bruce willis esquire spread
Esquire

※本記事は『Esquire』US版の2001年3月号に掲載されたもので、俳優のブルース・ウィリスが寄稿した記事です。

子どもの頃、私は吃音症(きつおんしょう=話し言葉が滑らかに出ない発話障害のひとつ)でした。ひとつの文章を最後まで言えないほどの重症です。吃音に苦しむ人には、常に頭の後ろで神経が引っかかれるような感覚があります。親切な人たちが懸命に話を最後まで聞こうとする結果、さらに吃音がひどくなるというサイクルに陥り、周囲の人々を居心地悪くさせていたのです。そんな私を両親は、ただ普通に接することで助けてくれたのです。思いやりと愛情は、このような状況下ではとても役に立つものです。

逆境に直面したとき、私たちには2つの選択肢があります。「逆境に屈する」か、「困難を克服する」か…です。そこで私はこう考えました。

「確かに私は吃音持ちだ。でも、もし相手を笑わせることができたら、注意を逸(そ)らせられることができるかもしれない。そう、手品のように」と。以来、私はいつも友だちを笑わせようと、当時の私たちにとって面白いことをしてきたのです。先生にとって、ぜんぜん面白くなかったとは思いますが…。

吃音のせいで、後ろ向きな性格にはなりたくなかった私は、演劇に参加しました。それは、中学2年生のときだったと思います。舞台に上がると、奇跡が起こりました。吃音が消えたのです。ですが舞台を降りると、また吃音が戻ってくるのです。そこで、「本当の自分とは異なる役を演じると吃音が消える」と気づいた私は、演技が大好きになりました。以降、私は何年も吃音と格闘し続け、やがて克服するに至ったのです。やがて大学に入る頃には、「役者になりたい」と思うようになったのです。

人間の死について学んだ20代

20代前半に、数人の友人を不慮の事故で亡くしました。同じ頃、兄が道路を横断中にクルマに轢(ひ)かれました。彼は3メートルほど宙に投げ出され、半年間入院することになります。すると今後は妹が、ホジキンリンパ腫と診断されます。今は完全寛解していますが、一時期は「死んでしまうのでは?」と思ったこともありました。だから、私は命の儚(はかな)さについて、常に意識しています。「痛みは生きるためにある、死んだら苦しみは終わる」とよく言われますが、私はそれを信じています。自分や誰かの死を考えるのは、なかなか難しいことでもありますが…。

私は20代をニューヨークで過ごしましたが、おそらくその期間は“人生で最もクレイジーな時期”と言えますね。思い出すと、今でも顔がほころびますよ。当時、私が唯一しなければならないことはと言えば、「時間通りに劇場に行く」ぐらいだったので…。でも、心配には及びません。25歳になったころには、そんな自分を大人しくさせるための脳細胞を数百万個は手に入れていました。

スターになると共に失われたもの

やがて私はテレビスターになって、それから映画スターになりました。そんな私は名声に振り回されるようになり、そこで「幸運」の中にある「不幸」を理解するようになりました。それは、自分の匿名性が失われることです。テレビ番組、映画、雑誌のインタビュー、テレビのインタビュー、ゴシップ…これらはすべて、人々が私をどう見ているかというホログラム(3次元像の写真)をつくり出すものです。そう、すべてが幻想であり、それは宗教や権力のそれと同じです。「これは最悪だ」と思い、腹を立てていた時期もありました。ですが、今はただ、それを受け入れています。

そんなわけなので、私がここで私生活のことついて話さないことを悪く思わないでください。私にはプライバシーがほとんどないので、そのわずかなプライバシーを守るために日々戦っているのです。

私は有名になった経験から、友情というものを強く意識しています。ほとんどの友人が、私があまりお金を持っていなかったころからの私を知っています。みんな、私が真面目になりすぎないように今も助けてくれています。

私の人生には、私生活と仕事の間に区別がない時期がありました。ですが、1991年のコメディ映画『ハドソン・ホーク』で大失敗したことで、私は一歩下がってこの2つを分けられるようになりました。今では、仕事をするときは皆さんと同様に、できる限りのことをしようと努力しているだけです。

この記事を読む人へのアドバイス

子どもの頃、45歳というのはかなりの年寄りに思えました。歳をとった感覚はあまりありませんが、顔のシワは見えます。長い間笑っていると、こうなります。心の中ではまだ25歳ですが、実際は45歳であることはよく分かっています。酒はやめました。子どもがいることは、酔っ払わないための絶好の理由になります。子どもたちのために元気でいたい…そして、子どもたちの子どもたちと一緒に走り回れるようになりたい…そう思っています。

ある男が歩いている絵があります。赤ん坊の姿から始まり、歩いて歩いて、背筋が伸びて力強く成長し、どんどん年をとって、やがて猫背になって、もうほとんど立っていられなくなります。男性はみんな、この絵を壁に飾っておくべきです。そうすれば毎日起きて、「今自分はこのタイムラインにいるな」と思えるようになるでしょう。

毎日その絵を見て、「あと何年夏を過ごせるか」と自問すれば、時間を無駄にしなくなるはずです。例え90歳まで生きたとしても、死ぬときにはあっという間だと感じるでしょう。だから私は、「精一杯生きろ」と言うのです。「一瞬一瞬、一時間一日を大切に生きろ、あっという間に終わってしまうのだから」と。ほとんどの人にとって自身の死というものは、不意打ちをくらわされるようなものなのですから。

【カル・ファスマンにより聞き書き】

Source / ESQUIRE US
Translation / Yuka Ogasawara
Edit / Mirei Uchihori
※この翻訳は抄訳です。