生理前だということをわかってほしい」と願う、一見矛盾したわれわれの気分の根拠はそのあたりにある。

主張や言葉自体が軽んじられることはPMSであろうと耐え難いが、その言い方や配慮のなさについては理解しないまでも少しだけ多めに見て欲しい。それが理不尽な要求であったとしても、そういう期間に発された言葉は、言葉尻や声のトーンは棚上げにして、内容だけは棚上げにしないでほしい。

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a man and a woman looking at a computer

そういう女の願いをかなえるのは、女の生理についての男のとんでもなく詳細な知識でも、男が生理痛や妊娠を体験するリクリエーションでも、それによって得られるなけなしの共感でもない。

自分が言い方を間違えたり、言うタイミングがズレていたり相手の反応に配慮したりできないときでも、自分の言葉が無視されていないという実感である。

むしろ、それさえあれば自分自身の失敗についても多少素直になれたり、反省できたりするような気がする。

『夜明けのすべて』
©瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会

たとえば、酒癖が悪い男が何かを酒のせいにしてきたり、女癖の悪い男が何かを男の本能や生理のせいにしてきたりするとき、その論理をありのままに受け入れる準備がこちらにないように、攻撃的で理不尽なことを叫ぶ女が何かを女の生理のせいにしても、多くの場合にそれは空虚な言い訳に聞こえてしまうことはあるかもしれないと思う。

こちらもそれがわかるからこそ、自分の機嫌や体調を丁寧に説明したり、あとから謝ったりしても聞き入れられないのではないかという恐怖を抱えている。

2月9日(金)ロードショー『夜明けのすべて』
©瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会

実際にPMSの症状について特別な知識がなくとも、こちらの複雑さも含めて話の内容を聞き入れようという態度が標準化されれば、私たちは私たち自身ですら時々見えなくなるような自分らの心の機微や身体の生理について、もっと知らなくてはならない、向き合わなくてはならないと思い直せる。

心や身体は人によってその形も機能も弱みも違い、他者に余すことなく理解してもらうのは無理な相談だ。この苦しみをわかってもらえないというその事実はどうしようもなく孤独で、やるせなく、時にあらゆることが嫌になるような事態ではあるけれど、そこに人や自分には理解不可能な複雑さがあるということを知ってくれている人がいるだけで、その孤独は共存可能なものになり得る気がする。

映画ではこんな印象的な台詞が読まれる。「夜がやってくるから、私たちは闇の向こうのとてつもない広がりを想像することができる」。自分や他者に理解や共感が難しい複雑さがあるという事実が、孤立ではなくつながりのきっかけになればいいと、一人のPMS持ちの女として切に願う。

***

Edit / Minako Shitara

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