ニューヨーク市ブロンクス区にある、シェークスピア・アベニュー1170番地。以前はコンクリート製の単なる街の階段に過ぎなかったこの場所が、数週間の間に「ジョーカー階段」と呼ばれるようになりました。

 これはトッド・フィリップス監督の最新映画『ジョーカー』に出てくることから、名づけられたものです。 
 
 ジョーカーが楽しそうに階段を降りていくそのシーンは、ゲイリー・グリッターの曲「Rock and Roll Part 2」(なかなかナイスな選曲です)が使われていることでもすでに注目を集めていました。

 このシーンは同作品の予告編やポスターにも使われていますので、それが話題のネタになるのは自然なこと。またツイッターには、「@joker_dancing_」というアカウントさえ存在しています。このアカウントでは、あのシーンに映画で使われているのとは違う曲(たとえば「YMCA」や「Dancing in the Moonlight」など)を重ねた動画だけを扱っています。 
 

 映画『ジョーカー』は、2019年8月にベネチア映画祭でプレミア上映されて以来、現在まで様々な話題を提供してきています。また、同映画に描かれた男性の怒りや暴力に関する悪評をめぐる論争も巻き起こっていました。 

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 2019年10月初めに『ジョーカー』が公開されてまもなく、シェークスピア・アベニューのこの住所につされたインスタグラムの位置情報タグが、「ジョーカー階段」に変わりました。

 このときには誰もいない石段を撮影した写真が、このタグ付きで投稿されていただけでした。そしてその2週間後、あるインフルエンサーが自分の映った動画をアップロードしました。この男性ユーザーがジョーカーの仮装をして、「Rock and Roll Part 2」というグリッターの曲に合わせて踊る姿を撮影した動画で、彼の後ろにはその様子を面白そうに眺めながら石段を下っていく地元の住人たちの姿が映っています。この投稿動画をきっかけに、大勢の人たちが「ジョーカー階段」に押し寄せるようになったのです。

 彼らが撮影した写真の中には、人で混み合う階段や完璧な写真を撮ろうと列をなす人々が映ったものなどがあります。また、カメラ・クルーを引き連れてやってきた人たちもいました。あの映画に刺激を受け、ジョーカーの仮装をして撮影に来た人たちもいて、例えば@kiariladybossという女性のインフルエンサーは赤いスーツに道化師のメイクアップという格好で、ジョーカー階段の前でポーズを取る自分の写真を投稿していました。 

 この投稿のコメント欄には「 Have fun getting robbed,(どうぞ“強盗”を楽しんでください)」と、あるインスタグラムユーザーの書き込みもあります。この階段が単にコンテンツを演出するためのセットではなく、そこで生活する人々にとって欠かせない日常の一部であり、「できれば、お願いだから…」というリアルな気持ちをうまくキャプチャーしたコメントではないでしょうか。 
 
 インスタグラマーの間では、災害の現場に足を運んで、そこで自画像を撮影するという奇妙な行為が流行しています。例えば、チェルノブイリ原発ベルリンのホロコースト記念碑といった場所で写真を撮ることは悪趣味であり、それらの場所が象徴する苦しみに対しての自分の無知さをさらけ出すものとして非難されています。

 また、そうした類の情緒的影響を伴わない場所にしても、(自分として)完璧なセルフィ―が写すことのできる場所を探す人たちによって、滅茶苦茶にされている例があります。例えば、カリフォルニアの砂漠で生じたスーパーブルームには大勢のインフルエンサーが殺到したため、その素晴らしさがあっという間に失われてしまいました。そこでのインフルエンサーに対しても、今回と同様の批判の声が上がっていました。 
 
 もちろん、この「ジョーカー階段」は歴史的な出来事があった場所でもなければ、保護を必要としている自然の一部でもありません。しかし、ブロンクスの住民たちにとっては、ここは自分たちが生活する日常の一部。そこに突然、見ず知らずの人々が土足で入り込んできたら、あなたならどんな気分ですか? 当然、面白くありませんよね…。

 「自分がソーシャルメディアに投稿する写真の撮影場所として、私たちのコミュニティーを扱うのは失敬なこと」と、あるチラシには書かれていました。

 このチラシは、ジョーカー階段の周辺に貼られたもので、「冗談で言っているのではない」とも記されています。また、ある住民はオンラインメディア「Gothamist」に、「私たちにとってこのブームは必要なものではありません。すぐに終わってくれることを願う」と綴られています。 
 
 住民の中には、もっとクリエイティブな行動に出た者もいます。

 ブロンクス拠点のある劇団は、「ジョーカー階段」でセルフィーを撮影する旅行者を「寄生虫のような行い」であるとして、追い出すパロディ動画を制作していました。この動画には、「ここはブロンクスだ」と叫ぶシーンもあります。 

 おそらく最も寛大な反応は、ハロウィンイベントの出来事でしょう。

 このイベントでは、ファンシーなドレスを着た子どもたちのために写真撮影会が行われ、お菓子が振舞われ、「ジョーカー階段」を自分たちの手に取り戻すために、住民たちが招待されていました。 
 
 映画の中に登場する…階段の手すりを滑り降りるシーンは、罪のない行為に見えます。しかしながら、それは映画『ジョーカー』という物語の中で、荒廃した1980年代のゴッサムシティのとある場所という設定の中だから許されるもの。そのロケに使われたリアルな現場…このブロンクスの階段を、インフルエンサーたちが「ダークな写真が撮れるスポット」として使用いるという事実は、特にその近隣に住む人々にとっては不愉快な思いでしかないでしょう。

 インスタグラムに投稿される写真は、そこに映っている人たちが主役です。ですが、写真のインパクトを追求する傾向は、さらに強くなり続けてもいるのは事実。現在は、その写真の背景までも、主役以上のインフルエンスを巻き起こす可能性があるわけです。

 この事例は、このプラットフォームが持つ死角とも言える位置に存在する危険性を、広義に示すシグナルではないでしょうか。 
 

 

 

 
 

From Esquire UK
Translation / Hayashi Sakawa
※この翻訳は抄訳です