2022年8月5日(金)に三宅 一生さんが84歳でがんのため逝去、続いて11日(日)には森英恵さんが老衰のため96歳で逝去されました。2020年には7月に山本寛斎さん、10月には高田賢三さんが相次いでこの世を去っています。こうして日本が誇る国際的ファッションデザイナーの悲報が、立て続けに世界を走り抜けました…。

今回このタイミングで、連載「未来に残したい光のアーティスト by 高橋福生」では世界的なファッションデザイナーであるでコシノミチコさんをご紹介しようと準備していました。そこで取材後、改めて先輩でもある三宅一生さん、森英恵さんへの追悼文を寄せていただきました。

「三宅一生さんも、森英恵さんも、ファッションデザイナーとして世界を舞台に大活躍し、立派な功績を残されてきた尊敬すべき先輩方です。同じファッションデザイナーとして、また、世界に挑戦する日本人として、多大の勇気と希望をいただきました。長い間ファッションデザイナーとして第一線で活躍し続け、一生涯現役でいらっしゃったことは、私に大きな力を与えてくださりました。そして、日本人としての誇りを私たちに与え続けてくださったことに、心の底から感謝申しあげます」


コシノミチコさんは、ミチコロンドン(MICHIKO LONDON)で一世を風靡しました。それらは斬新な空気を入れた服だったりと、人のど肝を抜くものも。もともとお家が洋裁店で、子どもの頃からそういった環境にあったためでしょう、「この道しか考えられなかった」と言います。

大阪の岸和田出身であり、若い頃には東京に出るよりも、真っしぐらにロンドンへとひとりで旅立ったという信念の力強さは驚異的と言えるでしょう...。そんなミチコさんに三姉妹のこと、そしてロンドンでのこと、さらにはヒットさせるための秘訣など、私、写真家 高橋福生がお話をおうかがいしました。

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高橋福生(以下、高橋):今日はありがとうございました。「おかげさまで素晴らしい作品が撮影することができた」と、達成感でいっぱいです。今日披露していただいたポーズや表情はレンズ越しに観ていても、キレッキレッで効果音が聞こえるぐらい僕をワクワクさせたくれましたが、何か(演技やダンスなどのトレーニングなど)やっておられたのですか?

コシノミチコ(以下、ミチコ):
「何もしていませんよ...。ただ、ずっと日本舞踊やっていたの。子どもの頃、お母ちゃんに横にいてワイワイうるさいからって、日本舞踊を習わされていたの…。その後は、テニスもやりましたね、二十歳まで。テニスでは、全国大会の学生チャンピオンにもなりました。『優勝したから、もういいや。次のことをやろう!』ということになって、現在に至るって感じです。運動神経がね、飛び抜けてよかったの。何しても、いつも一番なのよ。かけっこも速くて、「雲梯(うんてい)」とかもサルみたいにピョーンと三つぐらい飛ばして渡っちゃうの…」

高橋:なるほど、だからですね。もう、どう動けばいいのか直観でわかっていらしゃるし、そこで頭に浮かんだ動きをそのまま身体もストレートに実践できるている感じが伝わってました…これで納得です。しかし。バリバリの大阪弁を発するときもありますね…、どちらの出身ですか?

ミチコ:バリバリ関西弁でええねん! 大阪の岸和田生まれやもん! 

高橋:
現在も何か運動をやっておられるのですか? 身体の動きがうらやましいほど元気そうで…。

ミチコ:
ジムでトレーナーをつけてやっていたけど、コロナになって、そこは換気が悪いので辞めました。だから、今は何もしていません。いつも仕事で身体を動かしているくらいですね。

高橋:それはいいですね。ところで、ご実家の洋装店の思い出などはありますか?

ミチコ:
子どもの頃から洋装店の仕事場で育ったから、洋服つくることは別にそんなに難しいと思ったことはありません。洋装店では車の運転をしていて、集金ばかりしていましたね。私しか運転できる人がいなかったので…。そうしているうちに、自然とデザインをするようになっていったという感じです。

その後、ロンドンの洋服づくりのアトリエに行ったの、就職するためにね。「あの子よりもっとできる、あれもこれもできる」って自分をアピールしたわ。そうして、「言ったことはやらないとあかん」と思って、がんばったというわけ…。ロンドンで食べていくために、始めたというわけ」 

高橋:そうしますと、基本的に独学ですか?

コシノミチコ スタッフ:お姉さんであるコシノヒロコさん、ジュンコさんのお二方は、文化服装学院で学びました。ですが、ミチコはほぼ独学です。

高橋 :アーティストの方など、アメリカでもうまくいかずに戻って来てしまう方多いですが...。

ミチコ:私は、「絶対戻らない!」って決めていたの。当時ロンドンでは、ウェアハウスパーティーが流行っていて、週4日朝4時まで。それに参加しないと、関係性が継続できなかったから、次々と回っていたの。今はもう、ロンドンとかファッションとかの時代じゃないものね…もちろん、コロナとかもあってのことだけど。80年代はほんと、恵まれた環境でした。ああいう経験は、もうできないんじゃないかなって思うわ。これからずっとね」

高橋:その後、ロンドンで自分のお店を開きますね。

ミチコ:お店を開いてうまくいってきたと思うと、2倍くらいに賃貸料が上げられるのがロンドンの特徴でね。契約更新したと同時に、ボーンって2倍3倍よ。もう、みんなで相談して辞めるしかないの。ニールストリートとかは、「鶴の一声で3倍上げる」って言われていたわ。周りのお店がそろって、契約を解消したのを覚えているわ。流行っいても、その場所を諦めるしかない…。だから人気となっている店でも、パッと場所を変えたりするんですよね。

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コシノミチコ,デザイナー,高橋福生,ポートレート,未来に残したい光のアーティスト
Tomio Takahashi
あの世界的なファッションデザイナー、空気を入れた服を自ら着てパフォーマンス。

高橋:日本じゃ考えられないですね。パリとかはどうなんですか?

ミチコ:
パリとかは、昔からの場所で続けている店がたくさんあるので、ロンドンだけみたいね。

高橋:そうしますと、今ロンドンでは何をやっているのですか?

ミチコ:最近、お寿司屋さんをはじめました。

ミチコスタツフ:
洋服つくるアトリエが2階にあって、その下でやっているんです。

ミチコ:場所的に、ブティック店をやるような場所じゃないんですよ。やや中心なんだけど、人に言われてつくったの。何かこの辺で、「米食べたい!」て言うので。それで自然にできた感じね。すごくデカイ建物よ」

高橋:ちなみにそのお寿司屋さんは、名前なんて言うのですか...。

ミチコ:「
ミチコスシノ/MICHIKO SUSHINO」

高橋:めちゃくちゃ笑えますね。

ミチコ:
ぜんぜん名前が出て来なくってね…「寿司〇〇」て。外観がレンガで、中が鉄でテーブルも鉄。私がみんなデザインしたの、すごく美味しいですよ。

高橋:ところであの話題となった、空気を入れた服(インフレータブルシリーズ)を考案して、その後ヒットに至るまでの経緯についてお聞かせください。

あの世界的なファッションデザイナー、空気を入れた服を自ら着てパフォーマンス。
Tomio Takahashi
インフレータブルキャットコート/空気を入れて膨らます服。ネコがモチーフになっており、シッポは取り外せる。

ミチコ:イギリスて冬は結構寒いの、それでナイロンとかフリースで、フカフカのコートをつくっていたのね。それがすごく好評で…でも、毎日毎日パッキングするのがすごく大変だった。一件で500枚から800枚の注文がくるのよ…。フカフカのコートのため荷詰(パッキング)は、3枚ぐらいで一杯になってしまう。朝8時から深夜2時まで毎日毎日やっていて、それが嫌で嫌でしょうがなかったの。服はシンプルでも、パッキングには手間がかかったのよ。そのときに思いついたのが、この空気を入れて膨らます服 (インフレータブルキャットコート)っていうわけ。空気が中綿の服なら、抜けばたくさん入るでしょ? これを83年頃考案して、つくり始めたの。しかも空気だから、タダ(笑)。ニューヨークのファッションショーのときにも、空気抜いてたくさん持っていったの。そして向こうで空気入れたわ。80年代、クラブにこれを着ていくと優先的に入れたのよ、実際。だから大勢が買いに来たってわけ。

高橋:基本的にこれは、雨具になるんですか?

ミチコ:もちろん、雨にもいいね。ロンドンて、天気悪いでしょ。それで寒いでしょ。だからこれに空気入れたら、外の空気を遮断するからすごく暖かいの。

高橋:エアーダウンジャケット(笑)ってわけですね。このジャケットのインフレータブルというのは、どういう意味なのですか?

ミチコ:「空気入れて大きく膨らます」という意味なの。リアルな世界とイメージの世界、そういうことも表しているわ。

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高橋:さて、そろそろ核心に迫りたいのですが…。ファッションデザイナーにとって、一番大切なものとはなんですか?

ミチコ:「次はコレ!」って思い浮かぶってことが、ものすごく大切なの。デザイナーって、何万人も世界でいるでしょ!? だって、ファッションスクール卒業する人だけでも、毎年毎年沢山いるわけだから…。「この世の中にどれだけいるの」って感じでしょ。

高橋:その「コレ」とは一体なんですか? もう少し、具体的に教えてもらえませんか?

ミチコ:
流行を発想するということ。次に当たるファッションが解ること。   

高橋:そうしますと、先が読めるということですね!

ミチコ:
「コレが出たら、次コレだろう」と、先が見えて読めるということね。

高橋:すごいですね。宝くじ買ったら結構当たるんではないですか(笑)。

ミチコスタツフ:みんな「いいですね!」と、共感できるようなことは当たらないのですが…ミチコさんが言うこと、「この人、大丈夫だろうか?」と思えるようなことが、ポーンて当たったりするんですよね。前にもそういうことがあって、世界中にパァーって広がっていったんです。

ミチコ:その中で、某ブランドメーカーにマネされたの…。「これ、ミチコのコピーじゃないか?」って、ネットでもバッーと上がって初めて解ったの。  

高橋:それ、ちなみに著作権侵害で訴えたりとか、しなかったのですか?

ミチコスタツフ: デザインには、基本的に服のデザインに関して著作権というものはないんですよ。

高橋:なるほど…。ところでインフレータブルシリーズには、どんどん新たなアイテムが加わってきているのですか?

ミチコ: 新しく変わって来ていますよ。肌の当たる部分を、肌触りの良い新しい生地なしたり、スウェーデンの会社とコラボしたりと…ね。

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Tomio Takahashi

高橋:まとめますと、そういう見通す力を持っているというのが大事なんですね。デザイナーの方でもうまくいっていない方、沢山いると思うんですよ。そういうことが成功の秘訣ですね...。

ミチコ:成功したとは思っていません。毎回毎回、ファッションショーでもそのときそのときで手一杯で、そういう次元で仕事はしていませんね。

高橋:お姉さんたちのお話も、差し支えなかったら聞かせてもらえますか? 皆さん成功いや、うまくいっているじゃないですか?

ミチコ: 家がもともと洋装店を営んでいたので、別に他の職業に就きたいと思ったことがなかっただけなので…。だから、やり続けているってだけとも言えるわね。

高橋:やり続けて、先が読めるということ…になりますかね?

ミチコ:ひとつ先を読んでも、ファッションって次々と変わりゆくものだから…。

高橋: それを読み続けていけるって、超能力者みたいな感じですね!?(皆爆笑)

ミチコスタッフ:「次は、こういう色だなぁ」っていうのが浮かんでくるんです。例えば今、皆がある色を着こなし出したらその色を見ているうちに、「次はこの色!」って浮かんでくるって感じね。

高橋:それは、透視能力じゃないですか…。

ミチコ: だいたいね、みんながある色を着こなし始めたら、次には大抵その反対の色が来る感じって言えるわね。

高橋:ちなみにお姉さんたちとは、そういうことをお話しすることはあるのですか?

ミチコ:絶対しないわね。ジャンルが違うし…。面白い生地があるからって話をしても、絶対に気は合わないの。「何か食べましょう?」というような内容の話じゃないと、気が合うこともないかもしれないわ。

高橋:つまり、お姉さんたちとはファッションに関する話はしないってことですね? 食べ物とかの話ばかりってことで。仮にファッションの話をしたら、喧嘩になちゃうって感じですかね?

ミチコ:それはね、ならないのよ。なぜなら、「話が合うわけない」ってわかっているから、そんな話をすることもないのよね。さっきも言ったように、生地屋さんなんかに一緒に行ったこともあって、そのときヒロコ姉ちゃんと一緒だったんだけど全く趣味が合わなくって…。だから、ヨーロッパですっごくいい生地屋さんを見つけても、紹介もしないの。

ミチコスタツフ:「お姉ちゃん好きそうだなぁー」と思っても、そこは紹介しないんですか?

ミチコ:うん、しないしない。(皆爆笑)

高橋:そこには、ライバル意識みたいなものがあるんですかね?

ミチコ:それはないわ! お姉ちゃんがライバルだなんて…。他にすごい人は一杯いますから(笑)。

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コシノミチコ

大阪府岸和田市出身。「MICHIKO LONDON KOSHINO」デザイナー。NHK朝の連続テレビ小説「カーネーション」のモデルとなった日本のファッション界の第一人者、コシノアヤコの三女。ヒロコとジュンコ、2人の姉もデザイナーでありコシノ三姉妹と称される。1973年からロンドンを拠点に活動。斬新なプロダクトを次々に生み出し、そのコレクションは’80年代ストリートカルチャーの象徴として、英国王立ヴィクトリア&アルバート博物館に納められている。日本人初の英国ファッション協会正式会員でもある。


MICHIKO LONDON KOSHINO

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写真家,カメラマン,高橋福生
Tomio Takahashi

写真・文/高橋福生(たかはし・とみお)

撮影スタジオ勤務中の23才のとき、カメラ誌に載ったグラビアが、報道写真界の草分け三木 淳氏に高く評価される。それが転期となり、写真家を志すためにフリーとなる。メーカ-フォトサロンをはじめ、数多くの写真展を開催。雑誌や広告などでも活躍中。「癒しの水の情景」「美しい光の情景」をテーマに、水と光の情景写真家として媒体などで作品を発表。テレビ朝日系『人生の楽園』に出演し、癒しの水風景「水園」の作品が紹介される。これらの「水園」シリーズは東京都写真美術館でも展示された。現在もライフワークとも言うべきプロジェクト、著名アーティストを光で演出した情景「未来に残したい光のアーティスト」を継続している注目のフォトグラファー。現在、高橋作品を使用した「癒しの水の情景」のデジウォールを「壁紙のトキワ」と、オリジナルプリント「WePhoto高橋福生 | 写真家別 | WePhoto | 日本を代表する写真家の作品(オリジナルプリント)販売」をそれぞれ販売中。撮影した写真集に華道家 假屋崎省吾の「メディカルフラワーセラピー」や、癒しの水風景「水園」による「空間演出プロジェクト」(草加市立病院)がある。

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