諏訪
Makoto Nakagawa (CUBISM)

ここに1冊の絵画集がある。

ページを埋め尽くす緻密な描写は、写真と見紛うほどに精細。あまりの再現性の高さゆえか、それとも生と死の狭間を行き交うような数多のイメージからか、精緻に描き出された美しい女性や老齢の男女たちからは、現実離れした印象すら感じさせます。

作者は諏訪 敦さん。日本の写実絵画界の第一人者と目される画家です。

写実絵画となれば、いかに描く対象に従順となり忠実に写し出すかがテーゼとなる。しかし、この分野のトップランナーでありながら、諏訪さんが取り組んできたのは「写実性からの脱却」。絵画を制作するうえでの認識の質を問い直し、その拡張に向けた取り組みを続けています。

「基本的に美術は視覚がつかさどり、絵画は特に視覚に偏重したメディアです。ですが、誰が観ても同じと思われているものは、果たして本当に同じでしょうか?」と諏訪さん。その象徴とも言えるのが、いま府中市美術館で開催されている展覧会のタイトル「眼窩裏(※がんかうら)の火事」にも関連する作品『目の中の火事』。

 
東屋蔵
『目の中の火事』2020年 白亜地パネルに油彩 27.3 × 45.5cm

18世紀につくられたワイングラスと、現代につくられたものとを描き分けたこの作品には白濁した閃光が描かれています。これは諏訪さんが長年悩まされてきた、閃輝暗点(せんきあんてん)の症状を絵画に取り込んで描いたもの。実際には存在しない光ながら、作者には確実に存在する現実がここにはあります。

「誰もが現実を、同じように見ているとは限りません。それを写実的に描くというのは結構無理が生じてくるんです。これは静物画ですが、例えばこれが不在の人間を描いた肖像画なら、どうすれば『見た』ことになるのでしょうか?」 

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Makoto Nakagawa (CUBISM)

作品の中には肖像画、それも今は亡き人の作品も少なくありません。制作のプロセスとしては丹念に描く対象を取材し、情報の断片を重層的に重ね合わせていく。視覚だけでは捉えきれない情報を求め、対象へアプローチを掛けていきます。膨大な量に及ぶ取材活動は、画家としては珍しい制作スタイルです。

「もちろん、長時間取材したから良い絵が描けるというわけではありません。ただ、それくらいしないと自分の制作を維持できなくなってきた。歪んだ責任感なのかもしれませんが」

 
作家蔵
『Mimesis』2022年 キャンバス、パネルに油彩 259.0×162.0cm
 
作家蔵
『大野一雄立像』 1999 / 2022年 綿布、パネルに油彩 145.5×112cm
 
佐藤美術館寄託
『father』1996年 パネルに油彩、テンペラ 122.6×200.0cm

歴史的に見ても画家は、そして画家以外の多くの芸術家も、作品の対象に対して綿密な取材を行ってきました。例えば明治時代の日本画家であれば、衣装やその模様に関する膨大な知識を蓄えていました。その営みを、写実であることを盾に放棄してはならない。個人の営為として、描かれる対象を簡単に扱ってしまってはならない。ため息が出るほどに膨大な調査を要する諏訪さんのスタイルからは、逆説的でありながらも写実絵画を守ろうとする矜持に満ちた男の姿が浮かび上がってきます。

「例えば、今は存命していない人を描くとき、どれくらい相手のことを知れば、『実際に視た』のと匹敵する情報を得られたと断言できるのか。そのバリエーションを提示することは、今回の展覧会の裏テーマでもあるかもしれません」と、諏訪さんは語ります。そして、「今回の展覧会では、取材過程までを含めた一つのパッケージとして作品をプロジェクトとして発表している」と言葉を継ぎます。

全3章からなる今回の展覧会の中で、満州で病死した祖母をはじめとする家族の歴史を描いた第1章『棄民』や、第3章『わたしたちはふたたびであう』でも描かれた舞踏家・大野一雄さんの作品群のプロジェクトは、まさにその代表例と言ってもよいでしょう。

表現にこめた存在は時間を超える

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Makoto Nakagawa (CUBISM)
シャツ3万8500円(ユーゲン/イデアス ︎ TEL. 03-6869-4279)、パンツ5万3900円〜(フミヤ ヒラノ ザ トラウザーズ/ノウン TEL.03-5464-0338)、シューズ6万4900円(へリュー/ユナイトナイン TEL.03-5464-9976)、ソックスはスタイリスト私物

緻密な取材と共に進む制作スタイルは、ある種の確信めいた感覚を諏訪さんにもたらしたということ。それは「描き続ける限り、その人が立ち去ることはない」という時間軸を超越した思い。

「展示作品の中に大野一雄さんの立像がありますが、あれを描き始めたのは1999年です。その後も取材や制作を続け、大野さんがお亡くなりになった後も自分の認識が育てば加筆しています」

実は今回も、「展覧会への出展に向けて加筆した」と言います。それは、久しぶりに対面した作品が自分の中にあったイメージと大きくかけ離れていたから。「いま2022年だから、23年間も描き続けていることになってしまいますね」と古い知人との再会を懐かしむように諏訪さんは微笑みます。

この日、写真撮影中の諏訪さんにはメガネを外してもらった。こちらを射貫くような鋭い眼光はいつまでも和らぐことはなく、ミステリアスな存在感がよりいっそう際立ちました。

撮影後の取材に向けて私が手にしていた作品集(冒頭で触れたものだ)のタイトルは『どうせなにもみえない』。写実絵画のために戦う画家が託したタイトルには、ほんの少しだけの諦念(ていねん)と、あふれんばかりの新たなる希望が満ちていました。取材を終えたいま、優しい表情でたたずむ諏訪さんの姿が浮かびます。


諏訪敦「眼窩裏の火事」
SUWA Atsushi Fire in the Medial Orbito-Frontal Cortex

 
個人蔵
『依代』2016-17年 紙、パネルにミクストメディア 86.1×195.8cm
第1章 棄民

死を悟った父が残した手記を手がかりに、幾人もの協力者を得ながら現地取材にのぞみ、諏訪はかつて明かされてこなかった家族の歴史を知り、絵画化していきます。敗戦直後、旧満州の日本人難民収容所で母と弟を失った少年時代の父が見たものとは。

第2章 静物画について

コロナ禍の最中、諏訪は猿山修と森岡督行の3人で「藝術探検隊(仮)」というユニットを結成し、『芸術新潮』(2020年6月~8月号)誌上で静物画をテーマにした集中連載に取り組みました。静物画にまつわる歴史を遡行(そこう)し、制作された作品の数々。そこには、写実絵画の歴史を俯瞰した考察が込められています。

第3章 わたしたちはふたたびであう

人間を描くとは如何なることか? 絵画にできることは何か? 途切れることのない肖像画の依頼、着手を待つ制作途中の作品たち。ときには像主を死によって失うなど、忘れがたい人たちとの協働を繰り返してきた諏訪がたどり着いたのは、「描き続ける限り、その人が立ち去ることはない」という確信にも似た感覚でした。

1999年から描き続けていた舞踏家・大野一雄は、2010年に亡くなってしまいます。しかし諏訪はさらに、気鋭のパフォーマー・川口隆夫の協力を得て亡き舞踏家の召喚を試み、異なる時間軸を生きた対象を写し描くことの意味を再検討しています。

【※府中市美術館 作品展公式ページより抜粋】

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Makoto Nakagawa (CUBISM)

■PROFILE
諏訪 敦(すわあつし)/1967年、北海道出身。武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業。同大学大学院修士課程修了。1994年、文化庁芸術家派遣在外研修員に推挙、2年間スペインで活動。2000年『大野一雄・慶人』(日本橋三越本店)を開催。主な個展に、2008年『複眼リアリスト』(佐藤美術館)、2011年『一蓮托生』(成山画廊)など。2011年『諏訪敦絵画作品展 ~どうせなにもみえない~』(諏訪市美術館)を開催し、2冊目の作品集『どうせなにもみえない』を刊行。NHK日曜美術館「記憶に辿りつく絵画~亡き人を描く画家~」への出演などもある。今回、公立美術館では11年ぶりの展覧会となる『諏訪敦「眼窩裏の火事」』を東京・府中市美術館で開催。


諏訪敦「眼窩裏の火事」
SUWA Atsushi Fire in the Medial Orbito-Frontal Cortex

 
NEW COLOR Tokyo

会期/~2023年2月26日(日)
会場/府中市美術館
住所/東京都府中市浅間町1-3
電話番号/050-5541-8600
開館時間/10:00〜17:00 ※展示室入場は16:30まで 
休館日/毎週月曜日(1月9日は開館)、12月29日~1月3日、1月10日
料金/一般 700円、高校・大学生 350円、小・中学生150円
公式サイト

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成山画廊
『Sphinx』

成山画廊では、2023年1月13日~2月18日に諏訪さんの個展「Sphinx」が開催されます。こちらもあわせてチェックしてみては。

成山画廊
住所/東京都千代田区九段南2-2-8 松岡九段ビル205
開廊時間/13:00~19:00(毎週水曜日、日曜日、祝日は休み)
公式サイト


Model / Atsushi Suwa
Photo / Makoto Nakagawa(CUBISM)
Styling / Kazumi Horiguchi
Hair & Make-up / KENSHIN
Edit / Ryutaro Hayashi(Hearst Digital Japan)