記事のポイント

  • 映画『オッペンハイマー』に登場する世界初の核兵器は、他に類を見ない破壊力を持つ兵器でした。
  • それ以来、いわゆる核兵器の破壊力は格段に増大し、その威力は数百倍にもなっています。
  • 核爆弾のエネルギーは、同じ大きさの通常爆弾の数百万倍にもなると言われています。

核兵器に関して、(アメリカ人が)なかなか具体的な理解が及ばないことの一つに、その悍(おぞ)ましいほどの破壊力があります。「人類の文明、さらには地球上の生命そのものを破滅させる能力を持つ」と説明されることも多い核兵器ですが、それ以外の爆弾の威力と比べたらどうなのでしょうか?

端的に言えば、簡単に比べられるものではありません。そもそも核兵器とは、従来の爆弾とは全く異なるもの。この記事では、この核兵器が二度と使用されることのないためにも、まずはわれわれがそれがもたらす悲惨な状況を再確認しておくため基本的な知識を知っておきましょう。

キロトンおよびTNT

mushroom cloud over hiroshima
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1945年8月6日、アメリカによる原爆投下後、広島の街を覆いつくす火災雲(キノコ雲)。火の勢いは爆発から約3時間後にピークに達しました。

まず「キロトン(kt)」という単位の前に、「TNT」という単位を認識しておきましょう。これは核爆弾の爆発エネルギーを表す単位であり、同等のエネルギーを発生するトリニトロトルエン火薬の質量に換算した目安になります。トリニトロトルエンとは、特記のない限りは「2,4,6-トリニトロトルエン」という化学物質になります。

1863年にドイツの化学者ジョセフ・ウィルバンドによって、トルエンを硝硫混合酸を使用して高温によってニトロ化することで初めて、このトリニトロトルエンの合成に成功します。が、当時は爆薬としての可能性は認識されていませんでした。それを1891年にドイツ人科学者 Carl Häussermannが爆薬に使用できることを解明し、その後ドイツで工業的規模の大量生産が開始されることになります。

そうしてトリニトロトルエンを主成分とした爆弾は、衝撃や熱に対して鈍感という特性から「扱いやすくて放出エネルギーも大きい」ということで以降、やむなく爆薬として汎用(はんよう)されるようになります。

※現在、映画などでも耳にする爆弾「C-4」とは、米軍をはじめ世界的に使用されている軍用プラスチック爆薬の一種。この「プラスチック」とは合成樹脂のことではなく、これが「可塑(そせい)性」を擁していることを意味し、粘土のように容易に変形できることが特徴。このトリニトロトルエンをはじめ、ニトロトルエン、ジニトロトルエン、シクロテトラメチレンテトラニトラミン(別名 オクトーゲン、HMX)、ワックスなどを混合した油状物質を主成分であるトリメチレントリニトロアミン(別名 ヘキソーゲン、RDX)に混合したものとされます。

そして、「キロトン(1000トン)」です。TNTの次はこの想像を絶する大きさ、1000トンという単位を知る必要があるでしょう。核兵器の爆発収量のほとんどは、前出のTNTとして知られる最も一般的となってしまった爆薬を目安に、その威力を示します。すなわち、「TNT火薬1グラム=1000カロリー」という定義によって、爆発時の放出エネルギーを「TNT火薬何トン分」と表記したりするのです。

1946年から米ダグラス・エアクラフト(現マクドネル・ダグラス)社で開発が始められ米軍が制式化し、世界の国々でも多用されている低抵抗爆弾「Mk.80シリーズ」--その中でもベトナム戦争中に配備された最大級のMk-84汎用爆弾と比べてみましょう。このMk-84は、2000ポンドの無誘導爆弾です。Mk.80シリーズで最も多くの高性能爆薬を積んでいることから、湾岸戦争(1990年8月~1991年3月)でも投下されている大型無誘導爆弾です。 名目上の重量は2000ポンド(アメリカポンド法で1トン=約907キログラム)で、流線型の鋼製弾体にトリトナール高性能爆薬を約945ポンド(約428キログラム)充填(じゅうてん)されているということ。

Mk-84の爆発力は、TNT換算で約0.5トン(トリトナールの威力は実際にはTNTよりも20%強力なので、これは若干切り捨てた概算数値となります)。Mk-84の致死範囲は半径1181フィート(約360メートル)以内、重傷の可能性のある範囲は半径2624フィート(約800メートル)以内となっています。

このMk-84は、「幅15.2メートル、深さ11.0メートルのクレーターをつくり、落下高さによるが、381ミリ厚の金属板または3.4メートル厚のコンクリートも貫通する」「鋼製ケーシングの破断片飛散による致命的な範囲は半径365メートルに及び、400メートル離れていても鼓膜を破損させる衝撃波を発生させる」ということ…。これほどまで惨憺(さんたん)たる威力を発揮するMk-84も、TNT換算は約0.5トンです。つまり、1キロトンの2000分の1にしかすぎず、このMk-842個でTNT換算1トンになるのです。要は、TNT換算1キロトンの爆発力とは、2000個のMk-84が必要ということになります。

このように考えると、1945年7月16日にニューメキシコ州ソコロの南東48キロメートル の地点で行われた爆縮型プルトニウム原子爆弾によるトリニティ実験、そこで使われた核爆弾の爆発力を最終的に計算した結果は約21キロトンと記録。すなわち、4万2000発のMk-84が同じ場所で同時に爆発した威力に相当すると言えるのです。

メガトン

nuclear test usa mark 14
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第二次大戦後も実験は続きます。写真は米国防総省と米原子力委員会が合同で、1954年にビキニ環礁、エニウェトク環礁の2カ所の環礁で行われた一連の核実験「キャッスル作戦」のうち、4月26日に実施された『ユニオン実験』のでキノコ雲。ここでは固形重水素化リチウムを核物質として用いた初の実用型核融合兵器、「Mk-14」を使用しました。これは実験的な設計のもので、1954年初頭に5発のみ製造。核出力はTNT換算 6.9メガトン。

二つ目の単位は「メガトン」です。水素爆弾は従来の核兵器よりもはるかに強力な爆発力を持ち、軍事計画関係者の間では「メガトン(Mt)」という単位が使われるようになりました。メガトンは1000キロトンに当たります、つまりTNT換算で100万トンということになるわけです…。

アメリカが初の水素爆弾の実験を行ったのは、1952年11月1日です。そのときコードネームは「アイビー・マイク」(一番上のTOP写真)、「アイビー作戦」の『マイク実験』ということになります。このときの核出力は、TNT換算 10.4~12メガトン(1万400~1万2000キロトン)と記録されています。すなわち、2080万~2400万発のMk-84が同じ場所で同時に爆発した威力に相当すると言えるのです。

これまでの説明だけでも核兵器とは通常兵器とは比べものにならない、異常なほどの威力を発揮することが理解できたはずです。TNT換算で1メガトン相当の爆発力というものがいかなるものか、ここでもう一度頭に刷り込んでおきましょう。「Mk-84」なら、200万発分なのです。第二次世界大戦中に連合国側は、ドイツに総計約2メガトン相当の通常爆弾を投下しましたが、それも5年という年月をかけてのことです…。

そして、唯一の戦争被爆国となった日本に住むわれわれこそが、この無残さを改めて噛みしめ世界に発信していくべきでしょう。そのためにも、広島・長崎を振り返ります。

1945年8月6日に広島、同年8月9日に長崎と二回にわたって投下されたのです。広島には核物質ウラン235による通称「リトルボーイ」が使用され、その核出力はTNT換算 16キロトン(±2キロトン)としています。この爆発によって4.5平方キロ圏内の温度は摂氏4000度を超え、「昭和20年(1945年)12月末までに約14万人(±1万人)が亡くなられた」との推計を広島市は発表しています。

また長崎には、核物質プロトニウム239による通称「ファットマン」が使用され、その核出力はTNT換算 21キロトン(±2キロトン)としています。そしてこの爆発によって7.7平方キロの面積が破壊され、市街地の約40%が廃墟となり、「死者7万3884人・重軽傷者7万4909人(長崎市原爆資料保存委員会による1950年年7月発表の報告から)」に及んだとしています。 核出力は広島の「リトルボーイ」よりも大きい「ファットマン」でしたが、平地の少ない山がちな長崎の地形が破壊の範囲を限定したとされています。

さらに言えば、核爆弾による被害となると日本だけではありません。前述にもあるように実験によって米自国のニューメキシコ州も、1949年にはロシアによってカザフスタン・セミパラチンスクや北極海も、1952年にはイギリスによってインド洋東部・モンテベロ諸島太平洋も、さらに1960年にはフランスによって当時フランス領であったアルジェリアや南太平洋仏領のタヒチ・ポリネシア島も、そして中国によって1964年ウイグル自治区で核実験を実施してきたのです。

こうした核実験の背後で、国家によって隠された被爆者がどれだけ存在しているでしょうか…。前述のビキニ環礁での「キャッスル作戦」の中で、最初に行われた1954年3月1日の「ブラボー実験」は事前予告なく行わたことにより、当時アメリカ軍占領下にあった日本の委託統治領で日本の漁場でもあったこの海域…爆心地から約160km沖合でマグロ漁をしていた日本の漁船「第五福竜丸」が、不幸にして放射能の死の灰を浴びてしまうという事件も起こりました。米軍はこの水素爆弾の威力を、「広島の『リトルボーイ』の約1000倍であった」と報告しています。

そして、「第五福竜丸」の乗組員23名のうち全員が被爆。その半年後の9月に久保山無線長が亡くなり、日本人医師団は死因を「放射能症」と発表しました。ですが、米公文書には、久保山無線長の直接の死因は放射線ではないとの見解を出しています。また、「第五福竜丸」は救難信号 (SOS) を発することなく、ほかの数百隻の漁船同様に自力で焼津漁港に帰港しています。これには船員が、「実験海域での被爆の事実を隠蔽(いんぺい)しようとする米軍に撃沈されることを恐れていたためである」とも言われています。

核兵器の現状
china workers and technicians at the lop nur nuclear weapons test base, xinjiang
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1964年10月16日、中国初の核爆弾の爆発成功を祝う、新疆ウイグル自治区ロプノール核実験場の作業員と技術者ら。

広島、そして長崎では今なお多くの被爆者がその被害による後遺症に苦しんでいます。あれから78年の月日が流れようとしていますが、2023年3月時点で「全世界には、約1万2500発の核兵器がある」とされています。アメリカは5244発の核兵器を保有し、そのうち1770発が作戦配備されています。残りは作戦外貯蔵、備蓄、補修中または退役待ちとのこと。

現在有効なアメリカの核兵器は全て水素爆弾で、そのほとんどが核出力100~340キロトンのものとしています。メガトン級なのは、ステルス爆撃機B-2「スピリット」に搭載される1.2メガトン(1200キロトン)の自由落下式爆弾「B83」のみで、現在ではこれがアメリカで最も強力な核爆弾とされています。

世界的に見て、核兵器の威力は通常、その国の核技術の発達度に依拠しています。2006年に北朝鮮が行った同国初の核実験における規模は、「最大10キロトンである」と考えられています。また1964年に最初の核実験を行った中国は、大陸間弾道ミサイル(ICBM)「DF-5」に5メガトンの核弾頭を配備しています。

世界それぞれの地域で核兵器が使われた場合の影響を知るには、アメリカのスティーブンス工科大のアレックス・ウェラースタイン教授が作成した「NUKEMAP(核兵器地図)」で、シミュレーションをしてみてください。このサイトでは、「アメリカのワシントンD.C.に広島型と同じ威力の原爆」、「アメリカのサンディエゴに中国のICBM弾頭」、「韓国ソウルに北朝鮮の爆弾」など、さまざまなシナリオで核兵器の仮想「投下」をすることができます。

エスクァイア日本版編集長より】

アメリカの心理学者であり、「人間性心理学」の生みの親として有名なアブラハム・マズローは以下の名言を残しています。

「過去を悔やみ、未来を案じるのも結構だが、行動できるのは今だけだ」

東京生まれではありますが、広島出身の政治家である祖父、父の地盤を生かし、同じ旧広島1区から1993年に初当選して現在に至る現首相は、公式サイト上でこう明言しています。

「世界で唯一の戦争被爆国である日本はこれまでもこれからも平和国家として歩みます。私はその歴史を受け継ぎ、希望ある未来を目指し国民が何を望むのか現実を見据え勇気をもって決断する政治を実現していきます」

そして8月6日、被爆78年の「原爆の日」を迎えた広島にて、原爆投下時刻の午前8時15分に合わせて開かれた平和記念式典には、原爆で亡くなった人たちの遺族とともに岸田文雄首相らも参列していました。

これはxの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。

そこで、「…既に始まっている国際賢人会議の議論も踏まえながら、『核兵器のない世界』の実現に向け、引き続き積極的に取り組んでまいります。また、被爆者の方々の平和への思いを次の世代へとしっかりとつないでいくための取り組みについては、今後とも『ユース非核リーダー基金』のプログラムなども通じ、積極的に行ってまいります」との力強い言葉を発していました。

ぜひとも一族は広島県出身である現首相の、「核のない世界」への行動に注目しましょう。行動できるのは今だけですから…と、自分にも言い聞かす。

source / POPULAR MECHANICS
Translation / Keiko Tanaka
Edit / Satomi Tanioka
※この翻訳は抄訳です