pedro pascal
NORMAN JEAN ROY

長い下積み時代を経て急激な大ブレイクを果たし、最近ではあらゆるところで目にするようになった俳優、ペドロ・パスカル。彼がメインキャストを務める大ヒット作、HBO『THE LAST OF US』、そしてDisney+『マンダロリアン』がダブルで配信され、世界中から絶賛の声を多く受け、ますます有名になっています。そんな彼に週末のニューヨークで、話を聞きました。ブレイクに至るまでのこと、出演中のドラマについて、そして、これからのことについて――。

「君のこと、コロすよ?」

私に向かってこう言うペドロ・パスカルは表情こそ笑っていましたが、あながち冗談というわけでもないようです。

私たちはグリニッジ・ヴィレッジのマクドゥーガル・ストリートにある、席数20ほどの小さな店「東京レコードバー」でテーブルを挟んで向かい合わせに座っています。数日前、私はニューヨークの情報に詳しい人々に「ペドロ・パスカルを連れて行くには、どのレコードバーが良いですか?」と訊きまくりました。みんなが口をそろえて答えたのが、「東京レコードバー!」だったのです。私がイメージしていたのは、人目を気にせずゆっくり話ができて、選んだレコードを何枚かかけられて、テキーラでもちょっと飲んだりできるようなリラックスしたラウンジスペースでした。パスカルのほうも、そういうところだと思っていたはずです。別にそれは偶然でもなんでもなく、私がそう彼に説明していたからです。

ですが、当日「東京レコードバー」を訪れると、想像していたのとは全然違いました。そこは全7品の立派なコース料理と、すごくおしゃれな地下空間、日本酒と料理のペアリングを楽しめる場所でした。ところで時刻は夕方6時半、実はパスカルは「やたら偉そう…あ、これは書かないでね」と説明する妹のルクスと、8時にディナーの予定があるのだと言います。時間は刻々と過ぎており、いま私たちは、特殊な状況に追い込まれている感覚です。それは、世界で最もグルーヴィーな人質事件のような。

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ベスト、ジーンズ/2点共Double RL、ブレスレット、リング/ 2点共Title of Work、ゴールドリング/Britt Bolton

とは言え、これはこれでいい体験であり、私たちはそれを楽しむつもりでいます。マイケル・ジャクソンの『今夜はドント・ストップ(Don't Stop 'til You Get Enough)』のレゲエ・カバーがターンテーブルで回り、私たちは思わず歌い出してしまいます。が、私たちは、この場にいる客の中で、軽く最年長であることに気づきました。「30歳以上の人はいそう?」と、彼がかすかな手振りで部屋のほうを示しながら質問してきたので、私は「たぶんいると思いますが、40歳以上の人がいないのは確実ですね」と答えます。日本酒が運ばれてきました。

そしてお互いの酒器を満たし、乾杯をしました。彼の人懐こい瞳が輝き、何かを話そうと身を乗り出します。そのタイミングで、突然、曲が途中で止まりました。店の中央から「オーーラァーーーーィ!」と(MCを務めている)女性店主が叫びます。

「みんなァ、調子はどうだーーーーーい!?」

思わず、パスカルと目を合わせます。彼女が場のルールを説明していくにつれて、その目はさらに大きく見開かれていきます。曲のリクエストの方法や、予約時に伝えそこねたアレルギーへの対応…それから、この店でいちばん大事なルールはとにかく「楽しむ!」であること。まるで、即興コントの講師のようなテンションの高さでの説明です。これはかなり面倒なことになりそうです。

「さっきのは冗談で、僕は君をコロすつもりなんかない、と言おうとしていたんだ」とパスカルは言います。店主が前説の言葉を終えて、レゲエ・マイケルが再び流れ出します。私がうなずくと、彼もうなずきました。一拍置いて、彼はこう言いました。

「でも、やっぱりコロすよ?」

誰もペドロ・パスカルに、キルされたいとは思わないでしょう。この数年間、彼は何役もの冷酷な殺人者を演じていて、しかも、そのどれもがとても真に迫った演技でした。とは言え、それがコロされたくない理由ではありません。そうではなくて、単純に、私たちは(きっとひとり残らず)生きながらえて毎日毎日もっとたくさんのペドロ・パスカルを目にしたいと望んでいるからです。

こう言えるのは現在、有料動画配信サービスに登録している人の99%が、いくら観ても観足りないほど彼に夢中だからです。人は彼に自分のヒーローか、あるいはファッションミューズ、友だち、または「お父さんになってほしい」と思うかもしれません。彼はセックスシンボルでもあり、かつ、本格派の俳優でもあります。気さくなのに謎めいていて、抱きしめたくなるほど愛らしいのに、どこか危険な雰囲気も漂わせている。ひとつの身体に全てを兼ね備えた人物、唯一無二の存在です。

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パスカルがいま「最高潮」を迎えているという形容は、十分なものではありません。彼が経験しているのはカルチャーシーン全体に及ぶ反響であり、こういう時期というのは極めて稀なもので、キャリアの大きな転換期なのです。20代、30代のほとんどを、俳優としてもがき続ける生活を送っていたパスカルの知名度は、48歳にして急上昇しました。

彼の顔はここ何年もかけて、多くの人の目に馴染みのものになりました。例えば、『ゲーム・オブ・スローンズ』(シーズン4に出演、2014)の数エピソードに登場した、最終的に頭蓋骨破砕死を迎えることで印象的なキャラクター、オベリン・マーテルがあります。また、Netflixで配信された名作ドラマと名高い初期の『ナルコス』で数シーズンにわたって、情け容赦のない麻薬取締局の捜査官を演じていました(2015-2017)。ですが、彼の人生が変わったのは、(これ以外の)2つの大ヒットシリーズによってでした。2022年から2023年にかけての冬、HBOの大ヒット作品『THE LAST OF US』のシーズン1で、終末的な世界の生き残りであるジョエルというアンチヒーロー役を演じて視聴者を魅了したのです。そしてまた、Disney+の『マンダロリアン』の最新第3シーズンで、タイトルにもなっているキャラクター、マンダロリアンとして私たちのもとに彼は戻ってきました。前者では、キノコ類(※)を動力源としたゾンビが襲いくる世界でひとりの少女の父代わりになります。そして後者では、帝国軍をはじめとした脅威からベビーヨーダ(またはグローグー)を守るという役どころです。

※人間にある種のキノコが寄生しゾンビになるという設定 

「四角形を無理して三角形にしなくてもいいと思うんだ」

これらの2つのシリーズ作品はそれぞれ、巨大な知的財産ビジネスの一部でもあります。『THE LAST OF US』は同名ビデオゲームのドラマ化で、『マンダロリアン』はスター・ウォーズのスピンオフ。効果音やエフェクトの中に埋もれることなく、パスカルはストーリー展開の上で感情的な核となるキャラクターをつくり出すことに成功します。そしてその結果として、ドラマそのものも彼自身の評価も高まりました。

「彼は非常に成功した作品に参加していますね」と長年の友人であり、役者仲間でもある女優のサラ・ポールソンは言います。「でも、そのような状況では番組自体がスター化してしまい、俳優個人が埋もれてしまうことがあります。そんな中、彼自身が大スターになっていく姿を見られて本当に興奮しています」

普遍的と言ってもいいほどのパスカルの魅力は、いくつかの特性が珍しくひとりの人間に同居していることが理由かもしれません。「私はいつも『俳優には2種類のタイプが存在する』と言っています。どこか畏(おそ)れを感じさせられる俳優と、家に連れて帰って抱きしめて、スープでも飲ませたくなるような俳優の2タイプです」と語るのは、『THE LAST OF US』のクリエイター兼エグゼクティブ・プロデューサーであるクレイグ・メイジン。「彼(パスカル)は両方を兼ね備えているのです。どういうわけか、両方なんですよね」

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ジャケット/Dolce & Gabbana、ヴィンテージデニム/Lee ヴィンテージベルト/the Leather Man, N. Y. C ブーツ/Stock Vintage, N. Y. C.

成功に対して心構えができていない人だったら、混乱してしまうほどのスピードで事態は進んでいっています。ですが、パスカルのほうはその渦中でもゆったりと寛いでいるように見えます。長めの会話を数度重ねていく中で――「東京レコードバー」での7品の美味しいコース料理をいただきながら――彼は自分がスターダムに至るまでの長い道のり、遍歴の人生を振り返り、それから何が次にやってくるのか考えを巡らせました。

彼ぐらいの年齢にある俳優の多くは、地に足をつけていられるようにするために、家庭生活を大切にしているかもしれません。ですがパスカルは、最近では住まいも定まっていないような状況で、子どももいません。ロサンゼルスに部屋を借りていますが、彼がカナダやヨーロッパ、ピッツバーグといった遠く離れた場所で撮影に取り組んでいる間は、ずっと空き家状態です。「40代で自宅を持っていないのか? 大人になれよ」と、ふと思ってしまう瞬間があってもなお、「僕は中年であることやちゃんとした大人であることが何を意味するかをめぐって、自分に何かを期待するのをもうやめたんだ。四角形を無理して三角形にしなくてもいいと思うんだ…」と語ります。そして、深くため息をつき、ただこう言うのです。

「どんな決断も、したくないだけなんだ」

ニューヨークの街は、通常、雑踏の中に有名人をある程度は隠してくれます。俳優やロックスターも他の人々同様に人波に溶け込み、忙しいニューヨーカーたちは彼らの存在に実際に気づかないか、あるいは気づいても無関心を装います。パスカルは以前、この街に住んでいました。有名になってからも数年は住み続けていたそうです(「2014年頃、電車で自分を見たときに周りの人々が表情を変えるのを感じるようになった」と彼は言います)。しかし、今は次元が全く変わっています。通常の法則では当てはまらないくらいに。

彼のそばを通った人は全員と言っていいぐらい、彼が誰なのかはっきり気づいています。パスカルはだんだんと、その現実に順応してきています。彼は肩をグッと後ろへ引いて背筋を伸ばし、足取りは速くしっかりとしていますが、顔はわずかに下に向けています。ワンブロックにつき2、3回、彼の前をいったん通り過ぎては振り返って「写真を撮らせてほしい」と近寄って来る人がいます。その半数以上が、似通ったことを言います。

「あなたがこんなに人気になって、とてもうれしい」と…。全く同じ言葉が、全く同じ順番で言われることもしょっちゅうです。本当にたくさんの人が、同じ振る舞いをします。パスカルは一人一人に礼儀正しく対応して、目を合わせてファンと交流し、彼らが満足して帰れるようにしています。彼は人々の「愛情」を感じて、それに感謝しています。ですが、これを第三者が見れば、このような私生活への干渉がいつか問題になる可能性があることは容易に想像できるでしょう。

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This article appeared in the APRIL/MAY 2023 issue of Esquire
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私たちが東京レコードバーでディナーをともにしたのは、パスカルが初めて『サタデー・ナイト・ライブ(SNL)』のホスト(メインゲスト)を務めてからちょうど1週間経った日で、彼はまだいつもの自分を取り戻そうとしている最中でした。

「普段は、自分自身に挑戦するようなことにはあまり興味がないんだ」と、彼は『SNL』の体験について言いますが、全く説得力が感じられません。彼はアルバータ州で12カ月間『THE LAST OF US』を撮影したこと、昨年の映画『マッシブ・タレント』(日本では2023年4月現在、公開中)で彼が崇拝する、「神のような存在」のニコラス・ケイジと肩を並べて演じたことなど例外を挙げつつも、「SNLは、人生の中の1週間という期間に、ありとあらゆる挑戦が詰めこまれたものだったんだよ」と、彼は言います。そして彼は微笑んで、「これ以上はないというぐらい最高の時間だった」と付け加えます。

番組を観れば、パスカルの言うことが本当だとわかります。パスカルの親友であるオスカー・アイザックはこう語ります。

「あのエピソードを見た人は、誰もが彼を好きにならずにいられない。彼のあの胸の内側に、あふれ出るほどに広く温かな心の存在を感じることができるから、それでこんなに好意を持たれるんだと思う」

パスカルは取材時、少し具合が悪く、胸に痰がある状態でした。『SNL』のアフターパーティーの翌朝からずっと続いている風邪です。彼は本来なら休む必要がありますが、そのときがいつになるかは分かりません。『THE LAST OF US』の現在進行中のPRツアーもありますし、『マンダロリアン』の宣伝もこなさなければなりません。そして5月には、イーサン・ホークと一緒に、有名監督ペドロ・アルモドバルによる西部劇の短編映画『Strange Way of Life』(※)のプレミア上映のためにカンヌに出かけます。 

この映画では、パスカルとホークは元ガンマンで、古い友情を再燃させます。おそらくロマンチックな種類の友情です。アルモドバルはパスカルのことを大絶賛しています。「私が彼に要求したのは、実直で、熱い心を持ち、それでいて狡智(こうち=悪賢い知恵)に長け、必要に応じて詐欺師にもなれる…情に厚い人物を演じてほしいということでした」と彼は言います。「そして、彼は信じられないほどやすやすと、全てのニュアンスを演じてみせました。彼は思わず好きにならずにいられないほどの繊細さを演じつつ、同時に情け容赦のない無慈悲さも表現できるのです。彼は素晴らしい喜劇俳優であり、必要とあらば非情な役にもなりきれるのです」

※2023年5月のカンヌ映画祭でプレミア上映される予定。同性愛者であるアルモドバル監督作で「クィア西部劇」と形容されている

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ですが、何といっても今週、彼を待ち構える最も重要なタスクは、パスカルの家族(姉・ハビエラと弟・ニコラスを含む)が世界中から飛行機でやって来ることです。妹・ルクスはジュリアード音楽院(英語: The Juilliard School)のドラマクラスで学び、今年MFA(Master of Fine Arts=芸術修士)を取得するそうです。その前の舞台出演を観るためとのこと。演目は、ピューリッツァー受賞劇作家アヤド・アクタル(Ayad Akhtar)の『The Who&The What』です。

そんなわけでパスカルはディナーを計画し、ホテルの部屋をうまく手配する必要があります。彼は「誰も失望させたくない」と必死です。それにルクスとは、昨年ニューヨークに映画のプレミアに行って以来会っていなかったので、一緒に過ごせる時間を最大限に活用したいと思っています。「いつ、またニューヨークに帰ってこられるのか、わからないので…」と彼は言います。「だから、できるだけ彼女に会うことにしているんだ」

1976年、パスカルがたったゼロ歳9カ月の頃、彼の母親と父親――彼女は児童心理学者であり、彼は不妊治療を行う医師――は、その2年前に権力を握ったアウグスト・ピノチェト将軍の独裁政権から逃れるためにチリを脱出しました。彼らはデンマークに亡命し、その後アメリカ合衆国へ移って、初めにサンアントニオに定住しました。のちになって、ペドロが11歳のときにカリフォルニア州オレンジ郡に移り住みました。それ以来、彼は東海岸と西海岸を行ったり来たりしています。

パスカルは、東京レコードバーの日本酒メニューのQRコード(※1)をスキャンするため、iPhoneを取り出します。彼のロック画面の写真は80年代中盤の、ギターソロ演奏中のプリンスです。彼の両親は、1984年にサンアントニオの映画館に彼と姉とを連れて行き、彼が的を射た言い方で「完全にR指定ものの『パープル・レイン』」と呼んでいる映画を見ました(※2)。彼の父親は映画好きでした。「母親はあまり居心地よくない様子だった。芸術家のような精神の持ち主だったからかな…」と彼は言います。「でもその日、その映画館で、彼女はプリンスに恋をしてしまった」。それを見ていたペドロ少年もまた、映画と、そしてプリンスに恋をしてしまったのです。

※1 最近増えているオンラインメニュー表。メニューを置く代わりにQRコードを読みこませてオンライン上でオーダーする
※2 正確な邦題は『プリンス/パープル・レイン』。プリンス主演の自伝的ミュージカル映画

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ジャケット/ドルチェ&ガッバーナ、ヴィンテージジーンズ/What Goes Around Comes Around(WGACA)ヴィンテージブーツ/Florsheim、 ネックレス/WERKSTATT:MÜNCHEN、ブレスレットとシルバー&ゴールドのリング/Title of Work、ゴールドのリング/Britt Bolton

 

「将来、自分を待っている世界はこれなんだ…」

彼の母親は朝、彼を車に乗せて映画館に連れて行き、係の人に「夕方6時に迎えに来るから」と伝えて預けていくそうです。「子どもなので、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981)なら何度でも観ていられたんだけど、『再会の時』(1983)はヘルペスのジョークとかがあって、意味が全く分からなかったよ」。みんなが笑っているので、彼も合わせて笑ったそうです。「追いつくために必死だったな」と…。

「そこで、コーエン兄弟の『ブラッド・シンプル ザ・スリラー』(1984)の予告編も観たんだ。重かったな。でも、よく分からないなりにわくわくしたね。将来、自分を待っている世界はこれなんだ…ということが分かって、それで興奮したんだと思う」。

東京レコードバーのお店内に、ダフトパンクとア・トライブ・コールド・クエストに続いて、パスカルのお気に入り曲が流れ始めました。ダイアナ・ロス&ザ・スプリームスの『カム・シー・アバウト・ミー(Come See About Me)』です。彼は肩を揺らし、表情豊かな目には喜びがあふれています。「Come see about me, leave me alone, come see about me, leave me alone.(私を見に来て、私をほっといて、私を見に来て、私をほっといて)」と歌います。彼は笑います。

「これは僕のキャッチフレーズだよ」。ふと私が下を向くと、私の皿の上に彼のコース料理の3皿目(とても美味しい!)のレタス巻があります。彼がこっそり移動させていたのです。手品のようです。彼は家族とのディナーのために、食欲をとっておかなければならないので当然でしょう。なので、私が代わりに食べることにしました。「これで君は、僕の邪悪さに初めて触れたことになるね」と彼は言います。

『カム・シー・アバウト・ミー』の曲が、ある記憶を呼び起こしました。「母は『再会の時』のブラウスを持っていたんだ。ヴィンテージのやつをね、ググってみよう」。私は彼が言っているのがどのブラウスか分かったのですが、彼はそれでもGoogle Imageを検索します。すると突然、2人の中年男性がダイアナ・ロスの曲で身体を揺らしながら、興奮してジョベス・ウィリアムズ(『再会の時』出演女優)の話で大盛り上がりする状況が生まれました。このときに、彼は「私をコロす」ことについて考え直してくれたのかもしれません…。


「彼女に代わって、僕が何かを言うことなどしたくない」

パスカルが家族と一緒に観た大人向けの映画のひとつに、彼の両親が後にしてきたピノチェト時代のチリを舞台にした、実際に起きた事件に基づくスリラー映画『ミッシング』(1982)があります。この作品には、シシー・スペイセク演じるキャラクターが外出禁止令下の市内に取り残される、非常に緊張感のあるシーンがあります。

「彼女は、僕の母親に似ているんだ。母の身長は152cmで、体重は45kgを切るぐらいでね。ちょうどスペイセクと同じぐらいだったんだ」と、パスカルは言います。この映画を観たのは彼が7歳のときの話だそうです。ですが、それを語る彼の目には今でもそのときの感情が宿っているかのようです。「母がそのような危険にさらされることがあったかもしれないって気づいたら、すごく動揺したね。僕は泣き出してしまい、そのあと何が起こったのかあまり覚えてないんだ」

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Coat, Saint Laurent by Anthony Vaccarello; tank by Hanes; necklace by Werkstatt: München.

彼は最近、17歳年下の妹・ルクスに母親の面影を認めることがあります。ルクスと弟ニコラスはパスカルよりも幼かったため、ルクスは赤ちゃんの頃に両親と一緒にチリに帰国しました。「妹はすぐに、家族の支配者になっていたんだ。姉と僕が時折実家に帰ると、そのときはまるで邪魔者扱いなんだよね。彼女の母親は僕たちの母でもあったわけだけど、『自分にも母に構ってもらえる権利がある』って思うこと自体がバカみたいな感じさ」と彼は言い放ちます。

彼にインタビューしたのは、トランスジェンダーの人々にとって、非常に厳しい週のことでした(※)。妹・ルクスもそのひとりです。おそらく読者の皆さんがこの記事を読んでいる時点でも、状況は同じかと思いますが…。私は私で、「ルクスにとって、この時代がどういうものか?」なんてことをパスカルに尋ねたのです。ですが、彼はすぐに「ん、パンデミックの時代に関してということかな?」と返してきます。

彼の目を見れば、私の質問の意図を本当は理解していることが分かりました。

私はすぐに、この質問をしたことを後悔しました。ルクスはただのルクスとして、忙しく日々を過ごし、卒業記念の舞台に出演したり、家族に会ったりしていればそれでいいはずなのに、なぜ彼女だけがTwitterのアンチやCPAC(保守政治行動会議)の愚か者たちに応答しなければならないのでしょうか?

ストレートではなかったり、シスジェンダーではなかったりする人々はみんな声明を出さなければならなくて、ただそのまま存在するということはできないなんて、そんなことはないはずです。私が、彼の回答にこうしたことのすべてを投影してしまっているだけかもしれません。でも、そうでない…かもしれません。私が言えるのはただひとつ、「彼の目は、全てを物語るかのように表情豊かだった」ということです。

すると彼は、「彼女に代わって、僕が何かを言うことなどしたくない」と続けます。「でも、彼女は今もこれまでも常に、僕が知る限りで最も実力を備えた人間のひとりであり、また強い個性の持ち主のひとりでもある。僕には、『僕が君を守る!』というふうに保護者的に振る舞ってしまうヤバい一面があるのだけれど、それでも彼女が僕を必要とする以上に、僕のほうが彼女を必要としているんだよ」 

※2023年3月から4月の時期、アメリカの保守州で次々と、未成年のトランスジェンダーへのホルモン治療や性別適合手術などの医療を禁ずる法律(州法)が成立していった

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ひっきりなしに、パスカルの兄弟や従兄弟たちからのテキストが届いています。こっちで「Airbnbが予約できていなかった」とくれば、あっちでは「今夜のディナーの場所ってどこだっけ? 忘れちゃった」という具合です。私たちは会計をし、東京レコードバーから急いで出ようとします。ですが、私たちの隣にいた男性が、これまでずっと冷静であったにもかかわらず、いきなり「パスカルの大ファンです。今の成功がとてもうれしい」といった内容で話かけてきました。かと思えば、今度はシェフまでもやって来て、それと同じような内容を繰り返し伝えます。


子どもの頃に映画が与えてくれた、謎めいた大人の感覚に導かれ、パスカルはNYU(ニューヨーク大学)のティッシュ・スクール(芸術学部)に入学するため、1993年ニューヨークにやって来ました。彼はすぐに、ニューヨークの名門ラガーディア芸術高校の卒業生グループに出会い、彼らと付き合うようになりました。「彼らと仲良くなることで、僕はニューヨークでの家族と呼べる仲間をまるごと手にしたんだ」と、彼は言います。

「彼らが、僕と一緒の高校じゃなかったということを忘れるほど親しくなった」

「当時、私たちは年がら年中映画を観に行っていました。映画に夢中でしたね」、こう語るのはサラ・ポールソン。パスカルが言う「家族」の一員であり、彼女もまた映画館の暗闇の中に光を見たひとりです。彼女はこう続けます。

「そんなに映画に没頭していた理由については、好きなように考えてもらっていいのですが、私の考えでは私たちが思考の面でも感情の面でも、気持ちの面でも、とにかく逃げたいものがあったからなのかな…そんな気がします」

パスカルは、私たちが東京レコードバーでのいろんな意味で緊張感に満ちた時間を過ごした後の月曜日に、イーストビレッジのセントマークス・プレイスのカフェ・モガドールでブランチをしながら、この時期の思い出を語ってくれました。彼はNYU卒業後、苦しい時期を過ごしました。

「僕は完全に打ちのめされていた」と彼は言います。

彼は1990年代後半に、『セックス・アンド・ザ・シティ』の時代のニューヨークでたくさんのレストランでウェイターとして働きながら、商業広告や産業向け映像のオーディションを受けました。タイムカフェ、エル・テディス、パンゲア、ルビー・フーズ…、彼はこれらのレストランの大半からはクビにされ、2つのレストランからは「本当の(酒の)飲み方を学んだ」と言います。彼が演技の仕事を得られそうになるたび、他の人が選ばれてしまいましたが、エージェントはパスカルを高く評価していたため、彼を解雇しませんでした。

「そのこともあったし、あとは自分では何かを決めないことと、演技以外には何のスキルも持っていないことが、逆に僕をこの業界にとどまらせたのだと思う」

1999年、パスカルはニューヨークからロサンゼルスへと移り、テレビの仕事をいくつか受けるようになりました。ドラマ『バフィー 〜恋する十字架〜』(1997-2003)、ドラマ『Touched by an Angel』(1994-2003)、それにMTVのセクシーなアンソロジーシリーズ『Undressed』(1999-2002)の3エピソードに出演しました。本作は、最近TikTok上で再び注目を集めています。この時代に少しずつ、仕事が増え始めたのです。

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Coat and knit, Saint Laurent by Anthony Vaccarello; necklace by Werkstatt: München.

「29歳までに目立った仕事をしていなかったら、もう終わりにしよう」

パスカルがロサンゼルスに移った翌年の2000年、故郷のチリで彼の母が亡くなりました。当時24歳だった彼は、家族のそばにいるためにすぐに帰国。彼には年齢がかなり離れた弟妹がいたため、親のような存在でいたいと思っていたそうです。

「彼らはまだとても小さい子どもで、僕や姉よりもかなり年下だった。もし親を失っていなかったとしても、それでも僕たちは彼らに保護者のような気持ちで接していたと思うよ。僕は親代わりになると言えるほどの状況ではなかったけど、ただ僕は『そばにいるよ』って伝えたかったんだ」。

母への敬愛の念を込めて、彼は彼女の旧姓である「パスカル」を芸名に使うようになりました。

彼の母の墓石には、「2月4日」の日付が刻まれています。今年2023年の、ちょうどその日にパスカルは『SNL』のホストを務めることになりました。「その週、僕はとても怖くなって、それで母に向かって語りかけたんだ」。ショーのリハーサルで長い1日を過ごした後で、家に帰りました。「帰宅後に僕を待っていたのは恐怖だった。世界中が見ている目の前で爆発(大失敗)するという恐怖が、すごくリアルに迫ってきた。そこで母に向かって話したら、本当に慰められたんだ。『彼女ともっと話したい』という気持ちの存在を再確認できたよ」

「彼女に何と語りかけたのですか?」と私は尋ねました。

「『愛している』『会いたい』『ありがとう』『怖い』『自信がもてるよう助けてほしい』『母さんが僕を信じてくれることは分かっている』——そういったことさ、分かるだろ?」

そして彼は、大きく息を吐きました。「もうこの話はおしまいにしよう」

母を失った痛みがパスカルにとって今もなお深刻であり、それがありありと今も感じられることは明らかこと。なので、それ以上この話題で語ってもらうことは難しいと感じました。ですが、彼が考えていることは自分の気持ちのことだけではないようです。彼のきょうだいや父親、そして家族全体の感情を守ることが常に彼の頭にあるのでしょう。「自分自身の家族を持っていないということが関係しているかもしれないし、きょうだいやチョーズン・ファミリー(血縁以外で家族だと自認し合う人間関係)に感情の全エネルギーを投資しているからかもしれない…」ということ。「でも僕は総じて、誰に対しても、その人が直面している経験に対して『守れること、助けてあげられることはないか?』という意識が働くんだ」とも言います。

それに関しては、目の前にいる私のことも含めてだそうです。

「君は昨晩、レコードバーで気まずいなと思っただろう? それがずっと気になっていてね」と、パスカルは言います。「君のためにそれは解消しておきたいと思うんだ」。何かを守りたいという衝動は、彼の仕事に自然と表れています。彼は本能的に共感型の人間、天性のガーディアン…守護神のような存在です。

2000年頃、パスカルはニューヨークに戻り、再び試行錯誤を続けました。以前より多くのオーディションに参加し、合格寸前まで行くことも増えました。

「彼(パスカル)も公の場で言っていたことだけれど、私が仕事で稼いだ日当を彼に渡して、食べ物を買うお金にしていたことがあります」。こう語るのは親友のポールソン。パスカルは、「自分の夢は決して実現しないのではないか? といつも悩んでいたよ」と言います。

「何度も死ぬような思いをした」と、パスカルは言います。「僕が抱いていた目標は、『29歳までに目立った仕事をしていなかった場合、もう終わりにしよう』というものだった。だから僕は、『人生をこの職業にささげるということに、どんな意味があるのか?』と何度も何度も自分に問い直しては、子どもの時代に夢として描いていた俳優になることを諦めかけたことも何度もあったよ」

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Jacket by Dolce & Gabbana; tank by AMI; vintage jeans by Lee; necklace by Werkstatt: München; gold ring by Britt Bolton.

2005年に、パスカルはオスカー・アイザックとともにマンハッタン・シアター・クラブのオフ・ブロードウェイ・プロダクション、『Beauty of the Father』にキャスティングされました。

そこで2人は、堅い絆を育みました。

「彼の感情の深いところでは、この地上に生きるひとりの人間としての彼と、劇中のひとりの登場人物としての彼との区別がないように思う」と、アイザックは語ります。「役づくりにおける感情のスルー・ライン(演劇用語。役づくりの方法のひとつ)が一貫していて、本当に生々しくて、リアルなんだ」と。

アイザック自身もまた、このプロダクションを機にキャリアが急上昇しました。そして、いまこうして友人が同じ経験をしているのを見ています。「彼は俺の家族だ」とアイザックは言います。「彼が有名かどうかは、どうでもいいんだ。やっと正当な評価を得られるようになった人を見ているだけなんだから」

確かにスーパースターになるまでの道のりには、乗り越えなければならない逆境があまりにも多くありました。その事実が、エンターテインメント業界にいる彼のファンをいやがうえにも満足させているのです。「これはハリウッドがスターにしようと必死で持ち上げた人の話ではありません」と、『THE LAST OF US』の共同制作者でありエグゼクティブ・プロデューサーでもあるクレイグ・メイジンは語ります。

「(ハリウッドは)彼を締め出したわけでもなく、無理やり引っ張って出したわけでもありません。ただ腕を組んで、座って見ているだけでした。つまり、ここまで来たのは彼自身にの実力によるものです。いつだって彼のほうから挑み、切り結んできたのです」。そしてメイジンは、こう続けます。「Wikipediaで、私の名前が永遠に彼の名前のそのそばに表示されることを、とても光栄に思っています」

ペドロ・パスカルは感情を素直に表に出す人です。

表情豊かな目を通して、その感情がいつも放たれています。そのため、ハリウッドでの仲間のなかに、アメリカ映画界でも顔色を変えないことで名高い俳優のひとり、クリント・イーストウッドに例える人もいることはちょっとした驚きです。『マンダロリアン』のクリエイター(脚本、エグゼクティブ・プロデューサー)であるジョン・ファヴローはこう語りました。

「オリジナルのボバ・フェットの鎧とT字型のバイザーは、クリント・イーストウッドの『荒野の用心棒』を基にしています。この映画では、角度をつけたり帽子のつばを使ったりしてイーストウッドの目を隠していました。私たちは、『その伝統に従おう』って思ったのです。そうしてペドロは、自分にはコスチュームに生命を吹き込む力と手腕があるという手応えを感じ、実際それ以上のことを成し遂げてくれました」。友人であり彼のファンでもあるブラッドリー・クーパーも、ハリウッドのガンマン、イーストウッドに言及しています。「パスカルが『THE LAST OF US』で演じているのは、クリント・イーストウッドを象徴化したアーキタイプ(元型)だと言えるかもしれないね」と…。

「『THE LAST OF US』のジョエル役に適任なのはパスカルだ」と、メイジンは最初から感じていたと言います。「ジョエルの中に、あの脆さを見つけ出すことが重要でした。自然なタフガイらしさが備わっていることは前提として大事でしたが、あまり強くそのことに寄りかかりすぎないことも同時に大切だったのです。ペドロはご存知のように人に好感を持たれますが、その一方でとてもタフで、しかも、とても悪い男性を演じるのもきわめて得意という別の魅力もあります」

カメラが回っていないとき、パスカルは全く異なる、そして時には子どもっぽい性格を見せます。

『THE LAST OF US』でエリー役を演じるベラ・ラムジーは、番組内で彼女の父親代わりの存在となっているパスカルと、プロテクティブな(何かを守りたいと思う)意識を共有したことを述べています。「彼から、自分に優しくすることを学びました。彼は自分に優しくするのがそれほど得意ではなくて、自分にすごくプレッシャーをかけてしまうようです」と、ラムジーは語ります。そしてこう続けます、「でもおそらく、私が教わったことを、そのまま彼に返してあげられたようにも思えます」と…。

プレッシャーバルブ(液体や気体の圧力が規定以上になるとバルブが開く仕組み。ストレス解消の比喩)は、80年代初期のオリビア・ニュートン・ジョンのヒットしたポップソングに対するパスカルの驚くほどの愛情という形で現れました。「彼はセットでよく歌いだすんです」とラムジーは言います。「特に『ザナドゥ(Xanadu)』です。番組公式のサウンドトラックには入っていないと思いますが、ペドロの歌う『ザナドゥ』は、もはや『THE LAST OF US』のテーマソングです(笑)」

さて、ここで「ダディ問題」に触れておきましょう。

Daddy(ダディ)」は、ペドロ・パスカルが話題になるときや、各種SNS上で彼のファンアカウントの投稿に頻繁に出てくる言葉です。本当に、頻繁に登場する(※)のです。彼はそれをいじって遊んでいて、レッドカーペットで「私はあなたのクールでスケベなダディです」と、カメラに向かって言ったりしています。彼の出演した『SNL』のショートコントでは、彼が「すごく”パパ”感ある!」と言われたり、「私たちであなたをダディにしなくちゃ」と言われたり、「私たち、パスカル沼にハマって出られない」と言われたりするシーンがありました。こうした言葉は性とは無関係のようでありながら、露骨に性的でもあり、子どもっぽく無邪気で、けれどもディープで盲目的な愛着に満ち満ちてもいました。それは性的であると同時にそうでもない。それは…かなり奇妙です。

ショートコントに、ママ役でカメオ出演もし、自身も「マミー」とあだ名がつけられたサラ・ポールソンは、「私もマミー問題にここ数年間取り組んでいますが、その多くは何を言おうとしているのか? 実際のところほとんど理解できていません」 

※ 彼はSNS上で「ダディ」「ファザー」と呼ばれている。ポールソンもまた「マミー」と呼ばれている。おそらく、かつてよく使用されたDILF(Dad I'd like to f*ck), MILF(Mom I'd Like f*ck)が卑猥な意味が強すぎたため時代に沿わなくなり、これらの語に変換されていると思われる

これはxの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。

先述のクレイグ・メイジンによると、パスカルが「ダディ」として人気があるのは、自分の人生にポジティブな父親的存在の良い思い出があるか、あるいは良き父親的存在を渇望しているケース、つまり、心の中に大きな空白があるか、誰もがそのどちらかであるのがこのダディ人気の理由だと考えています。「有害でない男らしさ」への懐かしさ、または憧れ。「パスカルは、こうした男らしさを持っているのです。それでいて、彼の目の奥には苦しみも見て取れるわけです」と彼は語ります。

パスカルは肩をすくめます。「あと、僕は年を取っているからね…」

ポールソンは、「パスカルをよく知っている私としては、彼を私の『ダディ』とは思いたくない。彼には一緒に夜通し遊び明かせる友だちでいてほしいのであって、パパになられたら嫌です」と語ります。

『THE LAST OF US』のシーズン1は、ビデオゲームの第1作とまったく同じように終了しました。つまり…、以下ネタバレになりますのでご注意ください。ジョエルは、エリーの脳に行う手術によってしかワクチンを作れないこと、そしてその手術をすればエリーは死んでしまうことを知ります。そして、シーズンのほとんどをかけて彼らがたどり着こうとしていた病院で、ジョエルはほぼ全員を殺害し、エリーには嘘をつきました。それは残酷な結末で、視聴者が彼(パスカル/ジョエル)に向けていた純粋な愛情は少し複雑なものになるかもしれません。「その時には、しばらく人のいるところへ出るのを控えるかもしれないな。バケーションを取る時期かもしれない」と彼は輝く目で語りました。

pedro pascal
NORMAN JEAN ROY
Coat and knit, Saint Laurent by Anthony Vaccarello; necklace by Werkstatt: München.

ここで言及しておくべき公然の秘密があります。もし読者のみなさんが「The Last of Us Part II」をプレイしたことがある場合――数百万人がプレイしたゲームです――、ジョエルに何か大きな出来事が起こることを知っているでしょう。シーズン1は1作目のゲームのプロットにかなり忠実に従いつつ、自由な解釈もいくつかしています。なので、ジョエルがあまり出てこなくなるかも知れない可能性に対して心の準備をする必要があると思われます。ラムジーはその可能性をまだ受け入れられていません。「もしそうなるとして、私は気持ちの準備ができているとは思えません」と彼女は言います。メイジンは黙して語りません。「そろそろ誰の目にも明らかなはずかと思いますが、私はキャラクターを殺すことを恐れていません。しかし、注目していただきたい重要な点は、ニール(・ドラックマン=本シリーズの共同制作者およびエグゼクティブ・プロデューサーをメイジンとともに務める)も私も原作に縛られていないということです。」

パスカルはゲームをプレイしたことも、例の大きな出来事が起こるシーンを見たこともありませんが、それについて知ってはいます。加えて、脚本家たちがどこへ向かおうとしているのかについても、彼は何ら情報を持ってはいませんが、「ゲームの第1作をあそこまで忠実にたどっておいた後で、今度は大きくそれるというのでは、意味が分からないよね」と彼は言います。彼は私を見て、悪戯心に目を輝かせて、また肩をすくめます。「まあ、それが僕の正直な答えだよ」と彼は言います。「公然の秘密」のなかには、ある程度は秘密にしておく必要があるものもあります。


私たちはカフェ・モガドールで話のまとめに入り、話題はグローグー(ベビーヨーダ ※)の人形と一緒に演じるという挑戦へと移りました。彼は私に2体の人形があると語ります。「1つは、スペースシャトルを制御するワイヤーみたいな感じのものに接続されている。眉毛や目や唇や顎の筋肉や耳など、すべてが本物と同じような仕方で動くから、シーンを一緒に演じる相手役としてすごくリアルに感じられるんだ」。それから、時間が来たので出発することになりました。私たちが外へ出ると、あとから女性が出てきて挨拶をし、ファンであること、そして「今彼に起こっていることがとてもうれしい」という例の言葉を言います。

彼女が今日は自分の誕生日なのだと言うと、パスカルは彼女の名前を尋ね、しばらく話をしました。最後に彼女は、手間を取らせたことを謝罪していました。私たちは彼のホテルに歩いて戻り、プリンスについてもう少し話をしました。以前、私はパスカルにプリンスと同じ部屋にいあわせたときのエピソードを話したことがありました。プリンスにはボディーガードがいて、誰かが意味もなく「ジーザス」と口にする度、罰金として1ドルを入れることになっていたプラスチック製の巨大なボトル(swear jar:汚い言葉を使ったりするたび罰としてお金を入れる貯金箱のようなもの)をそのボディーガードが管理していたという話です。これはパスカルを喜ばせました。「今なら信仰を持てるかもしれないな」と彼は言いました。

パスカルが長く曲がりくねった道のりを辿ってこの地点に至った姿には、間違いなく人の心を揺さぶるものがあります。現在、いくつか他にもプロジェクトが進行中で、彼が進む次のステップには、ほとんど無限の可能性があるという状態です。彼は手にしたばかりの影響力をどのように利用するつもりなのでしょうか。次の一手が現在の熱狂を保つためではないということについては、彼は唯一確信しています。「次にどうなるかは分からない」と彼は言います。「ただ、外部からの視点でより大きな意味があるようなものを追いかけたりすることなく、大人としての器量が自分にあることを願っている」

「とにかく異常なくらいです」とポールソンは言います。

「誰もが彼に魅了されています」。

視聴者が彼につながりを感じる理由と、視聴者が彼のことをどのように考えていそうかということについて、ポールソンからハリウッドプロデューサーにアドバイスがあるそうです。「みんな彼に成功してほしいという、ただそれだけなんです。こういう風に観客に思われるということこそ、『本当の大物映画スターの証だ』と私は思います。彼にはぜひ、ブルース・ウィリスやメル・ギブソンといった往年のロマンティック・コメディ俳優たちから、王者の座を引き継いでほしいです。ペドロは、彼らの演じていたどんな役だってできる。ペドロで『ダイ・ハード』をリメイクして、『リーサル・ウェポン』シリーズも全作、ペドロでリメイクしましょう」

それもあり得る話だと思います。

けれど、ここに至るまでの航海も長くいろいろなことがありました。今という時は、勝ち目のなさそうだった彼が成功者となって、世間の耳目(じもく=聞くことと見ること)が以前よりずっと集中している時期です。彼をただ祝福したがっていた人々がひとり、またひとりと、彼から何かをもらいたいと望むように変わっていく瞬間でもあるでしょう。

私たちが歩いているところを、パパラッチが写真に撮りました。

パスカルがそれを見たかどうか分かりません。私に分かるのは、私自身は気づかなかったということだけ。その日のうちに、Instagramのペドロ・パスカル のファンアカウントにこの写真が上げられて、そのリンクを誰かが私に送ってくれたのです(そこには、「ペドロはこのニュー・バランスがお気に入りだね」というコメントがついていました)。

私たちが彼のホテルの近くの角で別れのハグをしていると、予想通り、FedExの封筒を手にしたトラックスーツの男が現れ、彼にサインをしてもらおうと何かを取り出しました。それから3人、6人、10人と、その数が増えていきます。彼らの目には喜びではなく、欲求が宿っていました。彼らは自分たちが熱狂的なファンであることや、彼の現在の成功がただうれしいなどとは言いません。代わりにこうです。

「ここに」「これにサインして」「写真を撮っていい?」、そして「eBayに出品できるものをくれ」と…。彼らは一日中ここにいて待っていたのです。私は、彼が何点かサインしたのを見ましたが、人だかりの中で彼を見失ってしまいました。

私に見えたのは、ただドアが開いて、それから彼の後ろでドアが閉まるところだけでした…。

※『マンダロリアン』でパスカル演じる主人公はグローグーの庇護者


Story / Dave Holmes
Photos / Norman Jean Roy
Styling / Bill Mullen
Grooming / Coco Ullrich for La Mer at TMG-LA.com
Production / Crawford & Co.
Prop Styling / Michael Sturgeon
Tailoring / Todd Thomas
Creative Direction / Nick Sullivan
Design Direction / Rockwell Harwood
Visuals Direction / James Morris
Executive Director, Entertainment / Randi Peck
Executive Producer, Video / Dorenna Newton 
 
Translation / Miyuki Hosoya

From: Esquire US