a white and red box with a label on it
Phaidon
ファイドン出版社の100周年記念のベスト1oo冊に選ばれた著書『WA』。

日本美術の価値を上げるためには、どうしたらいいのか? 欧州取材班はファッションウィーク期間中のミラノにて、スペシャリストにコンタクトを取りそのヒントを聞き出すことにしました。

インタビュー対象者は、『WA: The Essence of Japanese Design』(PHAIDON社※)など日本の美術・写真史研究の旗手として活躍するロッセッラ・メネガッツォ氏。そこでうかがったのは、日本の“アート”の価値を高めるために必要なこととは…。 

※邦訳は『WA デザインの源流と形相』(美術出版社刊)として出版。


ロッセッラ・メネガッツォ(Rossella Menegazzo)

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University of Milan

ミラノ大学 文化・環境遺産学部准教授。ヴェネチア・カ・フォスカリ大学で日本語および日本美術史、特に浮世絵を研究。写真史の理論家イタロ・ザニエル(Italo Zannier)の授業を受けたことをきっかけに、個人でも日本写真史の研究を開始する。卒論は幕末明治写真と浮世絵のテーマで書き、Ph.D.を取得。フリーチェ・ベアト(Felice Beato 1832-1909=イタリア人初日本を訪れた写真家)に関する著書を上梓する。イタリア国内・国外で様々な浮世絵、日本のグラフィック・デザインと写真についての展覧会のキュレーションを担当。2016年、イタリアで開催された土門 拳の写真展のキュレーションを担い、その後パリでも展開。およそ2万人の来客数を記録した。2018年4月と2022年10月にミラノ大学で、そして2023年10月、石橋財団によるサポートももと東京・国立新美術館にてシンポジウム「DESIGN + LIFE Interconnessioni(デザイン + ライフ インテルコネッシオーニ )」を開催し成功。イタリアの新聞に日本文化についての記事も執筆している。

japanese buddhist sculpture exhibition in rome 2016 scuderie del quirinale guiding the president of italian republic sergio mattarella with bunkacho curator mr oku
Courtesy Rossella Menegazzo / Photo by Yuki Seli
2016年ローマ・Scuderie del Quirinaleにて開催した日本の仏像展にて。セルジョ・マッタレッラ大統領(左から2番目)と。

美術の価値基準が「学歴」

―コンテンポラリー以前の日本美術の価格は、市場において安いと言われていますが。

ロッセッラ・メネガッツォ(以下メネガッツォ):北斎の「大波(富嶽三十六景 神奈川沖浪裏)」のような例外もありますが(笑)。280万ドル(約4億2000万円)とか? 高く売れましたね。もちろん他にもいろいろあります。

―日本の現代アートは現在、とても売れているようなのですが、その一方で質の高いものも低いものも一緒くたにされている状況もあるようです。そこで世界におけるジャパニーズ・アートの全体の価値、値段も質もともに上げるためには根本的にどうすればいいのか? 先生の意見をお聞きしたいと思います。まず最初の質問は、日本美術の価値はどういった点にあるのと感じていらっしゃいますか? 

メネガッツォ:ではまず、現代美術について話をしましょう。私の知っている限り、日本のコンテンポラリーアートを集めている人々の間では、有名なアーティストの作品を買うついでに、全く知られていない作家の作品も買うことがよくあります。なぜ彼らは「日本の美術」を(有名無名にかかわらず)買うのか? 彼らは日本のセンシビリティ(情緒性)にセンシビリティ(鋭い感覚)を持っている人たちだからだと思います。

例えば自然の見方、素材の使い方、自然の描き方、形と素材のバランス、余白の取り方…欧州にとっては興味深いものです。そこに一定のトラストをもっている。真剣にそれに向き合うと、コレクターは例え言葉で説明はできなかったとしても、特別なものを嗅ぎ取るわけです。デザインやファッションにも共通する特徴がありますが、美術についてもそういったものが一定量存在します。

katsushika hokusai
Sepia Times//Getty Images
"The Big Wave"こと大波(富嶽三十六景 神奈川沖浪裏)。※これは280万ドルで落札されたものとは別の版

―事象の捉え方が違うということですね。

メネガッツォ:そうですね。「何が違うのか」は深くは説明できなくても、違うということは感じられるわけです。

ヴァン・ゴッホらが、一枚の葉っぱなど小さいものに美を見出す点などは日本美術から影響を受けたような…19世紀の「ジャポニズム」と同じ影響を、ヨーロッパの人々は今でも受け続けているのだと思います。「ジャポニズム」は、別の形で続いているのです。文学、映画、ファッション、グラフィック、漫画、料理などにおいても魅力が尽きません。ただ現代美術には少し…。

―何か問題があるのでしょうか?

メネガッツォ:この間、東京現代 / Tokyo Gendaiを訪れましたが、少しうれしいと同時に、少しがっかりする点もありました。キュレーションされた作品たちが似ていたからです。どこを見ても、漫画っぽい、アニメーションっぽいものが多い。それはそれでいいことです。ただ、多くのギャラリストたちが「海外のマーケットに受ける」と考える「日本らしい」アイデアが、どれも似ていて、フラットすぎるのは問題だと感じました。もっと言えば少数派のアーティストや、知られていないけれど実力のある人にまで目が届いていない――。 

―多様性が少ないということですか?

メネガッツォ:大学学位をもっていないアーティストまで届いていません。日本のアートは、まず作家はどの大学を卒業したかを見られ、そこから作品をジャッジされることが当たり前になっています。でも、芸術はそういうものでしょうか? 「研究・勉強」と、「アートを仕事にすること」が同一視されています。事実、ヴァン・ゴッホのような芸術家が生まれるのに大学の学位は関係しませんでした。本来はどこで勉強したかは全く関係ないのです。私たちは何も情報がない状態で作品を観て、その芸術家に力があるかどうかゼロからジャッジできねばなりません。

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Courtesy Rossella Menegazzo / Photo by Yuki Seli
2017年フィレンツェ・Palazzo Corsiniで開かれた土門拳のエキシビションの様子。

―確かに、私たち編集者も芸術家のプロフィールには、まず大学名を入れてしまいがちです。そうでなければ不安だからです。トラストを学歴から得ようとしてしまいます。

メネガッツォ:それはアカデミー(※)です。アートはアカデミーから「ずれる」ものだと思います。

―最高のキノコを探しているのなら、高級スーパーへ行けば容易く見つけられるでしょう。ですが、それが毒キノコが生えているかもわからない有象無象の山の中で探すなら、安全かつ質の高いものを摘み取るのに経験と膨大な知識が必要となります。例えるならそういうことでしょうか。

メネガッツォ:私はプライベートで2年続けて日本のアートフェアに行きましたが、そこで感じたことは「何かしらの変革が必要だ」ということです。有名芸術大卒の芸術家ばかり取りあげていたら、全体的にスタイルが偏るのは当然です。もう少しインスティンクト(本能、衝動、直感など)が必要ですね。 

※ ここでは大学や研究所などの学術権威団体を指す

rossella menegazzo professor university milan standing in a grassy area with trees and a building in the background
Sang-Hun Lee

アートビジネス、韓国との比較

キノコの話で言えば、高級スーパーで売られているキノコでは選択肢が限られています。スーパーのバイヤーが、最高のキノコを確実に手に入れられるとも限りません。山の中で、膨大な選択肢の中から至高のキノコを見つけるほうがいい。その至高のキノコは、どのスーパーに選ばれたかで価値が変わるなどといったこともありません。その点、近年芸術面でも躍進を遂げる韓国のほうが独自に作品が選ばれ、アートも日本よりはるかに盛況を博している。アカデミックの考え方は韓国でも強いようですが、状況は日本と異なる様子。ポートレートを撮影したファッション・フォトグラファーのイ・サンホン氏も交え、さらに話は盛り上がります。

―何が違うのでしょうか? 日本人は独自の価値観・審美眼に自信がないのでしょうか?

メネガッツォ:外側からの意見や価値判断で、一度認められて価値を見出すのです。浮世絵もそうですよね。海外で盛り上がって、ジャポニズムが生まれ、買われるようになって、日本にその価値が逆輸入されました。その前はただのチラシ。

コンテンポラリー・アーティストも大概そう。海外で認められたという「ハンコ」があってはじめて、日本で活動ができる。みんな口をそろえてそう言っています。 

-そうなると、世界に認められるのは海外で発見された人たちであって、日本発信の人はいないという状況になりますね。

メネガッツォ:海外だったりアカデミーだったり一定のグループの判断があって、そのあとに個人の意見がある。個人的に意見を主張する社会ではないので、個人の判断に責任を求めることはできないのです。

ちょっとネガティブなことを言っているかもしれませんが、それはいいシステムでもあります。要は美術界もそのシステムの一部であり、それが引き起こす現象がアートにも現れているというだけです。ただ、価値を上げたいのならシステムを少し変える必要がありますね。日本自体が、日本のアートの世界的価値を独自に発見する力をもたなければ、どうして日本から新たな才能が生まれる土壌ができるでしょうか。

―では、日本美術独自の美点はどういったところから見いだせばいいのでしょう?

メネガッツォ:たくさんあります。古典美術で言えば、やはり欧州と比較した際、ずっと飾りっぱなしではないところ。掛け軸なら、とてもシンプルに、季節の絵があり、季節が変わるときにクルクルっと丸めて、別の絵を出す。とっても面白い。作品と人間の関係が、西洋美術と全く異なることです。距離感も、使い方も違う。

ここ(※取材はミラノ市立近代美術館隣のVilla Realeで行われた)のように欧州の古い建物に入ると、例えば絵画が1700年代からずっとそこに掛けてある。同じ壁、同じ場所、外すと作品の跡が残っているほど。簡単まとめれば、"portable"と"movable"の違い。重量からして異なります。

"vertical"と"horizontal"でも違う。神と自然の間に人間がいるキリスト教の「縦」の関係がわかると西洋美術がわかる。すると日本美術も、神道や四季を通じた「横」の関係性に気づき、より理解できるようになります。それが面白い。

ヨーロッパ美術とは何か…と、「異」なるものを見ること。つまり、外に行き比較することで、自分たちのもっているものの輪郭をとらえることができるわけです。当たり前のことですが。

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REDA&CO//Getty Images
ミラノ市立近代美術館内部

外に出てこそ見える自分たちの世界的な価値

―10月には東京で、「DESIGN+LIFE Interconnection」というシンポジウムも開催されるようですね。

メネガッツォ:今回は、デザインがテーマです。日本とイタリアの懸け橋になった人たちを紹介します。イタリアで車などプロダクトデザインをされた方たち、例えば蓮池槇郎さんや喜多俊之さんです。60年代イタリアにやって来て住み始め、イタリアのデザインに貢献した日本人になります。こういったクロッシングとフュージョンのすばらしさを紹介したいのです。

―現在各国が保守的・内向きになり、ますますinterconnection(交流・つながり合い)が少なくなってきているような気がします。

メネガッツォ:そうですね。周囲の人々が日本に行くと、同じことを言います。「鎖国をしているみたいだ」と。学生も海外に出たがらないようですね。

これは先ほどの「大学名でアーティストが選ばれる」に通じる、アカデミズムの問題でもあります。アカデミックになるということは、いったん(大学という枠に合わせ)自分で自分の「個」を殺すということです。そこで馴れてしまうと、外に出ていく勇気もなくなってしまいます。

―個性が均質化されるということですね。先ほどおっしゃっていたような世界的プロダクトデザイナーは、皆さん一度海外に出ている。韓国は活躍中の映画監督などもそうですが、芸術家は外に出て勉強してきましたよね。(フォトグラファーのイ・サンホン氏に)そう言えば、韓国のアートフェアはどういう状況ですか?

イ・サンホン(以下イ):9月のフリーズ・ソウル(Frieze Seoul=ロンドン発のアートフェア。2022年にソウルでもスタート)も盛り上がりました。同時にキアフ・ソウル(Kiaf Seoul)も開催され、アートウィークとファッションウィークが同じタイミングだったことも理由にあります。「プラダ」と「ボッテガ・ヴェネタ」と「シャネル」が同じ日にアートイベントを開き、その次の日はまた別のブランドがファッションとアートのイベントを開く。そんな感じです。アートは韓国でとても盛り上がっています。とりわけ一般の人が興味を持っていると思います。

メネガッツォ:私も行きたかったです。私の周囲の人たちはみんな行っていました。世界中からソウルに人が集まっていましたよね。

frieze seoul 2022
Chung Sung-Jun//Getty Images
2022年Frieze SeoulとKiafのオープニング。

イ:韓国は海外で受けた評価が国内の評価にリンクするのですが、今の日本はしばしばリンクしないことが不思議に思えます。それどころが真逆の場合もあります。

例えば、海外ではさまざまなギャラリーで展示をしているアーテ ィストが、日本では全くと言っていいほど知られていない。逆に海外で全く認知されていないのに、日本ではものすごい「偉大なアーティスト」扱いされているといった現象がありますよね。

モデルもそうです。ミラノやパリで活躍すると韓国国内でも評価され、仕事も増えます。でも、パリやミラノでいくらたくさんのランウェイを歩いても、日本では誰にも知られず仕事がない。

メネガッツォ:ええ。ギャップが大きいですね。

frieze seoul vip preview
Justin Shin/GA//Getty Images
Frieze Seoulのプレビューに、明らかにお忍びスタイルでやってきた俳優のチョン・ウソン。芸能界でもアートコレクターが目立ってきている。

海外の評価さえどうでもよくなった? ー 大切なのは自分で独自の価値を見つけ、推すこと

海外の評価がないと認めない時代があって、今度は海外の評価さえ興味をもたない傾向が加速している日本。一見、SNSで世界中から情報は流れている現象と矛盾している気も…。しかしそこには、「受け身の姿勢」があると考えると納得できます。

メネガッツォ:私にも、先ほどサンホンさんがおっしゃっていた件と似たような実体験がありました。友人の日本人写真芸術家がイタリアで活躍しはじめたとき、非常に評価されたので「もっと紹介したい」とヴェネチアでもローマでも展示会を開き、大学のワークショップなども開催しました。だけど、日本では一度も展示が実現したことはありません。話をもっていっても誰も興味がないのです。

―海外の評価すらどうでもよくなったら、どう海外に打って出ればいいのでしょう。

メネガッツォ:最初の話に戻りますが、作品ありきで見極める姿勢が必要でしょう。イタリアはどのギャラリストもまず作品から入る。作品が素晴らしければ、「一緒に仕事をしましょう」になります。「みんなが好きだから」でも「偉い人がいいと言っているから」といった受け身の姿勢でもなく、「自分はこの作品に何かを感じる」を理由に自分で評価を下し、作品を推す。それが価値を生み出すのだと思っています。

―それはメディアにいる者としては、耳が痛い話です。今は「これを、この人を出すべきだ」ではなく、「これは、この人は数字が取れるから」でコンテンツをつくる。もちろんその感覚なくしてプロにはなれませんが、価値基準が自分の外側にしかない人が「ふつう」になってしまいました。

メネガッツォ:そういった世界では、全てが「スタンダード」になっていきます。「ベスト」ではなく、みんなが「スタンダード」を選ぶようになる。まだ評価されていなものを受け入れないそういう世界でも、ある程度の「いいもの」は生まれるでしょう。ですが、その方法論には必ず終わりがある。なぜななら、「スタンダード」はいずれ疲弊し、衰退する運命にあるからです。

今のままだと(日本は)そこが最終地点です。何とかしようとしている人たちはたくさんいます。ですが政府も含め、自分たちの技術や独自性を自分たちから外に伝えることより、インバウンドを歓迎している。外に対しての姿勢全てが、パッシブ(受け身)なのです。 

「ベスト」ではなく、みんなが「スタンダード」を選ぶようになる。

イ:私は日本と韓国、両方のファッションを見ているのですが、「危機感」を感じるポイントが違うような気がしています。日本は「“今”これが売れるから、これを売らなければいけない」といった危機感ですが、韓国では「“今”売れているものをつくるのはダサいこと。そんなものを出してはいけない。今より、もっといいものを出さねば」と異なる危機感をもつのです。

メネガッツォ:実際ミラノサローネ(国際家具見本市)でも、工芸とデザインの間にある韓国のプロダクトがどんどん展示されるようになっています。なぜなら、毎年進化していくからです。とても面白い。最初は伝統的な工芸だけだったものが、毎年新しくデザイン化されたものが現れ、ますます積極的に展示されるようになっています。

机上で計画してから、安全だとわかったところまでは動く。「これだけ計画したのだからリスクがないはず」かと思いきや、移動したときには安全なエリアはもう他に移動している――そういうものです。そういった状況では、誰かが責任をもって石を投げなければいけない。リスクを負うかどうかですね。日本は今、リスクがないことを好みますね。

イ:いちばんセーフなことをすることが、いちばんリスキーだという考え方が韓国にはあると思います。今リスキーなことをアグレッシブにやり続けることが、長い目で見ればセーフだと考えられるかどうか。

メネガッツォ:それがビジネスですね。今の日本は少しビジネスが弱いですね。

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Mondadori Portfolio//Getty Images
2019年ミラノサローネでの韓国作品の展示。

―「変わらないことがいいことだ」と言う主張もありますが…。

メネガッツォ:座っている席のスペースを守り続ける限り、何かは得られません。

積極性も異なりますね。韓国の大使館や総領事館からは積極的に、「われわれはこういうことをやりたいので来てもらえませんか」と頻繁に連絡がくる。でも日本側には、こちらから「こういうことをやりたいです」と売り込んでも、あまり返事が来ません。そうなれば、もう結果は目に見えていますよね。

座っている席のスペースを守り続ける限り、何かは得られません。

―われわれにも耳が痛い話です。あらゆる分野で受け身…言い方はおかしいかもしれませんが、全ての仕事が「公務員的」になっていると言えるでしょうか。真摯な公務員に失礼ですが。

メネガッツォ:私も(国立の)大学職員ですので、公務員です(笑)。

でも、それはイタリアも同じで、30代くらいの比較的若いキュレーターと話しても、事務的な話ばかり。自分たちの想定内での利益、自分たちが手にできる権利…そればかりで…。

でも、私は公務員としてズレているので、いつも他の公務員にプレッシャーをかけています。「できない」と言われたら、「なんで? できるでしょう?」と圧力をかける(笑)。もちろん、そのためには自分の実力や努力も必要です。ですが、それをしなければみんなが自分の檻の中だけで仕事をして、全てがダメになってしまいます。

イ:日本では、夢を見ることができないからかな…って思います。

メネガッツォ:いいこと言った!

イ:多くの韓国人は、「自分はあのレベルまで行きたい!」という感覚をもっている。でも日本では、「あそこは私が行くところではないから」と別世界の出来事にしてしまう。そんな傾向が強いのかなと。

メネガッツォ:平和な世界でもありますね。

a group of people posing for a photo
Courtesy of Rossella Menegazzo

変革に必要なのは日本以外の世界と直接繋がること

―日本だから、日本のマーケットだから、日本の読者は…そこに落ち着きがちなことは確かです。

イ:韓国はとても小さなブランドでも、メガブランドに対して「負けたくない」という気概を持っています。やるからには勝ちたいし、お金がなくてもカッコいいものを出したいと思っています。

メネガッツォ:訊(き)いてもいいですか? 韓国の若者は、個人的な意見や主張が通る環境があるのですか? 跳躍できる機会があるのですか?

イ:韓国も景気は良くありません。でも、アグレッシブです。日本以上の学歴社会ですが、だからこそ平均的にアグレッシブに育てられるのです。それがいいか悪いかは別として、よりいい大学に行け、他の人たちに負けるなと育てられます。すると、自然と社会に出ても仕事でアグレッシブになる。カルチャーで言えば、例えば映画監督が世界的に評価されたら、ただ単に「韓国すごいね」ではなく、「もしかしたら自分もああなれるかも」「私がネクスト・ポン・ジュノになる」と目標にするのです。目標が高くなるので、「こんなダサいもの出せない」「もっとカッコいいものをださなければ」となります。

メネガッツォ:なるほど。自分の仕事の価値を、自分自身を超えて設定しているのですね。夢が持てます。

―偏差値ではなく、絶対評価を気にしているということでしょうか。そう考えると日本は偏差値でもなく内申点狙い…。クラスの担任の評価を気にしている…。しかも、5段階中4が取れればいいといったような…。

メネガッツォ:韓国はイタリアと同じように、ペニンシュラ(半島)ですからね。人間(多民族)が交差するところだから似ているのかもしれません。日本の場合は島だから、世界との関係性が全く異なる――教育的にも。島国だからこその強さもあります。

イ:でも、このままだと日本の独自性がただのレファレンスにされてしまう気がして哀しいです。

―参考資料として消費されてしまうということですね。新しいものを依頼したい存在ではなく、意見だけ聞いて、つくるのは自分たち。一緒に何かを生み出したいと思われていない…と。

メネガッツォ:それはプロジェクトを始めるときに、日本人だけで集うことも原因としてあるかなと。外国人と一緒に仕事をする機会が圧倒的に少ない。だからもう少し、世界とリンクして、世界とコミュニケーションをとり、世界からさまざまなものを取り入れるようになれば変わる気がします。実は1960年代、70年代はそうだったのです。日本のデザイナーたちは、個人的に海外につながりをもち、作品を海外の人たちと共同制作していた。自由に生み出していたのです。若いデザイナーたちがイタリアにもたくさんやって来ました。ですが彼らはその後、自由さを手放せず、日本には戻らなかった。必要なのは自由さです。

今は映像で、国境を超えて何でも見ることのできる時代です。海外で経験を得ることで、そこの特別なお金を賭けたくないのかもしれません。でも私は、若い人たちの情熱がほしい。パッションが欲しいです。例え今が大変な時期であっても。

a group of people sitting in front of a projector screen
Courtesy Rossella Menegazzo / Photo by Yuki Seli
「DESIGN + LIFE Interconnessioni」

Photo: Sang-Hun Lee
Interview, text & Edit: Keiichi Koyama(Esquire)