ウクライナワインの現状

伝統的にウクライナ人が飲むのは甘いワインで、たくさん飲んで酔えるように食事とは別に飲みます。食事の際に飲むのは、食欲増進と消化に良いとされるウォッカです。キーウやリビウの店で、バローロやブルゴーニュワインの横でウクライナ産ワインが1、2種類しか売られていない理由を尋ねたところ、店主たちは肩をすくめて「ウクライナのワインはあまり美味しくないからね」と答えました。

確かに以前はそうでした。ですが、ここ10年でブティック・ワイナリーが急増して地域を挙げた自然派ワイン(化学薬品を一切使わず、最小限しか手を加えていないワイン)醸造の動きが高まったことで、以前よりも高品質で思い切りのよい冒険的なウクライナワインが増えました。

2019年、オデーサ、ミコライウ、ヘルソン州の10カ所のワイナリーによって黒海ワイン醸造者協会(the Association of Black Sea Wine Craft Producers)が結成されました。この地域のワイナリーは、「フィナンシャル・タイムズ』」紙や専門誌『ワイン・エンスージアスト』で紹介されました。さらにミコライウ地方のベイクシュ・ワイナリーは、権威ある「デキャンター・ワールド・ワイン・アワード」で金賞を受賞したのです。

しかし、2014年のロシアによるクリミア併合によってウクライナのワイン生産量は半減し、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻で多くのワイナリーが破壊されたり、大きな被害を受けたりしました。その中には、ドニプロの名高いプリンス・トルベツコイ・ワイナリー、ヘルソンのクリン・ワイナリー、アートワイナリーのバフムト工場などが含まれています。かつて評判の高いスパークリングワインを1900万本も生産していたその工場は、今や廃墟と化しています。ワイン醸造家やソムリエたちも戦いに参加して戦死したり、敵の前線から遠く離れた場所でも飛んできたミサイルの犠牲になったりしました。

クレーター
Global Images Ukraine//Getty Images
ロシア軍のミサイルによって破壊された、ケルソンの人道支援センター近くにできた砲弾クレーター。

戦争が続いても
住む場所や仕事は
変えない

すぐにゲオルギーさんと私は車に戻り、サギやムシクイ、白サギが飛び交う緑豊かな湿地帯を北上しました。途中に通り過ぎた軍検問所の跡地には、土嚢やぼろぼろになったタープが残されていました。この検問所は戦争が始まったときに、ロシア軍特殊部隊の侵入を防ぐために設置されたものですが、前線の移動に伴い、この検問所にいた部隊も東に移動したのです。

私たちはパブロさんが飼っている羊の中から、食肉ように処理した1匹を車に積み込みました。ビニールシートを敷いた後部座席に乗せ、でこぼこ道をがたがたと揺られながら運んでいきます。

ゲオルギーさんは、「この羊はこの草原地帯(ステップ)の伝統的な品種です。放牧され草を食べて生涯を過ごすので、味の違いは明らかです」と語ります。地元の人々は串焼き、4等分してオーブンで焼く、炭火で焼く、ハーブと一緒に煮込むなど、さまざまな調理法で食べますが、例えどのような調理法であっても、この立派な羊肉はパブロさんのためのパーティー料理の中心メニューになるでしょう。

1時間後、私たちはブーフ川のほとりのゲオルギーさんのブドウ畑に到着しました。シャルドネ、カベルネ、オデーサ・ブラック、サペラヴィもあります。サペラヴィはジョージアで特に有名な土着品種ですが、暖かい日差しと粘土質の多い土壌に恵まれたウクライナの黒海沿岸地域でも育ちます。

シャルドネ
Charles O'Rear//Getty Images

ゲオルギーさんの父親、ミハイロさんはここでブドウの栽培をしています。二人は以前フルーツビジネスを営んでいましたが、2018年にワイン造りへの挑戦を決意しました。それ以来、スリヴィノ・ヴィレッジ・ワイナリー(Slivino Village Winery)は年間約3000本の自然派ワインを生産するまでの規模のワイナリーに成長し、今後も拡大が予定されています。

ゲオルギーさん同様、ミハイロさんも根っからユーモアのセンスがある人で仕事に対する愛情にあふれています。このとき彼は剪定(せんてい=混み入っている葉を取り除き、残った葉が数センチ間隔で均等になるようにする作業)をしていました。(夏期に)剪定することにより、成長する実に栄養がしっかりと凝縮されるのです。

遠くで「バババババ」と不吉な低音がしました。どうやら、川の向こうから聞こえてくるようです。戦闘用ヘリが南下し、そして東へ旋回しました。ウクライナの空域は戦争中で閉鎖されています。そのため航空機の音が聞こえたり、その姿を見えたりした場合、それが意味するところはただ一つです。

ミハイロさんはそっと葉を刈り取り、摘心(芽の先端を摘み取る作業)し、葉を触って確かめながら「ヘリコプターがどんどん前線へと向かっています」と言い、「ヘルソン近郊の友人によれば、ウクライナ軍の大砲は開戦当初のようにひっきりなしに使われているそうです。間もなくクリミアを奪還できることでしょう」とコメントしました。

ゲオルギーさんは私に、2022年の春のことを話してくれました。彼の家族はロシア軍による砲撃の中、毎日ブドウの手入れをしていたそうです。そんな中ある日、旧ソ連製ロケット砲「グラート」がブドウ畑に着弾しましたが、土に刺さったまま不発弾になってしまいました。地雷除去チームが撤去にやって来るまで、彼らはその不発弾の周りで慎重に栽培作業を続けました。ロケットは土の中深くに埋まってしまい、撤去したのは弾頭だけだったそうです。

「私たちは昨年、ここを訪れた外国人記者にそれを見せました。彼女がいる間も、ロシア軍がさらにロケット砲を発射している音が聞こえていました。その記者は怖がっていて、もちろん、すぐに帰りたがっていましたよ」

ゲオルギーさんがあまりに普通にそう話すので、私は思わず「あなたは怖くなかったのですか?」と尋ねました。

すると、彼はもちろん怖かったですよ。でも、ここは私たちの土地であり、私たちの家です。これは私たちの仕事です。ロシア人の侵攻も一時的なものになるでしょう。私たちは永遠にここの主なのです」と答えたのです。

ゲオルギーさんの
ワイナリーへ

スリヴィノ・ヴィレッジ・ワイナリーはブドウ畑から車で5分ほどのところにあり、かつては旧ソ連の小さな農業供給拠点だった場所で、ゲオルギーさんの母親が経営するミネラルウォーター会社とスペースを共有しています。スリヴィノ・ヴィレッジ・ワイナリーの敷地内のぼろぼろになったコンクリート造りの小屋、咲き乱れる野生の草花、鯉が泳ぐ池、錆びついたトラクター、花をつけている果物の木、そしてぼうぼうに伸びた芝生は、どことなく私が育ったニューヨーク州西部の奥地にある農場に似ています。

作業用バンを停め、私とゲオルギーさんは羊一頭を地下の厨房まで運びました。これは重く、滑りやすい作業でした。羊の脚は脂肪分でぬるぬるしており、どんなにしっかりと握ろうとしても滑ってしまうのです。私たちはやっとのことで急な階段を下り、羊を厨房の隅に運びました。私たちは息を切らし、顔は赤くなっていました。

スヴィトラーナさんが率いる調理チームが昼食の支度をしている間、ゲオルギーさんはスリヴィノのセラーを見せてくれました。タンク、除梗破砕機、オーク樽など、彼らのワイン造りの設備は全て車1台分のガレージに収まっています。

彼は私に、この天然酵母ワインをいくつか試飲させてくれました。辛口のルカツィテリ(ジョージアのブドウ品種)、リースリング、ピノ・ノワール、マスカットのペットナット(発酵段階の途中で瓶詰めを行い、残った糖分のみで瓶内発酵させる微発砲ワイン)、そして色の濃い土着種のオデーサ・ブラック。オルヴィオ・ヌーヴォの素晴らしい野性味あふれるワインとは対照的に、スリヴィノのワインはどれも調和がとれていて、ファインダイニング向けです。

グラスを片手に外へ出ると、彼はコンクリート造りのAフレーム(三角)のホールと納屋のようなホールに私を案内してくれました。納屋型のほうは近く、新しいワイン協同組合の本部になる予定です。この組合は周辺のブティック・ワイナリーが資金を拠出し、生産拡大を目指すためにつくられました。三角型のほうは1階が正式な試飲ルーム、2階がゲストルームになるそうです。

2階では、もうすぐ完成するマスターゲストルームを見せてもらいました。まだ漆喰(しっくい)の粉が落ち、レンガも未加工ですが暖炉とネコ足のバスタブはもう備えつけられていました。床から天井まである大きな窓からは、スリヴィノ村の家々の趣のある屋根が見渡せます。近くのミコライウでは、今でもある程度定期的にロシアのミサイル攻撃がありますが、ゲオルギーさんと彼の父親は「もうすぐ週末には、ワイン観光客がやってくるようになる」と話しています。

クリームチーズのクレープ、地元の大麦入りソーセージ、ヤギのチーズ、そしてテルティ・クルックの昼食を取った後、翌日のパーティーの準備を開始しました。テルティ・クルックはプレ・フィロキセラ(19世紀に多くのブドウを枯らした「フィロキセラ」という害虫の被害を免れた木)のウクライナ土着の白ブドウ種で、非常に力強い白ワインです。スヴィトラーナさんは、周囲の野原から花を摘んで花束をつくるチームを指揮。ミハイロさんは、照明やバンドの機材に電力を供給する発電機と電気設備の状態をチェックします。

料理を振る舞うミハイロさん
Nicholas Reiff
パーティーでは、ゲオルギーさんの父ミハイロさんが、有名な「プロフ」(バターで炒めた米と脂身の多い羊肉をニンジンとカラントで甘く味つけした炊き込みご飯のようなもの)を振る舞います。

ゲオルギーさんが、白髪交じりの作業員を呼び止めました。彼はかつて伝説的な美貌を誇ったことから、「ブラッド・ピット」というニックネームで呼ばれています。ゲオルギーさんは彼に芝を刈り、鯉の池を掃除し、屋外ライトを取りつけて、特別な夜にふさわしい幻想的な場所に変身させるよう頼みました。

この“ブラッド・ピット”氏は自他ともに認める魅力的な目元で、芝生を凝視し、汗で汚れた帽子のつばをぐっと引っ張って、やれやれといった様子で頷くと「うまくやるよ」と言いました。

その夜、午前1時30分頃に私はホテルの部屋で空襲警報のサイレンと、その後、窓を揺らすほどの「バーン」という音で目を覚ましました。街のどこかがミサイルを被弾したと思われます。消防車のサイレンがけたたましく鳴り、その後、不気味な静寂が訪れました。私はとっさに靴を履いてホテルの空襲用シェルターに移動しようかとも思いましたが、その場所もわかりません。

仕方なく私は布団をかぶり、また眠ることにしました…。

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Translation / Keiko Tanaka
Edit / Satomi Tanioka
※この翻訳は抄訳です